競馬の第54回有馬記念(27日・中山競馬場、G1・芝2500メートル)の出走馬16頭と枠順が24日、日本中央競馬会から発表された。

 3歳牝馬の春2冠を制し、ファン投票2位のブエナビスタは1枠2番。今年の皐月賞馬アンライバルドが1枠1番、菊花賞馬スリーロールスは5枠10番。古馬勢では、一昨年の覇者マツリダゴッホが4枠7番、春のグランプリ・宝塚記念を制したドリームジャーニーは5枠9番に入った。


 勝負師としては、おさ虫が11月4日生まれ、てーちゃんが11月5日生まれと言う事で、1・1のぞろ目、1・4、1・5、以上3点、100万円ずつ枠連で、。。お願いします。


 しかしギャンブルは、久里浜精神科主治医のDr.K(ワシントンDC出向お帰り待ってます)に禁止されてますので、予想のみ<爆笑


でも、マジっす!


 有馬記念とは?

 1955年まで暮れの中山競馬では中山大障害が看板競走であったが東京競馬場で行われていた東京優駿(日本ダービー)と比べると華やかさに欠けていることは否めず、そこで当時の日本中央競馬会理事長であった有馬頼寧が中山競馬場で大レースをと計画し、しかもそのアイデアとしてファンがより親近感を持てるようにとファン投票により出走馬を選出するオールスターレース方式を導入。プロ野球のオールスターと同様の競馬のオールスターレースは、当時の世界の競馬先進国でも類を見ない画期的な選抜方法(他に推薦委員会による推薦馬の選出があったが、形骸化したため1995年を最後に廃止)であった(のちに宝塚記念もファン投票方式と推薦委員会による推薦方式を採用。第1回中山グランプリは1956年12月23日に中山競馬場の芝内回り2600mで催された。なお、八大競走の中では唯一開催地変更が無いレースでもある。

 しかし第1回を盛況の内に終えて間もない翌1957年1月9日に提唱者の有馬が急逝したため、有馬の数々の功績を称えて第2回以降は「有馬記念(グランリ)」と名称が変更となった。期せずして、これは日本の公営競技等のレースでレースの提唱者の名前がレース名となった最初の例ともなった(後に安田記念も同様の例となっている)。このような経緯があるため、現在でもJRAの競馬番組表やレーシングプログラムでは競走名が「有馬記念(第○○回グランプリ)」と表記される。競走名の副題から優勝馬はグランプリホースと呼ばれることがある。

現在の優勝レイは、青色の地に金色の文字となっている。