アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

カテゴリ: 雑談

neko


カードで払っていると一体いくら使ったのか分からなくなると言って、頑固にクレジットカードを持たない現金主義者がいましたね、もう何十年も前の話だ。やっぱりポイントの関係でカード払いが一般感覚になっていますよね。

使った金額が把握できないと言っても、毎月精算の連絡が来るんだもの。メールが来てWeb でチェックする。そういう意味で言うと、分からなくなるのは PayPay や LINE Pay などの QRコード払いのほうか。

これは自分でいちいちチャージするにしても、オートチャージにするにしても、ほんとに今月一体何回いくらチャージしたのか分からなくなる。買い物して、「あれ? もう残高がない。一昨日チャージしたんじゃなかったっけ?」などと思うのだが。そしてチャージはカード決済だからややこしい。

かつて「現金 VS カード」という対立構造であったものが、今は「現金/カード VS QRコード払い」という対立構造に変わってきているのが面白い。

QRコード払いの普及によって一番使わなくなったのは、さきほど「現金/カード」とひと括りにしたうちの現金=小銭である。ネットの普及によって衰えたトラディショナルメディアの一角である新聞のように。余談ですが、うちも母上が老健に入所したのをきっかけに朝日新聞の購読を止めました。

このところ、ATM からお金を下ろす機会も金額も如実に減っている。その上に、キャッシュレス化のキャンペーンによるペイバックも結構ある。なんだか嬉しい気分なのか踊らされているのか、しかし、実は QRコード払いでいくら使っているのか、ちゃんと把握していない。ま、人間、いつの時代も何かがよく分かっていないのかもしれない、という脳天気な一般論に転化して、この不安を乗り越えることにしよう。

幸いなことにマイナンバーカードはもっている。なのでマイナポイント上限の五千円をもらうべく手続きに苦戦している最中でございます。2021年3月までの期日だから余裕、、、だといいのですが(笑)

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iseta


さすがに FAX は要らないかなと、多少の不具合はあってもまだ辛抱して使おうと思えば使える電話機をFAX なしのものに買い替えようかと、、、。

皆そうだと思うが、スマホを中心にラインやメールでいろいろなやり取りをしている。当然口約束やメールでは済まなくて文書を要求されることもあるし、また中にはその文書をメール添付でと言う相手もいる。さすがにそれを FAX で送れと言う人は皆無になった。

自宅に関しては、もはや家の固定電話にかけてくるのは、怪しい売り込み以外には母親のデイサービスのお迎え連絡くらいなもの、FAX が送られてくることはないし、インクリボンが切れて10年近いかも。

PC を使い始めた頃、使う回数が減ってきた FAX をなんとかなしで済ませようと、PC にアプリを入れて FAX の肩代わりさせたこともあるが、あれはあれでちょっと面倒くさかった。思えば Modem の時代だった。世界は進歩して、その発想自体が飛んでしまった。

今やほとんどの知人が携帯にかけてくるので、FAX どころか家電自体がなくてもそんなに不自由はないのだが、携帯の番号を教えたくない相手に固定電話の番号を教えておくことによって、プライバシーを守る効果はそれなりにある。どこにいても捕まるという心配がなくなるのである。

携帯電話にずっと出ないでいると、後から「どうしたんだ」「何かあったのか」などと心配あるいは追及される恐れがあるが、家電であれば家にいなかったと言えばそれで済む。長期に家を空けていたのか、ちょっと飲みに行っただけなのかを説明する必要もない(笑)

ところで、FAX が不要であると同時に今や子機も要らなくなった。子機というのは本来一家に一台の世帯財であった電話機を個人使用に拡張するためのシステムであり、電話台から動かせなかった黒電話の可搬性を実現するための方策だった。

携帯の登場によってそんな必要はなくなったし、今では親機もワイヤレスになったし。買い替えれば、今まで FAX付き電話機が占めていた馬鹿にならないスペースが小さなワイヤレス電話ですっきりするのだけれど。コロナ禍給付金も出ることだし。

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sm


僕自身は10年前に酒と一緒に煙草をやめたので何の問題もないのだけれど、煙草を吸う人の旗色が日に日に悪くなっているのを如実に感じる今日この頃です。

僕が管理人をしているマンションでのクレーム。通気口から煙草の煙が入ってくるとの通報が住民からあった。バルコニーは共有部分であるから煙草を吸わないように、とのこと。

うむ、確かにバルコニーは共有部分である。その部屋の家族が専有的に使っているものではあるが、規定としては共有部分である。共有部分での喫煙は禁じられている。隣のバルコニーで煙草を吸われると、煙が通気口から入ってくる可能性がある。

どれもこれも反論のしようのない事実である。

ただ、そもそも世の喫煙家がベランダで煙草を吸い始めたのは家族から追い出されたからではないか。家の中で吸うと怒られるからベランダに出たのではないか。

ところが、ベランダに出たら今度は隣の家に怒られた。

冒頭に書いたように、僕は既に煙草をやめているので何の不自由もない。煙草をやめてから他人の喫煙を不快に感じることも少なくないので、確かにもしも通気口を通じて隣のバルコニーから隣家の煙草の煙が入ってきたら不愉快である。

だからそれを禁じることには賛成だし、もし、すでにそういうルールになっているなら守ってほしい。

ただ、室内からベランダに追われたかつての「ホタル族」は今度は一体どこに飛んで行くのだろうか?

不憫に思わないでもない。

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tisana


故人もきっと喜んでると思います。有名人の葬式でのインタビューでよく聞く言葉。ジャニー喜多川さんのお別れ会のニュースでマッチが話してた。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか。

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

そもそも葬式とか告別式とかいうものは死んだ人のためのものではなく、残された人たちの魂を鎮めるものだと僕は常々思っている。

だから、もしも僕が死んで、死んだ僕のために何かをしてやろうという人がいるのであれば、その人のやりたいように存分にやれば良いと思う。まぁ相方も含めて誰もいないと思いますが(笑)

僕自身としては、僕が死んだあと法律で定められた最小限のことをしてくれればそれで御の字である、最近流行りの小さなお葬式で。でも、もし遺族が望むなら別に東京ドームででも日本武道館ででもお別れの会をしてくれて構わない。僕は既に死んでいるわけで、そのことを喜びも悲しみもしない、と言うか、喜んだり悲しんだりする自分はすでにいない。

それが僕の死生観である。

先週、母が入院して、このまま逝ってしまったら。なんて考えていたら死生観という言葉が頭の中に出てきた。まぁ、単なる老人性喘息で1週間で退院したのですが。

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runo

 思い起こせば僕が株に手を染めてすぐのこと、雑誌の記事を信じて買った某メーカーが、予想外の業績不振に陥り、大幅な赤字決算予想を発表した。株価はみるみるうちに暴落し、僕は「しまった!」という後悔と「早く何とかしなきゃ」という焦りから投げ売りをした。所謂「狼狽売り」という奴である。ところが、その翌日からその会社の株は鰻登りである。曰く、「悪条件は出尽くした」。
 「悪条件は出尽くしたって、なんじゃ、そりゃ!」と思った。「そんなん、アリか」と声に出して言った。株価とはそういう理不尽なものである。しかし、世の中としては果たしてそれで良いのかよ、とも思う。
 親方日の丸の東電とか、桁違いの金額で不正を働いたゴーンとかに鉄槌を下したいなどと言うのではない。そういう単純な正義感の話ではなく、経済法則と倫理観のズレが少し気持ち悪い、とでも言おうか。それと、後任の経営陣にしっかりしたメンバーが確定して、誰から見ても「ああ、このメンバーなら大丈夫だ」という印象でもあるのであれば、「悪条件は出尽くした」とも言えるのだが、現時点ではまさに「どうすんのよ、このあと?」という状態。まぁ、どこの誰が経営を任されたって今よりマシと言う感じですか。
 株価というのはある意味正直なのかもしれないが、なんだか薄ら寒いものである。

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sendai

 人は誰でも、何らかの 生きがい を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものであると捉えることができます。
 生きがいという言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。
 一般的な日本の中高年が「生きがいを感じるとき」について新聞によると、孫など家族との団らんの時(48.8%)が最も多いそうなんです。子供のいない我が家はちょっとショックな結果だけど。
 何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは人それぞれ。調査によると健康状態や身近な人との関係が、生きがいに深くかかわっていることが読み取れます。健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが生きがいを高める大きな要因のようです。 
 近い将来というか、早ければあと15年くらいかもしれないけれど、孤立して孤独死しそうな予感がしてる。

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tokyo st.

  若いころは、こっちの気も知らないで、これだけやってやってんのに、あまりにも自分勝手じゃないかよ~、などとよく憤慨したものだ。
 年を取って今考えてみると、そうやって怒っている自分もまた相手の気も知らずに、相手の恩も感じずに、結局自分勝手に怒っていたにすぎなかったのだなあという気がする。常に相手の身になって考える優しい心構え、などという薬臭いことを言っているのではない。相手の心中を察せられないのは、単に観察力の不足であり、思慮が足りないのである。
 中年になって、恩を仇で返すような真似をされると、そうか、こいつはそこまで追い込まれているのか、そこまで余裕がないのか、と考えられるようになってきた。いや、あくまで自分ではそう思っているというだけだが。すこし永く生きてきたから自分が相手に対して誠意を尽くしたことが相手にとってはほとんど意味も値打ちもないなどというようなことがあることを実感として知っている。
 そんな風に人は落ち着いてくるのではないかと思う。そして落ち着いてきた頃には、人生の坂を転がり落ち始めていることに気がつくのである。

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hige

 明治のころはいざ知らず、僕が生まれた昭和の中ごろにはひげを生やしている人はあまりいなかった。社会人になった昭和の終盤には、髭を伸ばしてる一般人は少数派だったように思う。
 その少数派、同じひげでもちょっと違うのは、口髭の人がほとんどで、次いで口髭とほお髯とあご鬚を全部繋がった状態で生やしている人、大体はこのどちらかだった。
 あご鬚だけを生やしている人なんて、ピンキーとキラーズのルイス高野かレッツゴー三匹の長作くらいのもので、一般人にはほとんどいなかった。特に若い人であご鬚だけを生やしているのは非常にアンバランスな印象があって、そんな奴はほとんどいなかった。
 それが、平成に入ったころからかなあ、ヒップホップ系の連中から広まったのか、今では街中にあご鬚だけを生やした若い人をけっこう見るようになった。
 そうなると全く髭が薄くてひがんでいた僕も、ひげを生やしたいという欲求が失せてしまった。思えば僕はひげに憧れていたのではなく、ひげが時代の中で保っていた異端性に憧れていただけなのだろうと思う。モンゴロイド系の人は剥げて髭が濃い、朝鮮族っぽい僕のような平たい顔俗は剥げないけれど髭が薄いという方程式があるのかないのか。
 僕らは長髪に憧れた世代でもある。少し上の世代はすでに長髪を実践していたが、僕らはまだ小中学校の校則に縛られて髪を伸ばせなかった。今考えてみれば、あれも長髪そのものにではなく、長髪が時代の中で与えられていた反体制の象徴的な部分に憧れていただけなのだろう。だから、長髪が普通になってしまうと僕らは長髪への情熱を失ってしまった。
 ひげも生やさず長髪にもせず、僕らの世代は随分ツルンとした人生を送っているのかもしれない。

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air

 追い込まれた感覚、強迫観念と言うものかもしれない。最近、その追い込まれている感が強いのです。
 考えすぎというか。ふつうの出来事を事実以上に心の中で膨らませてしまって、不安感を増幅しているのだと思うのですが、もう後がないという感覚も手伝って、その追い込まれた感じが心の中で強まるのです。
 追い込まれているという事実が、追い詰められているという感覚になり自分で自分を圧迫している状態ということなのかしら。これを、プレッシャーと言うのでしょうか、きっと。
 あっこれは、断酒とは全く関係ない要因です。まぁ、ゲッソリ感というか体重も2kg減ったし、良しとしますか。

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natu

 熱中症のニュースを見ると、昔は運動中に絶対水飲ませてもらえなかったよなという話になる。途中で水飲んだらバテるぞなんて言われて。だから、体育の授業であれクラブ活動であれ、草野球であれ、終わるとすぐに僕らは運動場の片隅の水道のところに走って行って、錆びかけた蛇口に口をつけるようにして、金属の味のする水をとめどなく飲んだものだ。今では脱水症状になるのを防ぐために、運動の最中にこまめに水分を補給するのは常識である。
 当時はあんなことをして、よく熱中症にならなかったものだという話になるのだが、当時は熱中症という言葉さえなかったのだから、当然と言えば当然ですね。
 そういうわけで、僕らの子供時代には気象庁から何の発表も警報も出なかったけど、今は逆に、「熱中症情報」なるものが発表された場合、指導者たちはどういう対応をして、子どもたちにどういう指示を出すのだろうと気になりますね。

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denki

 昔では考えられなかったことですが、今では電気をガス会社から買ったり、ガスを電力会社から買ったりすることができるようになった。昨今では関東在住でも関西電力と契約することもできると聞く。結局うちでは1年前に東京ガスから電気を買うことにした。
 最初は大丈夫かなと思っていたけれど。どこと契約していても、電気系統が故障したらやってくるのは電力会社で、ガスが止まったらやってくるのはガス会社と言うことでした。電気やガスに名前は書けないので、そもそもウチで使っている電気がどこのものだとは言えないのだけれど。
 ただ、ガス会社も発電し、電力会社もガスを供給する時代になり、ユーザはどこと契約するかという選択肢ができただけのことであり、両社の間でどんな取り決めや金の取り払いがあったって知ったことではありませんよね。安心で安い方が良いに決まってるから。
 ひとつだけ言えることは、どこか1社に寄せると多分前より割安になる。その大きな要因は、寄せることによる割引が用意されていますから。エネオス電気、東急電気、ソフトバンク電気とか色々な会社が色々なサービスを歌って宣伝してるし。
 で、どうしようかなと迷っていたら、そういうエネルギー界の MVNO みたいな会社もそのうちに淘汰されて、ごく一部の会社しか残らなくなるよと言われ、それならガスの電気を買うか電力のガスを買うほうが安心なのかなと思ったのだ。それで去年の春に東京ガスの電気を使うことにしたのだが、いまだに心のどこかに、夜中に東京電力の職員に電線を切られたりしないのかなという不安があるのも否めない(笑)

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dojun

 うちは駅から徒歩1分、通勤は徒歩だけど。朝会社に歩いて行く時に、ダンナや子供を車で駅まで送ってくる奥様方に遭遇する。外車の比率が高い。駅の角から家の前を通って道が続いていて、その先に立派なお屋敷がたくさん建っているのだが、多分そのあたりの家の車ではないかと思う。ご苦労なことだなぁと思う。まぁダンナの帰ってくる時間は日によって違うだろう。帰りも、何時に帰ってくるか分からない夫を待ちながら、晩ご飯の支度もしながら、LINEが来てから30分後には車を出して駅に向かうのかしら。
 そういうライフスタイルが嫌でも何でもないのかもしれない。いや、それどころが夫を送り迎えすることが嬉しくて仕方がないという人だっているのかもしれない。あるいは、送り迎えは面倒くさいけれど、送り迎えする必要がある場所を選んだおかげで広い邸宅に住めるとか、眺望が素晴らしいとか、そういう別のメリットがあって、夫婦がともにそのメリットをメリットとして認め合い合意したからこそ、そういうライフスタイルが成り立っているのかもね。ウチの場合は昔から駅に近いところに住んでるし、送り迎えなんてやりたくてもできないのではありますが(笑)
 そんなことを考察しながら、最近いろんな事象の中に人間の多様性を見つけ出すのが面白く感じていて。人がひとりずつ違うということ、そして、そのひとりひとり違う男や女がそれぞれにパートナーを選んで、ひと組ひと組違う家族ができているなんて、とても素敵なことじゃないかと思うのである。

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kukousen

 ルールがなくても上手く治まっている状態が、一番良い環境ですよね、精神的にも楽だと思うし。メンバー各自の意見や感覚に隔たりがあって、放っておいたらうまく治まらないので、ルールを作って、みんなで決めたことだから守りましょうねという合意を取って治める。まぁ上手くいけばいいのだけれど。
 自治体とか大きな集団であろうと、家族のような小さなグループであろうと、基本的には同じであるように思う。
 で、ゴミ捨ては大抵僕が行くけれど、それは単なる家庭内の慣習であって、ルールではない。ゴミ捨ては僕が行く。では、僕が風邪を引いて熱がある時はどうなのか、 風邪は引いているが熱はない場合、風邪は引いていないがひどく疲れている時はどうか?
 それぞれについて仔細に決めておくか、いや、如何なる場合であろうとも僕が這ってでもゴミ捨てに行くのだ、と割り切った決め方をするかしかない。
 幸いにして僕と妻との間には細かいルールがなく、そういう窮屈さがない。ルールを決めないでおこうね、と相談したわけでもない。自然とそうなっている。そのことを思うたびに、良い人を見つけて結婚できたものだと、僕は天に深く感謝している。

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neko

 「お疲れ様です」という挨拶にどこかがっくり来てしまう僕ら世代の愚痴なんだけれど。昔は、お疲れ様でした。という言葉はひとつの仕事に区切りがついた感じの表現で、従って、せいぜい夕方の終業時とか、仕事にケリがついた時しか聞けない台詞だった。それが今では朝イチでかかってきた電話で言われることもある。それに対して「バカ野郎、まだ会社に来たばっかりだ。疲れてなんかねえよ」と言っても仕方がない訳で。それは「おはようございます」と言われて、「バカ野郎、俺は今日は7時から会社に来て働いてるんだ。何がお早うだ。ちっとも早くなんかねえ」と管を巻くようなものですからねぇ。
 今の言葉としての「お疲れ様」を考察してみると、やはり「お疲れ様でした」は仕事の終わりにしか言わないようです。だから、「お疲れ様でした」の意味は昔とそれほど変わっていません。問題は「お疲れ様です」という現在形です。これは「疲れ」とはあまり関係がない。「あ、どうも」みたいな軽い挨拶の感じですね。
 英語で言うなら very much とか somehow、Cheers あたりかしら、いきなり「どうも」と言われても何がどうもなのかどうもよく分からない。それと同じようによく分からないけれどよく使われる言葉が「お疲れ様です」。
 今風の感じでは、ひとつで万能な言葉を使いたがる、と言うか、もっと一般化すると、ひとつで万能な解を常に求めてる、そんな傾向を反映したものではないかという気がしてます。まぁ本社の担当者が平成生まれの人間になってから違和感だらけと言いますか。

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VW

 若い人を中心に「彼氏」「美人」「サーファー」「モデル」「バイク」「ビデオ」とかの言葉が,昔とは違って平らなアクセントで発音される傾向となっていますね。
 お気づきかどうかは分かりませんが、令和の発音についてはテレビ局のほどんは平板な感じのアクセントと、頭高のアクセントを認めているのに対して、TBSだけは局アナに頭高を推奨しているそうです。令和の発音はこの先どう変わって行くのかわかりませんが、そんなものはみんなが勝手に発音していれば良いのかもしれません。とは言え、何となく気になるのです。
 アクセントが平板化しているというのは随分前から指摘されていることで、例えば仕事とかでよく聞く「御社」も昔は「おん」が高い頭高アクセントでしたが、最近は「サンマ」みたいな平板アクセントで言う若者が多くて、なんとなく私たち世代は気持ちが悪いんです。

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kao

 Facebook や インスタにペットの写真をのせてる人、多いですよね。そんな犬や猫の写真を見るとはなしにぼうっと眺めていると、けっこう表情豊かなことに驚かされる。ま、愛犬家・愛猫家の人たちからすれば何を今さらという感じなのかもしれないが。で、犬と猫を比べると、こんなことを書くと猫好きの人に怒られるかもしれないが、僕は犬のほうが表情豊かに思える。
 猫好きの人に怒られるのは嫌だからちょっと補足すると、それは猫が生来ポーカーフェイス的な振舞いをするのに対して、犬は飼い主に対して表情全開で接してくるからということもあると思う。犬好きの人が撮った犬の写真は本当にバラエティ豊かな表情をしている。
 嬉しい顔、悲しい顔といった単純なものばかりでなく、ぬか喜びして浮かれた顔、飼い主に叱られてしゅんとした顔、飼い主の仕打ちを恨めしく思っている顔、今回は仕方なく我慢することにしたけどやっぱり残念そうな顔。人間にも劣らない多様な表情である。
 ふと思ったのだが、彼らは眉毛もないのにどうしてこんなに多彩な表情ができるのかしら?


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counta

 人はモットモットという欲を出しがちですね。でも周りをじっくり見てみると、自分の境遇は恵まれている方なんだと知ることができるかも。自分を好きでいること、そして自分の境遇に感謝すること、基本ですね。感謝を忘れないことがやっぱり一番大切。
 世の中、批判を仕事をしているようなメディアばかり、SNSでも批判~炎上は日常茶飯事、暇人がいかに多いのか。まぁ誰かを批判しないということが、いかに難しいことなのか。批判されることがどれだけ辛くダメージ受ける事なのか知っているはずなのにね。人を批判してはいけないし、感謝を忘れないようにしなければ。

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F500

 母親のデイサービス料金で、郵便局の引き落とし申込用紙に銀行印を押さなければならない。しかし、どのハンコを押していたか分からないのである。世の中は次第にハンコ離れしているから、最近の口座だとハンコを使わないものもある。あるいは、最初は印鑑を通帳に表示していたのに、何度か新しい通帳に繰り越して行くうちにいつのまにか印鑑の欄がなくなっていたりするものもある。そんないろんな通帳が混じっているので、どの通帳がどのハンコか分からないのである。それに加えて、最近では通帳のない、カードだけの口座もあるのでなおのことややこしい。先日、郵貯から印鑑相違で申込用紙を自宅に送られてきて署名捺印して必要書類を送り返すように言われた。適当な印鑑を押して出してしまった酬いである。
 というわけで、もう世の中一斉にハンコなしにしてくれんかな、と思うのである。いろんなサイトのパスワード管理だけでも大変なのに、ハンコの管理などしていられないのである。で、ややこしいのはハンコというものが存在するからではなく、ハンコの載っていない通帳と載っている通帳、ハンコを登録した口座と登録しない口座が入り混じっているからなのである。
 世の中はだんだんハンコ離れしているようには思うが、どうせなら次第にではなく、一気に、一斉にハンコというものを廃止してはくれんものかと思うのである。昔は署名よりハンコのほうが偽造しにくかったのかもしれないが、スキャナと3Dプリンタの時代になって、偽造しやすいのはむしろハンコのほうかもしれないと思う今日この頃である。

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ymo

 かつてのお酒の飲み過ぎが祟って脳が委縮しているのかもしれませんが、まぁだんだんと物忘れをするようになっています。それは別に仕方がないのだけれど問題なのは、年を取って物忘れをするようになると、すぐに、あぁ~僕も年だとか、マズい、ボケてきたかもなどと考えてしまうことである。でも、必ずしもそうではないのだ。若いころから、いや、それが全ての人に普遍的な現象であると言うつもりはないけれど、僕の場合に限れば結構若いころからいろんなことをころっと忘れてしまっていたのだと思う。
 例えだ、読んだ本を時間が経つとほとんど何も憶えていなかったりする。中味は全く憶えていなくても、ただ面白かったかどうだったかの印象だけは残っていたりもするけれど、ひどい場合は読んだのを忘れてもう一度買ってしまい、途中まで読んでから、あれっこのストーリーはと思い出すような始末。
 本だけではない。言ったことを憶えていなくて妻に咎められることはしょっちゅうだし、それ以外でも日常的にいろんなことをほかっと忘れていたりするのだ。だから、むやみにボケたなどと悲観することはないのだ。若いころから結構ボケていたのである。
 まぁそういう感じもポジティブに生きるひとつのカタチなんではないかと思っている。ま、こんなこと書いたこともいつまで憶えているか分からないですが。

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mario

 帰宅後、喉が痛かったので風邪薬を飲んだ。そしてベットで本を読んでる間にもう薬が効き始めて、翌朝にはすっかり治っていた。こういう経験は若い時にはしたことがなかったので、そういうことがある度になんだかとても感慨深いのである。
 若いころはそんな早いタイミングで薬を飲むなんてあり得なかった。喉が痛い、はな水が出る、風邪かな、と思っても、とりあえずは放置、と言うか、様子見でした。翌日か翌々日、もう喉が痛くてたまらないとか、洟水がダラダラ止まらないという事態になって初めて、これはいよいよ風邪に違いない、と風邪薬を飲むのである。で、市販の風邪薬を飲んでもしんどくてたまらないとか熱が全然下がらない、となって、今度はしぶしぶカカリつけのクリニックに行くのである。何時も混んでいていきたくないのだけれど。
 何時の頃からか、ともかく風邪かどうか分からない段階で風邪薬を飲むようになると、風邪かどうか分からない段階で風邪かどうか分からない症状が治まってしまうことがあるのを知りました。体力に自信がなくなったからなのか。原因も分からないのに対症療法をするというのは、なんだか不道徳のように思っていたかもしれませんね。
 奥さんを観察していると、やっぱり早い段階で風邪薬や胃腸薬を服用している。なんであれ、年をとるといろんなことに気づく。

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JFK

 以前から家で小用を足すときには便座に座るようにしている。そもそもは家のトイレ掃除をいつからか僕がやるようになったことが遠因。トイレ掃除をやるようになったのには何の理由もきっかけもなく、ただ気がついたらそうなっていた。我が家ではほとんどそんな感じだ。多分僕がやらなかったら誰もやらないのだ。1階のトイレは年老いた母と僕、相方には2階に専用トイレがあるので無視みたいな感じ。ま、それはともかくとして、掃除をしているとやはり便器の汚れが気になるものである。
 立って高所から家庭用の便器に排尿するとやはり跳ねが飛ぶ。昨今便器の改良は驚くほど進んでいて、多分そういう対策も講じられているはずだが、それでも跳ねが飛ぶ。どんなに跳ねが飛んでいるか、素っ裸でしょんべんしてみれば分かるという説があり、試しに風呂上がりに素っ裸でやってみたら、なるほどおっしゃる通りであった。

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das

  煙草をやめて10年。健康診断の問診票に「煙草を吸いますか」→「やめた」→「何年間吸っていましたか」→「禁煙して何年ですか」という項目があり、あぁ10年って書くのだとね。
 その後1本たりとも吸っていないし、それほど吸いたいという衝動に駆られたこともない。断酒とセットでなんとなくやめてなんとなく続いている珍しいパターンかもしれない。だからそれほどの感慨はないけれど。ただ、10年というのは割合長い月日ではあります。
 この10年で僕の体の細胞は全部入れ替わったのでしょうか、肺など 体内の何処かに煙草を吸っていた時代の影響は残っているのか調べたら、肺がんリスクは男性は20年超でチャラに、、、。

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kurihama

 トイレの小便器の上の壁にこんな貼り紙がしてありました。いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます。
 これってなんか皮肉に聞こえますね。でも、トイレはきれいに使いましょうなんてストレートに書いてしまうとボクがきれいに使ってないとでも言うのかぁ~、なんて絡んで来る人がいそうですし。
 そんなことを考えていて思い出したのが、Thank you for not smoking という表現。これを初めて目にしたとき、ははあ、禁煙という日本語と比べるとなんと柔らかい表現だろうと驚嘆しました。これがフランクで社交的なアメリカ人気質なのかなあと感心しました。
 いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます。という表現は構造的には Thank you for not smoking とよく似ているのですが、しかし、どことなくなんか違うのです。たとえタバコを吸おうと思っていても Thank you for not smoking に出くわすと、あぁ~ら先に言われちゃった。という感じになるのに、便器を前にして「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」と言われると、なんかそこら中におしっこ撒き散らしたくなりませんか。 こんな風にクソ丁寧に書かれると、ちょっとイラッとしますよね。
 朝顔の 中に落とせよ 芋の露
 一歩前へ 君のはそんなに 長くない

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F500

 ここで出すわけにはいかないっ、おならをぐっと我慢した経験は誰にでもありますよね。首尾よく消えてくれたことに安堵しつつも、こう思ったことはないだろうか。我慢したおならは一体どこへ消えたのか。
 おならの成分で最も多いのは空気中に含まれる窒素。これに酸素、二酸化炭素、水素、硫化水素などが加わる。僕らが吸った空気は気管を通って肺に行くが、飲み食いを通じて胃にも空気が入り込む。例えば水を10cc飲むと胃に約18ccもの空気が入るという。その一部はゲップとして口から出るが、余ったものは腸に移行して、おならとして排出される。
 おならを我慢することで、体にはどのような影響があるのか。日常的には、おならをいったん我慢しても、次第に我慢が難しくなり、かえって大きなおならになってしまう経験をした方が多いのではないだろうか。おならを我慢すると、大腸の腸管の粘膜にある酵素がごく微量の硫化水素を分解する、その一方で新たな硫化水素が生成されるため、硫化水素の濃度が下がることはない。つまり、いったん出すのを我慢しても、その後で出すおならの臭いを抑えることはできないということ。
 では、おならを我慢することで体にはどのような影響があるのか。日常的には、おならをいったん我慢しても、次第に我慢が難しくなり、かえって大きなおならになってしまうようです。
 腸が張って動きが悪くなり、便が停滞することで、ますますガスがたまるという悪循環になる。食物繊維の摂取が不足して便秘がちな人は、大腸の壁が外側に向かって袋状に飛び出す大腸憩室ができやすい。ガスで腸が拡張した際に、腸壁の弱いところが膨らむのではないかと考えられています。大腸憩室が炎症を起こすと穴が開いて腹膜炎になることもある。おならの我慢は禁物ということで。by日経Gooday

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haru

 寒くて震えていたらいつの間にか暖かくなり、それがいつの間にか暑くなってぐったりしてたら、そのうちに涼しくなって、気がついたらまた寒くて震えている。そういう循環を一体いつまで何回続けるのだろうと思ったことも何度かあるのだが、しかし、世界中どこの国でもこんなに律儀にくっきりと四季が巡っているものでもないでしょうから。
 そう考えると、この四季のめりはりは、やっぱり日本人の精神性と言うか、発想の仕方と言うかに確実に影響を与えているような気がする。例えば輪廻転生とか因果は巡るとか。そういう理屈はともかく感性って、こんな風土の中で生きてきたから培われたってことはないだろうか、などと考えてみたりしてます。

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vw

 意地悪な気持ちを他人に対して抱くことが多くあります(笑)、本当に意地悪をすると真っ当に調和的に生きていくことができませんね。ですから、そうした気持ち負の部分を封じ込めるわけです。
 だけど心の奥底に封じ込めたといっても、自分の心から意地悪をしようと考えている影の意識が消えてなくなるわけではありません。ですから、ちょっとしたタイミングで封じ込めた影が表に表れてしまい、言わなくていいことを言って人とトラブルを起こしたりといったような、自分の意に反した行いを無自覚に引き起こしてしまうのです。
 お酒を飲みすぎたり、ギャンブルにのめり込んでしまったり、パートナーに酷いことを言ってしまったり。そりゃぁそうしたことをやってしまうと、人生が大きく損なわれます、自分自身も傷つきます。しかも無自覚、無意識に魔が差すようにやってしまうもの。そういった心の裏側を上手に味方にすることができれば、よりスムーズに生きていけるような気がします。
 
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beer

 飲酒運転の基準についておさらいしておこう。飲酒運転の基準は改正道路交通法で定められている。呼気1L中に0.15mg以上のアルコールを検知した場合、酒気帯び運転。0.15mg以上、0.25mg未満なら免許停止(停止期間90日)、0.25mg以上なら免許取消(欠格期間2年)となる。最近のニュースで飛行機のパイロットによる飲酒の不祥事が多い。有名航空会社のパイロットが乗務前の飲酒により逮捕されたり、呼気チェックでアウトとなり乗務交代など。飛行機は車以上に多くの人を運ぶだけに、ニュースを聞くだけで恐ろしくなる。
 飲んでも顔色一つ変えない人もいれば、一滴も飲めない人もいるし、飲めないわけではないけれどビール一杯で顔が真っ赤になって、あとは眠くなるという人もいますね。体質の違いとかアルコールの分解する能力の差とか個人差があります。二日酔いの朝に車を運転していいのか、どのくらい時間を空ければ運転していいのか。
 心配な人はアルコールチェッカーで呼気中のアルコール濃度を測ればいいかも。アマゾンで見るとタニタとかで数千円で売ってる。

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nite

 嬉しい言葉を絶妙なタイミングでかけてくれる人っているよね。どうして心の中わかるんだろうってとても不思議だけど、ひとつ言えることはそれだけ見守ってくれてるってことかしら。辛いときや、悲しい気持ちのとき、そんな感じでそばにいてくれたら、そんな人がいたら幸せです。肩に背負った人生の重たい塊、心の中に溜め込んだネガティブな荷物。誰だって降ろしたいですからね。
 精神が崩壊しそうなほど辛くて自分が折れてしまいそうな時。SOSを出すことは大切なことです。でも、それを出すタイミングとかの見極めが難しいのです。
 まだ頑張るのか、もう無理なのか。休息なのか、甘えなのか。あるいはどちらもあるのか。他者に非があるのか、自分に非があるのか。まぁそういうことをニュートラルに把握できない自分がもどかしいこともあります。
 自分の生き方に正解はないし、どう生きるかは人それぞれだけど。まあ、逃げてみたところで行った先々でもれなく試練が待っていますからね。どこまでいっても自分の道は自分で切り拓いていくしかないのだ、ということを過去の記憶からヒシヒシと思い起こすこの頃であります。

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nasa

 真面目で勤勉な人ほどストレスを我慢してしまうため、幸せ感が少ないと言われています。日頃から我慢に我慢を重ねて無理をしているので、ある日、予期せぬ形で、病気や疲労感、不安感や無力感に襲われることがあります。
 まぁ自分の気持ちに素直になるのが下手で、心の奥に抑圧した気持ちを抱えていたら。それはときとして、怒りや不満として現れ、無意識なうちに周囲に伝わってしまいます。結果的に、図らずも周りにいる人との関係を悪化させてしまいがちですね。
 人生が好転するためには、自分ファーストに生きることが肝要です。つまり、自分を愛し大切にし、心のニーズを満たしてあげることです。

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oe

 自分の心の中、感情、気持ち、やる気などをベクトルで見てみると、僕ら凡人ってのはかなり限られたキャパシティーしかないようです。
 スケジュール的にちょっとでも忙しかったり、日々のいろんな雑事のカオスのなかでいろいろあると、次から次に対応するために、悩み事や考え事ができない状態になる。
 つまり心のキャパっていうのは、自己防衛的に限られている。心が壊れないようにだと思うけど。平常心で、いろいろと考察をしたり、文章を書いたり、そんな事ができるのはやはり心のキャパに少しでも余裕の隙間がある時なんだよね。 心に余裕の隙間が多ければ多いほど、平安で安心な日々が続いて行くのでしょうね、、、、、。

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miniEV

 睡眠は大切だと分かっていても頭のなかで思考がグルグルとまわって寝つけない、興奮してしまって眠れないときというのは誰しも経験することですね。でも、眠れないからといってふとんから出てカラダを起こしてしまうのは実はとてももったいないことなのだそうです。
 カラダを横にして重力を分散するだけで、カラダに対する休息や癒し作用は充分にあるようです。今夜も眠れそうにないなぁ~とモヤモヤしないで。重力を分散しただけでもカラダは充分に休まるのだという意識を持って夜を過ごすようにしましょう。とは言っても睡眠導入剤に依存してしまっているわたくしですが。

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hua

 目をつむって自分の身体を観察してみてください。呼吸が浅くなっていないか、背中がこわばっていないか、肩に力が入りすぎていないか。肩にどれくらい力が入っているか、胃腸に違和感はないか、姿勢が崩れていないか。特に身体を観察してみて驚くのは、体の中にはいつもどこか痛みや痺れや気持ち悪さというものがあり、それが絶えず現れたり消えたりしていることです。
 焦りや不安で精神状態が悪いときというのは、必ず身体のどこか痛み等々が出ています。そして、その兆候を、実際に症状が出る前に感じ取れるようになると不思議なことに、目をつむって観察しているだけで調子が崩れにくくなり、好不調のブレがなくなり、気分も底上げされてくるんです。
 それは、自分の調子をモニタリングすることによって不安が軽減されるますから。調子の悪いときというのは、調子の悪い自分を今の実力だと思い込んでしまいがちです。自分で自分を観察する。5m上空から自分を俯瞰できるようになれば上級者です。

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bat

 自分の興味とか考え方で、ものの視え方が違ってくるとよく言われます。新しいクラウンが欲しいなぁと思えば、急に走ってるクラウンの数が増えたわけでもないのに、興味がある対象だからよく見かけると言うか、沢山走っているように感じるようになります。
 僕らは日々色々なストレスを感じながら生きています。その中で自分の偏った解釈のせいで、本来であれば感じる必要のないストレスまでも感じていないでしょうか。
 気分ではその他大勢から好かれる必要はないと考える、自分にとって大切な家族や友人たちから好かれていれば、それ以外の人から何と言われてもボクは幸せだと思える。よって必要のない努力をしたり、それによって感じるストレスを感じずにすむ。
 まぁ自分自身の価値観に従って思考すれば、不要なストレスは減るのかもしれません。変人と思われ、、、、。

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snoop

 ふとしたことで浮かんでくるアイデアや予感、そういったイメージというのは頭のなかにとどまってはくれません。ふう~っと湧いてきて、すう~っと消えてなくなる、忘れちゃうんですね。
 そこから想起してアイデアを膨らませることが出来れば、そしてそれを形にすることが出来れば最高の幸せがやってくるのです。そうは言っても人間そう簡単に上手くいかないのはご承知の通り。
 油断すると揮発しそうなイメージを固定化して、言葉として取り込んでおくことが大事です。自分メール、手書きメモ、写真でもいいけれど。記録すること。大切だと思う。
 断酒の方での幸せになるための基本でもありますが、約束を守れば人から信頼される、それと同じで、自分との約束を守ると自分に対する信頼度がアップする。

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china

 まぁ生きていれば、生活をしていれば、なにかしら失敗をやらかしています。同じ過ちを繰り返さないように反省をして、より良く生きようと努力することが肝心です。そして多くの失敗をしたからこそ人間的な深みがあり、人の痛みや苦しみを理解し、思いやりや優しさをもって賢くしなやかに生きている人もいます。
 人生、失敗はつきものだけどそれをダメの象徴と捉えるのか、自分自身のステップアップ過程とするかは自分しだい。酒の失敗のせいで惨めな人生を生きているかというと、決してそうではないと思ってる。そういう過去をステップとしてより良い何かを感じられたらいいよね。

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2019

 良い悩み事、悪い悩み事、色々と悩むことは誰にでもあります。その悪い方の悩みの種を大きく育ててしまうのか、はやめに刈り取ることができるのか。そこが分かれ道かもしれませんね、楽しく明るく生きていける人、奈落の底に落ちる人に分かれるわけです。
 同じ人間でも悩みの種との向きあい方、対処のしかたが根本的に違うのかもしれません。怠けてしまう人、壁にぶち当たって途方に暮れている人、生きることの舵取りを放棄している人等々で色々だよね。
 不安なことがあると、人はどうにかして自分で解決しようとするもの。だから、思い通りに進まないとイライラしてしまうのです。自分の力ではどうにもならないことがあることを知りましょう。運命に委ねることを覚えるのです。失敗した、と思っていることでも後から振り返れば笑い話になることはよくある話。人生には、いい面と悪い面の両方があって然るべきなのです。

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ministar

 20代のころ真冬のゴルフではバッグにウィスキーのポケット瓶を入れておいてティーグラウンドでタバコを吸いながら、キャップでキュゥッと一杯ひっかけてティーショット。仙石原の別荘にいて雪がなければ芦ノ湖カントリーによく行ってた、このコースは神奈川から静岡県に入ったこころにあって、ゴルフ場のタバコ自販機に関東地方では売っていなかったミニスターと言うのを売っていた。ミニサイズ65mmと呼ばれる非常に短いサイズが特徴で、巻きも細身、そのため1箱30本入りとなっていて、パッケージが珍しく横長になっていた。30本入りで短いから18ホールのラウンド中に吸うのにちょうど良かった。
 ポケット瓶のウィスキーがキャップで飲んで18杯でなくなるから、ゴルフは18ホールになった。スタートホールでウィスキーをグビリとやり、ちょうどなくなったのが18ホール回ったところだったから、ゴルフ場は18ホールが基本というスコットランドの伝説である。

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wan

 ムダ遣いをしないというのは、お金を使わないということではなくて、生き金を遣うという感じですかね。自分がワクワクしないモノやコトにはとことんケチになります。でもこれは気分が上がると納得できるモノやコトには思い切って投資します。おなじお金を使うのでもこの意識があるかないかで、今年の年末には100万円が貯まっている計算です(笑)
 思えば、毎晩の晩酌と外での飲酒費用を年間でみるとかなりの酒代を支払っていることになります。例えば毎晩ビール500mLとチュウハイ350mLを2缶ずつ、週3回の外での飲酒を1年間続けた場合の概算を計算してみると、飲み屋の程度にもよるけれど100万~200万円にもなります。もし僕が飲めない体質だったら家が一軒建っているということですね。
 断酒してから、その余剰金はどこに行っていまったのか。不思議です。

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sisi

 日本には、一つのお店に長居することはよくないと考える風潮が昔からあります。適当なところで切り上げて次のお店に行くのが当たり前河岸を変えると言うとなんだか粋な感じがしますが、2軒目、3軒目になると記憶がなくなるという経験をした人も多いですよね。
 終電で帰ろうとするのも飲むペースを上げることにつながります。終電まであと30分だからあと2杯は飲めるなどと無理をしてしまうからです。また飲み会に遅れて参加しても駆けつけ三杯とばかりに、つまみも食べずに急いで飲む。その結果、待っているのは二日酔いです。
 ヨーロッパの人は、一つのお店に陣取って、長い時間をかけてゆったり飲みます。おしゃべりしながら、食事と一緒にワインを味わい、仕上げにグラッパなどのスピリッツを飲むというのが一般的です。
 そこで飲むペースが速いとどうなるのか、血中アルコール濃度が上がり、悪酔いするだけでなく、脳の中で理性や思考を制御する前頭葉の機能が低下してきます。すると、自分で自分をコントロールできなくなって、笑い上戸になったり、泣き上戸になったり、歯止めなくお酒に手を出して飲み過ぎてしまったりするのです。

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queen

 泣きたい気持ちは誰にでもあるものだけど、大人になると人前ではめったに泣けなくなってしまいますね。一般的に男のくせに泣くんじゃないと泣くことを抑圧されて育ちます。女の涙はもっと複雑な立場に置かれています。男ほど泣くことを抑圧されてないけれど、社会に出ればそこはまだまだ男社会でできていますから、女性も男と同じように涙を封印することを求められる空気に満ちています。
 男女平等、男女雇用機会均等法、男女共同参画とあるのだからその空気に適応してがんばらないとイケナイ雰囲気。そこでお酒に逃げやすいのは男の方ですかね。まぁ逃げた結果がアルコール依存症になってしまうのでしょうが。何を言いたいのか。
 泣いちゃいけないと我慢してしまうと、そのエネルギーは心へ。泣きたい気持ちは封印しちゃイカンと言うことで。

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hoppo

 朝晩が寒いと感じる様になって来た。もう立冬を過ぎて暦の上では冬。熱いコーヒーを飲みながら空想や物思いに耽るのが楽しい季節でもあります。
 無条件で平和条約を結ぼう、北方領土問題は条約を結んだ後で。ニュースでは色々言っているけれど、やっとプーチンが平和条約を結ぶ事に本気の雰囲気を出してきましたね。このいきなりの高飛車な申込みは交渉ごとの、彼らのスタイルですから。まず相手の受け入れられない自分有利の意見を出してくる。そこから、相手の出方を見ながら少しづつ条件を小出しに出して行く。どの辺のラインで手を打つかは交渉している本人たちの頭加減・力加減だけど、実のある実績を望まなければこうした交渉の形にはならないですね。
 今回はおそらくプーチン自身がそうした実績を欲しいと思っている感じです。交渉が成立する条件は揃っているけれど、まず日本の望むようにはならない。良くて2島返還、国後まで含めての可能性は物凄く低いけれど、国後の一部でもそれに含まれれば、安倍首相の勝利と言ってよいけれど、難しいだろうなあ。
 北極海の権益を狙って中国がどんどん進出しようとしているのを、ロシアはどうにか防ぎたい。そのブロックパートナーとして、日本と協力したいのではないかと。でもロシアだけの話ではなくて、中国も日本と関係が少し前進していますよね。中国は当然ロシアやアメリカが対峙する相手だから、日本と協力したいと思う。アメリカはアメリカで、中国やロシアを相手にするときに、やはり日本と協力したいと思うでしょ。
 まぁ政治家というものは素人の考えるそうした結果を超えてこそ、歴史に名を残す存在となるわけだから。プーチンも安倍首相も、この交渉で歴史に名を残してもらいたいよね。彼らの時間だって、そんなに多くは残っていませんから。

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umeko

 若い頃、年齢を経れば誰でも自然と大人になるものだと思ってた。年月が経てば誰でも普通に成長するものだと思っていた。20代、いや30代でもそんな甘いこと考えていたんじゃないかな。そしていつしか気づく。
 自然になれるわけがないじゃないか。大人になるのも成長するのもきちんとした積み重ねがいる。ちゃんと練習し続けないとうまくならないように、きちんと努力する長い地道な時間がいる。それをちゃんとした人だけ、魅力的な大人になっているのだとね。
 50代くらいになってくると、そのあたりをさぼった人とさぼらなかった人の差が歴然と開いてくる。60歳近くなると悲しいことに、どこから見ても老人と化してる奴も出てきてる。自分は違う、まだ老人には見えないと思ってる錯覚野郎かも。
 ボクが思うに、大人になる過程で子供な部分を大切にしたかどうか、成長しつづける過程で成長しない自分を大切にしてきたかどうか。そんなことが残りの人生に大きくかかわってくるようなことを感じてる。

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subaru

 11月ですね59歳になりました。過ぎ去っていく時間を振りかえれば、その流れの早さに驚くばかりだけど、先を見据えて考えるとマダマダこれからという気持ちでもあります。アルコール依存症という縛りに不安を覚えていることは事実だけど、振り返る過去も、見据える未来も現在の自分を見据えて考えれば、大丈夫と思うしかありません。上を向いて歩かないと。
 秋ですね、淡々と日常はすぎてゆくのだけど、生きていくことは暮らしていくこと、そして暮らしていくことは生きていくこと。そのシンプルなことに気付いたら、日常のささやかな暮らしも楽しく、生きることはとても面白くなるに違いないよね。

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メルケル

 KDDIと楽天が提携すると発表しました。楽天の携帯電話市場への参入で、3社寡占の構造に楽天が挑む構図と思いきや、急転直下、KDDIと組むとのこと。政府による異例の料金値下げ圧力や、同市場の成長余地への厳しい見通しがあるとみられます。中古ブランド品流通最大手のコメ兵と、「コメダ珈琲店」で知られるコメダホールディングスが連携し、コーヒー店敷地内でブランド品を買い取る取り組みも、フリーマーケットアプリ隆盛への対抗策です。喫茶店ビジネスも群雄割拠の中、安泰ではありません。連携で新しい価値を顧客にいち早く提案できるか、見切りの速いお客さんは待ってはくれないでしょう。ドイツでは有権者に見切られたメルケルさんが静かにドイツの旗手の立場を離れます。民意をはかりかねたというだけでは説明できない 新たな政治の潮流。若者の気持ちを分かりかねて立ち尽くす年配者の姿が見えます。

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cub

 人はみんな親に育てられて成長する。ぼくらの年代になると今度は逆に親の面倒を見ることになる。
 いつまでも健康であればいいけれど、少しずつ体調を崩して行ったり、物忘れがひどくなったり、怒りっぽくなったり、足腰が痛くて歩くのが遅くなったり、だんだんとからだが弱っていくのは否めないですね。
 近頃のお年寄りはデイサービス、ペインクリニック、脳外、内科、歯医者、マッサージとか色々と忙しい。そういうのを苦労と思うか否かは、今までの親子関係とか現在の家庭環境や状況によって個々にちがうと思う。
 車がなければ急に病院へ連れて行くのも大変だろうし、そうは言っても見殺しには出来ないし、動けるうちに行けるところには連れて行ってあげたいけれど。
 そんな諸々なことを当たり前なのかもしれないけれど、またぁ~って嫌な顔しないで当たり前に出来る人は素晴らしいと思う。
 10年前に初めて久里浜病院に行ったのも母とだし、アルコール科の家族会にも電車とバスを乗り継いで必ず出席してくれてたんだよね。うちは悪性リンパ腫15年目と重度の脊柱管狭窄症だけどまだ動ける、永生きしてね。

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ymo

 アルコール度数の高いウイスキーやウオッカをストレートで飲むと、チリチリっと焼けるような刺激がある。その刺激が食道を降りていく感覚が最高。あの何とも言えない刺激が飲んでるなぁ~という感じで、たまらなかったりする。この飲み方、もちろん好きですが食道がんの手術した二人の知人を思い出す。一人は久里浜に入院当時、胃カメラを引き抜くときに久里浜では常識のヨウド染色で食道がんが見つかった同期の人、彼は市立病院に転院してガンを切ってから久里浜に戻って、アルコール依存症の治療も終了して退院した偉い人。再発してなければイイですね。
 食道がんといえば、世界的指揮者の小澤征爾さんやサザンオールスターズの桑田、高アルコールのお酒をストレートで飲み続けるという飲み方が食道がんにつながったのでしょうか。
 もう一人は、歯科医の友人で愛煙家。歯科治療の時にタバコ臭いと患者さんに悪いから、治療前に10年とかのスパンで毎回モンダミンでお口クチュクチュをしてたら、モンダミンのエタノールが原因で食道がんになった。今の時代、発見が早ければ切って治るから元気に生きてるけれど、怖いですね。
 食道がんを誘引する原因は粘膜のやけど。お酒の場合はエタノール(アルコール)によって、粘膜の炎症、つまり化学的なやけどが起こっているのです。ウイスキーやウオッカなど高濃度のアルコールをストレートで飲んだ際、喉がチリチリっと焼けるような感じがする。それこそが粘膜の炎症です。
 もちろん、一回程度の急性の炎症なら、きちんと再生されます。しかし、こういった炎症を日々繰り返し、慢性的な炎症になると、細胞組織が再生する過程で遺伝子のコピーミスが起きやすくなり遺伝子が傷つく機会が増え、がんにつながると言う理屈のようです。
 大酒飲み、アルコール依存症の人は相当に危険なのですね。

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osamusi

 羽田から新橋方面に首都高横羽線の下を車で走ったら、海側の再開発された辺りは本当にビックリ、芝浦から汐留なんて高層ビルが密集してる。あんなにビルを建てて入居する人や会社あるのだろうかと思うのは僕だけなのかしら、昔からある内臓系の焼きトン屋がまだ営業してたり、蒸気機関車とニュー新橋ビルがまだあるのはホッとしたけれど。
 マッカーサー道路、虎ノ門ヒルズが出来ちゃって道路がまったく変わってるし、山王日枝神社の階段にエスカレーターが出来てるし、赤坂で生まれ育った人間としては浦島太郎みたいな感じかな。
 都内をクルマで走り回っていたのは大学時代だからもう40年前くらい。あの頃は道をいっぱい知っていたけれど、もうずいぶん忘れてしまったと言うか道が変わってるのね。田中康夫がブルータスで東京の抜け道を連載していた時代、ここを曲がると誰も知らない超近道があるとか、ここで赤信号なら左に曲がって回り込んだ方が直進より早いとか、いろんなトリビアを身にまとって走っていた。その頃、青山通りの赤坂警察の反対側でスピード違反で捕まったら、思いっきり酒気帯びで警察に車を置いて歩いて帰った。たしか免停180日だったか、そのころからア症の予兆があったのですね。
 都心は高層ビルによって景色は様変わりしてしまったけど、横道に入ると
昔からやってるお店があったりして、なんかそういう道には過去に落とした匂いみたいなものが染みついていてわかるのだ、懐かしいなぁ。

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R2

 10月、今年もあと3ヶ月しかないのか。まだ3ヶ月もあるのか。深まりゆく秋のもの寂しさも手伝って、何となく三ヶ月しかないと思ってしまいます。今年やると決めていたこと、やりたいと願っていたこと、あと三ヶ月の間にできるかどうか。やるしかないって方向にはいきづらい感じなんですが。
 大人になったら、年齢を重ねることでもっとラクに生きられるようになるのだと漠然と思ってたけれど、そうじゃない現実を突きつけられる毎日ですよね。そんな風に思ってた昔のほうが、よっぽどラクだったですね、昔は良かったってね。
 年をとるにつれ、日々の行為や行動の多くがワンパターン化してきていますよね。着るものを筆頭に、遊びに行く場所、テレビ番組や毎日の献立、外食でのメニューなど。改めて思い返してみると、そう言えばいつもと同じって感じになっています。考えるのって面倒だ、になってる。
 脳を元気に保つためには、いつもと違うことが必要なんだそうです。年齢に関係なく、脳は新しい経験や学習などによる刺激を受けることで、神経細胞のつながりを広げたり、強化したりして働きを高めたりしていくのです。ですから毎日ひとつでも意識して行動を変えて、脳にほど良い刺激を与えていきましょうね。

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neko

 彼岸の入り。ついこの間、九月になったばかりのような気がしていたのに、このカレンダーの早さはなんなのか。暑いままなのか、涼しくなったのか、寒さを感じるようになったのか、季節への感覚は鈍いままなのに。でも街のショーウィンドウは、すっかり秋冬モード。
 季節の先取りって、なんだか人より優っているような気分になれますよね。それは、勘違いでしかないのだけれど。面白いもので、人と同じ、人と一緒、というひとならび感覚を持ちながら、同時に、人より先んずることにも憧れるもの。
 みんなと一緒でないことを怖がるけれど、頭ひとつ分、先に進んでいたいような気持ちってのもありますね。だからこそ、頭ひとつ分自分より出ている人を批判したり、叩いたりとなるのだけれど。

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botl

 人は経験をもとにさまざまな価値や人生における方針を形成していきます。いったん得意なパターンが形成されると、それが固定され、あとはただそれをなぞるように生きがちです。
 そのパターンが常に豊かな日々に役立てばいいのですが、ときとしてその固定された慣れ親しんだあり方や関わり方が、豊かさから己を遠ざける原因になることもしばしばです。
 態度や人生を反省することは、人生をしなやかに生きるうえで、とても大事な姿勢ではないでしょうか。そして反省とは後悔や自己批判ではないということも知っておく必要があります。反省とは善処の種ですからね。

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