アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

2019年09月

tokyo

考え及ばないことってたくさんあるんだなと思う。そして、そこに科学が進歩する余地があるんだろうなと思う。そこに気がついたり、最初に発明した人は凄い。そういうところに僕ら個人の単純な発想ではたどり着けない人間の英知の集積があるのかしら。

これだけ世の中のいろんなものが電気仕掛け、コンピュータ制御になると、停電になったらどうなるんだろう、とときどき心配になる。

でも、まず、停電自体が、僕らが子供だった頃に比べるとはるかに起きにくくなっている。そして、万一停電になっても、例えば緊急用の自家発電とか、いろんな仕組みでいろんなことを防ぐシステムができているのだ。そこに油断があったのはたしかだけど、この間の千葉県台風。電柱が軒並みたおれて大規模停電になったけれど、大きな病院は自家発電が機能していた。復旧するのに一週間ちかくかかって一般生活は大変だったろうと思います。

違う例を挙げると、新幹線の駅ぐらいでしか見かけなかったホームドアが、在来線や私鉄の駅に次々に導入され始めた時に、そんなことをしたら却って危ないのではないかと僕は大いに心配したのである。

ただでさえ電車のドアに挟まれる人がいるのに、そこにホームドアなどを設けると、今度はホームドアに挟まれる人、加えて電車のドアとホームドアとの隙間に挟まれる人が出てきて、危険度は3倍になるのではないかと考えた。

僕にはそもそも何のためにホームドアを設置するのかが分からなかった。そんなに人は転落するものだろうか? 落ちるとしたら酔っぱらいぐらいしか思いつかなかった。

でも、目の不自由な人が落ちると聞いて、あ、それは想像がつかなかった、と思った。自分が目が不自由でないから仕方がないと言えばそれまでだが、ホームドアに挟まれる人のことは考えついたのに、目が見えなくて転落する人のことを考えられないのは、つまり、そこが僕の想像力の限界なのである。東京パラリンピックが開かれるというのに、そう言うことに都民として全く自覚がないのですね。

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tisana


故人もきっと喜んでると思います。有名人の葬式でのインタビューでよく聞く言葉。ジャニー喜多川さんのお別れ会のニュースでマッチが話してた。僕にはそういう「故人もきっと喜んでいる」というような感覚がどうしても持てないのである。だって、故人は死んでいるんだから、もう喜べないではないか。

そんなことを言うと、「何をにべもないことを。こういう時はそういう風に言っておくもんだ」などとたしなめられたりする。

でも、僕には死んでいる人が喜ぶとも悲しむとも思えない。どうしても考えられないし、そんなことはどうしても言えない。だって、もう二度と喜んだり悲しんだりできなくなった状態が死なのだから。いや、仮に喜んだり悲しんだりしているとしても、それは生きている僕らには直接伝わらないのだ。

死後の世界があるとかないとか、それを信じるとか信じないとかいうこととは関係がない気がする。たとえ故人が上空から自分の葬式を見ていたとしても、見られている僕の側で終わっている気がする。だって、基本的にコミュニケーションの手段がないんだもの。

僕にとって人が死ぬってそういうことだ。そして、それは自分が死ぬ場合も同じだ。

そもそも葬式とか告別式とかいうものは死んだ人のためのものではなく、残された人たちの魂を鎮めるものだと僕は常々思っている。

だから、もしも僕が死んで、死んだ僕のために何かをしてやろうという人がいるのであれば、その人のやりたいように存分にやれば良いと思う。まぁ相方も含めて誰もいないと思いますが(笑)

僕自身としては、僕が死んだあと法律で定められた最小限のことをしてくれればそれで御の字である、最近流行りの小さなお葬式で。でも、もし遺族が望むなら別に東京ドームででも日本武道館ででもお別れの会をしてくれて構わない。僕は既に死んでいるわけで、そのことを喜びも悲しみもしない、と言うか、喜んだり悲しんだりする自分はすでにいない。

それが僕の死生観である。

先週、母が入院して、このまま逝ってしまったら。なんて考えていたら死生観という言葉が頭の中に出てきた。まぁ、単なる老人性喘息で1週間で退院したのですが。

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roket

 エルトンのファンというわけでもないし。レコードや CD は1枚も買ったことがない。でも、エルトン・ジョンと聞くとバーニー・トーピンという名前が浮かぶ程度には知っている。まぁ一番好きな曲は Goodbye Yellow Brick Roadかな、 黄昏のレンガ道。
 エルトンが浮き上がり、観客が浮き上がり、エルトンがロケット噴射して飛んで行く印象的なシーンがたくさんあった。ドラッグにヘロヘロになって半ば自殺を図るようにプールに飛び込んだエルトンを、プールの底で待ち受けていたのが少年時代のエルトンで、おもちゃのピアノでロケットマンを弾いているというのも、なんとも言えないエモい感じ。
 ストーリー自体は、ド派手なステージ衣装で断酒会に現れるシーンから始まる。もちろんエルトン・ジョン本人にとっては大変なコンプレックスや苦難、試練であったかもしれないが親の愛情に対する飢餓感、アルコール依存とドラッグとホモセクシュアルというアメリカのスター誕生物語には決して珍しくない設定である。
 それを血の通った物語に肉付けするのは無論エルトン・ジョンとバーニー・トーピンの作品なのであって、さすがに音楽の力は大きいと改めて認識した次第。そしてマネージャーのジョン・リード、ボヘミアンラプソディーとは違う雰囲気でなんだか興味深いこと。
 トランプが金正恩をロケットマンと呼んだ時に、おいおい、それはエルトン・ジョンに対して失礼だろうと思った人は同世代以上だよね。そして僕らにとって、映画の最後に流れた禁酒して29年というテロップが素晴らしい。

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