アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

カテゴリ: 久里浜・アルコール依存症

mini

知っておきたい「アルコール依存症の診断基準」

お酒が好きで、たくさん飲むという人は、このまま飲み続けているとアルコール依存症になるのではないか?という不安がありますよね。アルコール依存症にはどのような診断基準があるのでしょうか。

この診断基準はWHOの『ICD-10』と呼ばれるものです。以下のような6つの項目があり、このうち3つ以上に当てはまると依存症だと診断されます。

①強迫的な飲酒の欲求...飲みたいという強い欲求が湧き起こる。
②飲酒に関するコントロールの喪失...飲酒の開始•終了や酒量をコントロールできない。
③離脱症状...飲酒を中止したり量を減らしたときに離脱症状(手の震え、発汗、吐き気など)が出る。その症状を和らげるため飲酒する。
④耐性...同じ量では酔わなくなり、酔うためにより多く飲む。
⑤飲酒中心の生活...飲んでいる時間が長くなり、それ以外の楽しみが生活の中でなくなっていく。
⑥問題が起きても飲酒がやめられない...肝臓の障害や抑うつ症状などの問題が起きても飲酒を続ける。

お酒を日常的に飲んでいるうちに、アルコールに対する耐性ができ、徐々に量が増え、次第に飲酒をコントロールできなくなり、アルコール依存症になっていきます。つまり、『大酒飲み』といわれる方と依存症の方の境界線ははっきりしていないのです。日常的にお酒をたくさん飲んでいた人が、気がつくと依存症になっていて、あっという間に症状が進行していくというイメージです。

アルコール依存症が心配な場合、どのような段階で病院を受診すればいいのでしょうか?
症状がかなり進んで、肝機能も衰え、仕事ができなくなるなど社会的な影響も大きくなってから受診することがほとんどで、治療としては断酒が基本。しかし最近では、お酒の量を減らすための減酒外来が増え、そこまで症状が進んでいなくても受診できるようになっています。飲んだ後に記憶がなくなることがたまにあるとか健康診断で酒量を減らすように言われたという理由で受診しやすいようになっています。

アルコール依存症の治療で断酒を基本としていると、途中で挫折して再び飲み始めてしまう人が後を絶ちませんが、もっと手前の段階で減酒を目的とする治療を行えば、患者のほうもぐっとハードルが下がるというわけですね。

手前の段階で受診するということ、これが大事です。

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アルコール依存状態であるかを判断する目安として、精神的な依存と身体的な依存の有無が目安になります。 精神的な依存が形成されると、飲酒量や飲酒時間を自分でコントロールすることが難しくなります。泥酔してしまうまで大量に飲酒したり、昼間から飲酒したりと、飲酒すべきでない状況でも飲酒を止めることができません。

問題があることを本人が自覚していて、周りから注意されるため、隠れて飲酒する場合もあります。ブラックアウトのため、酩酊時の行動を覚えておらず、酔いが醒めると自分の行いを詫びて、断酒を約束するものの、再び飲酒して問題行動を繰り返してしまうのも依存症の特徴です。

身体的な依存症状としては、アルコールへの耐性が高まって飲酒量が増えていくことと、離脱症状の出現です。離脱症状の不快感を避けるために飲酒するようになります。

飲酒時に問題行動を起こしたり、離脱症状がでても飲酒を続けてしまうのは、アルコールによる酩酊状態が、報酬効果を持つからです。不眠やストレスを解消しようと飲酒を始めた場合は、酩酊状態が自己治療として使われています。アルコールで寝付きが良くなったり、気分が高揚してストレスが緩和されたりすることで、飲酒が習慣化されていきます。

酩酊状態がもたらす報酬効果によって飲酒が習慣化することが依存症の引き金となります。その後、飲酒を止めようと思ってもやめられない状態となります。もはや自分でコントロールすることが困難となり、強迫状態とも呼ばれます。強迫とは本人が望んでいなくても、止めることが出来ずに繰り返されてしまう状態です。 強迫が生まれる要因として、アルコールを減らした場合の不快な離脱症状を避けたい気持ちが関与します。

飲酒によってストレスや不安が解消される快刺激を期待する一方で、アルコールを飲めなかった場合の不快な気分も想像してしまうようになります。 耐性が生まれて、飲酒時の快刺激は薄れていき、同程度の効果を得るには、さらに大量の飲酒が必要となっていきます。そして、離脱症状の不快さから解放されることが飲酒の目的に変わっていきます。このようにして依存に至ると考えられています。

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hino


大人になったら自分は一人前の人間になれると思っていた、小学生から中学生になっても、高校から大学生になっても、大人になれば色々なことに自信を持てるのじゃないか、みたいなイメージでいた。

でも、大学に入っても、成人になっても、社会人になった後でも、一向に自分が大人になったとか成熟したという感じは持てなかった。

30代、40代になったら、あるいは経営側になったらそういう感覚が出てくるのかなとも思ったが、いくつになっても自分は未熟で未成熟だという思いしかなく、ついにそのまま老境(笑)に達してしまった感覚。まぁお酒に負けたってのは少し関係があるかもね。

自分だけがそうなのか、それとも誰でもみんなそうなのかを知りたくて書いているわけではない。むしろ逆で、じゃあ大人になるとか成熟するって一体どういうことなんだろう。なにをもってそういう風に言い切れるんだろう、などとそんなことを考えている。

いずれにしても自分はこれまでもこれからも、ずっと未熟であるような気がする。心が子供だから飲んでいたってのはアリかな、断酒の継続が出来ていれば大人になれるわけでもないのは確認済、ゴルフも然りだなぁ(泣)

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cat

コロナ過で家飲み習慣ができて、そのまま続いて飲んでいて酒量が増えている例が多いそうです。楽だからねぇ~

減酒している人は日本に限ったことではなく、世界的に見ても増加傾向にあるという。酒量を減らしたいという思いの根底には、このまま飲み続けていると、アルコール依存症になるのではないかという恐怖感があるのだと思う。とは言っても、多くの人はそもそもアルコール依存症とはどのような状態で、どのような人がなりやすく、そしてどのような治療をするのか、よく知らないのではないだろうか。

基本のパターンとして、お酒を日常的に飲んでいるうちに、アルコールに対する耐性ができ、徐々に量が増え、次第に飲酒をコントロールできなくなり、アルコール依存症に徐々になっていく。つまり、普通の大酒飲みと、依存症との境界線ははっきりしていないのです。日常的にお酒をたくさん飲んでいた人が、気がつくと依存症になっていて、あっという間に症状が進行していくというイメージですね。

僕の場合は毎日飲んでいるうちに、いつもの量では酔わなくなり、しまいにはウイスキー等のハードリカーをストレートで飲まないと満足できなくなってしまい、そうこうしているうちに、いろいろあって久里浜病院で確定診断されました。角瓶の取っ手付きボトルでした(涙)

取っ手付きの角瓶をぐいぐい飲んじゃって、奥沢病院で今は亡きマーク院長のお世話になって毒抜き入院を何度も繰り返して、昭和大学病院精神科経由で久里浜アルコール症センターに行くように指示されたときは不安と期待というか、これで楽になれるのかもしれないなんて思ったものです。その時代の治療は断酒絶対主義でした。ベロベロになるくらい毎日のんで症状が進んで、肝機能も衰え、仕事ができなくなるほど飲んでクビになりかけてから受診することがほとんどで、治療は断酒が基本でした。

酒の量を減らすための減酒外来の開設が増えてます。そこまで症状が進んでいなくても受診できるような雰囲気も出てきています。

飲んだ後に記憶がなくなることがたまにあるとか、健康診断で酒量を減らすように言われたからなどの理由で久里浜病院を受診していたら、ちがった未来があったのかも。

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mini

花粉症は、「症」という文字がついていることから、症状を指す言葉です。その症状は実にさまざまで、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、じんましん、アトピーの悪化など、花粉によって起こる体のアレルギー反応の全てを指して花粉症と言います。これらの症状は、体が異物だと判定した花粉から体を守るための「防御反応」であり、花粉によって鼻水や涙が出るのは、異物である花粉を体外へ追い出すためっだったのです。

酒を飲むと、症状は間違いなく悪化します。アルコールによって体の毛細血管が拡張するからです。このとき鼻の粘膜が腫れ、一層敏感になり、くしゃみ、鼻水、鼻づまりといった花粉症の症状がひどくなります。また、アルコール代謝の過程で生成されるアセトアルデヒドによってアレルギー症状を引き起こす「ヒスタミン」の放出が促されることで症状が悪化するとも考えられています。

花粉症を悪化させないための対策としては、酔った状態で眠らないこと。酔っぱらったまま寝ると、毛細血管が拡張し、粘膜が腫れたまま眠ってしまうことになります。すると、翌朝まで花粉症の症状が悪化した状態が続いてしまうしうです。

二日酔いになるような深酒をしないことが大前提になります。たしなむ程度に飲めば、翌日、花粉症の症状がひどくなるのを避けられます。基本的に、どんなお酒でも飲み過ぎたら花粉症には良くありません。

花粉症の薬の中でも、ポララミンなどの眠くなる抗ヒスタミン薬を飲んでいる人は、お酒を控えたほうが無難です。これらを飲むと、脳にあるヒスタミン受容体がブロックされるのですが、その状態でアルコールが入ると、脳に与える影響が大きくなり、眠気をはじめとする副作用もひどくなります。

私たちのように、毎日酒を飲む人は、眠気を誘発しない薬を病院で処方してもらいましょう。花粉症の薬の中でも「第三世代」と呼ばれるルパフィン、ビラノア、ザイザルなどが「眠くならない薬」にあたります。僕はこの時期、ザイザル飲んでます。

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緑内障とは一言で言うと、視神経のダメージで視野が欠けていってしまう病気です。日本人の中途失明原因の1位となっていますが、早い段階で見つけて適切に治療を続ければ、一生を終えるまでに失明することは防げると言われてます、適切な治療の継続が重要なのです。しかし、現時点では緑内障を完治させることはできないため、治療は一生続けていかなければならないのです。僕も眼圧を下げる点眼薬の治療を10年続けています、最近の視野検査結果が良くなかった為に目薬が増えて3種類になった。正直なんとなく不安だよね。

それから眼科主治医に聞いてみたら、アルコールの飲みすぎと眼の病気の因果関係はないそうです。僕の場合は、久里浜病院に入って断酒する前の数年間、泥酔して目薬の点眼がおろそかになったことが悔やまれます。

緑内障と診断されると、たまに人生設計を変えるぐらい落ち込んでしまう人がいます。しかしかなりの高眼圧や末期の方以外は、じっくり治療に専念し、仕事や生活パターンを変えず、あせらず過ごすことが重要です。

とにかく、点眼治療の場合はきちんと点眼し続けて、検査を受け続けること、手術等をしても定期検査を継続することが重要です。

自覚症状がないときに、点眼を自ら行って通院し続けることはとても難しいと思いますが、緑内障の特徴を良く理解して、付き合っていくことが重要です。

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僕もまぁ、何度か引っ越しはしていて、結婚したり、単身だったり、人生いろいろあったおかげで、今住んでいる家がちょうど 9軒目かしら。どの台所でも必ず飲んでいました(笑)

台所は狭いところも広いところもあったけれど、僕にとって飲みながら料理をすることは喜びでありました、今は炭酸水でやってますのでご安心ください。

持ち家のときも賃貸のときもあったので単純に比較はできないけれど、この遍歴の中で感じるのはキッチンは進化しているということ。住居内の改善ポイントの最たるものはキッチンだと思います。料理は仕事だったり、趣味になったり、ライフワークですからね。

まずはコンロの進化、ガスから電気、IHに。玉子焼きには不便だけれど、掃除のしやすさの方が勝る。給湯システムやレンジ・ファンの改善。それらは単に使いやすさという点だけではなく、掃除のしやすさといった点でも隔世の感がある。どこを取っても昔の台所とは月とスッポンである。

色々な面でキッチンは長足の進歩を遂げたと思う。ただし、大きく変わり初めたのは 20年ぐらい前からではないかという気がする。ひょっとすると、料理をしない男たちがまだまだメーカーや設計を牛耳っていて、女性の意見が反映されていなかったのかもしれない。

冷蔵庫や洗濯機も大きく変わったとは思うけど、もう大きく変わる余地は残されていないのではないか。それに対して、台所スペース自体はまだまだ進化して行きそうな気がする。料理も後片付けも、あるいは料理や後片付けをしながらの家族との対話とかも、これからはどんどん楽しくなって行くのではないかと思う今日このごろである。

久里浜病院の東6病棟に入院中、隣に作業棟があった。リハビリの一環として木工作業班に属して、退院までになにか一品作ることを目標にしていた。15ミリの杉板を糸鋸で丸く切って、角を丸く整形したり、バーナーで炙って焦げ目をつけて木目を浮き出させて、布で磨いたりしてシブい焦げ茶の鍋敷きを製作した。

キッチンの棚で、オレンジ色のルクルーゼの鍋に敷かれて、今でも僕を見張ってる。

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久里浜病院入院中に、歯科にもお世話になったけれどウェブサイト見たら、井上裕之先生がまだいらっしゃる。懐かしいなぁ~、アル依は歯が無くなる率が高いからのハミガキ講座とか、面白くて良い先生だった。

若い人は知らないかもしれないが、歯磨きをするときに歯ブラシにつけるものを、歯磨き粉と呼んでいた。今でもそう言っている人は僕らの世代では珍しくないけれど、若い世代でもそういう言い方をする人はいるのだろうか、粉ではなくなって随分たつからね。今使っているのは、薬用デンタルリンスと書いてある液体です。

子供の頃、あれは粉だった。僕らの親世代は、今のチューブに入ったやつのことを、練り歯磨きと呼んで区別していて、ハミガキ用の粉に、水分を加えて練ったものがチューブに入っているという理解だったのだ。

では、歯磨き粉はどういう状態だったかというと、大抵は小さな缶に洗濯用の粉石鹸みたいなやつが入っていた。僕もそれを辛うじて知っている世代で、母方の祖母が愛用してたタバコライオンという喫煙者向けの歯磨き粉だけは随分長いことその形態で頑張っていたと記憶している。やにトリとしてザクトライオンと言うのがあったかしら。

どうやって使ったかというと、粉の入った缶に歯ブラシの先を突っ込んで、と言うか毛先でなぞって、粉を歯ブラシの毛につけて、そこに水を少しつけて湿らせてから歯を磨き始める。そうすることによって、粉が口の中でペースト状になったのである。

それってどうよって感じだろうけれど。家族全員が同じことをするわけで、ま、家族だから許せるとも言えるが、串カツ屋のソースに添えてある二度漬けお断りを守ってほしいと、今の人は思ったりするかもしれない。

まあ、しかし、昔はペースト状にしてチューブに入れるなんて発想も技術も多分なかったからそうなっていたわけで、それはもちろん日本だけのことではなく、どこでもそうだったはずだ。

英語でもハミガキのことは toothpaste と言うが、それは練り物状になってからの呼び方が今定着しているわけで。

しかし、当然英語圏でも最初は歯磨き粉だったはずで、じゃあ、その頃はどう呼んでいたのか? 今のハミガキが toothpaste だから、まさか toothpowder か?と思って辞書を調べてみたら、 tooth powder という表現が載っていた。dental powder という言い方もあったようだ。それのほうが分かりやすい気もする。

オンライン英辞郎で調べたけれど、ここでは「歯磨き」で引くと行為としての「歯磨き」しかなく、磨くための薬剤としては「歯磨き粉」とインプットしなければ訳語が出てこなかった。

意外にまだ「歯磨き粉」という表現は残っているのかもしれない。しかし、漢字で書くとやっぱり違和感があるよねぇ~。

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次の項目のうち、心当たりの項目がないかチェックしてみましょう。

①酒を飲んで仕事をサボることがある。
②飲んで家庭に波風が立つことがある。
③飲んで人から不評をかう。
④飲んだ後で深く後悔する。
⑤毎日、同じ時間に飲みたくなる。
⑥飲まないと眠れない。
⑦翌朝また飲みたくなる。
⑧外で一人でも飲む。
⑨飲むと家庭のことに無関心になる。
⑩酒のため経済的危機に陥ったことがある。
⑪おじけを除くために飲む。
⑫自信をつけるために飲む。
⑬不安からのがれるために飲む。
⑭飲むと友人を見下したくなる。
⑮飲むと仕事の能率がひどく下がる。
⑯飲むと向上心がなくなってしまう。
⑰飲んで完全に記憶を失ったことがある。
⑱飲んで仕事上のミスをしたことがある。
⑲飲んで医者にかかったことがある。
⑳酒のため病院に入院したことがある。

3個で、アルコール依存症の危険あり。
4個で、アルコール依存症の可能性がきわめて高い。

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Q1:酔うと人に迷惑をかけてしまう時がありますが、あまり覚えていません。酔い方にも違いがあるのでしょうか?

A1:お酒を飲むことで酔いがすすみ、酩酊と言われる一種の急性アルコール中毒の症状を示すことがあります。酩酊状態の大半は飲酒量に応じて酔いの程度が変化します(単純酩酊)が、飲酒量に関係なく異常な酔い方をする場合があります。これを異常酩酊といい、異常酩酊には複雑酩酊と病的酩酊があります。

複雑酩酊はいわゆる「酒乱」と呼ばれる状態で、気分が易刺激的になり、暴力的な言動や、興奮状態が長く続きます。自分の置かれている状況は理解できるため、行動に一貫性があります。部分的に記憶をなくすこともあります。血中のアルコール濃度が180mg/dL以上になったときに出現されやすいとされています。

一方、病的酩酊と呼ばれる状態は、血中のアルコール濃度に関係なく出現します。記憶をなくし、自分の置かれている状況が理解できず、行動に一貫性が無くなります。不安や興奮、ときに幻覚妄想状態をきたすなど、精神的に不安定な状態となります。また、お酒を飲んでいないときには見られないような攻撃性や暴力的な行動が突然出現する場合もあります。

このような異常酩酊の状態が、飲酒時のけんか、暴言、事故、犯罪行為などの原因となっている場合もあります。

Q2:アルコール依存症になったら自分で気が付くものですか?

A2:自分自身では気づきにくく、家族や職場の方が気づく場合が多いです。

依存症の本質的特徴とは、飲酒によって発生した何らかの重大な問題を抱えているにも関わらず、飲酒し続けるという状態のことを指しています。

この問題とは、健康上の問題だけにとどまらず、人間関係上の問題もあり、夫婦間の暴力や夫婦間でのコミュニケーションの問題として現れることもあります。また、社会的・法的問題として、飲酒下での事故、犯罪をきっかけとして問題飲酒を指摘されることや、職場では飲酒に関連する問題行動などから雇用問題に至ることがあります。

お酒を多量に飲む習慣となった場合、このような問題に自身で気づくことはなかなか難しく、認識できていたとしても、そのことを認めたくない心理が働くことも多いでしょう。

つまり、「私は問題ない。うまく酒を飲めている」と当事者が考えていても、ご家族や職場の方はとても困っていることが多くなるのです。治療現場の印象では、自ら受診に至る場合はまれであり、ご家族や職場の方が受診を勧めることがほとんどです。

つまり、アルコール依存症とは自分自身で気づくことがとても難しい病気であるといえます。

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※くだをまく、は何を巻いているのか?

酔っ払って、ぐずぐず不満を言うことを「くだをまく」というけど、このくだとは「はた織り」で糸を巻く時に使用する軸のこと。

糸を巻く「糸繰車」に置いて糸を巻くと、「ぶうんぶうん」という音が鳴るんだって。
その音や糸を巻くために繰り返す動作と、酔っ払いがぐずぐず繰り返し言っている姿が同じに見えることから「くだをまく」というようになったんだって。
酔っ払ってくだを巻いている人は、実は糸巻きしてるってことなんだね。

※飲めない人を下戸という理由

お酒を飲めない人を「下戸(げこ)」というけど、二つの由来があるよ。

ひとつは、日本の飛鳥時代に実施された律令制にまつわるもの。
当時は「大戸」「上戸」「中戸」「下戸」という4つの階級があったんだけど、階級によって、婚礼時に飲めるお酒の量が決まっていたんだって。
当然、上から順に、下に行くほど飲めるお酒の量は減るから、転じて下戸はお酒が飲めないという意味になったらしい。

もうひとつは中国の秦の始皇帝にまつわるもの。始皇帝の大事業である「万里の長城」の建造時、長城の上で日干し煉瓦積みの作業をする人を上戸、下で煉瓦を運ぶ作業をする人を下戸と呼んでいて、上の人は寒いからお酒が振る舞われ、下の人には饅頭(甘くない)が振る舞われたんだって。

その後、下戸=饅頭(甘い)をもらう人=お酒を飲まない甘党、となったらしい。

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aaa

アルコール依存症の治療は、まず治療目標を決めることから始まります。

以前は、アルコール依存症の診断イコール生涯の断酒と考えられていました。断酒とは、アルコールが含まれている飲料を一滴も口にしないことです。

なぜ生涯の断酒が必要かと言いますと、アルコール依存症になった人はどんなに長く飲酒しない生活を送ったとしても、再びアルコールを口にすると以前の病的な飲酒に戻ると考えられているからです。残念ながら依存症の人がコントロールして飲めるようにする治療法は存在しません。

人間関係や社会の信用が失われるような破壊的な飲酒をする人、肝硬変など身体合併症が重篤な人、過去に節酒、アルコールをコントロールして飲むことに挑戦しても失敗して依存症の再発を繰り返している人などは、生涯の断酒が必要と言えます。

しかし依存症には至っていない段階の多量飲酒者は節酒が治療目標になりますし、依存症と診断されるケースでも、止められないにしても減らすだけでも効果があると考える、いわゆるハームリダクションの考え方が医療者の間にも徐々に受け入れられています。ただし、依存症の人が節酒を治療目標とすることには条件があります。長期間続けられること、健康への影響がないこと、家族・友人、職場の人間関係など社会的にも悪影響のないこと、といった点です。

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koritsu

マウス1匹を1つのカゴに入れて16匹、個室です。一方で16匹をまとめて1つの同じカゴに入れます、大部屋ですね。

どちらにもアルコールより依存性の強いモルヒネ水を飲めるようにしたところ、1匹ずつカゴに入れたマウスの多くがモルヒネ依存になり、16匹の大部屋マウスはその内1匹だけしかモルヒネ依存にならなかったそうです。

そして個室でモルヒネ依存になったマウスを、16匹がまとめて入っている大部屋に移し入れてたところモルヒネ依存が改善方向に向かったという実験結果。

つまり依存の感じとしては、物質よりも環境ということを示唆していると思います。

依存症は叱責したり罰を与えることで良くなるデータはありません。アルコール依存症になることは人間としてダメだということでもありません。

少なくとも、世間から強いバッシングを受けるとか、廻りから止めろと言われて酒をやめようと思う可能性は限りなく低いということです。社会はそういう人を排除したがるのですが、それは問題を先延ばしにしているだけで、救うどころか孤立を深めてより依存症を悪化させかねません。

孤立することが一番だめだということです。あとは運を持っているか、親身になってくれる家族はいるのか、そして最後は本人次第なのですが。

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neko

年を取れば年々酒に弱くなっていくのは誰しも実感していること。生活習慣やがんなどに対する心配もある。そして、それでも飲む量をうまく減らせず、若い頃と同じように飲もうとして二日酔いになり、ブラックアウトしたりして後悔する……いい歳してこれを繰り返してしまうわけだね。

酒が好きな人にとって、一生健康なまま酒を飲みたいというのは、何よりも願っていること。だけど一生健康で飲むためには、50代で一度、酒との付き合い方を見直す必要があるのではないかと考えます。

50代で酒との付き合い方を見直そうと考えるのは健康に対する不安があるから。もちろん、60代でも健康への不安はあるはずだ。だが、多くの人にとって50代というのは、それまでの人生であまり感じたことのない体調の変化や、健康診断の数値の悪化に直面し、我が身を振り返って、飲酒をはじめとする生活習慣を見直す時期に当たるのでしょうね。

その後の人生において末永く酒を味わえることにつながります。逆に、若い頃と同じような飲み方を続けてしまうと、何らかの病気を発症し酒が飲めなくなるリスクが高まりますからね。

いつまでも健康でいられる適量についてとか、二日酔いのメカニズム、健診結果が悪い人が飲み続けるとどうなるかなど、酒との付き合い方を考えるうえでの基本となる知識を知る努力が必要になってくるのだと思っています。

まぁ、40代最後に久里浜に入院して色々なレクチャーを受けたけれど、一生飲めないということを理解しました、遅かったということです。

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anbatar


アルコール依存症は進行性の病気です。

飲み始め→精神依存に移行する初期→病的行動が始まる依存症中期→人生が破綻し始める依存症後期へと、徐々に進行します。

依存症中期からは軽い離脱症状が出て、飲酒のことで嘘をついたり、家庭内で問題が起き始めますが、たいていの人は必死に問題を隠して仕事をこなしています。

仕事に明らかな支障が出て、家庭崩壊に至ったりするのは依存症後期です。早く治療を受ければ受けるほど失うものは少なくてすみ、回復と社会復帰も容易です。ぜひ早期に治療を受けましょう。精神科に行くしかありません。

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tora

日本では意思が弱いから依存症になるのだとよく言われてきました。精神科の医師に言わせれば依存症に意思や性格は関係ありません。どんなに意思の強い人でもかかる可能性のある疾患です。しかも意思がつぶされてしまう病気ですから、一度かかってしまったら根治はなかなか難しい。もっとも重要なのは、依存症にかからないように予防することが大切。

予防というか再発防止ですが、依存症の治療に一定の効果を上げているのが、断酒会やAA(アルコホーリクス・アノニマス)といった自助グループです。非常に興味深いのですが、依存症の治療で効果を上げるためには、依存対象を「人」へと移すことが肝要なのだそうです。

もともとAAの発祥は、1935年、アメリカで1人のアルコホーリク(問題飲酒者)が別のアルコホーリクと出会い、それぞれの問題を語り合ったところからスタートしました。

つねにお酒を飲んでいないと気がすまなかった2人の人間が、お互いの経験を分かち合うその時間だけは、お酒を飲まずにいられた。そのことから自助グループとして世界的に広がっていきました。

つまりAAというのは、それまでアルコールというモノや飲酒という行為に依存していたのを、人への依存に変化させる行為とのことなのです。孤独によって依存症のリスクが高まるのであれば、孤独でなくなれば依存症が治る可能性も高まるというわけですね。

このAA発祥の話、今までしりませんでした。最近お一人様と言う言葉をよく耳にしますよね、男も女も独身ってのが多くなる傾向のようです。しかし、アルコール依存症予防の観点からは複数で楽しんで酒を飲めということでした。

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tyatora


勤務中に酒なんて… と思ったが、そりゃ監視の目がないわけだし、ランチのついでに軽くビールを一杯なんてこともできる。それでなくてもコロナ禍でさまざまなストレスが心身にかかっているのだから、酒を飲みたくなるのも当然かもしれない。

5リットルの業務用ウイスキーを買ってしまった人。大容量の酒が身近にあると、つい飲み過ぎてしまうので買わないと心に決めていた。コロナ過の事情もあってネットで業務用のウイスキーに手を出してしまったのだ。そして案の定、酒量が増えてしまった。

仕事が終わったら移動せずにすぐ飲めるし、終電を気にしなくてすむ。テレワークだと早起きしなくていいからダラダラ遅くまで飲んでしまう。旅行にも行けず、その分ぜいたくなテイクアウト料理や酒を買ってしまう。飲むことしか楽しみがない。等々、、わかりますけどね。

そして、アルコールの弊害がカラダのあちこちに表れ、エライことになってしまう。そう、このままではいけない。5リットルのウイスキーを買ってる場合ではないのだ。

アルコール依存症の場合、同じ病を抱える人とのコミュニケーションが「再飲酒の大きな抑止力」になっていたはず。人とリアルに会って話ができないことは、アルコール依存症を抱える方々にとって、大きな影響を及ぼしているようだ。オンラインで集まるにしても、Wi-Fiやパソコンなど環境が整っていない方も少なくない。

この変化にすぐ順応できる方は心配ないのですが、そうではない人は、何とかしてこの不安を忘れたい、ストレスを解消させたいという思いから、ついお酒に走ってしまうことも。また“ステイ・ホーム”が続くと生活にメリハリがなくなるため、お酒を飲むことで一区切りつけようとする人も多いようですね。

ストレスを緩和させるために酔っても、根本的な問題の解決にはならないし、現実は変わらない。頭では理解していても、つい飲んでしまう。酒量の増え方は、その人にとってのストレス指数を表しているのかもしれない。楽しいお酒なら良いが、逆に落ち込んでしまったり、「どうしてこんなに飲んでしまうんだろう」と罪悪感を持つようになると、かなりの危険信号。

感染拡大防止のため、今後も家にいる時間が長くなるのは必然です。アフター・コロナの生活様式に合わせた飲み方、酒量を今のうちに考えなければなりません。特に、飲んで罪悪感を抱いてしまうような方の場合、自死に至るケースもないとは限りません。自助会も対面で開催できない時代に、ストレスを貯めず平穏な心持ちを維持し続けるのは大変だけど、いつもの自分を思い出して耐えるしかありませんね。

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年寄りというか、ぼくら中高年が病気自慢の話で盛り上がるのは、それ以外に変わった話題がないからなのだなとぁ~と最近分かってきた。

話題・トピックスというのはきっと“変わったこと”を指しているのだ。病気と言っても、病気自慢ができるということはそこそこ元気で生きているわけだし、それ以外に変わったことがないというのはそれなりに良いことなのですよね。ぼくの場合は腰が痛い、脊柱管狭窄症手術を受けてから4年半たちますが相変わらずの痛み。まぁゴルフができる痛みだから、手術して良かったのでしょう。

痛みといえば膵臓、肝臓と同様に沈黙の臓器と呼ばれますね。つまり、少々問題があっても痛みなどの症状がすぐに出るわけではない。しかも、肺や胃、腸などと比べたら、マイナーな印象の臓器。

膵臓は黙々と働いてくれて毎日365日負担を強いられても頑張って働き続けてくれています、でもそれにも限界がありますね、年末の忘年会で痛めつけられてからお正月に突入するわけだから、すい臓だってタマリませんよねぇ~。

そうなると、ある日突然激痛が走り急性膵炎で入院なんていうことになります。そうとうに痛いらしい、2010年に急性膵炎を発症したお笑い芸人の河本準一さんが「生爪を一気に剝がされたような激痛が背中を襲った」というのだから、いかにその痛みが耐えがたいものかが分かる。考えただけでも恐ろしい……。

これは膵臓に限ったことではなく、僕たちの大切なカラダの全てに言えること。アルコール依存症を患い、今のところは断酒が出来ていると言っても油断大敵です。まぁなんとかお酒を飲まない1年間をすごすことは出来そうなので、毎日毎日をふだん通りに大切にしていこうと思うこの年末でした。

ということで恒例の年末ジャンボ宝くじ。買い忘れのないように。

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治療が必要なのに治療を受けていない人の割合を治療ギャップというらしい、アルコール依存症はこれが極めて高い。国内の潜在患者数は約100万人と推計され、治療を受けている患者は約5万人でわず5%しかいないのです。まぁ100万人で5万人という数字は15年以上前のだから、隠れ患者はもっと増えてる感じですが。

治療ギャップを高くする理由の1つに、これまでは治療方法が“断酒”しかないこと。自分の飲み方に問題があることを知りながら、どうしても専門医療機関には行きたくない。「酒をやめるくらいなら死んだほうがマシ」という心理ですね。むかしのボクもそう思いました。

かつての「アル中」と呼ばれ、仕事もせず、朝から晩までずっと酒を飲んで酔っ払っているイメージだ。しかし、そんな絵に描いたような患者ばかりではない。毎日きちんと会社に行き、一見普通の社会生活を送っている人の中にも依存症患者は潜んでいる。たとえばブラックアウト(大量飲酒のせいで記憶が飛ぶこと)はそれほど珍しい現象ではないかもしれない。このブラックアウトが起こるようになった辺りが依存症との境界線。そもそも酒量をきちんとコントロールできていれば、記憶が飛ぶほど飲むことはありえない。ブラックアウトは酒量のコントロールが利かなかった証拠であり、依存症の入り口というわけ。

酒は楽しいものだが、一方で注意が必要な“合法ドラッグ”でもある。飲みすぎは多くの病気のリスクを高くし、アルコール依存症にも直結する。重症の依存症になってしまえば好きな酒も飲めなくなってしまう。私たちのようにならないように、好きであればなおのこと常に“減酒”を心がけて末永く節度ある酒を楽しみたいものです。

酒という煩悩が人より強かった分、手放すのに苦労したけれど、これを手放せたらどんだけスッキリするだろうという期待もある。僕らはどうせいつかは手放さなくてはならない、だったら先に手放したもん勝ち。

お先に次に行こう。元の木阿弥にならないように芯の部分での注意が肝要・肝心(笑)

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ma


自分が好きな食べ物はいろいろとあって、その時代年代とともに結構変遷している。

例えば、オリーブ。オイルも好きだが実も好きだ。しかし、オリーブの実を初めて食べた時の自分の拒否感もまた記憶にしっかり残っている。

それは学生の頃に、ホテルのバーで何を思ったか飲んだマティーニのグラスに沈んでいたものだ。口に含んで噛んでみて、あまりの味に痺れそうな気がした。

その感覚は小さい頃、食卓にフキの煮物が出てきたときに、なんで大人はこんなもの食べるのだろう?と思った感覚にそっくりだ。その後も何度かオリーブを食べる機会に出くわしたが、感想は同じだった。輸入の瓶詰で良い物が入っていなかったのかも。

それがいつの間にか、好んで食べるようになった。たぶん、小豆島産の塩漬けオリーブを食して好きになったと思う。手摘みされたグリーンオリーブをうすい塩味で漬けたやつ。蕗の方はそれほど好きではないが、あれば食べる。季節を味わう感覚はあります。

思い起こせば、幼少の頃は好き嫌いが多かったが、今はたいていの食べ物は好きです。マティーニについては好きなんだけど、たぶん一生飲まないと思う。

あっ、ノンアルのマティーニ缶なんてのがあれば、、、。

ジン3~4に対してベルモット1が標準的とされ、これよりジンが多い場合はドライ・マティーニと呼ばれることが多い。ジンとベルモットの割合は好みや作る者によって様々である。元々はジン1に対してベルモット2程度の割合(アルコール度数にして約20度)であったが、その後に辛口(ドライ)なものが流行し、一時期はベルモット1滴の中にジンを注ぎ込むといったエクストラ・ドライ・マティーニなんてのもあったという。

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neko

昨日の夕方はちょっとの間にものすごい量の雨が降った。だが、日中は大体曇っていたり日が出てて、外出した際にも全く濡れなかったし、夜もお天気アプリ雨雲レーダーで激しい雨が降ることは知っていたが、まぁ日曜日だし自粛モードでほぼ家にいたのでそれほどの実感はない。

新作カッパを購入したので、覚悟をきめて3回続けて雨予報でゴルフに行ったのだけど、3回ともほゞ雨は降らなかった。キャンセルが多くてゴルフ場は空いていて気分よくラウンドできたけれど、まぁコースの経営的にはかわいそうかなってチョイ思った。慢性的大渋滞の帰りのアクアラインもルンルンだったし(笑)

梅雨入りしてからの平日の徒歩通勤でも、傘をさしたのは僅かだったように思う。今日も早朝は雨が降ったようだが、幸いにして降られなかった。通勤の徒歩道は乾いていて熱気で夏の予感さえ漂っているんだもの。

災害で大変だった地方には申し訳ないけれど、こんな感じが続くと、つまり、自分が家の中にいるときばかりに雨が降ると、なんとなく、ああ、今年の梅雨は空梅雨だなあなどと思ってしまう。

自分の認知能力が、あるいは、人間の記憶というものが非常に曖昧であることは先刻承知しているつもりではあるが、こういうことが続くと、改めてそのことを実感する。

自分が濡れなければ雨は降っていないのですものねぇ(笑)

夏、イコール生ビールという条件反射も、幸いにしてほゞ薄れていることを実感できている。61歳の夏。

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bar

世の中の変化が激しいせいなのか、もしくは先行きが不透明なせいなのか、将来について悲観的なニュースとか多い気がします。この先の予測は色々な説が飛び交っていて正解なんてわかるわけない、誰だって不安になりますよね。

コロナ流行、在宅でいつでも飲める環境が整って誘惑が多いわけだけど。飲まない人は飲まないし、だめな人は飲んでしまうんだろうなぁ。

酒と言うものは思っているよりも身近なところで依存のリスクがあるものです。一般的には依存症とは無縁と思っている方々、問題を過小評価しやすく、許容量を超える飲み方が続いていても依存症という言葉は頭に浮かぶことはありません、特に社会で現役の方にその傾向が強いかもしれません。この時期の家飲みは量を決めることが大事だとアドバイスします。

アルコール依存症の本質は決して本人の意志の弱さなどにはなく、アルコールが脳の機能を支配したのです、もはや自分の力では飲酒をコントロールできない状態になるのです。長期にわたり過剰に摂取すれば、誰でもそうなることは頭の片隅に置いといて下さいね。

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neko5


冬至を過ぎると少し嬉しい。夏至を過ぎると悲しくなる。夏は好きな季節だけど、最近の夏は地球温暖化で亜熱帯化して相当あつくるしい。しかしそういうことは関係がない。暑いのと寒いのと、どちらが過ごしやすいか、といった問題でもないのです。

冬至を過ぎると、日がどんどん長くなるのが嬉しい。

ここが山の頂き、ここが谷の底とはっきり分かっているのなら、山頂よりも谷底のほうが好き。これ以上は日が短くならないという事実に心が励まされるのです。

まぁ山頂よりも谷底に安堵するのが僕らしいメンタリティであり、アルコール依存症として僕のパーソナリティであるのかもしれない。アル依の関係で底つきは十分に体験したことだしね(笑)

底つきというのは酒の魔力にギブアップすること、酒の誘惑に対しての無力さを受け入れるということ。

僕らは酒を飲みながら人間らしく生きることはできないし、酒をやめなければ生きていけない。底つきは知識として知っているだけでは効果を発揮しない、本当に酒を卒業できていれば申し分ないけれど、長年に渡ってできた心と脳の習慣は簡単には変わらないからね。

まぁそんな感じで冬至の時期に底をついたと言うか、今年もなんとか無事に通過できそうな安堵感というかねぇ。

そういうわけで毎年冬至を過ぎると少し心が明るくなる。緑内障ぎみの眼で暗くなる夕方に運転するのがイヤということもある。

そして、クリスマスがくる。子供の頃から今に至るまで美味しいものを罪悪感なしで食べられる日だから好き。

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corona

新型コロナウィルスの猛威がいつごろ収まるのか見通しが立たない。皆なんとなく不安な日々を過ごしてる。お出かけや外食がままならなくなり、楽しいことが出来なくて窮屈になった。僕もそうだけど、多くの人が「コロナで」「コロナのせいで」などと言っています。

まぁ考えてみれば「コロナ」って、元々は悪印象の言葉じゃぁなかったよね。僕が人生で最初に出会ったコロナは自動車の名前だったトヨタのコロナやコロナマークⅡ。自分が車を運転できるようになる前、大人たちがカローラの次に乗る少し上級の車だと言っていたその言葉が、当然車好きの子どもたちの脳裏に定着していた。

その次のコロナは小学校で理科の時間に習った─太陽のコロナ。太陽の大気層の最も外側にあるガスの層で、普段は目に見えないが、皆既日食のときにはきれいな輪っかに見える。生きているうちに見てみたいなぁと当時から思ってた。

その後、お酒を飲めるようになってから知ったのがコロナ・ビールかな。渋谷辺りのバーでライム突っ込んで瓶のまま飲むのが流行ったよね、30年ぐらい前かしら。さんざん飲みましたぁ~(笑)

いずれにしても、コロナって以前はそんなものに代表される、そんなイメージの、つまり、決してイメージの悪くない言葉だった。それが、急にこんなことになってしまったことを、僕はなんか残念に思うのだ。コロナという名前の少年がいじめられたなんて話もあったし。正義のコロナが悪者のコロナに堕ちて行くのが残念だよね。

海外では covid-19 という言い方もそこそこ定着しているのだろう。発音しやすく憶えやすいという観点からこの名前が付けられたとも聞いた。しかし、英語で言うと covid nineteen は日本語のカタカナにして発音するには少し長過ぎる単語だ。

100年前流行のインフルエンザはスペイン風邪、だけど武漢風邪とかチャイナウィルスとはならなかった。そりゃあそうだよね、トランプぐらいしか言わないよね。そんなこと考察してたんだけど、まぁ決してコロナウィルスの撲滅には繋がらないにしても、少しは気分転換になるかもしれないし。

ならんか(笑)

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Tee

アルコール依存症の典型的な症状、それは体内のアルコール量が減ったときに起こる離脱症状、禁断症状と言ったほうがわかりやすいですね。手のふるえ、悪寒、寝汗、イライラ、不安、焦燥感、睡眠障害などで、まぁボクらは全部思い当たります。ですが、こうした症状はアルコールを飲むと一時的に治まります。そのため、また飲むという悪循環が始まるのです。

人によっては吐き気や下痢、胃痛、動悸、高血圧といった症状もみられます。さらに進むと、うつ状態におちいり、ないものが見える幻視、ない声や音が聞こえる幻聴といった症状や、記憶障害なども起こすようになり、仕事や家庭生活にも大きな支障がでたり、最悪な事態になります。

アルコールを飲むと、私たちの脳の働きが変化し、緊張がゆるんだり、いい気持ちになったり、気が大きくなったりします。それが酔うということですが、普通は脳への影響は数時間程度で治まります。ところが、毎日のようにアルコールを多く飲んでいると、脳はその酔っている状態を通常だと判断するようになります。すると反対に、体内のアルコール濃度が低くなったときに対応できなくなり、さまざまな不快な症状があらわれるのです。

離脱症状がみられたら、すでにアルコール依存症になっています。できればそうなる前にアルコールを飲む行為自体を考え直さなければなりません、アルコール依存症の予防ですね。

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neko


この頃、相方と夕飯を食べていると昔のことを思い出す。昔はこんなもの食べられなかったなぁ~、そうそう、こいつは大嫌いだったとか、これは昔はなかったよね、とか。

僕は好き嫌いの少ない子だったけれど、いくつか大嫌いな食材はあった。その大部分は克服していて、いや、今はむしろ好きだったりするのが面白い。

刺し身は鰤(ブリ)系統の魚が嫌いだったし今もけっして食べない。ハマチの養殖物なんて油がギトギトで餌の匂いがするような気がして嫌だった。その流れでカンパチ・ヒラマサ・シマアジのような肌色系の刺身が嫌いということなのです。養殖でも、鯛や平目は食べますが。養殖ハマチは最悪だった。

一般に子どもたちに不人気のピーマンや人参はそうでもなかったけれど、野菜系では干し椎茸が嫌いだった。母が作ってくれた、かた焼きそばのあんかけに必ず入っていて、椎茸だけ除けて残しておくと厳しく叱られたものですが、今は嫌いではない。相方は柿について、昔は嫌いではないけれど好きでもなかったとのたまう。今は剥いてデザートに出すと美味しいですとパクパク食べる。

若いとき、その味が分からなかったけれど、時がたって美味しく感じる食べ物ってけっこうあるのですね。そして2人で同じものを口にして、異口同音に美味しいと言うのがなんだかおかしくて嬉しく感じる。

蕗(フキ)も、なんでこんなものを食べるんだろうと思った。それは相方も同じことを思ったと思うけれど、今は美味しいよね。

久しぶりに食卓にカリフラワーを出して言われた。私ブロッコリーを初めて食べたのは高校に入ってからだった。そう、確かに僕らはブロッコリーより先にカリフラワーを知った。子供時代カリフラワーは食卓に出たがブロッコリーは出なかった。その時代の日本に出回ってなかったのかしら。

グレープフルーツは半分に切って砂糖をかけて食べると教わった日。母がイタリアのお好み焼きと言ってピザをオーブンで焼いた夜。新規な食べ物がどんどん現れて、いろんなものを試すうちに新たに嫌いになった食べ物もある。

そんなことを語らいながら、家で食事をするのが楽しくなってきた。何を食っているかではなく、何かを話しているのが良いと感じる。まぁ、この10年ほどお酒の出ない夕飯に付き合ってくれて感謝。まぁ、食前酒なしでOKな我が家はグルメとは程遠い存在なんだよね。

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tiffany

このブログは 2009年9月から続けてきて、さすがに時代から取り残された感じがしてる。更新もサボリがちだし。

個人ブログはまだあるにはあるが、猫も杓子もやっていた時代と比べると半減どころではありませんね。そして個人ホームページとなると、これはもう過去の遺物めいている。これだけ技術が進歩し、表現が多彩になり、新たな記述の方式や部品が出てくると、Web の専門家でも何でもないただのアマチュアの日記としては、そう言うのに追いついていくのは青息吐息になってます。

ソーシャルネットワークは基本的に自分の知り合いや仲間に何かを伝えるものであるが、僕はそこを目指していない。もちろん知り合いが読んだって怒りはしないが、僕は常に不特定のアル依系の読み手を想定して書いている。

それから、タイムラインをどんどん下に流れて消えて行くソーシャル系のメディアではなく、どこかに一覧性のある目次めいたページがあり、そこからサイト内のいたるところが参照可能になっていて、過去に書いたものの繋がりをいつでも確かめられる形に捨てがたい魅力を感じている。アル依の初心者とかが色々とみてくれると嬉しい気がします。

更新が途切れがちだけど、自分の為に何とか続けていければと思ってる。当然自分が飲まない為に。多分僕がこれをやめるのは僕がボケたときなんだろうなぁ~、なんて、、、。

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honda

僕は昔から地蔵とか能面かと言われるくらい体や表情が固まっている感じで、高校の頃には僕のことを何があっても動じないみたいに思っている友人もいたが、実は若い頃から、いや、子供時代からずっと、心の中では激しい嵐が吹き荒れていたのである、それが切実な実感。

それが、社会人になって、いろいろ嫌なことや苦手なことをやらされて、それでもたまたま運が良くてポキンと折れてしまわず、結果的には鍛えられたわけで、次第に何が起きてもあたふたはしなくなってきた。いや、やっぱり、あたふたはするのだけれど、ビクビクとハラハラは減ってきたと感じてました。

自分では割合ストレスに強い人間になってきたような気でいたのだが、人生も中年というか中盤になってっくると、それなりに辛い事柄が重しになっているわけで。それがある日突然、ドーンと身体に出て来たのである。

40歳代前半頃だったかの単身で別居住まい中に、色々なことが辛くてアルコールで酔うことを知ってしまいました。それまでとは別の世界での酔いです。そんな訳でアルコール依存症、40代の10年間を失った。

まぁ運よく2009年7月久里浜病院にかかわることが出来て生還できたけれど、酒を飲み続けて逝きますか、一生断酒して生きますか。僕は後者を選んで今を生きてます。

そして、これからも続く飲まない人生のことだけど、いちいちビクビク、おどおどしていると暮らしにくいので、うまい具合にそれを避けられるようになっては来たとは言え、だからと言って自分はそんなに強い人間ではない。

まぁ腰が痛いとか、ヘモグロビンA1cが6になってるとか、フェブリク錠は一生飲まにゃならんとか病気自慢でもしながら、そして毎日薬も呑みながら、おおらかに生きて行きたいものであります(笑)

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kurihama

番組について少し調べてみると、もともとはベルギーの『RADIO GAGA』という番組に感動したNHKのPが番組のフォーマットを買い付け、その内容をアレンジし、ロケ場所を病院限定で撮影を行っているとのこと。日本オリジナルじゃないのか~とも思いましたが、この企画フォーマットを参考に、舞台を病院に絞り込んでサンドウィッチマンと掛け合わせるというキャスティングは日本ならではのアイデアだと思います。

ロケ先の久里浜医療センターで段取りをしたスタッフは大変だったと思いますが、撮影の許可を出した病院と、出演してくださった依存症の患者や看護師の方々。皆さんの勇気には心からの敬意を表したいと思います。11年前ここに入院していた僕としては、東6病棟や体育館、認知行動療法、院長や当時若手だった先生が出ていたり、ラジオブースがたしかビアンって名の食堂で、懐かしくて涙が少し、、、。放送を見た久里浜OBとしては、一生飲んではいけないことを再認識する良い機会でありました。

再放送 NHK総合 2月29日(土)午後3時05分~ 午後3時45分

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da


ドラマを観ていたら、私がどれだけ心配したかわからないの~!って怒るシーンがあった。考えてみれば、この怒っている人の精神構造は不思議なのである。
この人の怒りの中心は、あなたは何故私の気持ちを理解しないのか?ということであり、私がこれだけ思っているのに、あなたが何を考えているのか分からないという腹立たしさでもあるかもしれない。

しかし、それを逆から辿ると、私自身はあなたが何を感じ何を考えているか分からないのに、それを棚に上げて、私が何を感じ何を考えているかを、あなたが分からないことに腹を立てているのですということ。

最近の僕はこんな風には怒らなくなった。裏返せば、昔はよくこんな風に腹を立てていたなぁということ。

決して怒らなくなったわけではない。ただ、こういう感じの怒り方はしなくなってきた。それは、カッコ良く言ってしまうと、年を取って落ち着いてきたということになるのかもしれない。

こういう怒りは良くない。そう、僕は年を取って、これは良くないぞと思い直せるようになったということだ。

普段から僕の心中を察してくれているような人なら、その人が今回解ってくれないのは何故だろう? 何か理由があるに違いないと考えるべきところではないかな。

であれば、相手の顔を見るなり怒るのではなく、まず「どうしたの? 何かあったの?」と声をかけるべきではないか?

しかし、それは相手が自分にとって大切な人、愛しい人の場合だけだろぅ。世の中には憎たらしい奴もいる。そんな奴にはついつい腹を立ててしまうものだという反論があるのかもしれない。

でも、ものは考えようである。自分にとって大切でない人、どうでもいい人であれば、別にそんな奴に自分の気持や考えを解ってもらわなくても構わない。勝手に何でも言っていれば良いのである。

言ってみれば僕は、年を取って一気にここまで考えられるようになったということだ。管理人の仕事でクレーマーの罵詈雑言に無表情を装って耐えられるのも、そういう事かな。10年前なら一杯引っかけないとやってられないところですね。

まぁ、年を取るってこういうことではないだろうか? 違うかな? だから時々嫌な奴だと言われるのかな(笑)

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sm


僕自身は10年前に酒と一緒に煙草をやめたので何の問題もないのだけれど、煙草を吸う人の旗色が日に日に悪くなっているのを如実に感じる今日この頃です。

僕が管理人をしているマンションでのクレーム。通気口から煙草の煙が入ってくるとの通報が住民からあった。バルコニーは共有部分であるから煙草を吸わないように、とのこと。

うむ、確かにバルコニーは共有部分である。その部屋の家族が専有的に使っているものではあるが、規定としては共有部分である。共有部分での喫煙は禁じられている。隣のバルコニーで煙草を吸われると、煙が通気口から入ってくる可能性がある。

どれもこれも反論のしようのない事実である。

ただ、そもそも世の喫煙家がベランダで煙草を吸い始めたのは家族から追い出されたからではないか。家の中で吸うと怒られるからベランダに出たのではないか。

ところが、ベランダに出たら今度は隣の家に怒られた。

冒頭に書いたように、僕は既に煙草をやめているので何の不自由もない。煙草をやめてから他人の喫煙を不快に感じることも少なくないので、確かにもしも通気口を通じて隣のバルコニーから隣家の煙草の煙が入ってきたら不愉快である。

だからそれを禁じることには賛成だし、もし、すでにそういうルールになっているなら守ってほしい。

ただ、室内からベランダに追われたかつての「ホタル族」は今度は一体どこに飛んで行くのだろうか?

不憫に思わないでもない。

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roket

 エルトンのファンというわけでもないし。レコードや CD は1枚も買ったことがない。でも、エルトン・ジョンと聞くとバーニー・トーピンという名前が浮かぶ程度には知っている。まぁ一番好きな曲は Goodbye Yellow Brick Roadかな、 黄昏のレンガ道。
 エルトンが浮き上がり、観客が浮き上がり、エルトンがロケット噴射して飛んで行く印象的なシーンがたくさんあった。ドラッグにヘロヘロになって半ば自殺を図るようにプールに飛び込んだエルトンを、プールの底で待ち受けていたのが少年時代のエルトンで、おもちゃのピアノでロケットマンを弾いているというのも、なんとも言えないエモい感じ。
 ストーリー自体は、ド派手なステージ衣装で断酒会に現れるシーンから始まる。もちろんエルトン・ジョン本人にとっては大変なコンプレックスや苦難、試練であったかもしれないが親の愛情に対する飢餓感、アルコール依存とドラッグとホモセクシュアルというアメリカのスター誕生物語には決して珍しくない設定である。
 それを血の通った物語に肉付けするのは無論エルトン・ジョンとバーニー・トーピンの作品なのであって、さすがに音楽の力は大きいと改めて認識した次第。そしてマネージャーのジョン・リード、ボヘミアンラプソディーとは違う雰囲気でなんだか興味深いこと。
 トランプが金正恩をロケットマンと呼んだ時に、おいおい、それはエルトン・ジョンに対して失礼だろうと思った人は同世代以上だよね。そして僕らにとって、映画の最後に流れた禁酒して29年というテロップが素晴らしい。

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kamikakushi

 1つの思考にハマる視野の狭い人は、自分の考えや思い込みを反射的に相手に押し付けます。こういう人を残念な人と呼ぶそうです。アルコール依存症の人に多いと思います。
 もちろん、誰しも残念な状況に陥ることはあります、それと本質的に残念な人であることとは違います。本人は頑張っているつもりなのに目の前の問題から抜けられず、知らずに悪循環を繰り返したりします。
 まぁ空気を読まず、まわりから理解を得られないことが多いですね、そんな感じでもその雰囲気を自分でも感じて解っているならば大丈夫ですね。ちょっと立ち止まって、間をおいて全体性を見渡してみれば、自分の思考パターンだけにとらわれることはありません。冷静かつ客観的に判断し行動するように心がければ人に安心感を与えることができる、そして信頼される。少し幸福になれるかも。

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20161215_124630

 今年の秋で60歳、そしてキリの良い年に突入という時期には、僕らのような凡人でも人生を振り返る機会を持つことと思います。
 仕事のこと、愛について家族や友人のことなど、お金のこと、老後のこと。まぁ気が付けばいつも迷ってばかりで周囲の目を気にしてしまう生き方をしてきたし、典型的な中途半端な生き方。
 周囲を気にしてるくせに、よく大酒が飲めたもんだと不思議に思うこともある、そしてアルコール依存症になった、そしてお酒から解放されたら何となく気が軽くなったように感じてる今日この頃です。
 ささえてくれる家族がいたことに、今もいてくれることに感謝します。本当に心からささえてくれた母の愛情に頭がさがります、面と向かっては言えないけれど。
 ごはんを外に食べに行けば、隣で相方は生ビールからワインなどやってますが、家では飲みません。家にお酒を置かない約束だからね。酒飲みの相方も夫のために10年も耐えてると思うと頭がさがります、まぁ、健康には良いと思いますが。
 49歳夏に久里浜アルコール症センターに入院、当時を懐かしく思い出していたら。久里浜同期のTさんから腰椎すべり症の手術をするとの連絡、お酒には勝っていても、加齢には敵いませんね。

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sm

 年齢を経れば誰でも自然と大人になって行くのだと思ってた。 年月が経てば誰でも普通に成長するものだと思っていました。40代でもそんな感じで。そんな甘えがあったからアルコール依存症になったのかなって考えたりしていました。
 人として成長することは大変難しいことだと気づいているわけだけど。大人になるのも成長するのもきちんとした積み重ねがいる。きちんと努力する長い地道な時間がいる。それをちゃんとした人だけ、魅力的な大人になっているのだと思う。
 もう還暦です、そのあたりをさぼった人とさぼらなかった人の差が歴然と開いてくるのが自分でもわかってくる、悲しいことにその差を縮めることは不可能に近い。
 2009年7月30日に久里浜入院だから10年が経ちました。ボクの場合は由緒正しいアルコール依存症のひとりとして、これからも誠実に生きていくしかないのだけれど。
 そういうのとは別に、大人になる過程で子供な部分を大切にしたか、童心が残っているか、そんなことが歳をとっていくこれからの、自分に大切になってくるのではないかと考察。

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 アルコール依存になりやすいパターンというか、きっかけで多いのは寝酒です。眠るために飲むのが出発点と言う人が多い。依存とは量が増えていく、回数が増えていく、ついには朝から晩まで飲んでいる状態となります。 頭のいい人は夜になるとますます頭が冴えるので強制的にシャットダウンするために酒を飲む人が多いのです。
 ですが、飲めるタイプの人間は多く飲んでも眠くならず、どんどん酒量が増えていきます。酒で高揚感を得るといいますが、脳が誤作動しているだけと思います。心の闇を酒で晴らす、それをやめるために心の闇に切り込む、というけれど心の闇などだれもが持っています。抑制がとれて逸脱行為がある、当たり前じゃないですか。昔はあの人は酒で身上潰した、とか肝臓やられて早死にした、とかよく耳にしたものです。正常の範囲がだんだん狭くなって酒に溺れて死ぬのも見た目には哀れですが、本人は好きな酒で死ぬのは本望だと思います。
 アルコール依存症が治ったという事例を聞いたり見たりした事はありません。10年断酒しても1度飲めば元の木阿弥です。来月で久里浜に入院してから10年たつのです。

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ダウンロード

 最近問題になっているのが、ごはん、麺類、甘いものなどの糖質を多く摂る人の脂肪肝が増えている件。昔からお酒の飲み過ぎが脂肪肝につながることはよく知られています、進行すれば、酒の問題で肝硬変や肝臓ガンで亡くなる怖い病気ですね。
 今、アルコールを飲まない人の間で脂肪肝が増えているそうです。糖質の摂り過ぎによって、血中に糖が増えすぎると、インスリンが過剰分泌され、中性脂肪が肝臓に蓄積されてしまうのです。脂肪肝の人の10人に1人が、およそ10年間かけてNASH(非アルコール性脂肪肝炎)に進展していくとされています。
 お酒を飲まないけれど甘いものが好きという僕らはNASHに要注意です。

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 自分は飲み過ぎたりしない、自分は酒に依存していないという主張を頑なに繰り返します。たとえ酒が原因で身体をこわそうが、家庭が崩壊寸前になろうが、仕事を失おうが、自分の問題の本質に目を向けようとはしません。
 心の奥ではダメだ、このままではダメだと気付いているのに。止めなくちゃとは思っています。でも止めようと思いつつも止められない葛藤。
 アルコール依存症の本人でなければ分からない、外からはダラシない奴と見られるのも辛いところです。自分はもうどん底だ的な自己否定感に支配されるようになり性格はどんどん内向的、孤独感からまた酒を飲む、この繰り返しパターンにどっぷりと嵌まります。
 そして、他人の欠点に過剰に反応してそれを攻撃。酒に支配されて自分の思うようにならない自分自身に腹を立てていること、それが他人への攻撃に変わってしまうのです。自分より強い立場の人にはサラリと流し、身近で自分より弱い立場の人がターゲットになるんです。
 結局、弱っちい惨めな自分に気がつけない、情けない奴なんですね。

pig

 加齢とともに増えてきた、知っている名前や数字がすぐに出てこないあれ何だっけ?現象。加齢に伴う神経細胞の死滅や、使われないネットワークの縮小により、脳は少しずつ萎縮しています。個人差や部位による差はあるそうですが、特に萎縮が早いのが前頭葉とのこと。僕らアルコール依存症は過去の大量飲酒で脳細胞が死滅していたり、飲酒による脳萎縮で普通よりも厳しい状況なのかしら。
 前頭葉にはワーキングメモリ(作業記憶)という、入ってきた情報を一時的に保存して他の情報と組み合わせ、情報に優先順位をつけて処理する機能があるそうな。いわば脳の司令塔ですね。しかし、その処理能力は加齢とともに衰え、50代ではピーク時よりも30%ほど低下とのこと。
 脳は入ってきたさまざまな情報を短期記憶として仮置きしておいて、繰り返し使われることで、海馬が重要な情報だと判断して、長期記憶に移動します。その橋渡し役をしているのもワーキングメモリ。このため、ワーキングメモリの働きが低下すると、必要な情報をうまく引き出せなくなる。
 あれっ何だっけ(笑)

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kagami

 古来より酒は人々のコミュニケーションを円滑にする重要なツールとして人々に寄り添ってきました。例えば、結婚式での三々九度や乾杯、お葬式で献杯、一年の締めくくりや新年の始まり、仲間を迎え入れ、送り出すときなど、人生のあらゆる節目にお酒が重要な役割を担っています。
 コミュニケーションを円滑にするお酒は、適度に飲めば、私たちの暮らしを豊かなものにしてくれます。しかし、度を過ぎた飲み方や誤った付き合い方をすれば、予期せぬマイナスを招き、本人だけでなく周りの人をも苦しめてしまう毒にもなる怖さも併せ持っています。
 お酒の飲み方は、自分自身を映す鏡。自分自身のしでかした事など振り返り読み返すたびに、新しい発見があります。

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yonetsu

 健康診断の結果を気にして、お酒の飲み過ぎを自覚したときに意識するのが休肝日。今夜こそ酒を抜こう。そう思っていても、つい誘惑に負けてしまう。飲まない日を設けることは、アルコール依存を避けるためには欠かせない。アルコール依存症と確定したら毎日を休肝日にし続けなければなりません。
 酒量のコントロールには薬の活用も選択肢になる。脳の中枢神経に働きかけて飲酒欲求を抑えることで断酒継続を補助する薬とか、飲酒前に服用して飲酒欲求を抑える薬もあるらしい。
 酒量を減らしつつ必要に応じて適量のお酒を飲みたいという人は、休肝日などを通じて酒を控えたい人が対象の減酒外来がお勧め。

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ringo

 僕らがなにかを実現したいと思うとき、一番肝心なことは何なのか。断酒の宣言や断酒を継続しなければ、痩せたい、毎日の運動、アイスクリーム食べない、ダイエット願望などなど、実体や形なき心の想いを、形があることに転換させていくためのスイッチが重要な鍵になっています。
 そして、それは明確な時間の設定じゃないかと思うんです。いいかえれば、今日からとか毎日新たにとかの決め事をしないと、その想いの実現はキビシイですね。
 だから時間の設定さえ上手くできれば、実現に向かって自ずと進んでいくと思うんです。いつか、そのうち、などと枕言葉がついているうちは、その想いは実現に向かうことはありません。

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earth

  若い頃から飲み始めてアルコール依存症になった人の平均寿命は52、3歳と言われています。だいぶ古い記録で現行は何歳なのか判りませんが。
 アルコールを口にに入れると、まず口腔咽頭などのノドから始まって食道、胃、十二指腸などの粘膜が影響を受ける。続いて胃や腸から吸収されたアルコールは血液の流れに乗 って全身の臓器にくまなくまわって、各臓器の細胞に複雑なメカニズムを経て障害を引き起こしていきます。さらにアルコールを分解する過程で出来るアセトアルデヒドという物質も、細胞への強い毒性を持っているそうです。
 もし飲酒が時々であって量も少なければ、身体への悪影響は見過ごされるかもしれないけれど、常習飲酒家、平均で3合以上の酒を5年以上続けているような場合、身体各臓器への影響は無視できなくなってきてアルコール依存症ともなれば肝臓を代表とする各臓器に障害を引き起こし、いずれは命を落とすことになります。
 最近では60歳や70歳代からアルコール依存症になる例も増えて、アルコール依存症の平均寿命は分かりづらくなっているようです。

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2002

 アルコールは毒なのか意外に分かりにくい。たとえば仕事のあとは毎日、家で晩酌するのが楽しみで毎日欠かさず飲むという人もいれば、夕方に取りあえず1軒、週1回は午前様もありという人もいます。
 そういう毎日の生活の中で、どこからが不適切な飲酒と言えるのか。さらにはアルコール依存症やその予備軍を心配しなければならないのはどの程度からなのか。
 酒を飲むことで問題が起きている、本人も飲まない方がいいと分かっているのに止められず、問題が続いている状態が危ないと言われています。自分はそこまではと思う人も多いだろうが、じつはアルコール依存症に片足をつっこんでいるのです。症状が少しずつ連続的に進むのが不適切な飲酒の特徴。
 機会飲酒、習慣飲酒から常用量依存に。依存が進むと強迫飲酒の段階となり飲む時間と場所のTPOをわきまえなくなります、そして最終段階が連続飲酒になります。
 重要なポイントは習慣飲酒と強迫飲酒の境目。そこには正常かアル依かの明確な境界があるようでいて、実はなだらかなグレーゾーンが広がっています。毎日のくりかえしで徐々にお酒に耐性ができる。脳はアルコールが入ってる状態に順応してしまい、アルコールから醒めると以前より不安が増し、緊張が高まってしまう。それを解消しようと、飲酒の欲求が高まってきます。そこら辺がグレーゾーンからアル依への境目なんでしょうね。

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neko

 精神的に脆いということがアルコール依存症依になりやすいという訳ではありませんが、その治療ではこの精神面の弱さが悪影響を及ぼす場合があるようです。治療のためには断酒が必須条件。そして、これくらいなら飲んでも問題はないだろうと考えてしまう人こそ、依存症に打ち勝つことは厳しいと言うことです。
 お酒を断つ苦しみから、くじけて酒に逃避する人も多いです、精神的なタフさはある程度必要です。くじけない心が断酒には必要です。

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mati

 以前は慢性アルコール中毒と呼び、略してアル中。また、本人の意志が弱く道徳観念や人間性が欠けているからだと決めつけて済ます傾向にありました。
 僕がアルコール依存症になった時期には、医学的に精神疾患の一つとしての薬物依存症と同じように病気として扱われるようにはなっていましたが、あまり一般認識されていませんでした。アル中、イコール意志が弱いというイメージがあります。
 ナゼ、さまざまな問題が自分を中心として起こっているのに、たくさんのアルコールを飲んでしまうのでしょうか、減らすことができないのでしょうか。
 長年の飲酒の累積効果により、脳の神経細胞に変化が起こり、飲酒量のコントロールが効かなくなってしまうからといわれてます。アルコールが一口でも身体に入ると脳の飲酒欲求の回路にスイッチが入り、その人の意思を超えて脳が酒を要求するようになる。これがアルコール依存症の本質です。

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air

 農薬、放射能、水銀、アスベストなどは一度その害が判明したら、二度と近づいたり口にする人はいいません。だけどアルコールや煙草は害だと分かっても、なかなか止めないで依存症までいってしまう場合が多々あります。
 ご存知とは思いますが、アルコール依存症からの病気としては機能障害と臓器障害に分かれます。心と体が蝕まれていきます。最終的には精神が崩壊する、もしくは癌で死ぬ。
 生きることは選択の連続です、今の自分は過去の選択や決断の結果。そして、これからも分かれ道に遭遇するだろうけれど、左右選びながら生きていくんでしょう。飲もうか飲むまいかと思うことが一生ついて回るわけです。
 生きたいのなら、自分が選べるのは断酒の道しかないのです。迷ったときに、この選択がいつでもできる事が大事です。

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lupin

 お店を出たところまでは覚えているけれど、その後の記憶がない、気がついたら家で寝ていた。メガネが割れているのはいったいどうしてだろうなど、何をしたのか記憶がないのは忘れてしまったからではなくて、覚えられなかったから。酔って記憶をなくすことをブラックアウトと呼びますが、飲酒中のブラックアウト状態の時でも、大抵の人は普通に反応して話をしたりしています。
 理性をつかさどる前頭葉にアルコールが作用していますから、抑制が外れて行動の規範がやや低下してはいますが、一瞬一瞬の判断はそれなりに下しているのですね、ただし海馬がアルコールで麻痺しているために、それを記憶することができないんです。2分前のことならば覚えていられても、20分前のこととなるともう覚えていることができないと言う事です。そして飲みすぎによる肝障害やカラダの病気とか、飲酒生活の期間や長さとも関係なく起きるそうです。
 つまり人生初の飲酒でも起き、何年も飲み続けた後でも起きるのです。最初にブラックアウトを経験したときは、そのことに驚き、これはマズイ状態と気づいて自分の飲酒のパターンを変えた人はよいのだけど、そのまま変えなかった人はやがてダメージが積み重なって海馬が萎縮してアルコール依存症に陥ってしまうのです。
 病的酩酊を除けば、血中アルコール濃度が急激に上昇した場合に起きることがわかっています。そもそも酔うとは、脳がアルコールで麻痺することだから、酔いの深さは脳内のアルコール濃度に比例するはずです。しかし、脳内のアルコール濃度を直接測ることはできないので、血液のアルコール濃度、すなわち血中アルコール濃度を測ることで酔いの深さを見ることになっています。
 それでは血中アルコール濃度がどのくらいになれば、ブラックアウトするのでしょうか。酔いはアルコール量が増えるにつれて爽快期、ほろ酔い期、酩酊期、泥酔期、昏睡期と深くなっていきます。血中濃度が0.31~0.40の泥酔期に達すると、海馬が麻痺してブラックアウトを起こします。
 お酒の量でいうと、個人差はあるけれどビールなら中瓶3~10本、日本酒なら、ウイスキーならボトル1/4~1本。ただし体調や飲むペース、相当個人差があるということ。

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hands

 この20年で喫煙に対する社会意識がどれだけ変わったか、歩きタバコもほとんど見なくなりました。飲酒運転だって激減しています。
 セクハラやパワハラに対する啓発が急ペースで進んでいます。だから、飲酒をめぐる環境やアルコール依存症への受け止め方についても、日本の社会が大きく変わることは十分にあり得るんじゃないかと思います。精神科に通院しているところを見られたら恥ずかしいという意識が変わるかもしれませんね。

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yel

 久里浜アルコール症センターで2009年にアルコール依存症と診断されました。そして入院治療することに。当時の各種プログラムを受け主治医とも話合い、自分でも解決策を考えながら試行錯誤を繰り返しました。本当にやめられると思ったのは退院後、1年ぐらい経ってからだったと思います。
 ストレスを紛らわすためにアルコールに逃げたのが一番の敗因、楽な方に逃げる。今でも辛いとか痛いとかをストレスという言葉に置き換えてそこに逃げる性格は変わりません。
 なんとか、酒を飲まないことにストレスは感じなくなりました。ありがとう御座います。
 
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