昭和時代は、優秀なヒトは何かヒトと違う異様な部分が目立っていたと思う。見るからに人と違う雰囲気をまとっていた。芸術・音楽・なにかを作る人とかは特にね。そうしないと「大衆」から抜け出られないからだろうな。群から抜け出て目立つための方策でもあったのだと思う。

 で、大衆が死語になりつつある現在、群から抜け出てますよというアピールがいらない。「個」を必要以上に主張しなくてよくなった分、そういう人たちも普通で常識的で等身大でいられるようになったのかも。

 いや、逆か。普通で常識的で等身大であることが逆にとっても大切になったのかも。そうしないと共感を呼べない。生活者と豊かなコミュニケーションをとれない。そういう時代。
 企業人もアーチストも普通っぽくて常識的な人が増えたけど、小粒になったとかそういうことではなくて、それがとっても大切な時代なんだな、きっと。

 昼にのり弁当¥290食べてる時にもらった 小粒納豆パックをまぜまぜしながら、考察(・∀・)