「サービスを必要なことだけに限ること」

 省エネという点から言えば、その極意を満たしているのがコタツである。大腿部から下を温めることによって、全身の血液を温めることが可能で、それ以外の部分に接する気温が低くても、寒さを感じることはない。しかも、肝心の頭は低温に保つことによって、活発な脳活動を可能にしている。

 コタツの考え方と対極にあるのが、西欧的な考え方であるセントラルヒーティングである。誰も人が居ない部屋も暖房することは、無駄でしかないのだが、無駄にエネルギーを使うことを豊かさと定義している。効率を考えるなどということは、「貧乏くさい」。これがセントラルヒーティングの発想である。

 コタツの優れたところは、極めて限られた体積を断熱のよい状態にして、その空間のみの温度を制御していることである。そして、もともと適度の放熱が必要な頭部を温めないことも評価すべきポイントである。

 すなわち、サービスをある空間だけに限ることがコタツの本質である。空間だけでなく、より一般的な表現をすると、次のようになる。「サービスを必要なことだけに限ること」。

 、「必要なことだけ」の「こと」には、3種類の意味があると考えている。今のところ、(1)空間、(2)時間、(3)方法、をこの3種としている。熟成度が低いので、将来、変化する可能性も否定できない。

 コタツは、オリジナルの「空間」に関する優等生であるが、「時間」「方法」についても優等生かと言われれば、多少違うかもしれない。

 こんなものを「時間」と定義している。エアコンの場合でも、部屋に人が居なくなったら、送風を止めるといった方法である。

 「方法」の解釈には、多少広がりがある。真意は、「無駄の無い高効率な方法」であり、「高断熱」とか、「高効率」とか、「自然エネルギー活用」とか言った概念をすべて含むものである。

 水道水が飲めるのに、ペットボトル入りの水をフランスから輸入することは、この最後の「方法」に反する行為である。

 ここで新コタツ文明の意義を再度考える。実は、地球の限界と調和する文明はセントラルヒーティングに代表される西欧型ではない。そして、海外に売り込む製品を作る思想が新コタツ文明なのだ。コタツ文明は、どうやら内向きマインドであって、海外にそれを普及させるという方向とは違う。ここにちょっと考えると矛盾があるようにも見える。そこで、「コタツ」ではなくて、「新コタツ」文明なのである。

 この「新」は、少なくとも、アジアに向けて広がるマインドを示す言葉なのである。西欧は、すでにセントラルヒーティング的な快適性に染まりすぎているため、新コタツ文明を受け入れないかもしれない。中国は若干の疑念があるが、それ以外のアジアが西欧型文明に染まる前に、是非とも、新コタツ文明を普及させる必要があるだろう。

 消費者も、経験から、もっと賢くなることだろう。そして、新コタツ文明のような考え方に共感する人々は増えてくることだろう。丁度、日本のエコカー(電動併用エンジン)が徐々に、しかし確実に世界に浸透していったように。

 新コタツ文明を、まずはアジアに。そして、世界に広めることが、恐らく、日本という国にとって、使命とでも言うべきことだと思うのである。



 
 こういうの「老婆心」ってんだろーな(笑) 四次元エコ・引用
 うちは炬燵!ないんだけど(笑)