アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

カテゴリ: 内省 こころ

Tee

アルコール依存症の典型的な症状、それは体内のアルコール量が減ったときに起こる離脱症状、禁断症状と言ったほうがわかりやすいですね。手のふるえ、悪寒、寝汗、イライラ、不安、焦燥感、睡眠障害などで、まぁボクらは全部思い当たります。ですが、こうした症状はアルコールを飲むと一時的に治まります。そのため、また飲むという悪循環が始まるのです。

人によっては吐き気や下痢、胃痛、動悸、高血圧といった症状もみられます。さらに進むと、うつ状態におちいり、ないものが見える幻視、ない声や音が聞こえる幻聴といった症状や、記憶障害なども起こすようになり、仕事や家庭生活にも大きな支障がでたり、最悪な事態になります。

アルコールを飲むと、私たちの脳の働きが変化し、緊張がゆるんだり、いい気持ちになったり、気が大きくなったりします。それが酔うということですが、普通は脳への影響は数時間程度で治まります。ところが、毎日のようにアルコールを多く飲んでいると、脳はその酔っている状態を通常だと判断するようになります。すると反対に、体内のアルコール濃度が低くなったときに対応できなくなり、さまざまな不快な症状があらわれるのです。

離脱症状がみられたら、すでにアルコール依存症になっています。できればそうなる前にアルコールを飲む行為自体を考え直さなければなりません、アルコール依存症の予防ですね。

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tiffany

このブログは 2009年9月から続けてきて、さすがに時代から取り残された感じがしてる。更新もサボリがちだし。

個人ブログはまだあるにはあるが、猫も杓子もやっていた時代と比べると半減どころではありませんね。そして個人ホームページとなると、これはもう過去の遺物めいている。これだけ技術が進歩し、表現が多彩になり、新たな記述の方式や部品が出てくると、Web の専門家でも何でもないただのアマチュアの日記としては、そう言うのに追いついていくのは青息吐息になってます。

ソーシャルネットワークは基本的に自分の知り合いや仲間に何かを伝えるものであるが、僕はそこを目指していない。もちろん知り合いが読んだって怒りはしないが、僕は常に不特定のアル依系の読み手を想定して書いている。

それから、タイムラインをどんどん下に流れて消えて行くソーシャル系のメディアではなく、どこかに一覧性のある目次めいたページがあり、そこからサイト内のいたるところが参照可能になっていて、過去に書いたものの繋がりをいつでも確かめられる形に捨てがたい魅力を感じている。アル依の初心者とかが色々とみてくれると嬉しい気がします。

更新が途切れがちだけど、自分の為に何とか続けていければと思ってる。当然自分が飲まない為に。多分僕がこれをやめるのは僕がボケたときなんだろうなぁ~、なんて、、、。

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iseta


さすがに FAX は要らないかなと、多少の不具合はあってもまだ辛抱して使おうと思えば使える電話機をFAX なしのものに買い替えようかと、、、。

皆そうだと思うが、スマホを中心にラインやメールでいろいろなやり取りをしている。当然口約束やメールでは済まなくて文書を要求されることもあるし、また中にはその文書をメール添付でと言う相手もいる。さすがにそれを FAX で送れと言う人は皆無になった。

自宅に関しては、もはや家の固定電話にかけてくるのは、怪しい売り込み以外には母親のデイサービスのお迎え連絡くらいなもの、FAX が送られてくることはないし、インクリボンが切れて10年近いかも。

PC を使い始めた頃、使う回数が減ってきた FAX をなんとかなしで済ませようと、PC にアプリを入れて FAX の肩代わりさせたこともあるが、あれはあれでちょっと面倒くさかった。思えば Modem の時代だった。世界は進歩して、その発想自体が飛んでしまった。

今やほとんどの知人が携帯にかけてくるので、FAX どころか家電自体がなくてもそんなに不自由はないのだが、携帯の番号を教えたくない相手に固定電話の番号を教えておくことによって、プライバシーを守る効果はそれなりにある。どこにいても捕まるという心配がなくなるのである。

携帯電話にずっと出ないでいると、後から「どうしたんだ」「何かあったのか」などと心配あるいは追及される恐れがあるが、家電であれば家にいなかったと言えばそれで済む。長期に家を空けていたのか、ちょっと飲みに行っただけなのかを説明する必要もない(笑)

ところで、FAX が不要であると同時に今や子機も要らなくなった。子機というのは本来一家に一台の世帯財であった電話機を個人使用に拡張するためのシステムであり、電話台から動かせなかった黒電話の可搬性を実現するための方策だった。

携帯の登場によってそんな必要はなくなったし、今では親機もワイヤレスになったし。買い替えれば、今まで FAX付き電話機が占めていた馬鹿にならないスペースが小さなワイヤレス電話ですっきりするのだけれど。コロナ禍給付金も出ることだし。

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honda

僕は昔から地蔵とか能面かと言われるくらい体や表情が固まっている感じで、高校の頃には僕のことを何があっても動じないみたいに思っている友人もいたが、実は若い頃から、いや、子供時代からずっと、心の中では激しい嵐が吹き荒れていたのである、それが切実な実感。

それが、社会人になって、いろいろ嫌なことや苦手なことをやらされて、それでもたまたま運が良くてポキンと折れてしまわず、結果的には鍛えられたわけで、次第に何が起きてもあたふたはしなくなってきた。いや、やっぱり、あたふたはするのだけれど、ビクビクとハラハラは減ってきたと感じてました。

自分では割合ストレスに強い人間になってきたような気でいたのだが、人生も中年というか中盤になってっくると、それなりに辛い事柄が重しになっているわけで。それがある日突然、ドーンと身体に出て来たのである。

40歳代前半頃だったかの単身で別居住まい中に、色々なことが辛くてアルコールで酔うことを知ってしまいました。それまでとは別の世界での酔いです。そんな訳でアルコール依存症、40代の10年間を失った。

まぁ運よく2009年7月久里浜病院にかかわることが出来て生還できたけれど、酒を飲み続けて逝きますか、一生断酒して生きますか。僕は後者を選んで今を生きてます。

そして、これからも続く飲まない人生のことだけど、いちいちビクビク、おどおどしていると暮らしにくいので、うまい具合にそれを避けられるようになっては来たとは言え、だからと言って自分はそんなに強い人間ではない。

まぁ腰が痛いとか、ヘモグロビンA1cが6になってるとか、フェブリク錠は一生飲まにゃならんとか病気自慢でもしながら、そして毎日薬も呑みながら、おおらかに生きて行きたいものであります(笑)

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fj

世間は新型コロナウイルスのニュースで大変です。なんとなく風邪について思ったこと。僕は親の遺伝で鼻があまり良ろしくない。鼻づまりが日常で匂いがわかりにくい感じ、慢性副鼻腔炎、昔は蓄膿症と言ってた。

普段から洟が出ても喉が痛くても、それが本当に風邪なのか不信に思えてしまうんだよね。様子見していて、いよいよ風邪だなと確信が持てたらそこで初めて風邪薬を飲むのですが、そんな風に確かめている間に悪化してたりしてね。「早めのパブロン」とはよく言ったものです。

そして、ひき始めて悪くなってくるのはたいてい平日で、しんどい思いをしながら仕事に行って、なんとかかんとか仕事をこなす。

そして、決まって土日にピークが来る。熱が出て、土日を寝て過ごす。まことに残念なことに、月曜の朝には会社を休むほどではないところまで回復していて、仕方なくだるい体を引きずって出社する。毎回、無理して働き、せっかくの休日もふいにしてしまうのだ。これが逆だったらどんなに良いだろうといつも思う。

土日は健康で楽しく遊んで暮らし、ウィークデーに風邪をひいて「忙しい時に悪いね」などと笑って堂々と休む。こんな風に言ってみたいけど、僕はいつも逆になる。

ところで、歳のせいと言うべきか、身も心も弱くなってきて、今シーズンは風邪かなと思った瞬間に風邪薬を飲んだ。すると喉の痛みが一日で消えた。まだ若いということかも。

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da


ドラマを観ていたら、私がどれだけ心配したかわからないの~!って怒るシーンがあった。考えてみれば、この怒っている人の精神構造は不思議なのである。
この人の怒りの中心は、あなたは何故私の気持ちを理解しないのか?ということであり、私がこれだけ思っているのに、あなたが何を考えているのか分からないという腹立たしさでもあるかもしれない。

しかし、それを逆から辿ると、私自身はあなたが何を感じ何を考えているか分からないのに、それを棚に上げて、私が何を感じ何を考えているかを、あなたが分からないことに腹を立てているのですということ。

最近の僕はこんな風には怒らなくなった。裏返せば、昔はよくこんな風に腹を立てていたなぁということ。

決して怒らなくなったわけではない。ただ、こういう感じの怒り方はしなくなってきた。それは、カッコ良く言ってしまうと、年を取って落ち着いてきたということになるのかもしれない。

こういう怒りは良くない。そう、僕は年を取って、これは良くないぞと思い直せるようになったということだ。

普段から僕の心中を察してくれているような人なら、その人が今回解ってくれないのは何故だろう? 何か理由があるに違いないと考えるべきところではないかな。

であれば、相手の顔を見るなり怒るのではなく、まず「どうしたの? 何かあったの?」と声をかけるべきではないか?

しかし、それは相手が自分にとって大切な人、愛しい人の場合だけだろぅ。世の中には憎たらしい奴もいる。そんな奴にはついつい腹を立ててしまうものだという反論があるのかもしれない。

でも、ものは考えようである。自分にとって大切でない人、どうでもいい人であれば、別にそんな奴に自分の気持や考えを解ってもらわなくても構わない。勝手に何でも言っていれば良いのである。

言ってみれば僕は、年を取って一気にここまで考えられるようになったということだ。管理人の仕事でクレーマーの罵詈雑言に無表情を装って耐えられるのも、そういう事かな。10年前なら一杯引っかけないとやってられないところですね。

まぁ、年を取るってこういうことではないだろうか? 違うかな? だから時々嫌な奴だと言われるのかな(笑)

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tokyo

考え及ばないことってたくさんあるんだなと思う。そして、そこに科学が進歩する余地があるんだろうなと思う。そこに気がついたり、最初に発明した人は凄い。そういうところに僕ら個人の単純な発想ではたどり着けない人間の英知の集積があるのかしら。

これだけ世の中のいろんなものが電気仕掛け、コンピュータ制御になると、停電になったらどうなるんだろう、とときどき心配になる。

でも、まず、停電自体が、僕らが子供だった頃に比べるとはるかに起きにくくなっている。そして、万一停電になっても、例えば緊急用の自家発電とか、いろんな仕組みでいろんなことを防ぐシステムができているのだ。そこに油断があったのはたしかだけど、この間の千葉県台風。電柱が軒並みたおれて大規模停電になったけれど、大きな病院は自家発電が機能していた。復旧するのに一週間ちかくかかって一般生活は大変だったろうと思います。

違う例を挙げると、新幹線の駅ぐらいでしか見かけなかったホームドアが、在来線や私鉄の駅に次々に導入され始めた時に、そんなことをしたら却って危ないのではないかと僕は大いに心配したのである。

ただでさえ電車のドアに挟まれる人がいるのに、そこにホームドアなどを設けると、今度はホームドアに挟まれる人、加えて電車のドアとホームドアとの隙間に挟まれる人が出てきて、危険度は3倍になるのではないかと考えた。

僕にはそもそも何のためにホームドアを設置するのかが分からなかった。そんなに人は転落するものだろうか? 落ちるとしたら酔っぱらいぐらいしか思いつかなかった。

でも、目の不自由な人が落ちると聞いて、あ、それは想像がつかなかった、と思った。自分が目が不自由でないから仕方がないと言えばそれまでだが、ホームドアに挟まれる人のことは考えついたのに、目が見えなくて転落する人のことを考えられないのは、つまり、そこが僕の想像力の限界なのである。東京パラリンピックが開かれるというのに、そう言うことに都民として全く自覚がないのですね。

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tisana


故人もきっと喜んでると思います。有名人の葬式でのインタビューでよく聞く言葉。ジャニー喜多川さんのお別れ会のニュースでマッチが話してた。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか。

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

そもそも葬式とか告別式とかいうものは死んだ人のためのものではなく、残された人たちの魂を鎮めるものだと僕は常々思っている。

だから、もしも僕が死んで、死んだ僕のために何かをしてやろうという人がいるのであれば、その人のやりたいように存分にやれば良いと思う。まぁ相方も含めて誰もいないと思いますが(笑)

僕自身としては、僕が死んだあと法律で定められた最小限のことをしてくれればそれで御の字である、最近流行りの小さなお葬式で。でも、もし遺族が望むなら別に東京ドームででも日本武道館ででもお別れの会をしてくれて構わない。僕は既に死んでいるわけで、そのことを喜びも悲しみもしない、と言うか、喜んだり悲しんだりする自分はすでにいない。

それが僕の死生観である。

先週、母が入院して、このまま逝ってしまったら。なんて考えていたら死生観という言葉が頭の中に出てきた。まぁ、単なる老人性喘息で1週間で退院したのですが。

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kamikakushi

 1つの思考にハマる視野の狭い人は、自分の考えや思い込みを反射的に相手に押し付けます。こういう人を残念な人と呼ぶそうです。アルコール依存症の人に多いと思います。
 もちろん、誰しも残念な状況に陥ることはあります、それと本質的に残念な人であることとは違います。本人は頑張っているつもりなのに目の前の問題から抜けられず、知らずに悪循環を繰り返したりします。
 まぁ空気を読まず、まわりから理解を得られないことが多いですね、そんな感じでもその雰囲気を自分でも感じて解っているならば大丈夫ですね。ちょっと立ち止まって、間をおいて全体性を見渡してみれば、自分の思考パターンだけにとらわれることはありません。冷静かつ客観的に判断し行動するように心がければ人に安心感を与えることができる、そして信頼される。少し幸福になれるかも。

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20161215_124630

 今年の秋で60歳、そしてキリの良い年に突入という時期には、僕らのような凡人でも人生を振り返る機会を持つことと思います。
 仕事のこと、愛について家族や友人のことなど、お金のこと、老後のこと。まぁ気が付けばいつも迷ってばかりで周囲の目を気にしてしまう生き方をしてきたし、典型的な中途半端な生き方。
 周囲を気にしてるくせに、よく大酒が飲めたもんだと不思議に思うこともある、そしてアルコール依存症になった、そしてお酒から解放されたら何となく気が軽くなったように感じてる今日この頃です。
 ささえてくれる家族がいたことに、今もいてくれることに感謝します。本当に心からささえてくれた母の愛情に頭がさがります、面と向かっては言えないけれど。
 ごはんを外に食べに行けば、隣で相方は生ビールからワインなどやってますが、家では飲みません。家にお酒を置かない約束だからね。酒飲みの相方も夫のために10年も耐えてると思うと頭がさがります、まぁ、健康には良いと思いますが。
 49歳夏に久里浜アルコール症センターに入院、当時を懐かしく思い出していたら。久里浜同期のTさんから腰椎すべり症の手術をするとの連絡、お酒には勝っていても、加齢には敵いませんね。

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hinako shibuno

 僕は小さい時から愛想が良くないとか無表情だとか言われてきたから、持って生まれた部分もあったのだろうが、しかし、ある時期からは意識して笑顔を避けてきた面がある。人と会ったらまず笑顔で挨拶、なんて言うのはとんでもない話で、ある意味潔癖で意固地な少年だった僕からすれば、別に何か面白いことがあったわけでもないのに笑顔を作って他人に取り入ろうとするなんて薄汚いことだった。
 おかしいことがあったとか、嬉しいことが起きたとか、そういう時だけ笑えば良いではないか。それでこそ自然である。他人の気を惹くために笑うなんて欺瞞ではないか、そんな風に感じてた。
 何も面白いことがないのにうまく笑えるはずがないし。面白いことがあったら自然に笑えるのである。それで良いと思っていた。
 そして、それに加えて当時の時代の傾向もあって、むやみに笑わないのが男の美徳だ、みたいな感じ方もあったのかも。言わば男は黙ってサッポロビール、みたいなものである。
 ところが、最近TVは「対人関係を良くするためにはまず笑顔」「笑顔で第一印象を改善しよう」みたいな話がよく出て来る。そして、僕は今ごろになって驚く「むやみに笑うのは欺瞞的だ」と思っていると思っていたのに。
 もうずっと、僕は「愛想がない」とか「挨拶をしない」などと言われ続けてきたが、僕自身はと言えば全くピンと来ていなかった。その秘密はここにあったのだ。笑顔の効用から始めて、そのことによって人に笑顔を勧めるのか、 ふーん、なるほど、そこから話を進めるのか。
 僕はこの年になって初めて、そんな考え方もあるのかと気づいた。笑顔で全英女子オープン優勝おめでとう、渋野日向子選手。

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sm

 年齢を経れば誰でも自然と大人になって行くのだと思ってた。 年月が経てば誰でも普通に成長するものだと思っていました。40代でもそんな感じで。そんな甘えがあったからアルコール依存症になったのかなって考えたりしていました。
 人として成長することは大変難しいことだと気づいているわけだけど。大人になるのも成長するのもきちんとした積み重ねがいる。きちんと努力する長い地道な時間がいる。それをちゃんとした人だけ、魅力的な大人になっているのだと思う。
 もう還暦です、そのあたりをさぼった人とさぼらなかった人の差が歴然と開いてくるのが自分でもわかってくる、悲しいことにその差を縮めることは不可能に近い。
 2009年7月30日に久里浜入院だから10年が経ちました。ボクの場合は由緒正しいアルコール依存症のひとりとして、これからも誠実に生きていくしかないのだけれど。
 そういうのとは別に、大人になる過程で子供な部分を大切にしたか、童心が残っているか、そんなことが歳をとっていくこれからの、自分に大切になってくるのではないかと考察。

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apolo11

 ボクらの親の世代は、戦争を知っている人達。僕らの名前を覚えてほしい、戦争を知らない子供たちさと開き直ったのは、ボクらより10歳上の世代で、その世代には共感できなかったと言うか子供だったからよく知らなかった。彼らは日米安保条約反対闘争を主導し挫折した世代、そして団塊の世代。
 ボクたちは東京オリンピック、大阪万博、札幌オリンピック、アポロ11号みたいな、お祭りばかりの腑抜けた平和世代。
 何だか、ボクらがたどり着いたらいつも終わってた感じ。戦争も安保もベ平連もフォークも。ビートルズでさえ僕らが中学生になるのを待ってくれないで解散だったし。ボクらが生まれてくるずっとずっと前にはもう、じゃなくてボクらが10歳の時アポロ11号は月にいったというのに。アポロ計画の技術レベルは、今の電卓に使われている程度のものだった。
 苦笑しているしかなかった世代。そしてボクらはやがて老い始める。苦笑しながら老い始める世代。

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The_Beatles_and_Lill-Babs_1963

 ボクはビートルズが解散してから後追いでビートルズを聴き始めた世代である。もちろんビートルズの存在は知っていた。マッシュルームカットだとかエリザベス女王から勲章をもらったとか、幼稚園児の頃に羽田空港で大騒ぎになったり、ヒルトンホテルに泊まったとか、社会現象として知ってはいた、でも彼らの音楽を理解するにはまだ成長が足りなかった世代なんだ。
 そのおかげでボクらの世代は、親やその頃の大人の人たちによって変な先入観を植え付けられてしまったと今になって思う。特に祖母はビートルズを下手だと言った。それは例えば美空ひばりよりジョンやポールが下手だという意味だ。そう言われると悲しいことにそんな気がしないでもないのだが、でも、美空ひばりとビートルズを比較することのほうがおかしい。そして英国のビートルズも日本のグループ・サウンズも十把一絡げにして下手と言うことだった。
 その後の J-POP を支えた作曲家やミュージシャンも輩出しているので、巧いか下手かはともかくとして、才能のあるメンバーがたくさんいたのは事実ですね。ただ、あんまり巧くない GS も確かにいた。そして、小学生の僕らにとってはビートルズより GS のほうが親しい存在だったこともあり、「GS は下手」=「ビートルズも下手」という変な連想が働いてしまって、ボクはずっとビートルズが下手だと信じていたのかも。具体的にはどこが下手だということは全くないくせに、彼らは下手だという漠然としたイメージがずっと消えなかった、思い込んでいた。
 もちろん1970年にビートルズが解散して、小学校高学年になった頃から、もう少し聴き込んで行くうちに、ビートルズの音楽的才能に少しずつ気づき始め、コード進行やコーラスワークに魅入られたように聴くようになるのだが、なのに心のどこかに「ビートルズは下手だ」という刷り込みがしっかりできてしまっていたように思う。

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sendai

 人は誰でも、何らかの 生きがい を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものであると捉えることができます。
 生きがいという言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。
 一般的な日本の中高年が「生きがいを感じるとき」について新聞によると、孫など家族との団らんの時(48.8%)が最も多いそうなんです。子供のいない我が家はちょっとショックな結果だけど。
 何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは人それぞれ。調査によると健康状態や身近な人との関係が、生きがいに深くかかわっていることが読み取れます。健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが生きがいを高める大きな要因のようです。 
 近い将来というか、早ければあと15年くらいかもしれないけれど、孤立して孤独死しそうな予感がしてる。

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tokyo st.

  若いころは、こっちの気も知らないで、これだけやってやってんのに、あまりにも自分勝手じゃないかよ~、などとよく憤慨したものだ。
 年を取って今考えてみると、そうやって怒っている自分もまた相手の気も知らずに、相手の恩も感じずに、結局自分勝手に怒っていたにすぎなかったのだなあという気がする。常に相手の身になって考える優しい心構え、などという薬臭いことを言っているのではない。相手の心中を察せられないのは、単に観察力の不足であり、思慮が足りないのである。
 中年になって、恩を仇で返すような真似をされると、そうか、こいつはそこまで追い込まれているのか、そこまで余裕がないのか、と考えられるようになってきた。いや、あくまで自分ではそう思っているというだけだが。すこし永く生きてきたから自分が相手に対して誠意を尽くしたことが相手にとってはほとんど意味も値打ちもないなどというようなことがあることを実感として知っている。
 そんな風に人は落ち着いてくるのではないかと思う。そして落ち着いてきた頃には、人生の坂を転がり落ち始めていることに気がつくのである。

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elf

 この日記を書き始めて10回目の夏を迎えようとしている。10年書いてみて自分の心の中にあるものを形にすることの難しさ、楽しさを考えながら、なんだかんだ言って自分は幸運だったと考察する。
 自分の気持ちをどう表現するのか、思いをいかに人に伝えるか、言葉や文章、表現力というのは難しい。表現力とは子供の頃からの体験とか教育が基盤にあるんだろうけれど、テクニカルな意味では訓練や練習は必須なんだよね。物書きを職業とすることは大変なことだと思う、だから努力や勉強は大切なんだよ。
 帰路、生暖かい風の中、遠くで雷が聞こえた。きっと遥か遠くに落ちた雷なんだろう。空を見ると予想外に南西の空に雷雲の塊がある、幾何学模様のなんだかアンバランスで不思議な空。そして、きっと今年も、いつの間にか梅雨があけて、本格的な夏になるんだろう。

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hige

 明治のころはいざ知らず、僕が生まれた昭和の中ごろにはひげを生やしている人はあまりいなかった。社会人になった昭和の終盤には、髭を伸ばしてる一般人は少数派だったように思う。
 その少数派、同じひげでもちょっと違うのは、口髭の人がほとんどで、次いで口髭とほお髯とあご鬚を全部繋がった状態で生やしている人、大体はこのどちらかだった。
 あご鬚だけを生やしている人なんて、ピンキーとキラーズのルイス高野かレッツゴー三匹の長作くらいのもので、一般人にはほとんどいなかった。特に若い人であご鬚だけを生やしているのは非常にアンバランスな印象があって、そんな奴はほとんどいなかった。
 それが、平成に入ったころからかなあ、ヒップホップ系の連中から広まったのか、今では街中にあご鬚だけを生やした若い人をけっこう見るようになった。
 そうなると全く髭が薄くてひがんでいた僕も、ひげを生やしたいという欲求が失せてしまった。思えば僕はひげに憧れていたのではなく、ひげが時代の中で保っていた異端性に憧れていただけなのだろうと思う。モンゴロイド系の人は剥げて髭が濃い、朝鮮族っぽい僕のような平たい顔俗は剥げないけれど髭が薄いという方程式があるのかないのか。
 僕らは長髪に憧れた世代でもある。少し上の世代はすでに長髪を実践していたが、僕らはまだ小中学校の校則に縛られて髪を伸ばせなかった。今考えてみれば、あれも長髪そのものにではなく、長髪が時代の中で与えられていた反体制の象徴的な部分に憧れていただけなのだろう。だから、長髪が普通になってしまうと僕らは長髪への情熱を失ってしまった。
 ひげも生やさず長髪にもせず、僕らの世代は随分ツルンとした人生を送っているのかもしれない。

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otsu

 まだ子供のころに、なんでこんな変な味のもの食べるんだろうと思っていたのに、大人になったら平気で食べているものがあります。
 例えば、蕗フキ。どんな料理法であれ、これが夕飯の食卓に出ていると嫌だったなぁ。今でこそ、別に好きだと言う訳ではないけど、あれば食べる。そんなに美味いというものでもないが、少なくとも乙な味だ、ぐらいには思う。
 似たようなところでは、ピーマン、ゴボウとかゼンマイとかヒジキとか椎茸とかが嫌だった子供も多かったんじゃないかしら、僕は干し椎茸が一番苦手で、残して母親に厳しく叱られた記憶が消えません。無理矢理飲み込んでたよね。

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FB

 アルコール依存になりやすいパターンというか、きっかけで多いのは寝酒です。眠るために飲むのが出発点と言う人が多い。依存とは量が増えていく、回数が増えていく、ついには朝から晩まで飲んでいる状態となります。 頭のいい人は夜になるとますます頭が冴えるので強制的にシャットダウンするために酒を飲む人が多いのです。
 ですが、飲めるタイプの人間は多く飲んでも眠くならず、どんどん酒量が増えていきます。酒で高揚感を得るといいますが、脳が誤作動しているだけと思います。心の闇を酒で晴らす、それをやめるために心の闇に切り込む、というけれど心の闇などだれもが持っています。抑制がとれて逸脱行為がある、当たり前じゃないですか。昔はあの人は酒で身上潰した、とか肝臓やられて早死にした、とかよく耳にしたものです。正常の範囲がだんだん狭くなって酒に溺れて死ぬのも見た目には哀れですが、本人は好きな酒で死ぬのは本望だと思います。
 アルコール依存症が治ったという事例を聞いたり見たりした事はありません。10年断酒しても1度飲めば元の木阿弥です。来月で久里浜に入院してから10年たつのです。

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2cv
 
最近では物忘れとか、人や物の名前が出てこないような現象がけっこう多いのです。 
 考えてみれば、物忘れの好いところも結構あると考察しました。人生、腹立たしいことにも出会いますが、少しすると殆ど忘れてしまい「何で腹がたったのか」分からなくなります。結果的に、腹立たしい時間が少なくてすみます。
 何かをやってやろうと大志を抱いても直に忘れるので努力をする必要がありませんなどと。人の名前や言われた用事を忘れるので、大きな期待を寄せられることもありませんよね。
 そいうことで、自分の趣味に合った人生を歩みやすくなるのです。まぁ逆に、物を覚えすぎる人は、「あれもこれもしなければ」と、苦労がついてまわりやすいかもしれません。
 ゴルフにしても、3パットしたことを次のティーイングエリアに行くまでに忘れていれば、ナイスショット。

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ダウンロード

 最近問題になっているのが、ごはん、麺類、甘いものなどの糖質を多く摂る人の脂肪肝が増えている件。昔からお酒の飲み過ぎが脂肪肝につながることはよく知られています、進行すれば、酒の問題で肝硬変や肝臓ガンで亡くなる怖い病気ですね。
 今、アルコールを飲まない人の間で脂肪肝が増えているそうです。糖質の摂り過ぎによって、血中に糖が増えすぎると、インスリンが過剰分泌され、中性脂肪が肝臓に蓄積されてしまうのです。脂肪肝の人の10人に1人が、およそ10年間かけてNASH(非アルコール性脂肪肝炎)に進展していくとされています。
 お酒を飲まないけれど甘いものが好きという僕らはNASHに要注意です。

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air

 追い込まれた感覚、強迫観念と言うものかもしれない。最近、その追い込まれている感が強いのです。
 考えすぎというか。ふつうの出来事を事実以上に心の中で膨らませてしまって、不安感を増幅しているのだと思うのですが、もう後がないという感覚も手伝って、その追い込まれた感じが心の中で強まるのです。
 追い込まれているという事実が、追い詰められているという感覚になり自分で自分を圧迫している状態ということなのかしら。これを、プレッシャーと言うのでしょうか、きっと。
 あっこれは、断酒とは全く関係ない要因です。まぁ、ゲッソリ感というか体重も2kg減ったし、良しとしますか。

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rp

 夢の中でこれは夢だと分かっているというような話をよく聞くけれど、僕は昨日までそんな経験が全くなく、果たしてそんなことってあるんだろうかと俄に信じられなかった。何かをしている(あるいは、場合によっては、何かに追い詰められている)自分がいて、それを客観視している自分がいるという体験はしょっちゅうしている。でも、それは起きているときだ。眠っているときにどうして自分が夢の中にいると分かるんだろう、とずっと不思議に思ってきた。
 ところが今朝見た夢でその謎が解けた。生まれて初めて僕も夢の中でこれが夢だと分かったのである。それは僕が考えていた状況とは違って、夢の中の僕の判断だった。眠って夢を見ている僕が何故か夢の外側から醒めた頭脳で「これは夢だ」と判断しているのではなく、「夢の中の僕が『これは夢だ』と思っている夢」を僕が見ているだけのことである。なーんだ、そんなことだったら何でもアリではないか。
 このことをみんなは「それが夢だと分かっている」と言っていたのか、と唖然とした。それは夢の外側から客観視している自分が存在するということではなかったのだ。単に「これは夢だと思っている夢」を見たという話だよね。小説の中に出てきそうなストーリーではある。

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denki

 昔では考えられなかったことですが、今では電気をガス会社から買ったり、ガスを電力会社から買ったりすることができるようになった。昨今では関東在住でも関西電力と契約することもできると聞く。結局うちでは1年前に東京ガスから電気を買うことにした。
 最初は大丈夫かなと思っていたけれど。どこと契約していても、電気系統が故障したらやってくるのは電力会社で、ガスが止まったらやってくるのはガス会社と言うことでした。電気やガスに名前は書けないので、そもそもウチで使っている電気がどこのものだとは言えないのだけれど。
 ただ、ガス会社も発電し、電力会社もガスを供給する時代になり、ユーザはどこと契約するかという選択肢ができただけのことであり、両社の間でどんな取り決めや金の取り払いがあったって知ったことではありませんよね。安心で安い方が良いに決まってるから。
 ひとつだけ言えることは、どこか1社に寄せると多分前より割安になる。その大きな要因は、寄せることによる割引が用意されていますから。エネオス電気、東急電気、ソフトバンク電気とか色々な会社が色々なサービスを歌って宣伝してるし。
 で、どうしようかなと迷っていたら、そういうエネルギー界の MVNO みたいな会社もそのうちに淘汰されて、ごく一部の会社しか残らなくなるよと言われ、それならガスの電気を買うか電力のガスを買うほうが安心なのかなと思ったのだ。それで去年の春に東京ガスの電気を使うことにしたのだが、いまだに心のどこかに、夜中に東京電力の職員に電線を切られたりしないのかなという不安があるのも否めない(笑)

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natu

 NHK朝ドラなつぞら、歴代のヒロインが要所で出ているんだけど。松嶋菜々子、山口智子、比嘉愛美、貫地谷しほり、小林綾子等続々と出てくる。誰かインタビューで、もぅ自分の歳にドン引きって答えてたけど、この感じよく解るなあぁ~。
 僕らも自分ではついこないだまで若手だったような気がするでしょ。自分の頭の中では本当に「若手」だった頃と何も変わっていないのに、はて、今年何歳になったのかと考えてみて、いつもげっそりしてしまう。まさに自分の年齢にドンびきで御座います。もちろん前向きな気持ちで歳を重ねたいと思っているでしょうよ。でも、自分に引いてしまうという感じ、解りますよね。
 えっ分からない? きっとあなたはまだ若いんだねぇ。そう思わないとまた引いちゃいますからね。

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dojun

 うちは駅から徒歩1分、通勤は徒歩だけど。朝会社に歩いて行く時に、ダンナや子供を車で駅まで送ってくる奥様方に遭遇する。外車の比率が高い。駅の角から家の前を通って道が続いていて、その先に立派なお屋敷がたくさん建っているのだが、多分そのあたりの家の車ではないかと思う。ご苦労なことだなぁと思う。まぁダンナの帰ってくる時間は日によって違うだろう。帰りも、何時に帰ってくるか分からない夫を待ちながら、晩ご飯の支度もしながら、LINEが来てから30分後には車を出して駅に向かうのかしら。
 そういうライフスタイルが嫌でも何でもないのかもしれない。いや、それどころが夫を送り迎えすることが嬉しくて仕方がないという人だっているのかもしれない。あるいは、送り迎えは面倒くさいけれど、送り迎えする必要がある場所を選んだおかげで広い邸宅に住めるとか、眺望が素晴らしいとか、そういう別のメリットがあって、夫婦がともにそのメリットをメリットとして認め合い合意したからこそ、そういうライフスタイルが成り立っているのかもね。ウチの場合は昔から駅に近いところに住んでるし、送り迎えなんてやりたくてもできないのではありますが(笑)
 そんなことを考察しながら、最近いろんな事象の中に人間の多様性を見つけ出すのが面白く感じていて。人がひとりずつ違うということ、そして、そのひとりひとり違う男や女がそれぞれにパートナーを選んで、ひと組ひと組違う家族ができているなんて、とても素敵なことじゃないかと思うのである。

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e

 自分は飲み過ぎたりしない、自分は酒に依存していないという主張を頑なに繰り返します。たとえ酒が原因で身体をこわそうが、家庭が崩壊寸前になろうが、仕事を失おうが、自分の問題の本質に目を向けようとはしません。
 心の奥ではダメだ、このままではダメだと気付いているのに。止めなくちゃとは思っています。でも止めようと思いつつも止められない葛藤。
 アルコール依存症の本人でなければ分からない、外からはダラシない奴と見られるのも辛いところです。自分はもうどん底だ的な自己否定感に支配されるようになり性格はどんどん内向的、孤独感からまた酒を飲む、この繰り返しパターンにどっぷりと嵌まります。
 そして、他人の欠点に過剰に反応してそれを攻撃。酒に支配されて自分の思うようにならない自分自身に腹を立てていること、それが他人への攻撃に変わってしまうのです。自分より強い立場の人にはサラリと流し、身近で自分より弱い立場の人がターゲットになるんです。
 結局、弱っちい惨めな自分に気がつけない、情けない奴なんですね。

kukousen

 ルールがなくても上手く治まっている状態が、一番良い環境ですよね、精神的にも楽だと思うし。メンバー各自の意見や感覚に隔たりがあって、放っておいたらうまく治まらないので、ルールを作って、みんなで決めたことだから守りましょうねという合意を取って治める。まぁ上手くいけばいいのだけれど。
 自治体とか大きな集団であろうと、家族のような小さなグループであろうと、基本的には同じであるように思う。
 で、ゴミ捨ては大抵僕が行くけれど、それは単なる家庭内の慣習であって、ルールではない。ゴミ捨ては僕が行く。では、僕が風邪を引いて熱がある時はどうなのか、 風邪は引いているが熱はない場合、風邪は引いていないがひどく疲れている時はどうか?
 それぞれについて仔細に決めておくか、いや、如何なる場合であろうとも僕が這ってでもゴミ捨てに行くのだ、と割り切った決め方をするかしかない。
 幸いにして僕と妻との間には細かいルールがなく、そういう窮屈さがない。ルールを決めないでおこうね、と相談したわけでもない。自然とそうなっている。そのことを思うたびに、良い人を見つけて結婚できたものだと、僕は天に深く感謝している。

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neko

 「お疲れ様です」という挨拶にどこかがっくり来てしまう僕ら世代の愚痴なんだけれど。昔は、お疲れ様でした。という言葉はひとつの仕事に区切りがついた感じの表現で、従って、せいぜい夕方の終業時とか、仕事にケリがついた時しか聞けない台詞だった。それが今では朝イチでかかってきた電話で言われることもある。それに対して「バカ野郎、まだ会社に来たばっかりだ。疲れてなんかねえよ」と言っても仕方がない訳で。それは「おはようございます」と言われて、「バカ野郎、俺は今日は7時から会社に来て働いてるんだ。何がお早うだ。ちっとも早くなんかねえ」と管を巻くようなものですからねぇ。
 今の言葉としての「お疲れ様」を考察してみると、やはり「お疲れ様でした」は仕事の終わりにしか言わないようです。だから、「お疲れ様でした」の意味は昔とそれほど変わっていません。問題は「お疲れ様です」という現在形です。これは「疲れ」とはあまり関係がない。「あ、どうも」みたいな軽い挨拶の感じですね。
 英語で言うなら very much とか somehow、Cheers あたりかしら、いきなり「どうも」と言われても何がどうもなのかどうもよく分からない。それと同じようによく分からないけれどよく使われる言葉が「お疲れ様です」。
 今風の感じでは、ひとつで万能な言葉を使いたがる、と言うか、もっと一般化すると、ひとつで万能な解を常に求めてる、そんな傾向を反映したものではないかという気がしてます。まぁ本社の担当者が平成生まれの人間になってから違和感だらけと言いますか。

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gotanda

 このごろ本を読む量がめっきり減った。読書のスピードが落ちたのではない。読む時間が減ったから読む量が減ったということで。かつては通勤電車の中で読む時間を確保できていた、それも行き帰りの往復だから1時間以上かな。本に夢中になって降りそこなったりしてね。今は読める時間は1日約30分で、寝る前にベッドにはいってレンドルミン飲んでから。
 ならばもう少し読む時間を増やしてみようかなと思った。この辺の感覚が解ってもらえるかどうか分からないが、つまりは逆の発想である。本を読むことは良いことだ、という前提に立って、このまま読書量が減るのは良くないからなんとか読む時間を増やそうというのではなく、1回増やしてみたら何がどう変わるかな、という思いつきで。
 映画だってある程度の本数を見始めたらどんどん観たい映画が増えてくる。観る目もついてくるというか。いや、そんな直接的なところではなくて、なんか全然違うところで副産物があるかもしれないし。何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれないし。
 因みに、今は池波正太郎の真田十勇士を読んどります。

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pig

 加齢とともに増えてきた、知っている名前や数字がすぐに出てこないあれ何だっけ?現象。加齢に伴う神経細胞の死滅や、使われないネットワークの縮小により、脳は少しずつ萎縮しています。個人差や部位による差はあるそうですが、特に萎縮が早いのが前頭葉とのこと。僕らアルコール依存症は過去の大量飲酒で脳細胞が死滅していたり、飲酒による脳萎縮で普通よりも厳しい状況なのかしら。
 前頭葉にはワーキングメモリ(作業記憶)という、入ってきた情報を一時的に保存して他の情報と組み合わせ、情報に優先順位をつけて処理する機能があるそうな。いわば脳の司令塔ですね。しかし、その処理能力は加齢とともに衰え、50代ではピーク時よりも30%ほど低下とのこと。
 脳は入ってきたさまざまな情報を短期記憶として仮置きしておいて、繰り返し使われることで、海馬が重要な情報だと判断して、長期記憶に移動します。その橋渡し役をしているのもワーキングメモリ。このため、ワーキングメモリの働きが低下すると、必要な情報をうまく引き出せなくなる。
 あれっ何だっけ(笑)

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shinjuku

 10年くらい前からリビング窓に面した庭に、つる性の植物が育つようにネットのように棒を組んである。実の成る植物では山芋、ゴーヤとか。久里浜病院にたくさん咲いていた琉球朝顔も、育ち過ぎて収拾がつかなくなって琉球朝顔は去年で止めることにした。
 で、不思議なのが彼ら(植物に彼らはおかしいのだが、どうしてもそう言いたくなってくる)のツルである。ツルのためにネットを張っているのだから当然と言えば当然なのだが、彼らのツルは見事にネットに巻き付く、と言うか、しがみ付いています。
 しかも、昼間ちょっと目を離していたほんの1時間かそこらの間に、さっきは絡まっていなかったツルが見事にキュルキュルキュルっとネットを捕捉しているのである。目もなければ触覚もないのに、彼らはどうしてそこにネットがあることを突き止めて、そしてそのネットに巧いこと絡みつくのかしら。こういうメカニズムを研究している研究者って愉しいだろうなと、チョット思った。

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kao

 Facebook や インスタにペットの写真をのせてる人、多いですよね。そんな犬や猫の写真を見るとはなしにぼうっと眺めていると、けっこう表情豊かなことに驚かされる。ま、愛犬家・愛猫家の人たちからすれば何を今さらという感じなのかもしれないが。で、犬と猫を比べると、こんなことを書くと猫好きの人に怒られるかもしれないが、僕は犬のほうが表情豊かに思える。
 猫好きの人に怒られるのは嫌だからちょっと補足すると、それは猫が生来ポーカーフェイス的な振舞いをするのに対して、犬は飼い主に対して表情全開で接してくるからということもあると思う。犬好きの人が撮った犬の写真は本当にバラエティ豊かな表情をしている。
 嬉しい顔、悲しい顔といった単純なものばかりでなく、ぬか喜びして浮かれた顔、飼い主に叱られてしゅんとした顔、飼い主の仕打ちを恨めしく思っている顔、今回は仕方なく我慢することにしたけどやっぱり残念そうな顔。人間にも劣らない多様な表情である。
 ふと思ったのだが、彼らは眉毛もないのにどうしてこんなに多彩な表情ができるのかしら?


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kagami

 古来より酒は人々のコミュニケーションを円滑にする重要なツールとして人々に寄り添ってきました。例えば、結婚式での三々九度や乾杯、お葬式で献杯、一年の締めくくりや新年の始まり、仲間を迎え入れ、送り出すときなど、人生のあらゆる節目にお酒が重要な役割を担っています。
 コミュニケーションを円滑にするお酒は、適度に飲めば、私たちの暮らしを豊かなものにしてくれます。しかし、度を過ぎた飲み方や誤った付き合い方をすれば、予期せぬマイナスを招き、本人だけでなく周りの人をも苦しめてしまう毒にもなる怖さも併せ持っています。
 お酒の飲み方は、自分自身を映す鏡。自分自身のしでかした事など振り返り読み返すたびに、新しい発見があります。

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yonetsu

 健康診断の結果を気にして、お酒の飲み過ぎを自覚したときに意識するのが休肝日。今夜こそ酒を抜こう。そう思っていても、つい誘惑に負けてしまう。飲まない日を設けることは、アルコール依存を避けるためには欠かせない。アルコール依存症と確定したら毎日を休肝日にし続けなければなりません。
 酒量のコントロールには薬の活用も選択肢になる。脳の中枢神経に働きかけて飲酒欲求を抑えることで断酒継続を補助する薬とか、飲酒前に服用して飲酒欲求を抑える薬もあるらしい。
 酒量を減らしつつ必要に応じて適量のお酒を飲みたいという人は、休肝日などを通じて酒を控えたい人が対象の減酒外来がお勧め。

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F500

 母親のデイサービス料金で、郵便局の引き落とし申込用紙に銀行印を押さなければならない。しかし、どのハンコを押していたか分からないのである。世の中は次第にハンコ離れしているから、最近の口座だとハンコを使わないものもある。あるいは、最初は印鑑を通帳に表示していたのに、何度か新しい通帳に繰り越して行くうちにいつのまにか印鑑の欄がなくなっていたりするものもある。そんないろんな通帳が混じっているので、どの通帳がどのハンコか分からないのである。それに加えて、最近では通帳のない、カードだけの口座もあるのでなおのことややこしい。先日、郵貯から印鑑相違で申込用紙を自宅に送られてきて署名捺印して必要書類を送り返すように言われた。適当な印鑑を押して出してしまった酬いである。
 というわけで、もう世の中一斉にハンコなしにしてくれんかな、と思うのである。いろんなサイトのパスワード管理だけでも大変なのに、ハンコの管理などしていられないのである。で、ややこしいのはハンコというものが存在するからではなく、ハンコの載っていない通帳と載っている通帳、ハンコを登録した口座と登録しない口座が入り混じっているからなのである。
 世の中はだんだんハンコ離れしているようには思うが、どうせなら次第にではなく、一気に、一斉にハンコというものを廃止してはくれんものかと思うのである。昔は署名よりハンコのほうが偽造しにくかったのかもしれないが、スキャナと3Dプリンタの時代になって、偽造しやすいのはむしろハンコのほうかもしれないと思う今日この頃である。

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ymo

 かつてのお酒の飲み過ぎが祟って脳が委縮しているのかもしれませんが、まぁだんだんと物忘れをするようになっています。それは別に仕方がないのだけれど問題なのは、年を取って物忘れをするようになると、すぐに、あぁ~僕も年だとか、マズい、ボケてきたかもなどと考えてしまうことである。でも、必ずしもそうではないのだ。若いころから、いや、それが全ての人に普遍的な現象であると言うつもりはないけれど、僕の場合に限れば結構若いころからいろんなことをころっと忘れてしまっていたのだと思う。
 例えだ、読んだ本を時間が経つとほとんど何も憶えていなかったりする。中味は全く憶えていなくても、ただ面白かったかどうだったかの印象だけは残っていたりもするけれど、ひどい場合は読んだのを忘れてもう一度買ってしまい、途中まで読んでから、あれっこのストーリーはと思い出すような始末。
 本だけではない。言ったことを憶えていなくて妻に咎められることはしょっちゅうだし、それ以外でも日常的にいろんなことをほかっと忘れていたりするのだ。だから、むやみにボケたなどと悲観することはないのだ。若いころから結構ボケていたのである。
 まぁそういう感じもポジティブに生きるひとつのカタチなんではないかと思っている。ま、こんなこと書いたこともいつまで憶えているか分からないですが。

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300SL

 コンビニで買い物をしたら2,019円だった。おう、これは令和元年と言うか、今年ではないかと思ってしまう。これが 2,020円だったら東京オリンピックを連想しますね。
 そして3桁の数字や 1231以下の4桁の数字を月日と結びつけるのはよくあることだ。それは誰かの誕生日だったり何かの記念日であったりする、車の希望ナンバーにしたりね。いや、そんな個人的なものばかりではなく、例えば 1.17 なら阪神淡路大震災。9.11 なら NY の同時多発テロ。そして、3.11 なら東日本大震災。そんな風に小数点をつけると、思い出すのは円周率 3.14 だ。そんな風に勉強中に憶えてしまった数字もあり、歴史の年号は語呂合わせで憶えた。645年無事故で行う大化の改新とか、794年啼くよウグイス平安京とか、1492年東洋の国と思ったコロンブスとかね。悉く五七調か七五調になっているのは世代の現れかしら。
 まだまだある、人生のあちこちのポイントで、いろんな数字を思い出す。僕らの世代なら 747 と言えばジャンボ、777 と言えばフィーバー、4126 と言えばハトヤだった。360円と聞くと米ドルかと換算してしまう。最近じゃぁ404 NOT FOUND。ノスタルジー溢れる記憶であるか単に無味乾燥な知識であるかはともかくとして、僕らの脳内でいろんな数字が特別な意味を持ってどんどん定着してしまう。年を取るってそういうことなのかな、と最近感じている。

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ringo

 僕らがなにかを実現したいと思うとき、一番肝心なことは何なのか。断酒の宣言や断酒を継続しなければ、痩せたい、毎日の運動、アイスクリーム食べない、ダイエット願望などなど、実体や形なき心の想いを、形があることに転換させていくためのスイッチが重要な鍵になっています。
 そして、それは明確な時間の設定じゃないかと思うんです。いいかえれば、今日からとか毎日新たにとかの決め事をしないと、その想いの実現はキビシイですね。
 だから時間の設定さえ上手くできれば、実現に向かって自ずと進んでいくと思うんです。いつか、そのうち、などと枕言葉がついているうちは、その想いは実現に向かうことはありません。

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2002

 アルコールは毒なのか意外に分かりにくい。たとえば仕事のあとは毎日、家で晩酌するのが楽しみで毎日欠かさず飲むという人もいれば、夕方に取りあえず1軒、週1回は午前様もありという人もいます。
 そういう毎日の生活の中で、どこからが不適切な飲酒と言えるのか。さらにはアルコール依存症やその予備軍を心配しなければならないのはどの程度からなのか。
 酒を飲むことで問題が起きている、本人も飲まない方がいいと分かっているのに止められず、問題が続いている状態が危ないと言われています。自分はそこまではと思う人も多いだろうが、じつはアルコール依存症に片足をつっこんでいるのです。症状が少しずつ連続的に進むのが不適切な飲酒の特徴。
 機会飲酒、習慣飲酒から常用量依存に。依存が進むと強迫飲酒の段階となり飲む時間と場所のTPOをわきまえなくなります、そして最終段階が連続飲酒になります。
 重要なポイントは習慣飲酒と強迫飲酒の境目。そこには正常かアル依かの明確な境界があるようでいて、実はなだらかなグレーゾーンが広がっています。毎日のくりかえしで徐々にお酒に耐性ができる。脳はアルコールが入ってる状態に順応してしまい、アルコールから醒めると以前より不安が増し、緊張が高まってしまう。それを解消しようと、飲酒の欲求が高まってきます。そこら辺がグレーゾーンからアル依への境目なんでしょうね。

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mario

 帰宅後、喉が痛かったので風邪薬を飲んだ。そしてベットで本を読んでる間にもう薬が効き始めて、翌朝にはすっかり治っていた。こういう経験は若い時にはしたことがなかったので、そういうことがある度になんだかとても感慨深いのである。
 若いころはそんな早いタイミングで薬を飲むなんてあり得なかった。喉が痛い、はな水が出る、風邪かな、と思っても、とりあえずは放置、と言うか、様子見でした。翌日か翌々日、もう喉が痛くてたまらないとか、洟水がダラダラ止まらないという事態になって初めて、これはいよいよ風邪に違いない、と風邪薬を飲むのである。で、市販の風邪薬を飲んでもしんどくてたまらないとか熱が全然下がらない、となって、今度はしぶしぶカカリつけのクリニックに行くのである。何時も混んでいていきたくないのだけれど。
 何時の頃からか、ともかく風邪かどうか分からない段階で風邪薬を飲むようになると、風邪かどうか分からない段階で風邪かどうか分からない症状が治まってしまうことがあるのを知りました。体力に自信がなくなったからなのか。原因も分からないのに対症療法をするというのは、なんだか不道徳のように思っていたかもしれませんね。
 奥さんを観察していると、やっぱり早い段階で風邪薬や胃腸薬を服用している。なんであれ、年をとるといろんなことに気づく。

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JFK

 以前から家で小用を足すときには便座に座るようにしている。そもそもは家のトイレ掃除をいつからか僕がやるようになったことが遠因。トイレ掃除をやるようになったのには何の理由もきっかけもなく、ただ気がついたらそうなっていた。我が家ではほとんどそんな感じだ。多分僕がやらなかったら誰もやらないのだ。1階のトイレは年老いた母と僕、相方には2階に専用トイレがあるので無視みたいな感じ。ま、それはともかくとして、掃除をしているとやはり便器の汚れが気になるものである。
 立って高所から家庭用の便器に排尿するとやはり跳ねが飛ぶ。昨今便器の改良は驚くほど進んでいて、多分そういう対策も講じられているはずだが、それでも跳ねが飛ぶ。どんなに跳ねが飛んでいるか、素っ裸でしょんべんしてみれば分かるという説があり、試しに風呂上がりに素っ裸でやってみたら、なるほどおっしゃる通りであった。

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shiba

 きのう何食べた? は、よしながふみによる日本の料理漫画作品。モーニング(講談社)にて、2007年12号から月に1度のペースで連載中。2019年4月6日からテレビ東京系「ドラマ24」でテレビドラマが放送されている。
 几帳面な弁護士・筧史朗と、人当たりの良い美容師・矢吹賢二の2人が2LDKのアパートで暮らす毎日を、食生活メインに展開する物語。主人公2人はゲイのカップルであり、メインの食生活以外にも、ゲイが抱える諸事情や、筧家を舞台にしてゲイの息子とその両親がどう向き合うかも描かれている。
 通称シロさんこと料理上手な弁護士・史朗(西島秀俊)と、美容師・賢二(内野聖陽)の同性カップルの日々の食卓の様子を中心に悲喜こもごもを描いたドラマ。5月3日に放送された第5話は、年末年始の物語となり、内野聖陽が1人で「サッポロ一番 みそラーメン」を調理する様子が話題になった。冷蔵庫をおしりで閉めたり、真剣な表情で水の分量を量ったりするなど、かわいすぎるとの声が続出。
 バター、おろしにんにく、鶏ガラスープなどで味付けした白菜、もやし、ニンジン、豚肉などたっぷりの具材を加えた賢二特製の札幌一番みそラーメンは、視聴者の胃袋を刺激。翌日からは、賢二のレシピを参考にしたラーメンを作ったという報告がSNSに上がる反響となったらしい。毎回うちでも作ってみようと思うレシピ。ゲイらしい仕草やなよっとした演技もすばらしい。

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neko

 精神的に脆いということがアルコール依存症依になりやすいという訳ではありませんが、その治療ではこの精神面の弱さが悪影響を及ぼす場合があるようです。治療のためには断酒が必須条件。そして、これくらいなら飲んでも問題はないだろうと考えてしまう人こそ、依存症に打ち勝つことは厳しいと言うことです。
 お酒を断つ苦しみから、くじけて酒に逃避する人も多いです、精神的なタフさはある程度必要です。くじけない心が断酒には必要です。

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mati

 以前は慢性アルコール中毒と呼び、略してアル中。また、本人の意志が弱く道徳観念や人間性が欠けているからだと決めつけて済ます傾向にありました。
 僕がアルコール依存症になった時期には、医学的に精神疾患の一つとしての薬物依存症と同じように病気として扱われるようにはなっていましたが、あまり一般認識されていませんでした。アル中、イコール意志が弱いというイメージがあります。
 ナゼ、さまざまな問題が自分を中心として起こっているのに、たくさんのアルコールを飲んでしまうのでしょうか、減らすことができないのでしょうか。
 長年の飲酒の累積効果により、脳の神経細胞に変化が起こり、飲酒量のコントロールが効かなくなってしまうからといわれてます。アルコールが一口でも身体に入ると脳の飲酒欲求の回路にスイッチが入り、その人の意思を超えて脳が酒を要求するようになる。これがアルコール依存症の本質です。

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que

 もともと体育会系でも大食いでもなかったけれど、学生の頃はほぼ無意識に大盛りを注文していたように思う。それが今は大盛りどころか普通盛りでも厳しい感じ。
 メニューに小ライスとか、ご飯少なめとかいう選択肢があれば良いけれど、あるいはメニューには載っていなくても、店の人と顔なじみで気軽に「ご飯少なめで」とか言える雰囲気だったらいいけど、そうでなければやはりわざわざそういうオーダーをするのは、僕らの世代は何となくためらってしまうのだ。
 何故なら僕らの時代は出されたものは何であれ全部きれいに平らげるというのが礼儀だったから。そこには自分の腹具合とか好き嫌いとか、そういう尺度も選択肢もなくて、作ってくれた人、振る舞ってくれた人に対する感謝の意を表して完食したもんだ。というわけで、簡単に言うと、こっちが金払ってんだから大盛りであれ半ライスであれ好きなものを注文して好きな分だけ食べれば良いものを、それが気安くできないもんだからウジウジしているという馬鹿らしい話。
 飲み屋で、帰りがけに徳利逆さにして意地汚く杯をなめていくのとも、ちょいと話は違います。そしてご飯を一口でも二口でも、残こすことを毎日継続すればメタボの解消になると思うのですが。

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air

 農薬、放射能、水銀、アスベストなどは一度その害が判明したら、二度と近づいたり口にする人はいいません。だけどアルコールや煙草は害だと分かっても、なかなか止めないで依存症までいってしまう場合が多々あります。
 ご存知とは思いますが、アルコール依存症からの病気としては機能障害と臓器障害に分かれます。心と体が蝕まれていきます。最終的には精神が崩壊する、もしくは癌で死ぬ。
 生きることは選択の連続です、今の自分は過去の選択や決断の結果。そして、これからも分かれ道に遭遇するだろうけれど、左右選びながら生きていくんでしょう。飲もうか飲むまいかと思うことが一生ついて回るわけです。
 生きたいのなら、自分が選べるのは断酒の道しかないのです。迷ったときに、この選択がいつでもできる事が大事です。

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shiki

 寒くて震えていたらいつの間にか暖かくなり、それがいつの間にか暑くなってぐったりしてたら、そのうちに涼しくなって、気がついたらまた寒くて震えてる。そういう循環を一体いつまで何回続けるのだろうと思ったことがあります。しかし世界中どこの国でもこんなに律儀にくっきりと四季が巡ってくることは稀でしょうね。
 そう考えると、この四季のメリハリは精神性と言うか、発想の仕方に影響を与えているような気がします。日本人の感性って四季が巡る風土の中で生きてきたから培われたのでしょうか。輪廻転生、因果は巡るとか。

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lupin

 お店を出たところまでは覚えているけれど、その後の記憶がない、気がついたら家で寝ていた。メガネが割れているのはいったいどうしてだろうなど、何をしたのか記憶がないのは忘れてしまったからではなくて、覚えられなかったから。酔って記憶をなくすことをブラックアウトと呼びますが、飲酒中のブラックアウト状態の時でも、大抵の人は普通に反応して話をしたりしています。
 理性をつかさどる前頭葉にアルコールが作用していますから、抑制が外れて行動の規範がやや低下してはいますが、一瞬一瞬の判断はそれなりに下しているのですね、ただし海馬がアルコールで麻痺しているために、それを記憶することができないんです。2分前のことならば覚えていられても、20分前のこととなるともう覚えていることができないと言う事です。そして飲みすぎによる肝障害やカラダの病気とか、飲酒生活の期間や長さとも関係なく起きるそうです。
 つまり人生初の飲酒でも起き、何年も飲み続けた後でも起きるのです。最初にブラックアウトを経験したときは、そのことに驚き、これはマズイ状態と気づいて自分の飲酒のパターンを変えた人はよいのだけど、そのまま変えなかった人はやがてダメージが積み重なって海馬が萎縮してアルコール依存症に陥ってしまうのです。
 病的酩酊を除けば、血中アルコール濃度が急激に上昇した場合に起きることがわかっています。そもそも酔うとは、脳がアルコールで麻痺することだから、酔いの深さは脳内のアルコール濃度に比例するはずです。しかし、脳内のアルコール濃度を直接測ることはできないので、血液のアルコール濃度、すなわち血中アルコール濃度を測ることで酔いの深さを見ることになっています。
 それでは血中アルコール濃度がどのくらいになれば、ブラックアウトするのでしょうか。酔いはアルコール量が増えるにつれて爽快期、ほろ酔い期、酩酊期、泥酔期、昏睡期と深くなっていきます。血中濃度が0.31~0.40の泥酔期に達すると、海馬が麻痺してブラックアウトを起こします。
 お酒の量でいうと、個人差はあるけれどビールなら中瓶3~10本、日本酒なら、ウイスキーならボトル1/4~1本。ただし体調や飲むペース、相当個人差があるということ。

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