tisana


故人もきっと喜んでると思います。有名人の葬式でのインタビューでよく聞く言葉。ジャニー喜多川さんのお別れ会のニュースでマッチが話してた。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか。

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

そもそも葬式とか告別式とかいうものは死んだ人のためのものではなく、残された人たちの魂を鎮めるものだと僕は常々思っている。

だから、もしも僕が死んで、死んだ僕のために何かをしてやろうという人がいるのであれば、その人のやりたいように存分にやれば良いと思う。まぁ相方も含めて誰もいないと思いますが(笑)

僕自身としては、僕が死んだあと法律で定められた最小限のことをしてくれればそれで御の字である、最近流行りの小さなお葬式で。でも、もし遺族が望むなら別に東京ドームででも日本武道館ででもお別れの会をしてくれて構わない。僕は既に死んでいるわけで、そのことを喜びも悲しみもしない、と言うか、喜んだり悲しんだりする自分はすでにいない。

それが僕の死生観である。

先週、母が入院して、このまま逝ってしまったら。なんて考えていたら死生観という言葉が頭の中に出てきた。まぁ、単なる老人性喘息で1週間で退院したのですが。

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