neko

 都会の中にいると季節を実感することは少なくなってます、だけど春は鈍感な僕らにもわかりやすい季節ですね。うつむき加減でよく目を凝らし、耳を澄ませてみれば住宅街の道路の中にも小さな命の伊吹があることに気づきますね。
 そして、そんな季節感といえば周囲のことばかりのことではなく、僕らの心やカラダの中にもなにかを感じるものを持ってます、年齢や性別には関係なく生きている限りつづくイキイキ感、ウキウキ感、良いことばかりでなく痛みや不安、デジャブ~的な罪悪感とかね。
 毎年、春になるとやってくる芽吹きのような心もよう。どんな老木でも生きているかぎり芽吹きはやってくる。それって枯れ葉を落としてこそやってくるもの。
 だから僕たちだって、どんなに齢を重ねても生きているかぎり新陳代謝を繰り返すんです。加齢なんて言葉には敏感ですが、人が生きるために必要な空間というか生きる環境の質を決めるのは僕自身です、そこに存在する不要な環境やモノとか人間関係を自分にとって本当に必要で、適していて、快いモノなのか。
 その中でガマンしなくていいようなものは長期的にみれば、思いもよらぬほどたくさん溜まっていて大きくなっているかもしれないし、だから思い切って切り捨てることも必要なのかもしれませんね。

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