nyu朝からカンカン照りだ。 暑い! 

 子どもの頃の昭和30年代には水道の水を飲むのが当たり前だった。古い家は井戸があって大きな手押しポンプで流しに繋がっていたり、庭に散水していた。

 最近は水道水をあまり飲まなくなったけど、昔のようにカルキ臭い訳でもないし、水質検査もしてるみたいだし、東京都の水はボトルで東京水として売っているのだから(笑)構わないと思いながらも何となく容器に詰められた水を飲んでいる事が多い、しかし災害時の水の確保を考えると家に一箱ペットボトルがあると安心だ。

 幼児を放置して死なせてしまった悲しいニュース。胸が締め付けられる様な傷ましさと共に一生救いようの無い十字架を背負って行くであろう若い母親も可哀想との想いが心の隅にある。甘いかも知れないが独りで子育てする大変さ、そこから逃げたい気持ちは判らないでも無いかも。

 時代によってさまざまな考え方や欲求は違うのだろうし、昔の尺度で今は計れない。

 でも 独りでの子育ては重荷だったろう、助けを呼べないのが都会かな。 指弾はいくらでも出来るが、こういう事件が起こる前に個人に出来る事って何も思いつかない。 地域の顔の見えない生活をするようになって、大人として役割を果たしていない個々、そのは功罪は深いいようだ。

 PS:東京の水道は、家康!江戸時代から普及していたのだ、何時か考察予定!、御昼:鳥ぎん・やきとり丼で。