ちょっと前まで、不思議だったり・物事が視えていなかったり・納得できなかったことが、齢50すぎて(まあ、自他共に認めるようなオトナになると)「ああ、なるほど!」と、ふと腑に落ちるというか突然「わかった」りする事がある。それは、論理的な流れの落としどころが見つかる(理解する)というより、もっと感覚的な意味合いの「座りのよさを感じる」(納得する)場合のほうが多い気がする。

 世の中には様々な「約束ごと」や「理(ことわり)」があって、「常識」というか「安定的で平和的な価値観」を形成しているわけだけれど、その中には若い時には「わからない」ことや「認めたくない」ことや「できれば避けたい」ことも多くあるのだね。で、そのすべてに「留保なしで納得」するほど、老成はしていない(全然!<笑)つもりだけど、上述したような発見は、わりとしばしばあるな、最近。

 分別臭いオトナにはなりたくないんだけど!でも、説教&教訓&自慢話オヤジにだけはならないように注意しよ(爆)。

 実際には50歳寸前に、否認の病(やまい)と言われるアルコール依存症のプログラムを久里浜病院で受けた事で、周りが少し視えてきたのだと思う。

 何事も、精進、精進(笑) 8月はボギーで良しとしよう!