世知辛い世の中といわれ、無機質でドライで無縁社会であるといわれる東京。

 原子力発電で作られた電力を消費してきたのは、ぼくらを含め、主に東京で生活する者であり企業が大部分だろうと思う。

 被災地で、そして東京でも電気がなくてはいのちを維持できない人もいることを心にとめた上で、これからの原子力発電がどうなるのか、そして電力供給の不自由さをどこまでシュア出来るか、国家や個人それぞれのレベルで再度考えることも、被災地の外にいるぼくらにできることのひとつ、ではあるはず。

 考えるのはタダだし、どんどん考えよう。