アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

2020年12月

neko5


冬至を過ぎると少し嬉しい。夏至を過ぎると悲しくなる。夏は好きな季節だけど、最近の夏は地球温暖化で亜熱帯化して相当あつくるしい。しかしそういうことは関係がない。暑いのと寒いのと、どちらが過ごしやすいか、といった問題でもないのです。

冬至を過ぎると、日がどんどん長くなるのが嬉しい。

ここが山の頂き、ここが谷の底とはっきり分かっているのなら、山頂よりも谷底のほうが好き。これ以上は日が短くならないという事実に心が励まされるのです。

まぁ山頂よりも谷底に安堵するのが僕らしいメンタリティであり、アルコール依存症として僕のパーソナリティであるのかもしれない。アル依の関係で底つきは十分に体験したことだしね(笑)

底つきというのは酒の魔力にギブアップすること、酒の誘惑に対しての無力さを受け入れるということ。

僕らは酒を飲みながら人間らしく生きることはできないし、酒をやめなければ生きていけない。底つきは知識として知っているだけでは効果を発揮しない、本当に酒を卒業できていれば申し分ないけれど、長年に渡ってできた心と脳の習慣は簡単には変わらないからね。

まぁそんな感じで冬至の時期に底をついたと言うか、今年もなんとか無事に通過できそうな安堵感というかねぇ。

そういうわけで毎年冬至を過ぎると少し心が明るくなる。緑内障ぎみの眼で暗くなる夕方に運転するのがイヤということもある。

そして、クリスマスがくる。子供の頃から今に至るまで美味しいものを罪悪感なしで食べられる日だから好き。

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corona

新型コロナウィルスの猛威がいつごろ収まるのか見通しが立たない。皆なんとなく不安な日々を過ごしてる。お出かけや外食がままならなくなり、楽しいことが出来なくて窮屈になった。僕もそうだけど、多くの人が「コロナで」「コロナのせいで」などと言っています。

まぁ考えてみれば「コロナ」って、元々は悪印象の言葉じゃぁなかったよね。僕が人生で最初に出会ったコロナは自動車の名前だったトヨタのコロナやコロナマークⅡ。自分が車を運転できるようになる前、大人たちがカローラの次に乗る少し上級の車だと言っていたその言葉が、当然車好きの子どもたちの脳裏に定着していた。

その次のコロナは小学校で理科の時間に習った─太陽のコロナ。太陽の大気層の最も外側にあるガスの層で、普段は目に見えないが、皆既日食のときにはきれいな輪っかに見える。生きているうちに見てみたいなぁと当時から思ってた。

その後、お酒を飲めるようになってから知ったのがコロナ・ビールかな。渋谷辺りのバーでライム突っ込んで瓶のまま飲むのが流行ったよね、30年ぐらい前かしら。さんざん飲みましたぁ~(笑)

いずれにしても、コロナって以前はそんなものに代表される、そんなイメージの、つまり、決してイメージの悪くない言葉だった。それが、急にこんなことになってしまったことを、僕はなんか残念に思うのだ。コロナという名前の少年がいじめられたなんて話もあったし。正義のコロナが悪者のコロナに堕ちて行くのが残念だよね。

海外では covid-19 という言い方もそこそこ定着しているのだろう。発音しやすく憶えやすいという観点からこの名前が付けられたとも聞いた。しかし、英語で言うと covid nineteen は日本語のカタカナにして発音するには少し長過ぎる単語だ。

100年前流行のインフルエンザはスペイン風邪、だけど武漢風邪とかチャイナウィルスとはならなかった。そりゃあそうだよね、トランプぐらいしか言わないよね。そんなこと考察してたんだけど、まぁ決してコロナウィルスの撲滅には繋がらないにしても、少しは気分転換になるかもしれないし。

ならんか(笑)

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