アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

カテゴリ: 内省 こころ

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僕らが長生きして、本当の老人になる頃にはどうなっているのかしらという考察。

多くの人が誤解しているようですが、歳をとったらみんながみんな老人ホームに入居するわけではありませんね。友人たちは歳をとったら老人ホームに入居する(笑)なんて言っていますが、全員が高齢者施設だなんて、そんな将来だったら世の中パンクして、そこらじゅう老人ホームだらけです。

例えば、遠い親戚の高齢兄妹(5人兄妹)で施設に入居したのは、認知症になった叔母のひとりだけです。長女が今90歳ですが、元気なので老人ホームに入っていません。長兄と次女は亡くなり、4女は今80歳でまだ元気にしています。

ご近所の老夫婦などは奥さんが足が悪く、ひとりで出かけることはできません(たぶん要介護2か3)が、今でも自宅介護で旦那さんが面倒を見ています。時々デイサービス(日帰り。送り迎えもしてくれる。)を利用しているようです、老々介護というやつですね。

というように僕のまわりだけですら、老人ホームを利用しているのはほんの僅かです。いきなり老人ホームに入居、というのではなく、実際には、デイサービス:日帰り、ショートステイ:短期入所(2日~)、老人ホーム:基本的には亡くなるまで、、、これは僕の母のコースです。

これ以外にも、「訪問入浴」「訪問リハビリ」「訪問介護」など様々なサービスが有り、これらを利用するにはまず、要支援・要介護認定を受ける必要があります。この認定には担当者による聞き取り調査などが行われ、医者などの判定を経て、実際に認定されるまで1ヶ月ほどかかります。要支援・要介護認定ではじめて介護保険が使えるようになります。

うちの母は92歳の要介護4で施設に入っていますが、特養(特別養護老人ホーム)なので月々13万円ぐらいです。介護保険で半分ぐらい賄われているので、実際には1ヶ月に30万円ぐらいかかるそう。母は年金を貰っているので十分賄えています。

なお、特養は基本的には要介護4もしくは5の介護度の重い人しか受け付けてくれないところが多く、要介護3以下でどうしても、という場合はほかを探すことになります。要支援・要介護認定を受けると、ケアマネージャーがひとりつくので、基本的には彼らと相談しながら入居先を決めます。このケアマネさん、もし使えない方に当たった場合は変更することは可能です。

特養は安い(13万円でも安い方です)ので人気があり、入居に3~24ヶ月ぐらいかかります。23区内ではとてもキビシイ感じです、探したり待機してるあいだに本人が亡くなってしまう例もあります。また、きちんと支払い能力があるか、親族でクレーマーがいないか、などを裏で調べているらしくて、支払い能力がないと思われる場合はいつまでも入居できないらしいです。

知り合いの母親で資産も殆どなく、友人の息子も支払い能力がないという人がいます。この場合は本人の年金と生活保護扱いにし、その2つでやりくりしているようです。なので、国民年金を払ってこなかった人は、生活保護だけでは足りないし、うちの母のように資産がある(僕の家の所有者)場合は生活保護が受けられないので、親族の誰かが足りない分を支払う必要があります。払えないようであれば、老人ホームも商売なので入居させてくれません。

僕の肌感覚として、とても多くの人が老後の生活を誤解している気がします。祖父、祖母、そして両親と、ずっとその流れを見て育ってきたので、もうなんとなく自分の老後もどうなるか予測がついていますが、もっと真剣に考えたほうがいいと感じています。

よく、老後はゆっくり旅行でもみたいなことを言っている人がいますが、50歳を超えて運動をなにもしてこなかった人は、まず足腰をやられ、旅行どころか引きこもり寝たきりになる確率が高いように思います。

それに上で書いたように、老人ホームに入るのは今後はもっと難しくなるでしょう。ケアマネが言っていましたが、あと10年後は恐ろしい世界になっているはず。と言っていました、老人が増えて若者が減る。そんな長生きしないから(笑)とか甘い考えの人が多いのです。

子供がいない人は、おそらく老人ホームも入居しづらくなりそうで。いくら資産があっても保証人がいない場合は、年金+生活保護のような国がきちんと支払ってくれるような安定した収入がないと入居はむずかしくなるようです、高齢者専用信用保証会社とか。

年金はどうせ貰えないから。と支払っていない人や、子供をもたない選択した人は、結構真剣に老後を考えたほうがいいかと思うこの頃です。
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NHKドラマ『アイドル誕生 輝け昭和歌謡』を観た、地上波 から録画しておいたのを夫婦二人で観て面白かった。

阿久悠役が宇野祥平、酒井政利役が三浦誠己というめちゃくちゃ地味なキャスティングでこんな企画が通るのは、さすが受信料で放送してるNHKだと思ったし、笑ったよ。

都倉俊一役の宮沢氷魚など、みんな、どことなく本人の雰囲気があるのだ。阿久悠役の宇野祥平なんか、カツラかぶって最高に良い雰囲気を出していた。

そして、時代のアイドルを演じている若い女優たちもそうだ。
山口百恵、ピンク・レディ、桜田淳子役、みんな造形的にはそれほど似ていないのだが、彼女たちアイドルの魅力のあり方を上手に再現している。

歌手だけではない、裏方では久世光彦役が谷田歩、飯田久彦役が田村健太郎、有馬三恵子役が安藤玉恵と結構シブいところを揃えてあって。一番笑ったのは土居甫役で長いもみあげをつけた迫田孝也。

ドラマでは、CBS・ソニーの酒井を毛嫌いしたり、どこまでも新しさに執着したりする阿久悠のコンプレックスやネガティブな面をあぶり出していて面白かった。そして、あの当時のスタッフや歌手の強い思いがよく現れていた。人を描くことによってあの時代の様相も丁寧に描かれていた。大河ドラマ枠でやっても面白いのではと。

僕らは阿久悠、都倉俊一、酒井政利、有馬三恵子、久世光彦、飯田久彦、土居甫らの名前と、彼らの手掛けた作品がしっかり記憶に刻まれている世代だから。夫婦で同じ時代に生きてきたことを実感させてもらい、良いものを見せてもらった。

ちなみに、山口百恵を演じた吉柳咲良(きりゅうさくら)はホリプロ所属(つまり、百恵ちゃんの事務所の後輩である)で、第41回タレントスカウトキャラバン「PURE GIRL 2016」グランプリ受賞者なのだそうだ。ミュージカル『ピーターパン』の主役も務めていたとのこと(つまり、こちらは同じホリプロの榊原郁恵の後継ということになる)。

2016年の受賞時はまだ12歳、今年の4月で二十歳とまだまだ若い。これからもっともっと伸びそうな気がする。この名前を憶えておこう。

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かつてお正月ドラマと言えば時代劇、でも今はNHKくらいしかやってない。再放送とか何とかSPでお茶を濁してる感じ、まぁスポンサー離れで民放は苦しいよねぇ。

で、話し飛ぶけれど、世間でライバルと思ってる人はあまりいないだろうけれど、僕は綾瀬はるかと長澤まさみをライバル関係として捉えてる。2人がまだ若かった頃に同じ役を演じたからだ。

ふたりはデビューしてまだ日が浅く、名前もそれほど売れていなかった時期に「世界の中心で、愛をさけぶ」の主役を務めた、白血病で亡くなる少女の役。その2つを僕は両方とも観た(ともに2004年)。そのことによって、僕の頭の中に「2人はライバル」という図式がしっかりと描かれてしまったのだ。

ただし、綾瀬はるかは TBS の金ドラで相手役は山田孝之、長澤まさみのほうは行定勲監督の映画で相手役は森山未來、同じ役とは言っても全く違う脚本で、かたやテレビの連続ドラマ(全11話)、こなた2時間規模の映画なわけだから、比較することによって単純に2人の女優を語るのは酷である。

そして、その時以来ずっとこの2人を比較しながら見る癖がついてしまったのである。数年前に『海街diary』で共演したり年を経て、2人とも母親役が回ってきたりするようになった。そして、間違いなく2人とも大女優になった。

女優の中にはいくつになっても主役を張りたがる人や、良い役しかやりたがらない人もいるが、たとえば松坂慶子のように、若い頃はまさに「美人女優」の代名詞だった人が、年を取って太って、ほんとにそこら辺にいる“がさつなおばちゃん”役が見事にハマっている人もいる。今も美人ではあるけれど、あの吹っ切れ方はすごいな、といつも思うのである。

ふたりが年を取ったときに太るかどうか、がさつなおばちゃんを演じるかどうかは分からない。でも、彼女たちの役柄はきっとどんどん広がって、きっととても貴重な存在として芸能界に残って行くのだろうと思うわけで、とりあえずお正月のドラマ「義母と娘のブルースFINAL」を楽しみたい。
umimachi

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walkman
スコアカードや色々なデータとか写真を紙で保存したいという思いはない。ただ、単なる記録じゃなくてコレクションとして有形保存したいと思う物ってあるでしょ。

なんのことを言っているかと言うと、最近のイベントは専らネットで予約しますよね。そうすると返信メールが来て、そこに載っているリンクをクリック/タップして専用ページに進み、予約番号やパスワードを入れて QRコードを表示するとそれが入場券代わりになるようなケースが増えてきた。

その結果何が起きるかと言うと、展示会やライブが終わったときに手許に何も残らないのである。ネットで予約しても、例えばコンビニなどで紙の発券をするようなケースはそのチケットが残る。しかし、紙の発券ではなく QRコード表示となると何も残らないのである。

演劇や音楽ライブ、美術館や博物館、展示会などのイベントに行ったら、その「半券」をスクラップに貼っておきたいタイプなのだけど貼るものがないのです。スクショを撮ってもなんだかねぇ~って感じだし。

半券には記念品の意味もあったのである。ちょっと残念に思う。

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F500

アルコール依存状態であるかを判断する目安として、精神的な依存と身体的な依存の有無が目安になります。 精神的な依存が形成されると、飲酒量や飲酒時間を自分でコントロールすることが難しくなります。泥酔してしまうまで大量に飲酒したり、昼間から飲酒したりと、飲酒すべきでない状況でも飲酒を止めることができません。

問題があることを本人が自覚していて、周りから注意されるため、隠れて飲酒する場合もあります。ブラックアウトのため、酩酊時の行動を覚えておらず、酔いが醒めると自分の行いを詫びて、断酒を約束するものの、再び飲酒して問題行動を繰り返してしまうのも依存症の特徴です。

身体的な依存症状としては、アルコールへの耐性が高まって飲酒量が増えていくことと、離脱症状の出現です。離脱症状の不快感を避けるために飲酒するようになります。

飲酒時に問題行動を起こしたり、離脱症状がでても飲酒を続けてしまうのは、アルコールによる酩酊状態が、報酬効果を持つからです。不眠やストレスを解消しようと飲酒を始めた場合は、酩酊状態が自己治療として使われています。アルコールで寝付きが良くなったり、気分が高揚してストレスが緩和されたりすることで、飲酒が習慣化されていきます。

酩酊状態がもたらす報酬効果によって飲酒が習慣化することが依存症の引き金となります。その後、飲酒を止めようと思ってもやめられない状態となります。もはや自分でコントロールすることが困難となり、強迫状態とも呼ばれます。強迫とは本人が望んでいなくても、止めることが出来ずに繰り返されてしまう状態です。 強迫が生まれる要因として、アルコールを減らした場合の不快な離脱症状を避けたい気持ちが関与します。

飲酒によってストレスや不安が解消される快刺激を期待する一方で、アルコールを飲めなかった場合の不快な気分も想像してしまうようになります。 耐性が生まれて、飲酒時の快刺激は薄れていき、同程度の効果を得るには、さらに大量の飲酒が必要となっていきます。そして、離脱症状の不快さから解放されることが飲酒の目的に変わっていきます。このようにして依存に至ると考えられています。

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アドレスと言えば今では@を含んだメールアドレスのことだけど、チョット前までは住所のことだし、アドレス帳に手書きで書いていたよね。などと書くと何を当たり前のことをと思うだろうが、物心ついたときからメールがあった世代は、え、そうなの?と言うかもしれない。

ちなみに、当然のことながら、電子メール(既に死語かも)がなかった時代には、メールは郵便もしくは郵便物の意味だった。僕らの世代は、ほとんどの人が、手帳の中に組み込まれていたりするアドレス帳を持っていたし、今だって持ち歩かないけど持ってるよね。

1975年発売のユーミンの『あの日にかえりりたい』(詞曲:荒井由実)にはこんな歌詞がある:

今愛を捨ててしまえば
傷つける人もないけど
少しだけにじんだアドレス
扉にはさんで帰るわ あの日に



そう、当時は皆こんな感じのコミュニケーションをしていたのである。アドレス帳を頼りに彼の家を訪ね、彼がいない家の扉にメッセージを書いて挟んだり、握りしめてきた彼のアドレスを書き写したメモ用紙を意味ありげに挟んだりして帰ったのである。

そして、それでも彼女たちは、ひょっとしたらそれから何日も、もしかして彼から何か連絡がないかと一縷の望みを託して連絡を待っていたのかもしれない。Please Mr. Postman の世界である。

アドレス宛にメールを送ったけど返信がない、メーラー・デーモンからアドレスが存在しないと言われる、あるいは LINE を送ったが既読にならない、着信拒否されている──みたいな感じでわりとあっさりと決着してしまう今のコミュニケーションとは大違いである。

その大違いなコミュニケーション共通に、アドレスという言葉がずっと使われ続けていることが時々なんだか不思議に感じるし、アドレスという言葉は、結局のところ、その時代のいちばん大事な連絡ルートを指す言葉として生き残ってきているような気がするんだよね。

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hino


大人になったら自分は一人前の人間になれると思っていた、小学生から中学生になっても、高校から大学生になっても、大人になれば色々なことに自信を持てるのじゃないか、みたいなイメージでいた。

でも、大学に入っても、成人になっても、社会人になった後でも、一向に自分が大人になったとか成熟したという感じは持てなかった。

30代、40代になったら、あるいは経営側になったらそういう感覚が出てくるのかなとも思ったが、いくつになっても自分は未熟で未成熟だという思いしかなく、ついにそのまま老境(笑)に達してしまった感覚。まぁお酒に負けたってのは少し関係があるかもね。

自分だけがそうなのか、それとも誰でもみんなそうなのかを知りたくて書いているわけではない。むしろ逆で、じゃあ大人になるとか成熟するって一体どういうことなんだろう。なにをもってそういう風に言い切れるんだろう、などとそんなことを考えている。

いずれにしても自分はこれまでもこれからも、ずっと未熟であるような気がする。心が子供だから飲んでいたってのはアリかな、断酒の継続が出来ていれば大人になれるわけでもないのは確認済、ゴルフも然りだなぁ(泣)

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wa

緑内障とは一言で言うと、視神経のダメージで視野が欠けていってしまう病気です。日本人の中途失明原因の1位となっていますが、早い段階で見つけて適切に治療を続ければ、一生を終えるまでに失明することは防げると言われてます、適切な治療の継続が重要なのです。しかし、現時点では緑内障を完治させることはできないため、治療は一生続けていかなければならないのです。僕も眼圧を下げる点眼薬の治療を10年続けています、最近の視野検査結果が良くなかった為に目薬が増えて3種類になった。正直なんとなく不安だよね。

それから眼科主治医に聞いてみたら、アルコールの飲みすぎと眼の病気の因果関係はないそうです。僕の場合は、久里浜病院に入って断酒する前の数年間、泥酔して目薬の点眼がおろそかになったことが悔やまれます。

緑内障と診断されると、たまに人生設計を変えるぐらい落ち込んでしまう人がいます。しかしかなりの高眼圧や末期の方以外は、じっくり治療に専念し、仕事や生活パターンを変えず、あせらず過ごすことが重要です。

とにかく、点眼治療の場合はきちんと点眼し続けて、検査を受け続けること、手術等をしても定期検査を継続することが重要です。

自覚症状がないときに、点眼を自ら行って通院し続けることはとても難しいと思いますが、緑内障の特徴を良く理解して、付き合っていくことが重要です。

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DC


僕もまぁ、何度か引っ越しはしていて、結婚したり、単身だったり、人生いろいろあったおかげで、今住んでいる家がちょうど 9軒目かしら。どの台所でも必ず飲んでいました(笑)

台所は狭いところも広いところもあったけれど、僕にとって飲みながら料理をすることは喜びでありました、今は炭酸水でやってますのでご安心ください。

持ち家のときも賃貸のときもあったので単純に比較はできないけれど、この遍歴の中で感じるのはキッチンは進化しているということ。住居内の改善ポイントの最たるものはキッチンだと思います。料理は仕事だったり、趣味になったり、ライフワークですからね。

まずはコンロの進化、ガスから電気、IHに。玉子焼きには不便だけれど、掃除のしやすさの方が勝る。給湯システムやレンジ・ファンの改善。それらは単に使いやすさという点だけではなく、掃除のしやすさといった点でも隔世の感がある。どこを取っても昔の台所とは月とスッポンである。

色々な面でキッチンは長足の進歩を遂げたと思う。ただし、大きく変わり初めたのは 20年ぐらい前からではないかという気がする。ひょっとすると、料理をしない男たちがまだまだメーカーや設計を牛耳っていて、女性の意見が反映されていなかったのかもしれない。

冷蔵庫や洗濯機も大きく変わったとは思うけど、もう大きく変わる余地は残されていないのではないか。それに対して、台所スペース自体はまだまだ進化して行きそうな気がする。料理も後片付けも、あるいは料理や後片付けをしながらの家族との対話とかも、これからはどんどん楽しくなって行くのではないかと思う今日このごろである。

久里浜病院の東6病棟に入院中、隣に作業棟があった。リハビリの一環として木工作業班に属して、退院までになにか一品作ることを目標にしていた。15ミリの杉板を糸鋸で丸く切って、角を丸く整形したり、バーナーで炙って焦げ目をつけて木目を浮き出させて、布で磨いたりしてシブい焦げ茶の鍋敷きを製作した。

キッチンの棚で、オレンジ色のルクルーゼの鍋に敷かれて、今でも僕を見張ってる。

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ドラマ好きの僕には好きな女優さんがたくさんいる。主演級もいれば名脇役もいる。ものすごい美人女優もいるけど、そうでない人もいる。若い世代もいれば熟女もいて、相当なベテランもいる、草笛光子さんとかがんばってます。美人で可愛らしいは亡くなったけれど父と同世代の八千草薫さんとかね。

で、その一方で好きじゃない女優さんもいっぱいいる。女優に限らず、好きじゃない小説家、好きじゃないシンガーソングライターなど、どの分野にもそういう人は必ずいる。周りの人と話しているとあまりそういう話を聞かないので、みんな嫌いな人いないのかなと時々不思議になる。

ところで、好きじゃない女優さんにも2つあることに最近気づいた。好きじゃないけど上手いなと思う女優さんと、上手いとは思うけど好きじゃない女優さん。

僕にとっては、眼が大きすぎたり、顎に黒子があって好きじゃないけれど、上手いなと思う女優さん。わりと上手いなと思うけど別に好きじゃない女優。上手いなとは思うけどあまり好きじゃなかったのが最近ちょっと好きになってきたとかね。まぁ、誰とは書かないけれど。

そして、上手いなとは思うが、顔の黒子の位置がどうしても好きになれない女優さん。当然のことながら、上手くもないし好きでもない女優もいる。

どうでもイイけどね(笑)

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Q1:酔うと人に迷惑をかけてしまう時がありますが、あまり覚えていません。酔い方にも違いがあるのでしょうか?

A1:お酒を飲むことで酔いがすすみ、酩酊と言われる一種の急性アルコール中毒の症状を示すことがあります。酩酊状態の大半は飲酒量に応じて酔いの程度が変化します(単純酩酊)が、飲酒量に関係なく異常な酔い方をする場合があります。これを異常酩酊といい、異常酩酊には複雑酩酊と病的酩酊があります。

複雑酩酊はいわゆる「酒乱」と呼ばれる状態で、気分が易刺激的になり、暴力的な言動や、興奮状態が長く続きます。自分の置かれている状況は理解できるため、行動に一貫性があります。部分的に記憶をなくすこともあります。血中のアルコール濃度が180mg/dL以上になったときに出現されやすいとされています。

一方、病的酩酊と呼ばれる状態は、血中のアルコール濃度に関係なく出現します。記憶をなくし、自分の置かれている状況が理解できず、行動に一貫性が無くなります。不安や興奮、ときに幻覚妄想状態をきたすなど、精神的に不安定な状態となります。また、お酒を飲んでいないときには見られないような攻撃性や暴力的な行動が突然出現する場合もあります。

このような異常酩酊の状態が、飲酒時のけんか、暴言、事故、犯罪行為などの原因となっている場合もあります。

Q2:アルコール依存症になったら自分で気が付くものですか?

A2:自分自身では気づきにくく、家族や職場の方が気づく場合が多いです。

依存症の本質的特徴とは、飲酒によって発生した何らかの重大な問題を抱えているにも関わらず、飲酒し続けるという状態のことを指しています。

この問題とは、健康上の問題だけにとどまらず、人間関係上の問題もあり、夫婦間の暴力や夫婦間でのコミュニケーションの問題として現れることもあります。また、社会的・法的問題として、飲酒下での事故、犯罪をきっかけとして問題飲酒を指摘されることや、職場では飲酒に関連する問題行動などから雇用問題に至ることがあります。

お酒を多量に飲む習慣となった場合、このような問題に自身で気づくことはなかなか難しく、認識できていたとしても、そのことを認めたくない心理が働くことも多いでしょう。

つまり、「私は問題ない。うまく酒を飲めている」と当事者が考えていても、ご家族や職場の方はとても困っていることが多くなるのです。治療現場の印象では、自ら受診に至る場合はまれであり、ご家族や職場の方が受診を勧めることがほとんどです。

つまり、アルコール依存症とは自分自身で気づくことがとても難しい病気であるといえます。

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koritsu

マウス1匹を1つのカゴに入れて16匹、個室です。一方で16匹をまとめて1つの同じカゴに入れます、大部屋ですね。

どちらにもアルコールより依存性の強いモルヒネ水を飲めるようにしたところ、1匹ずつカゴに入れたマウスの多くがモルヒネ依存になり、16匹の大部屋マウスはその内1匹だけしかモルヒネ依存にならなかったそうです。

そして個室でモルヒネ依存になったマウスを、16匹がまとめて入っている大部屋に移し入れてたところモルヒネ依存が改善方向に向かったという実験結果。

つまり依存の感じとしては、物質よりも環境ということを示唆していると思います。

依存症は叱責したり罰を与えることで良くなるデータはありません。アルコール依存症になることは人間としてダメだということでもありません。

少なくとも、世間から強いバッシングを受けるとか、廻りから止めろと言われて酒をやめようと思う可能性は限りなく低いということです。社会はそういう人を排除したがるのですが、それは問題を先延ばしにしているだけで、救うどころか孤立を深めてより依存症を悪化させかねません。

孤立することが一番だめだということです。あとは運を持っているか、親身になってくれる家族はいるのか、そして最後は本人次第なのですが。

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neko

年を取れば年々酒に弱くなっていくのは誰しも実感していること。生活習慣やがんなどに対する心配もある。そして、それでも飲む量をうまく減らせず、若い頃と同じように飲もうとして二日酔いになり、ブラックアウトしたりして後悔する……いい歳してこれを繰り返してしまうわけだね。

酒が好きな人にとって、一生健康なまま酒を飲みたいというのは、何よりも願っていること。だけど一生健康で飲むためには、50代で一度、酒との付き合い方を見直す必要があるのではないかと考えます。

50代で酒との付き合い方を見直そうと考えるのは健康に対する不安があるから。もちろん、60代でも健康への不安はあるはずだ。だが、多くの人にとって50代というのは、それまでの人生であまり感じたことのない体調の変化や、健康診断の数値の悪化に直面し、我が身を振り返って、飲酒をはじめとする生活習慣を見直す時期に当たるのでしょうね。

その後の人生において末永く酒を味わえることにつながります。逆に、若い頃と同じような飲み方を続けてしまうと、何らかの病気を発症し酒が飲めなくなるリスクが高まりますからね。

いつまでも健康でいられる適量についてとか、二日酔いのメカニズム、健診結果が悪い人が飲み続けるとどうなるかなど、酒との付き合い方を考えるうえでの基本となる知識を知る努力が必要になってくるのだと思っています。

まぁ、40代最後に久里浜に入院して色々なレクチャーを受けたけれど、一生飲めないということを理解しました、遅かったということです。

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toyota

ゴールデンウイークを振り返ると、相方であるウチの奥さんは、ちょいと不規則な働き方をしていて、この連休中にも仕事の日が何日かあった。毎年そんな感じだったのだが、今年は仕事が多めに入っていたような気がする。ブロンズ・ウィークぐらいだったんじゃないかな。

おかげで僕はひとりで放って置かれた時間が長かった。それで、どうしても観たいわけではなくてどうしようか迷って録画してあった映画を観て、少し溜まってきたドラマの録画を観て、滞り勝ちな読書を進めて、庭の掃除と樹木のお手入れをして、あとはゴルフに行ったくらい。

時間があったらやりたいと思っていても実際はあまりできていなかったことが少し進んだような。論理的じゃないけれど、なんとなく、年を取るってそういうことなのかなと思った。

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随分前に誰かが、レストランでほとんど会話せずに食事をしているカップルがいたら、それは間違いなく夫婦だと書いているのを読んだことがあります。随分前と言っても、すでに僕は結婚していて、それを読んでなるほどなと思いました。

それを書いた人は、ひょっとしたら「何年も結婚生活を続けていると、次第に疎遠になって会話もなくなってしまう」と言いたかったのかもしれませんが、いえ、僕が思ったのは全く違うことです。

結婚していないカップルが外食をしているのであれば、それはデートですよね。 ならばデートが終わると当然別々の家に帰ることになります。だから、食べている時間も黙っているのが惜しくて、一生懸命喋るんじゃないでしょうか。

もしかすると、食後にどこかに行くのかもしれません(笑) それが気になって、期待と不安に胸を高鳴らせながら、あるいは拭っても拭っても湧いてくる妄想に身悶えしながら、無我夢中で話を繋いでいるのかもしれません(笑)

夫婦だと四六時中一緒にいるわけだから、そんなに焦る必要はないんですよね。だから、食事の時には味わうことに専念して、あまりべらべら喋らない。

でも、だからと言って、夫婦だといちいち口に出して言わなくても通じる部分があるとは言うつもりはありません。しかし時々は確かにあるんですよね、年季の入った夫婦なんかだと、言わなくても解ることが。言わなくてもバレるということもあります(笑)

それは例えば、僕が誰にも言えない仕事の悩みを抱えているときに、相方がなんとなくそのことに気づいて何気にアドバイスをくれる、みたいなすごいケースもあるし、食事中に何も言っていないのに僕が黙って醤油を取ってあげる、みたいな小さいことがら。

それはそれで嬉しいことなんですが、でも、僕はそれがの理想型だとはちっとも思っていません。コミュニケーションの基本はやはり口に出したり文字に書いたりして、言葉にして、相手にしっかり伝えることだと思うのです。言わなくても解るかなと考えるのではなくてね。

好きだとか、感謝してます、それはちょっと嫌かも、ありがとう、ごめん、などと、言葉にして相手に伝えることが大事だと思っています。そうやって言葉で伝えることで相手にも明確に意味が伝わり、それによって相手からも明確な反応があり、コミュニケーションが深まり、さらなるコミュニケーションに繋がるのだと思います。

言うタイミングも大事です。その場で伝えられる限りのことをその場で屈託なく伝える努力が必要です。暫く溜め込んでから、「そもそもあの時」なんて蒸し返したら、逆に相手を硬くさせてしまう恐れがあります。

一つひとつ言葉にして相手に届けることは相手に対する敬意でもあると思うのです。そして、それこそがコミュニケーションの基本。やっとそう思うようになりました。

もちろん人と人との相性ということもあります。でも、何十年も一緒にいて言わなくてもいろいろ通じるようになっている夫婦であったとしても、最初の頃にそんな地道な積み重ねがあったからこそのような気がするのです。

長いつきあいの中で、もしも口に出さなくても伝わったとしたら、それはそれまでのしっかりした会話に対するご褒美みたいなものかもしれません。以心伝心なんて宝くじに当たるようなものだと思うのです。当たれば嬉しいです。素直に喜べばいいです。

そういう努力が必要だと思います。今までに言わなくても通じることがあったかもしれないけれど、言葉が足りなくてうまく伝わらなかったことはその何倍もあって、倍返しで𠮟られることの方が多かったと思います笑)

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アルコール依存症は進行性の病気です。

飲み始め→精神依存に移行する初期→病的行動が始まる依存症中期→人生が破綻し始める依存症後期へと、徐々に進行します。

依存症中期からは軽い離脱症状が出て、飲酒のことで嘘をついたり、家庭内で問題が起き始めますが、たいていの人は必死に問題を隠して仕事をこなしています。

仕事に明らかな支障が出て、家庭崩壊に至ったりするのは依存症後期です。早く治療を受ければ受けるほど失うものは少なくてすみ、回復と社会復帰も容易です。ぜひ早期に治療を受けましょう。精神科に行くしかありません。

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日本では意思が弱いから依存症になるのだとよく言われてきました。精神科の医師に言わせれば依存症に意思や性格は関係ありません。どんなに意思の強い人でもかかる可能性のある疾患です。しかも意思がつぶされてしまう病気ですから、一度かかってしまったら根治はなかなか難しい。もっとも重要なのは、依存症にかからないように予防することが大切。

予防というか再発防止ですが、依存症の治療に一定の効果を上げているのが、断酒会やAA(アルコホーリクス・アノニマス)といった自助グループです。非常に興味深いのですが、依存症の治療で効果を上げるためには、依存対象を「人」へと移すことが肝要なのだそうです。

もともとAAの発祥は、1935年、アメリカで1人のアルコホーリク(問題飲酒者)が別のアルコホーリクと出会い、それぞれの問題を語り合ったところからスタートしました。

つねにお酒を飲んでいないと気がすまなかった2人の人間が、お互いの経験を分かち合うその時間だけは、お酒を飲まずにいられた。そのことから自助グループとして世界的に広がっていきました。

つまりAAというのは、それまでアルコールというモノや飲酒という行為に依存していたのを、人への依存に変化させる行為とのことなのです。孤独によって依存症のリスクが高まるのであれば、孤独でなくなれば依存症が治る可能性も高まるというわけですね。

このAA発祥の話、今までしりませんでした。最近お一人様と言う言葉をよく耳にしますよね、男も女も独身ってのが多くなる傾向のようです。しかし、アルコール依存症予防の観点からは複数で楽しんで酒を飲めということでした。

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勤務中に酒なんて… と思ったが、そりゃ監視の目がないわけだし、ランチのついでに軽くビールを一杯なんてこともできる。それでなくてもコロナ禍でさまざまなストレスが心身にかかっているのだから、酒を飲みたくなるのも当然かもしれない。

5リットルの業務用ウイスキーを買ってしまった人。大容量の酒が身近にあると、つい飲み過ぎてしまうので買わないと心に決めていた。コロナ過の事情もあってネットで業務用のウイスキーに手を出してしまったのだ。そして案の定、酒量が増えてしまった。

仕事が終わったら移動せずにすぐ飲めるし、終電を気にしなくてすむ。テレワークだと早起きしなくていいからダラダラ遅くまで飲んでしまう。旅行にも行けず、その分ぜいたくなテイクアウト料理や酒を買ってしまう。飲むことしか楽しみがない。等々、、わかりますけどね。

そして、アルコールの弊害がカラダのあちこちに表れ、エライことになってしまう。そう、このままではいけない。5リットルのウイスキーを買ってる場合ではないのだ。

アルコール依存症の場合、同じ病を抱える人とのコミュニケーションが「再飲酒の大きな抑止力」になっていたはず。人とリアルに会って話ができないことは、アルコール依存症を抱える方々にとって、大きな影響を及ぼしているようだ。オンラインで集まるにしても、Wi-Fiやパソコンなど環境が整っていない方も少なくない。

この変化にすぐ順応できる方は心配ないのですが、そうではない人は、何とかしてこの不安を忘れたい、ストレスを解消させたいという思いから、ついお酒に走ってしまうことも。また“ステイ・ホーム”が続くと生活にメリハリがなくなるため、お酒を飲むことで一区切りつけようとする人も多いようですね。

ストレスを緩和させるために酔っても、根本的な問題の解決にはならないし、現実は変わらない。頭では理解していても、つい飲んでしまう。酒量の増え方は、その人にとってのストレス指数を表しているのかもしれない。楽しいお酒なら良いが、逆に落ち込んでしまったり、「どうしてこんなに飲んでしまうんだろう」と罪悪感を持つようになると、かなりの危険信号。

感染拡大防止のため、今後も家にいる時間が長くなるのは必然です。アフター・コロナの生活様式に合わせた飲み方、酒量を今のうちに考えなければなりません。特に、飲んで罪悪感を抱いてしまうような方の場合、自死に至るケースもないとは限りません。自助会も対面で開催できない時代に、ストレスを貯めず平穏な心持ちを維持し続けるのは大変だけど、いつもの自分を思い出して耐えるしかありませんね。

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年寄りというか、ぼくら中高年が病気自慢の話で盛り上がるのは、それ以外に変わった話題がないからなのだなとぁ~と最近分かってきた。

話題・トピックスというのはきっと“変わったこと”を指しているのだ。病気と言っても、病気自慢ができるということはそこそこ元気で生きているわけだし、それ以外に変わったことがないというのはそれなりに良いことなのですよね。ぼくの場合は腰が痛い、脊柱管狭窄症手術を受けてから4年半たちますが相変わらずの痛み。まぁゴルフができる痛みだから、手術して良かったのでしょう。

痛みといえば膵臓、肝臓と同様に沈黙の臓器と呼ばれますね。つまり、少々問題があっても痛みなどの症状がすぐに出るわけではない。しかも、肺や胃、腸などと比べたら、マイナーな印象の臓器。

膵臓は黙々と働いてくれて毎日365日負担を強いられても頑張って働き続けてくれています、でもそれにも限界がありますね、年末の忘年会で痛めつけられてからお正月に突入するわけだから、すい臓だってタマリませんよねぇ~。

そうなると、ある日突然激痛が走り急性膵炎で入院なんていうことになります。そうとうに痛いらしい、2010年に急性膵炎を発症したお笑い芸人の河本準一さんが「生爪を一気に剝がされたような激痛が背中を襲った」というのだから、いかにその痛みが耐えがたいものかが分かる。考えただけでも恐ろしい……。

これは膵臓に限ったことではなく、僕たちの大切なカラダの全てに言えること。アルコール依存症を患い、今のところは断酒が出来ていると言っても油断大敵です。まぁなんとかお酒を飲まない1年間をすごすことは出来そうなので、毎日毎日をふだん通りに大切にしていこうと思うこの年末でした。

ということで恒例の年末ジャンボ宝くじ。買い忘れのないように。

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tora

アメリカでは最近 Merry Christmas! ではなく Happy Holidays! と言うらしい。非キリスト教徒に対する配慮だとか。

お祝いのカードは二つに分けられ、1つは季節の行事が関係したシーズナルカード。もう1つが、誕生日やアニバーサリーのときに送るエブリデイカードです。

アメリカとカナダの祝日の1つにThanksgiving Day(感謝祭)があります。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日です。

アメリカの場合、Thanksgiving Dayが終わってからニューイヤーまでをホリデーシーズンと呼びます。ホリデーシーズンはシーズナルカードが最も多く使われる時期で12月に入ると家族や友達、仕事関係の方々にカードを送ります。

日本では冬のカード=クリスマスカードのイメージが強いですが、海外の場合は宗教上、クリスマスをお祝いしない人もいますので、クリスマスカードとは言わずにホリデーカードと呼ぶことが多いそうです。

そのためメッセージもMerry Christmas!ではなく、Happy Holidays!やSeason's Greetings(季節のご挨拶)などがポピュラーなのだとか。

ショッピングモールとかで季節の装飾からサンタクロースや樅の木を外し、緑と赤の組合せを赤一色に変えるなど、ちょっと僕らの想像を超えた感じになってたりして。一方で、そういう動きを反キリスト的なるものとして排撃しようとする人たちもいるとか。かなりデリケートな、いや、かなり政治的な問題になってきたみたいだ。

一方僕らのクリスマスは、子供がサンタさんからプレゼントをもらうという、のどかなものだ。子供の時にまずそういう形で触れて、その延長上に大人のクリスマスもある。それはカップルにとっても特別な日になり、恋人はサンタクロースなんてヒット曲も生まれた。

欧米と比べて無邪気なもんだ、と言われるかもしれないが、日本は昔から宗教が入り混じった世界であまり頓着せずに暮らしてきたからね。

ぼぅ~っとしてると、ジングルベルが聞こえてきてアッという間にクリスマスが来ますよ。

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neko


治療が必要なのに治療を受けていない人の割合を治療ギャップというらしい、アルコール依存症はこれが極めて高い。国内の潜在患者数は約100万人と推計され、治療を受けている患者は約5万人でわず5%しかいないのです。まぁ100万人で5万人という数字は15年以上前のだから、隠れ患者はもっと増えてる感じですが。

治療ギャップを高くする理由の1つに、これまでは治療方法が“断酒”しかないこと。自分の飲み方に問題があることを知りながら、どうしても専門医療機関には行きたくない。「酒をやめるくらいなら死んだほうがマシ」という心理ですね。むかしのボクもそう思いました。

かつての「アル中」と呼ばれ、仕事もせず、朝から晩までずっと酒を飲んで酔っ払っているイメージだ。しかし、そんな絵に描いたような患者ばかりではない。毎日きちんと会社に行き、一見普通の社会生活を送っている人の中にも依存症患者は潜んでいる。たとえばブラックアウト(大量飲酒のせいで記憶が飛ぶこと)はそれほど珍しい現象ではないかもしれない。このブラックアウトが起こるようになった辺りが依存症との境界線。そもそも酒量をきちんとコントロールできていれば、記憶が飛ぶほど飲むことはありえない。ブラックアウトは酒量のコントロールが利かなかった証拠であり、依存症の入り口というわけ。

酒は楽しいものだが、一方で注意が必要な“合法ドラッグ”でもある。飲みすぎは多くの病気のリスクを高くし、アルコール依存症にも直結する。重症の依存症になってしまえば好きな酒も飲めなくなってしまう。私たちのようにならないように、好きであればなおのこと常に“減酒”を心がけて末永く節度ある酒を楽しみたいものです。

酒という煩悩が人より強かった分、手放すのに苦労したけれど、これを手放せたらどんだけスッキリするだろうという期待もある。僕らはどうせいつかは手放さなくてはならない、だったら先に手放したもん勝ち。

お先に次に行こう。元の木阿弥にならないように芯の部分での注意が肝要・肝心(笑)

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tori

オリンピックで活躍した若いアスリートなどが少し過去の自分を振り返って、「まぁ・後悔したくなかったから、一生懸命やりました」みたいなことをインタビューで語っているのをよく耳にしました。

この後悔したくないという気持ちが、どうもしっくり来ないのです。後悔するからこそ進歩する、そんな風にボクは思うんだけど。

「しまった。あのときこうしておけば良かったのか!」「もっと時間をかけてやっていたら今頃ちゃんとできていたかもしれない」「あれさえやらなければ、こんなことにはなってなかったのに」などという、そんな気持ちこそが、「次はちゃんとやろう」というモチベーションになると考えます。

ボクの感性では「間違っていたら後悔すればいいや。後悔したって構わない、信じる通りにやってみよう」というのが大抵の場合のボクの決断であり、そして自分の判断がそんなにしょっちゅう正しいわけがないので、しょっちゅう後悔することになります(笑)

でも、それで良いのです。

後悔したくないという思いが自分の重荷になる方向に働きませんか。ボクの場合は、下手に後悔したくないなどと考えると、不安感が強まり、体が強張ってしまい、判断力も行動力も失って何もできなくなったりします。朝一番のティーショットでチョロするイメージ、これって何百回も経験してますからねぇ~。

もちろん、後悔したくないから頑張るというロジックも解らないではないです。ただ、その言葉を聞くと、きみは生涯後悔することなく人生をやり過ごしていけるのかと訊きたくなってしまいます。

ああ、あんなことやるんじゃなかった、こっちをやってからやるべきだった。毎日が後悔の山です。でも、累々たる後悔の山の上にしたたかに立つことによってしか、遠くにある成功や幸福には手が届かないのだと、ボクは感じています。

「後悔したくないからやろう」のほうが自分にはフィットしていて、自分を奮い立たせる材料になると言う人に「それではダメだ」とまで言う気はありません。

もちろんアルコールについての後悔が一番多いのですが、生きて行く感性の違いについては、人それぞれですもんね。

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neko

昨日の夕方はちょっとの間にものすごい量の雨が降った。だが、日中は大体曇っていたり日が出てて、外出した際にも全く濡れなかったし、夜もお天気アプリ雨雲レーダーで激しい雨が降ることは知っていたが、まぁ日曜日だし自粛モードでほぼ家にいたのでそれほどの実感はない。

新作カッパを購入したので、覚悟をきめて3回続けて雨予報でゴルフに行ったのだけど、3回ともほゞ雨は降らなかった。キャンセルが多くてゴルフ場は空いていて気分よくラウンドできたけれど、まぁコースの経営的にはかわいそうかなってチョイ思った。慢性的大渋滞の帰りのアクアラインもルンルンだったし(笑)

梅雨入りしてからの平日の徒歩通勤でも、傘をさしたのは僅かだったように思う。今日も早朝は雨が降ったようだが、幸いにして降られなかった。通勤の徒歩道は乾いていて熱気で夏の予感さえ漂っているんだもの。

災害で大変だった地方には申し訳ないけれど、こんな感じが続くと、つまり、自分が家の中にいるときばかりに雨が降ると、なんとなく、ああ、今年の梅雨は空梅雨だなあなどと思ってしまう。

自分の認知能力が、あるいは、人間の記憶というものが非常に曖昧であることは先刻承知しているつもりではあるが、こういうことが続くと、改めてそのことを実感する。

自分が濡れなければ雨は降っていないのですものねぇ(笑)

夏、イコール生ビールという条件反射も、幸いにしてほゞ薄れていることを実感できている。61歳の夏。

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benz

NHK BS から録画しておいた『わが心の大滝詠一』を観た。大瀧詠一ゆかりのミュージシャンをバックに、彼の作品を何人かの歌手が歌うのと短めのインタビューによる構成。ナレーターは爆笑問題の田中。インタビュー部分には松本隆や萩原健太による追憶や解説もある。

『さらばシベリア鉄道』の録音中に「この歌は女声のほうが向いている」ということになって太田裕美が起用されたとか、ロンバケの作詞を頼まれた松本隆が、実の妹が急死してとても歌詞が書ける状態ではなくなって、大瀧に断りを入れたら「書けるようになるまで待つよ」と言われたとかの興味深いエピソードもたくさんあった。

それにしても、鈴木茂も萩原健太もすっかりおじいさんになってしまったなあ、と少し驚いた。トップとラストは大瀧詠一自身のボーカル・トラックに演奏をかぶせたやつ。

キョンキョンとはかぶせてデュエットも。同じように年をとっても、小泉今日子も薬師丸ひろ子も、僕は若い頃からのファンだし、今でも本当に素敵だなぁ~と思う(笑)

スタジオの演奏は井上鑑が総監督兼編曲。鈴木茂を筆頭に、浜口茂外也やら吉川忠英やら中西康晴やら、いろんな人がいる。しかし白井良明がストローク専門のアコースティック・ギターというのは、ももったいないと思った人が多いのでは。

他に歌ったのは氷川きよし、BEGIN、小林旭、横山剣、TARAKO、鈴木雅之、大勢が歌って、一番驚いたのは島津亜矢という人。僕はこの人のことを全然知らないが、『風立ちぬ』を歌った彼女は驚くほど美しい声で、驚くほど正確な音程で、驚くほど表現力があった。

最後に『幸せな結末』を持ってきたのは、そのタイトルになぞらえたのだろうけれど、これはちょっと失敗かなと思った。そんな言葉遊びに興じることなく、もっと他に名曲と言って良い作品はたくさんあるのだから、そういうので締めるべきではなかったかな。冒頭が『君は天然色』だっただけにちょっと見劣り、いや聴き劣りがした。

でも、いずれにしてもとても楽しい、良い歌番組だった。

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111

2年続けて緊急事態宣言下のゴールデン・ウィークが終わりました。では、去年は一体どうやって過ごしていたのでしょうか。

僕の場合は所謂カレンダーアプリに簡単なメモを書いているので、昨年の今日、一昨年の今日に何をしていたかは確認できる、まぁ書いてあればだけれど。それで改めて確認してみたら、去年と今年でほとんど差がない。笑えてくるぐらいに差がない。

基本、家にいる。近所のオオゼキや一駅歩いてイーオンに買い物には行く。散歩に行く。ひとりでも行くしふたりでも行く。ふたりで行く場合は長い距離を歩いたりもする。相方は丸子橋からガス橋を廻って早朝ジョギングをしている、なぜか一回だけ写経をしてた、、、。

あとは録画しておいたドラマや映画を見たり、ゴルフの練習にリンクス新川崎に行ったり、YouTubeでお気に入り先生のヨガをやったり…。

それほど大きなストレスはない感じだよね。これが30年前だったら大きなストレスがあっただろうなと思う。一般的に年末年始と GW が、長めの休みを取って遊びに行ける唯一のタイミングだったからね。

だから、まぁなんだかんだ閉塞感はあるけれど、この時期に外出と言うか、遊びに行けなくても大したストレスはないのである。

また別の時期に行けば良い。問題はその別の時期が一体いつになったら訪れるのかということだけだよね。家にあると飲んでしまうから、酒類の買い置きはほどほどに(笑)

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冬至を過ぎると少し嬉しい。夏至を過ぎると悲しくなる。夏は好きな季節だけど、最近の夏は地球温暖化で亜熱帯化して相当あつくるしい。しかしそういうことは関係がない。暑いのと寒いのと、どちらが過ごしやすいか、といった問題でもないのです。

冬至を過ぎると、日がどんどん長くなるのが嬉しい。

ここが山の頂き、ここが谷の底とはっきり分かっているのなら、山頂よりも谷底のほうが好き。これ以上は日が短くならないという事実に心が励まされるのです。

まぁ山頂よりも谷底に安堵するのが僕らしいメンタリティであり、アルコール依存症として僕のパーソナリティであるのかもしれない。アル依の関係で底つきは十分に体験したことだしね(笑)

底つきというのは酒の魔力にギブアップすること、酒の誘惑に対しての無力さを受け入れるということ。

僕らは酒を飲みながら人間らしく生きることはできないし、酒をやめなければ生きていけない。底つきは知識として知っているだけでは効果を発揮しない、本当に酒を卒業できていれば申し分ないけれど、長年に渡ってできた心と脳の習慣は簡単には変わらないからね。

まぁそんな感じで冬至の時期に底をついたと言うか、今年もなんとか無事に通過できそうな安堵感というかねぇ。

そういうわけで毎年冬至を過ぎると少し心が明るくなる。緑内障ぎみの眼で暗くなる夕方に運転するのがイヤということもある。

そして、クリスマスがくる。子供の頃から今に至るまで美味しいものを罪悪感なしで食べられる日だから好き。

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Tee

アルコール依存症の典型的な症状、それは体内のアルコール量が減ったときに起こる離脱症状、禁断症状と言ったほうがわかりやすいですね。手のふるえ、悪寒、寝汗、イライラ、不安、焦燥感、睡眠障害などで、まぁボクらは全部思い当たります。ですが、こうした症状はアルコールを飲むと一時的に治まります。そのため、また飲むという悪循環が始まるのです。

人によっては吐き気や下痢、胃痛、動悸、高血圧といった症状もみられます。さらに進むと、うつ状態におちいり、ないものが見える幻視、ない声や音が聞こえる幻聴といった症状や、記憶障害なども起こすようになり、仕事や家庭生活にも大きな支障がでたり、最悪な事態になります。

アルコールを飲むと、私たちの脳の働きが変化し、緊張がゆるんだり、いい気持ちになったり、気が大きくなったりします。それが酔うということですが、普通は脳への影響は数時間程度で治まります。ところが、毎日のようにアルコールを多く飲んでいると、脳はその酔っている状態を通常だと判断するようになります。すると反対に、体内のアルコール濃度が低くなったときに対応できなくなり、さまざまな不快な症状があらわれるのです。

離脱症状がみられたら、すでにアルコール依存症になっています。できればそうなる前にアルコールを飲む行為自体を考え直さなければなりません、アルコール依存症の予防ですね。

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tiffany

このブログは 2009年9月から続けてきて、さすがに時代から取り残された感じがしてる。更新もサボリがちだし。

個人ブログはまだあるにはあるが、猫も杓子もやっていた時代と比べると半減どころではありませんね。そして個人ホームページとなると、これはもう過去の遺物めいている。これだけ技術が進歩し、表現が多彩になり、新たな記述の方式や部品が出てくると、Web の専門家でも何でもないただのアマチュアの日記としては、そう言うのに追いついていくのは青息吐息になってます。

ソーシャルネットワークは基本的に自分の知り合いや仲間に何かを伝えるものであるが、僕はそこを目指していない。もちろん知り合いが読んだって怒りはしないが、僕は常に不特定のアル依系の読み手を想定して書いている。

それから、タイムラインをどんどん下に流れて消えて行くソーシャル系のメディアではなく、どこかに一覧性のある目次めいたページがあり、そこからサイト内のいたるところが参照可能になっていて、過去に書いたものの繋がりをいつでも確かめられる形に捨てがたい魅力を感じている。アル依の初心者とかが色々とみてくれると嬉しい気がします。

更新が途切れがちだけど、自分の為に何とか続けていければと思ってる。当然自分が飲まない為に。多分僕がこれをやめるのは僕がボケたときなんだろうなぁ~、なんて、、、。

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iseta


さすがに FAX は要らないかなと、多少の不具合はあってもまだ辛抱して使おうと思えば使える電話機をFAX なしのものに買い替えようかと、、、。

皆そうだと思うが、スマホを中心にラインやメールでいろいろなやり取りをしている。当然口約束やメールでは済まなくて文書を要求されることもあるし、また中にはその文書をメール添付でと言う相手もいる。さすがにそれを FAX で送れと言う人は皆無になった。

自宅に関しては、もはや家の固定電話にかけてくるのは、怪しい売り込み以外には母親のデイサービスのお迎え連絡くらいなもの、FAX が送られてくることはないし、インクリボンが切れて10年近いかも。

PC を使い始めた頃、使う回数が減ってきた FAX をなんとかなしで済ませようと、PC にアプリを入れて FAX の肩代わりさせたこともあるが、あれはあれでちょっと面倒くさかった。思えば Modem の時代だった。世界は進歩して、その発想自体が飛んでしまった。

今やほとんどの知人が携帯にかけてくるので、FAX どころか家電自体がなくてもそんなに不自由はないのだが、携帯の番号を教えたくない相手に固定電話の番号を教えておくことによって、プライバシーを守る効果はそれなりにある。どこにいても捕まるという心配がなくなるのである。

携帯電話にずっと出ないでいると、後から「どうしたんだ」「何かあったのか」などと心配あるいは追及される恐れがあるが、家電であれば家にいなかったと言えばそれで済む。長期に家を空けていたのか、ちょっと飲みに行っただけなのかを説明する必要もない(笑)

ところで、FAX が不要であると同時に今や子機も要らなくなった。子機というのは本来一家に一台の世帯財であった電話機を個人使用に拡張するためのシステムであり、電話台から動かせなかった黒電話の可搬性を実現するための方策だった。

携帯の登場によってそんな必要はなくなったし、今では親機もワイヤレスになったし。買い替えれば、今まで FAX付き電話機が占めていた馬鹿にならないスペースが小さなワイヤレス電話ですっきりするのだけれど。コロナ禍給付金も出ることだし。

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honda

僕は昔から地蔵とか能面かと言われるくらい体や表情が固まっている感じで、高校の頃には僕のことを何があっても動じないみたいに思っている友人もいたが、実は若い頃から、いや、子供時代からずっと、心の中では激しい嵐が吹き荒れていたのである、それが切実な実感。

それが、社会人になって、いろいろ嫌なことや苦手なことをやらされて、それでもたまたま運が良くてポキンと折れてしまわず、結果的には鍛えられたわけで、次第に何が起きてもあたふたはしなくなってきた。いや、やっぱり、あたふたはするのだけれど、ビクビクとハラハラは減ってきたと感じてました。

自分では割合ストレスに強い人間になってきたような気でいたのだが、人生も中年というか中盤になってっくると、それなりに辛い事柄が重しになっているわけで。それがある日突然、ドーンと身体に出て来たのである。

40歳代前半頃だったかの単身で別居住まい中に、色々なことが辛くてアルコールで酔うことを知ってしまいました。それまでとは別の世界での酔いです。そんな訳でアルコール依存症、40代の10年間を失った。

まぁ運よく2009年7月久里浜病院にかかわることが出来て生還できたけれど、酒を飲み続けて逝きますか、一生断酒して生きますか。僕は後者を選んで今を生きてます。

そして、これからも続く飲まない人生のことだけど、いちいちビクビク、おどおどしていると暮らしにくいので、うまい具合にそれを避けられるようになっては来たとは言え、だからと言って自分はそんなに強い人間ではない。

まぁ腰が痛いとか、ヘモグロビンA1cが6になってるとか、フェブリク錠は一生飲まにゃならんとか病気自慢でもしながら、そして毎日薬も呑みながら、おおらかに生きて行きたいものであります(笑)

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fj

世間は新型コロナウイルスのニュースで大変です。なんとなく風邪について思ったこと。僕は親の遺伝で鼻があまり良ろしくない。鼻づまりが日常で匂いがわかりにくい感じ、慢性副鼻腔炎、昔は蓄膿症と言ってた。

普段から洟が出ても喉が痛くても、それが本当に風邪なのか不信に思えてしまうんだよね。様子見していて、いよいよ風邪だなと確信が持てたらそこで初めて風邪薬を飲むのですが、そんな風に確かめている間に悪化してたりしてね。「早めのパブロン」とはよく言ったものです。

そして、ひき始めて悪くなってくるのはたいてい平日で、しんどい思いをしながら仕事に行って、なんとかかんとか仕事をこなす。

そして、決まって土日にピークが来る。熱が出て、土日を寝て過ごす。まことに残念なことに、月曜の朝には会社を休むほどではないところまで回復していて、仕方なくだるい体を引きずって出社する。毎回、無理して働き、せっかくの休日もふいにしてしまうのだ。これが逆だったらどんなに良いだろうといつも思う。

土日は健康で楽しく遊んで暮らし、ウィークデーに風邪をひいて「忙しい時に悪いね」などと笑って堂々と休む。こんな風に言ってみたいけど、僕はいつも逆になる。

ところで、歳のせいと言うべきか、身も心も弱くなってきて、今シーズンは風邪かなと思った瞬間に風邪薬を飲んだ。すると喉の痛みが一日で消えた。まだ若いということかも。

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da


ドラマを観ていたら、私がどれだけ心配したかわからないの~!って怒るシーンがあった。考えてみれば、この怒っている人の精神構造は不思議なのである。
この人の怒りの中心は、あなたは何故私の気持ちを理解しないのか?ということであり、私がこれだけ思っているのに、あなたが何を考えているのか分からないという腹立たしさでもあるかもしれない。

しかし、それを逆から辿ると、私自身はあなたが何を感じ何を考えているか分からないのに、それを棚に上げて、私が何を感じ何を考えているかを、あなたが分からないことに腹を立てているのですということ。

最近の僕はこんな風には怒らなくなった。裏返せば、昔はよくこんな風に腹を立てていたなぁということ。

決して怒らなくなったわけではない。ただ、こういう感じの怒り方はしなくなってきた。それは、カッコ良く言ってしまうと、年を取って落ち着いてきたということになるのかもしれない。

こういう怒りは良くない。そう、僕は年を取って、これは良くないぞと思い直せるようになったということだ。

普段から僕の心中を察してくれているような人なら、その人が今回解ってくれないのは何故だろう? 何か理由があるに違いないと考えるべきところではないかな。

であれば、相手の顔を見るなり怒るのではなく、まず「どうしたの? 何かあったの?」と声をかけるべきではないか?

しかし、それは相手が自分にとって大切な人、愛しい人の場合だけだろぅ。世の中には憎たらしい奴もいる。そんな奴にはついつい腹を立ててしまうものだという反論があるのかもしれない。

でも、ものは考えようである。自分にとって大切でない人、どうでもいい人であれば、別にそんな奴に自分の気持や考えを解ってもらわなくても構わない。勝手に何でも言っていれば良いのである。

言ってみれば僕は、年を取って一気にここまで考えられるようになったということだ。管理人の仕事でクレーマーの罵詈雑言に無表情を装って耐えられるのも、そういう事かな。10年前なら一杯引っかけないとやってられないところですね。

まぁ、年を取るってこういうことではないだろうか? 違うかな? だから時々嫌な奴だと言われるのかな(笑)

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tokyo

考え及ばないことってたくさんあるんだなと思う。そして、そこに科学が進歩する余地があるんだろうなと思う。そこに気がついたり、最初に発明した人は凄い。そういうところに僕ら個人の単純な発想ではたどり着けない人間の英知の集積があるのかしら。

これだけ世の中のいろんなものが電気仕掛け、コンピュータ制御になると、停電になったらどうなるんだろう、とときどき心配になる。

でも、まず、停電自体が、僕らが子供だった頃に比べるとはるかに起きにくくなっている。そして、万一停電になっても、例えば緊急用の自家発電とか、いろんな仕組みでいろんなことを防ぐシステムができているのだ。そこに油断があったのはたしかだけど、この間の千葉県台風。電柱が軒並みたおれて大規模停電になったけれど、大きな病院は自家発電が機能していた。復旧するのに一週間ちかくかかって一般生活は大変だったろうと思います。

違う例を挙げると、新幹線の駅ぐらいでしか見かけなかったホームドアが、在来線や私鉄の駅に次々に導入され始めた時に、そんなことをしたら却って危ないのではないかと僕は大いに心配したのである。

ただでさえ電車のドアに挟まれる人がいるのに、そこにホームドアなどを設けると、今度はホームドアに挟まれる人、加えて電車のドアとホームドアとの隙間に挟まれる人が出てきて、危険度は3倍になるのではないかと考えた。

僕にはそもそも何のためにホームドアを設置するのかが分からなかった。そんなに人は転落するものだろうか? 落ちるとしたら酔っぱらいぐらいしか思いつかなかった。

でも、目の不自由な人が落ちると聞いて、あ、それは想像がつかなかった、と思った。自分が目が不自由でないから仕方がないと言えばそれまでだが、ホームドアに挟まれる人のことは考えついたのに、目が見えなくて転落する人のことを考えられないのは、つまり、そこが僕の想像力の限界なのである。東京パラリンピックが開かれるというのに、そう言うことに都民として全く自覚がないのですね。

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tisana


故人もきっと喜んでると思います。有名人の葬式でのインタビューでよく聞く言葉。ジャニー喜多川さんのお別れ会のニュースでマッチが話してた。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか。

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

そもそも葬式とか告別式とかいうものは死んだ人のためのものではなく、残された人たちの魂を鎮めるものだと僕は常々思っている。

だから、もしも僕が死んで、死んだ僕のために何かをしてやろうという人がいるのであれば、その人のやりたいように存分にやれば良いと思う。まぁ相方も含めて誰もいないと思いますが(笑)

僕自身としては、僕が死んだあと法律で定められた最小限のことをしてくれればそれで御の字である、最近流行りの小さなお葬式で。でも、もし遺族が望むなら別に東京ドームででも日本武道館ででもお別れの会をしてくれて構わない。僕は既に死んでいるわけで、そのことを喜びも悲しみもしない、と言うか、喜んだり悲しんだりする自分はすでにいない。

それが僕の死生観である。

先週、母が入院して、このまま逝ってしまったら。なんて考えていたら死生観という言葉が頭の中に出てきた。まぁ、単なる老人性喘息で1週間で退院したのですが。

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kamikakushi

 1つの思考にハマる視野の狭い人は、自分の考えや思い込みを反射的に相手に押し付けます。こういう人を残念な人と呼ぶそうです。アルコール依存症の人に多いと思います。
 もちろん、誰しも残念な状況に陥ることはあります、それと本質的に残念な人であることとは違います。本人は頑張っているつもりなのに目の前の問題から抜けられず、知らずに悪循環を繰り返したりします。
 まぁ空気を読まず、まわりから理解を得られないことが多いですね、そんな感じでもその雰囲気を自分でも感じて解っているならば大丈夫ですね。ちょっと立ち止まって、間をおいて全体性を見渡してみれば、自分の思考パターンだけにとらわれることはありません。冷静かつ客観的に判断し行動するように心がければ人に安心感を与えることができる、そして信頼される。少し幸福になれるかも。

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20161215_124630

 今年の秋で60歳、そしてキリの良い年に突入という時期には、僕らのような凡人でも人生を振り返る機会を持つことと思います。
 仕事のこと、愛について家族や友人のことなど、お金のこと、老後のこと。まぁ気が付けばいつも迷ってばかりで周囲の目を気にしてしまう生き方をしてきたし、典型的な中途半端な生き方。
 周囲を気にしてるくせに、よく大酒が飲めたもんだと不思議に思うこともある、そしてアルコール依存症になった、そしてお酒から解放されたら何となく気が軽くなったように感じてる今日この頃です。
 ささえてくれる家族がいたことに、今もいてくれることに感謝します。本当に心からささえてくれた母の愛情に頭がさがります、面と向かっては言えないけれど。
 ごはんを外に食べに行けば、隣で相方は生ビールからワインなどやってますが、家では飲みません。家にお酒を置かない約束だからね。酒飲みの相方も夫のために10年も耐えてると思うと頭がさがります、まぁ、健康には良いと思いますが。
 49歳夏に久里浜アルコール症センターに入院、当時を懐かしく思い出していたら。久里浜同期のTさんから腰椎すべり症の手術をするとの連絡、お酒には勝っていても、加齢には敵いませんね。

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hinako shibuno

 僕は小さい時から愛想が良くないとか無表情だとか言われてきたから、持って生まれた部分もあったのだろうが、しかし、ある時期からは意識して笑顔を避けてきた面がある。人と会ったらまず笑顔で挨拶、なんて言うのはとんでもない話で、ある意味潔癖で意固地な少年だった僕からすれば、別に何か面白いことがあったわけでもないのに笑顔を作って他人に取り入ろうとするなんて薄汚いことだった。
 おかしいことがあったとか、嬉しいことが起きたとか、そういう時だけ笑えば良いではないか。それでこそ自然である。他人の気を惹くために笑うなんて欺瞞ではないか、そんな風に感じてた。
 何も面白いことがないのにうまく笑えるはずがないし。面白いことがあったら自然に笑えるのである。それで良いと思っていた。
 そして、それに加えて当時の時代の傾向もあって、むやみに笑わないのが男の美徳だ、みたいな感じ方もあったのかも。言わば男は黙ってサッポロビール、みたいなものである。
 ところが、最近TVは「対人関係を良くするためにはまず笑顔」「笑顔で第一印象を改善しよう」みたいな話がよく出て来る。そして、僕は今ごろになって驚く「むやみに笑うのは欺瞞的だ」と思っていると思っていたのに。
 もうずっと、僕は「愛想がない」とか「挨拶をしない」などと言われ続けてきたが、僕自身はと言えば全くピンと来ていなかった。その秘密はここにあったのだ。笑顔の効用から始めて、そのことによって人に笑顔を勧めるのか、 ふーん、なるほど、そこから話を進めるのか。
 僕はこの年になって初めて、そんな考え方もあるのかと気づいた。笑顔で全英女子オープン優勝おめでとう、渋野日向子選手。

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sm

 年齢を経れば誰でも自然と大人になって行くのだと思ってた。 年月が経てば誰でも普通に成長するものだと思っていました。40代でもそんな感じで。そんな甘えがあったからアルコール依存症になったのかなって考えたりしていました。
 人として成長することは大変難しいことだと気づいているわけだけど。大人になるのも成長するのもきちんとした積み重ねがいる。きちんと努力する長い地道な時間がいる。それをちゃんとした人だけ、魅力的な大人になっているのだと思う。
 もう還暦です、そのあたりをさぼった人とさぼらなかった人の差が歴然と開いてくるのが自分でもわかってくる、悲しいことにその差を縮めることは不可能に近い。
 2009年7月30日に久里浜入院だから10年が経ちました。ボクの場合は由緒正しいアルコール依存症のひとりとして、これからも誠実に生きていくしかないのだけれど。
 そういうのとは別に、大人になる過程で子供な部分を大切にしたか、童心が残っているか、そんなことが歳をとっていくこれからの、自分に大切になってくるのではないかと考察。

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apolo11

 ボクらの親の世代は、戦争を知っている人達。僕らの名前を覚えてほしい、戦争を知らない子供たちさと開き直ったのは、ボクらより10歳上の世代で、その世代には共感できなかったと言うか子供だったからよく知らなかった。彼らは日米安保条約反対闘争を主導し挫折した世代、そして団塊の世代。
 ボクたちは東京オリンピック、大阪万博、札幌オリンピック、アポロ11号みたいな、お祭りばかりの腑抜けた平和世代。
 何だか、ボクらがたどり着いたらいつも終わってた感じ。戦争も安保もベ平連もフォークも。ビートルズでさえ僕らが中学生になるのを待ってくれないで解散だったし。ボクらが生まれてくるずっとずっと前にはもう、じゃなくてボクらが10歳の時アポロ11号は月にいったというのに。アポロ計画の技術レベルは、今の電卓に使われている程度のものだった。
 苦笑しているしかなかった世代。そしてボクらはやがて老い始める。苦笑しながら老い始める世代。

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The_Beatles_and_Lill-Babs_1963

 ボクはビートルズが解散してから後追いでビートルズを聴き始めた世代である。もちろんビートルズの存在は知っていた。マッシュルームカットだとかエリザベス女王から勲章をもらったとか、幼稚園児の頃に羽田空港で大騒ぎになったり、ヒルトンホテルに泊まったとか、社会現象として知ってはいた、でも彼らの音楽を理解するにはまだ成長が足りなかった世代なんだ。
 そのおかげでボクらの世代は、親やその頃の大人の人たちによって変な先入観を植え付けられてしまったと今になって思う。特に祖母はビートルズを下手だと言った。それは例えば美空ひばりよりジョンやポールが下手だという意味だ。そう言われると悲しいことにそんな気がしないでもないのだが、でも、美空ひばりとビートルズを比較することのほうがおかしい。そして英国のビートルズも日本のグループ・サウンズも十把一絡げにして下手と言うことだった。
 その後の J-POP を支えた作曲家やミュージシャンも輩出しているので、巧いか下手かはともかくとして、才能のあるメンバーがたくさんいたのは事実ですね。ただ、あんまり巧くない GS も確かにいた。そして、小学生の僕らにとってはビートルズより GS のほうが親しい存在だったこともあり、「GS は下手」=「ビートルズも下手」という変な連想が働いてしまって、ボクはずっとビートルズが下手だと信じていたのかも。具体的にはどこが下手だということは全くないくせに、彼らは下手だという漠然としたイメージがずっと消えなかった、思い込んでいた。
 もちろん1970年にビートルズが解散して、小学校高学年になった頃から、もう少し聴き込んで行くうちに、ビートルズの音楽的才能に少しずつ気づき始め、コード進行やコーラスワークに魅入られたように聴くようになるのだが、なのに心のどこかに「ビートルズは下手だ」という刷り込みがしっかりできてしまっていたように思う。

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sendai

 人は誰でも、何らかの 生きがい を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものであると捉えることができます。
 生きがいという言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。
 一般的な日本の中高年が「生きがいを感じるとき」について新聞によると、孫など家族との団らんの時(48.8%)が最も多いそうなんです。子供のいない我が家はちょっとショックな結果だけど。
 何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは人それぞれ。調査によると健康状態や身近な人との関係が、生きがいに深くかかわっていることが読み取れます。健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが生きがいを高める大きな要因のようです。 
 近い将来というか、早ければあと15年くらいかもしれないけれど、孤立して孤独死しそうな予感がしてる。

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tokyo st.

  若いころは、こっちの気も知らないで、これだけやってやってんのに、あまりにも自分勝手じゃないかよ~、などとよく憤慨したものだ。
 年を取って今考えてみると、そうやって怒っている自分もまた相手の気も知らずに、相手の恩も感じずに、結局自分勝手に怒っていたにすぎなかったのだなあという気がする。常に相手の身になって考える優しい心構え、などという薬臭いことを言っているのではない。相手の心中を察せられないのは、単に観察力の不足であり、思慮が足りないのである。
 中年になって、恩を仇で返すような真似をされると、そうか、こいつはそこまで追い込まれているのか、そこまで余裕がないのか、と考えられるようになってきた。いや、あくまで自分ではそう思っているというだけだが。すこし永く生きてきたから自分が相手に対して誠意を尽くしたことが相手にとってはほとんど意味も値打ちもないなどというようなことがあることを実感として知っている。
 そんな風に人は落ち着いてくるのではないかと思う。そして落ち着いてきた頃には、人生の坂を転がり落ち始めていることに気がつくのである。

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elf

 この日記を書き始めて10回目の夏を迎えようとしている。10年書いてみて自分の心の中にあるものを形にすることの難しさ、楽しさを考えながら、なんだかんだ言って自分は幸運だったと考察する。
 自分の気持ちをどう表現するのか、思いをいかに人に伝えるか、言葉や文章、表現力というのは難しい。表現力とは子供の頃からの体験とか教育が基盤にあるんだろうけれど、テクニカルな意味では訓練や練習は必須なんだよね。物書きを職業とすることは大変なことだと思う、だから努力や勉強は大切なんだよ。
 帰路、生暖かい風の中、遠くで雷が聞こえた。きっと遥か遠くに落ちた雷なんだろう。空を見ると予想外に南西の空に雷雲の塊がある、幾何学模様のなんだかアンバランスで不思議な空。そして、きっと今年も、いつの間にか梅雨があけて、本格的な夏になるんだろう。

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hige

 明治のころはいざ知らず、僕が生まれた昭和の中ごろにはひげを生やしている人はあまりいなかった。社会人になった昭和の終盤には、髭を伸ばしてる一般人は少数派だったように思う。
 その少数派、同じひげでもちょっと違うのは、口髭の人がほとんどで、次いで口髭とほお髯とあご鬚を全部繋がった状態で生やしている人、大体はこのどちらかだった。
 あご鬚だけを生やしている人なんて、ピンキーとキラーズのルイス高野かレッツゴー三匹の長作くらいのもので、一般人にはほとんどいなかった。特に若い人であご鬚だけを生やしているのは非常にアンバランスな印象があって、そんな奴はほとんどいなかった。
 それが、平成に入ったころからかなあ、ヒップホップ系の連中から広まったのか、今では街中にあご鬚だけを生やした若い人をけっこう見るようになった。
 そうなると全く髭が薄くてひがんでいた僕も、ひげを生やしたいという欲求が失せてしまった。思えば僕はひげに憧れていたのではなく、ひげが時代の中で保っていた異端性に憧れていただけなのだろうと思う。モンゴロイド系の人は剥げて髭が濃い、朝鮮族っぽい僕のような平たい顔俗は剥げないけれど髭が薄いという方程式があるのかないのか。
 僕らは長髪に憧れた世代でもある。少し上の世代はすでに長髪を実践していたが、僕らはまだ小中学校の校則に縛られて髪を伸ばせなかった。今考えてみれば、あれも長髪そのものにではなく、長髪が時代の中で与えられていた反体制の象徴的な部分に憧れていただけなのだろう。だから、長髪が普通になってしまうと僕らは長髪への情熱を失ってしまった。
 ひげも生やさず長髪にもせず、僕らの世代は随分ツルンとした人生を送っているのかもしれない。

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otsu

 まだ子供のころに、なんでこんな変な味のもの食べるんだろうと思っていたのに、大人になったら平気で食べているものがあります。
 例えば、蕗フキ。どんな料理法であれ、これが夕飯の食卓に出ていると嫌だったなぁ。今でこそ、別に好きだと言う訳ではないけど、あれば食べる。そんなに美味いというものでもないが、少なくとも乙な味だ、ぐらいには思う。
 似たようなところでは、ピーマン、ゴボウとかゼンマイとかヒジキとか椎茸とかが嫌だった子供も多かったんじゃないかしら、僕は干し椎茸が一番苦手で、残して母親に厳しく叱られた記憶が消えません。無理矢理飲み込んでたよね。

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 アルコール依存になりやすいパターンというか、きっかけで多いのは寝酒です。眠るために飲むのが出発点と言う人が多い。依存とは量が増えていく、回数が増えていく、ついには朝から晩まで飲んでいる状態となります。 頭のいい人は夜になるとますます頭が冴えるので強制的にシャットダウンするために酒を飲む人が多いのです。
 ですが、飲めるタイプの人間は多く飲んでも眠くならず、どんどん酒量が増えていきます。酒で高揚感を得るといいますが、脳が誤作動しているだけと思います。心の闇を酒で晴らす、それをやめるために心の闇に切り込む、というけれど心の闇などだれもが持っています。抑制がとれて逸脱行為がある、当たり前じゃないですか。昔はあの人は酒で身上潰した、とか肝臓やられて早死にした、とかよく耳にしたものです。正常の範囲がだんだん狭くなって酒に溺れて死ぬのも見た目には哀れですが、本人は好きな酒で死ぬのは本望だと思います。
 アルコール依存症が治ったという事例を聞いたり見たりした事はありません。10年断酒しても1度飲めば元の木阿弥です。来月で久里浜に入院してから10年たつのです。

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2cv
 
最近では物忘れとか、人や物の名前が出てこないような現象がけっこう多いのです。 
 考えてみれば、物忘れの好いところも結構あると考察しました。人生、腹立たしいことにも出会いますが、少しすると殆ど忘れてしまい「何で腹がたったのか」分からなくなります。結果的に、腹立たしい時間が少なくてすみます。
 何かをやってやろうと大志を抱いても直に忘れるので努力をする必要がありませんなどと。人の名前や言われた用事を忘れるので、大きな期待を寄せられることもありませんよね。
 そいうことで、自分の趣味に合った人生を歩みやすくなるのです。まぁ逆に、物を覚えすぎる人は、「あれもこれもしなければ」と、苦労がついてまわりやすいかもしれません。
 ゴルフにしても、3パットしたことを次のティーイングエリアに行くまでに忘れていれば、ナイスショット。

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ダウンロード

 最近問題になっているのが、ごはん、麺類、甘いものなどの糖質を多く摂る人の脂肪肝が増えている件。昔からお酒の飲み過ぎが脂肪肝につながることはよく知られています、進行すれば、酒の問題で肝硬変や肝臓ガンで亡くなる怖い病気ですね。
 今、アルコールを飲まない人の間で脂肪肝が増えているそうです。糖質の摂り過ぎによって、血中に糖が増えすぎると、インスリンが過剰分泌され、中性脂肪が肝臓に蓄積されてしまうのです。脂肪肝の人の10人に1人が、およそ10年間かけてNASH(非アルコール性脂肪肝炎)に進展していくとされています。
 お酒を飲まないけれど甘いものが好きという僕らはNASHに要注意です。

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air

 追い込まれた感覚、強迫観念と言うものかもしれない。最近、その追い込まれている感が強いのです。
 考えすぎというか。ふつうの出来事を事実以上に心の中で膨らませてしまって、不安感を増幅しているのだと思うのですが、もう後がないという感覚も手伝って、その追い込まれた感じが心の中で強まるのです。
 追い込まれているという事実が、追い詰められているという感覚になり自分で自分を圧迫している状態ということなのかしら。これを、プレッシャーと言うのでしょうか、きっと。
 あっこれは、断酒とは全く関係ない要因です。まぁ、ゲッソリ感というか体重も2kg減ったし、良しとしますか。

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rp

 夢の中でこれは夢だと分かっているというような話をよく聞くけれど、僕は昨日までそんな経験が全くなく、果たしてそんなことってあるんだろうかと俄に信じられなかった。何かをしている(あるいは、場合によっては、何かに追い詰められている)自分がいて、それを客観視している自分がいるという体験はしょっちゅうしている。でも、それは起きているときだ。眠っているときにどうして自分が夢の中にいると分かるんだろう、とずっと不思議に思ってきた。
 ところが今朝見た夢でその謎が解けた。生まれて初めて僕も夢の中でこれが夢だと分かったのである。それは僕が考えていた状況とは違って、夢の中の僕の判断だった。眠って夢を見ている僕が何故か夢の外側から醒めた頭脳で「これは夢だ」と判断しているのではなく、「夢の中の僕が『これは夢だ』と思っている夢」を僕が見ているだけのことである。なーんだ、そんなことだったら何でもアリではないか。
 このことをみんなは「それが夢だと分かっている」と言っていたのか、と唖然とした。それは夢の外側から客観視している自分が存在するということではなかったのだ。単に「これは夢だと思っている夢」を見たという話だよね。小説の中に出てきそうなストーリーではある。

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