「我が家の歴史」第3夜。リビングのテレビで流れている番組を先夜から観ていたんだけれど、存外おもしろい。昭和的な様々なエピソードが(ちょっと無理矢理かつ強引に)ちりばめられていて、客を楽しませることに徹しているのが、さすが>三谷幸喜さんの脚本。柴崎コウって女優は、素敵だ。戦前&戦後すぐの話など、母上の解説が入る(喋りまくり<爆)、僕だって少しは知ってまんがな!

 そう言えば、五年くらい前に一〇〇歳寸前で亡くなった、母方の祖母は、笠置シズ子さんと姉妹のような、お付き合いだったっけ、小学生の頃に、笠置の叔母様から、お年玉(聖徳太子の千円札)を貰うのが毎年楽しみだった(笑)ブギウギ!

 笠置シズ子 1945年(昭和20年)11月、再開場した日本劇場の最初のショーから出演し、1947年(昭和22年)の日劇のショー『踊る漫画祭・浦島再び龍宮へ行く』で歌った、服部良一作曲(笠置の歌曲のほとんどを手がけた)の『東京ブギウギ』が大ヒットし、戦後の荒廃した庶民の心に開放感をもたらす。以後『大阪ブギウギ』や『買物ブギ』など一連のブギものをヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれる。美空ひばりが登場するまでスーパースターとして芸能界に君臨した(美空は笠置の物真似で有名になった)。笠置のマネージャーをしていた男が美空ひばりを笠置より先にハワイでの公演をさせたため、真似されている本人が「美空ひばりの持ち歌を歌っている大人」として現地に誤解を招くという事態を招き、ひばりにブギを歌わせなかったと言われているが、当の笠置自身がそうした営利を目的とした人物の被害者であったことはあまり知られていない。

 東海林太郎や淡谷のり子など歌を重視する従来の歌手と違い、笠置は派手なアクションと大阪仕込みのサービス精神にあふれ当時として斬新なものであった。「ヘイヘイブギ」では笠置が「ヘーイ・ヘイ」と客席に歌いかけると観客が「ヘーイ・ヘイ」と唱和し、文字通り舞台と客席が一体となるパフォーマンスを繰り広げ、「ホームラン・ブギ」では高下駄で応援団長の扮装で登場、勢いあまって客席に転落。「買物ブギー」を歌うときは熱演のあまり、履いていた下駄がいつも真二つに割れてしまうほどであった。阪神タイガースの藤村富美男が笠置のステージにヒントを得て派手なプレーを心掛けるようになったのは有名である。 今日でも彼女の歌がカヴァーされ日本のポップスに多大な影響を与え続けている。

Wikipedia

 そう言えばかなり昔、笠置さんのお通夜に家のおばあちゃん乗っけてBMWで斎場に行ったら、一瞬フラッシュや照明を照らされたけど、たんなる一般人だと判ったとたんに真っ暗になったっけ(笑)