アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

2019年07月

sm

 年齢を経れば誰でも自然と大人になって行くのだと思ってた。 年月が経てば誰でも普通に成長するものだと思っていました。40代でもそんな感じで。そんな甘えがあったからアルコール依存症になったのかなって考えたりしていました。
 人として成長することは大変難しいことだと気づいているわけだけど。大人になるのも成長するのもきちんとした積み重ねがいる。きちんと努力する長い地道な時間がいる。それをちゃんとした人だけ、魅力的な大人になっているのだと思う。
 もう還暦です、そのあたりをさぼった人とさぼらなかった人の差が歴然と開いてくるのが自分でもわかってくる、悲しいことにその差を縮めることは不可能に近い。
 2009年7月30日に久里浜入院だから10年が経ちました。ボクの場合は由緒正しいアルコール依存症のひとりとして、これからも誠実に生きていくしかないのだけれど。
 そういうのとは別に、大人になる過程で子供な部分を大切にしたか、童心が残っているか、そんなことが歳をとっていくこれからの、自分に大切になってくるのではないかと考察。

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apolo11

 ボクらの親の世代は、戦争を知っている人達。僕らの名前を覚えてほしい、戦争を知らない子供たちさと開き直ったのは、ボクらより10歳上の世代で、その世代には共感できなかったと言うか子供だったからよく知らなかった。彼らは日米安保条約反対闘争を主導し挫折した世代、そして団塊の世代。
 ボクたちは東京オリンピック、大阪万博、札幌オリンピック、アポロ11号みたいな、お祭りばかりの腑抜けた平和世代。
 何だか、ボクらがたどり着いたらいつも終わってた感じ。戦争も安保もベ平連もフォークも。ビートルズでさえ僕らが中学生になるのを待ってくれないで解散だったし。ボクらが生まれてくるずっとずっと前にはもう、じゃなくてボクらが10歳の時アポロ11号は月にいったというのに。アポロ計画の技術レベルは、今の電卓に使われている程度のものだった。
 苦笑しているしかなかった世代。そしてボクらはやがて老い始める。苦笑しながら老い始める世代。

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runo

 思い起こせば僕が株に手を染めてすぐのこと、雑誌の記事を信じて買った某メーカーが、予想外の業績不振に陥り、大幅な赤字決算予想を発表した。株価はみるみるうちに暴落し、僕は「しまった!」という後悔と「早く何とかしなきゃ」という焦りから投げ売りをした。所謂「狼狽売り」という奴である。ところが、その翌日からその会社の株は鰻登りである。曰く、「悪条件は出尽くした」。
 「悪条件は出尽くしたって、なんじゃ、そりゃ!」と思った。「そんなん、アリか」と声に出して言った。株価とはそういう理不尽なものである。しかし、世の中としては果たしてそれで良いのかよ、とも思う。
 親方日の丸の東電とか、桁違いの金額で不正を働いたゴーンとかに鉄槌を下したいなどと言うのではない。そういう単純な正義感の話ではなく、経済法則と倫理観のズレが少し気持ち悪い、とでも言おうか。それと、後任の経営陣にしっかりしたメンバーが確定して、誰から見ても「ああ、このメンバーなら大丈夫だ」という印象でもあるのであれば、「悪条件は出尽くした」とも言えるのだが、現時点ではまさに「どうすんのよ、このあと?」という状態。まぁ、どこの誰が経営を任されたって今よりマシと言う感じですか。
 株価というのはある意味正直なのかもしれないが、なんだか薄ら寒いものである。

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sunny

 スマホで何でもできる時代になったために、論文を書くのもスマホなんて奴もいて、もうほとんど PC を使わない学生が増えたと言う。大学生の PC 活用能力が二極化しているという記事。学生は Excel なんて全く使えないし、Word にしてもひどいもんだとのことである。
 論文を書くのもスマホというのはさすがに少数派で、論文を書くときだけ PC という学生も多いらしいが、彼らの書いた文章は段落の頭の字下げさえしていないなんて嘆いてた。
 確かにそうかもしれない。そして、見た目字下げができている文章であっても、Word への習熟度によって、1字分のスペースを開けている人と、各段落に字下げインデントを設定している人との差が出てくる。昔はタブやインデントをうまく使いこなせなくて、そのために何でもかんでも Excel で書いてたことを思い出した。
 この記事を読んでふと思ったのが、段落の頭の字下げというのは早晩なくなるのではないだろうか。メールであれブログやホームページであれ、段落の変わり目は字下げではなく行開けにするほうが今や主流だし。HTML で書くなら pタグで。ネット上で、あるいはネット上を通過するメールなどの文章で、字下げを使っている人はほとんど見ないし。
 もうこの習慣が消滅するのは時間の問題だろう。使い手ではなく、メディアやツールが体裁を変えてくれるので。Wordも習熟する必要がない時代なんですね。

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kaminari

 松重豊の露出量がどんどん増えている気がする。主演の当たり役、孤独のグルメ。脇役でもテレビや映画に途切れることなく出演している。
 最近のドラマ言えば、『いだてん〜』の東龍太郎や、『パーフェクトワールド』での役柄も非常に彼らしい。この人、気の強い役でも弱い役でも、ヤクザから小市民まで本当に上手に演じ分けるところがすごい。
 彼が東京サンシャインボーイズの出身だということはウィキを読んで初めて知った。『深夜食堂』でタコの形にしたウインナーを食べるヤクザも、『重版出来』の編集長も、『ソロモンの偽証』の粋な担任教師もいいよね。彼にはずっとイイあじ出して永く出ていて欲しいなぁ。

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The_Beatles_and_Lill-Babs_1963

 ボクはビートルズが解散してから後追いでビートルズを聴き始めた世代である。もちろんビートルズの存在は知っていた。マッシュルームカットだとかエリザベス女王から勲章をもらったとか、幼稚園児の頃に羽田空港で大騒ぎになったり、ヒルトンホテルに泊まったとか、社会現象として知ってはいた、でも彼らの音楽を理解するにはまだ成長が足りなかった世代なんだ。
 そのおかげでボクらの世代は、親やその頃の大人の人たちによって変な先入観を植え付けられてしまったと今になって思う。特に祖母はビートルズを下手だと言った。それは例えば美空ひばりよりジョンやポールが下手だという意味だ。そう言われると悲しいことにそんな気がしないでもないのだが、でも、美空ひばりとビートルズを比較することのほうがおかしい。そして英国のビートルズも日本のグループ・サウンズも十把一絡げにして下手と言うことだった。
 その後の J-POP を支えた作曲家やミュージシャンも輩出しているので、巧いか下手かはともかくとして、才能のあるメンバーがたくさんいたのは事実ですね。ただ、あんまり巧くない GS も確かにいた。そして、小学生の僕らにとってはビートルズより GS のほうが親しい存在だったこともあり、「GS は下手」=「ビートルズも下手」という変な連想が働いてしまって、ボクはずっとビートルズが下手だと信じていたのかも。具体的にはどこが下手だということは全くないくせに、彼らは下手だという漠然としたイメージがずっと消えなかった、思い込んでいた。
 もちろん1970年にビートルズが解散して、小学校高学年になった頃から、もう少し聴き込んで行くうちに、ビートルズの音楽的才能に少しずつ気づき始め、コード進行やコーラスワークに魅入られたように聴くようになるのだが、なのに心のどこかに「ビートルズは下手だ」という刷り込みがしっかりできてしまっていたように思う。

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sendai

 人は誰でも、何らかの 生きがい を持つことで、人生の価値や意味を見い出そうとします。広辞苑によれば、生きがいとは「生きるはりあい。生きていてよかったと思えるようなこと」と定義されています。つまり、人にとって「生きる価値や意味」を与えるものであると捉えることができます。
 生きがいという言葉の使い方としては、「生きがいを感じる」というのが一般的であり、主観的な感情を表す用語であるともいえます。従って、何を生きがいと感じるかは人によって様々であり、一概に定義できるものではありません。人によっては「生きていく上でのはりあい」というやや消極的なものから「人生をどう生きていくか」というその人の人生の根源ともいえるような積極的なものまで、さまざまな捉え方があります。
 一般的な日本の中高年が「生きがいを感じるとき」について新聞によると、孫など家族との団らんの時(48.8%)が最も多いそうなんです。子供のいない我が家はちょっとショックな結果だけど。
 何が生きがいであるのか、どのような時に生きがいを感じるのかは人それぞれ。調査によると健康状態や身近な人との関係が、生きがいに深くかかわっていることが読み取れます。健康を維持し、親しい友人や仲間との良好な関係を築き、親密な交流をもつことが生きがいを高める大きな要因のようです。 
 近い将来というか、早ければあと15年くらいかもしれないけれど、孤立して孤独死しそうな予感がしてる。

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tokyo st.

  若いころは、こっちの気も知らないで、これだけやってやってんのに、あまりにも自分勝手じゃないかよ~、などとよく憤慨したものだ。
 年を取って今考えてみると、そうやって怒っている自分もまた相手の気も知らずに、相手の恩も感じずに、結局自分勝手に怒っていたにすぎなかったのだなあという気がする。常に相手の身になって考える優しい心構え、などという薬臭いことを言っているのではない。相手の心中を察せられないのは、単に観察力の不足であり、思慮が足りないのである。
 中年になって、恩を仇で返すような真似をされると、そうか、こいつはそこまで追い込まれているのか、そこまで余裕がないのか、と考えられるようになってきた。いや、あくまで自分ではそう思っているというだけだが。すこし永く生きてきたから自分が相手に対して誠意を尽くしたことが相手にとってはほとんど意味も値打ちもないなどというようなことがあることを実感として知っている。
 そんな風に人は落ち着いてくるのではないかと思う。そして落ち着いてきた頃には、人生の坂を転がり落ち始めていることに気がつくのである。

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elf

 この日記を書き始めて10回目の夏を迎えようとしている。10年書いてみて自分の心の中にあるものを形にすることの難しさ、楽しさを考えながら、なんだかんだ言って自分は幸運だったと考察する。
 自分の気持ちをどう表現するのか、思いをいかに人に伝えるか、言葉や文章、表現力というのは難しい。表現力とは子供の頃からの体験とか教育が基盤にあるんだろうけれど、テクニカルな意味では訓練や練習は必須なんだよね。物書きを職業とすることは大変なことだと思う、だから努力や勉強は大切なんだよ。
 帰路、生暖かい風の中、遠くで雷が聞こえた。きっと遥か遠くに落ちた雷なんだろう。空を見ると予想外に南西の空に雷雲の塊がある、幾何学模様のなんだかアンバランスで不思議な空。そして、きっと今年も、いつの間にか梅雨があけて、本格的な夏になるんだろう。

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hitotsugi

 小さい頃はおとなになったらとか、高校に入ったら。その後は大学生になったら。そして、自活できるようになったらとか。
 僕らはずっとそんな風にして夢を感じてきた。ぼくの場合は目標を立てるという感じではなく、まさに夢を見てきた感じなのかなぁ。まぁ家業を継ぐことは決まっていたから職業以外の夢なんだけど。
 小さな夢なら実現したものもある。こどもの頃から夢見続けて、未だに叶わぬ夢もある。それでも、この次はと、夢を繰延べて行くのは楽しい。
 そして、最近は定年後というのか、隠居というか、最後のあがきみたいな。しかし、下手するとそれでは間に合わなくなるものもある。特にカラダを動かすこと等。ゴルフだよね~
 そのためには走り込み、柔軟体操、筋トレするというのも却々良いのではないかと思う。まっ無理かな。

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hige

 明治のころはいざ知らず、僕が生まれた昭和の中ごろにはひげを生やしている人はあまりいなかった。社会人になった昭和の終盤には、髭を伸ばしてる一般人は少数派だったように思う。
 その少数派、同じひげでもちょっと違うのは、口髭の人がほとんどで、次いで口髭とほお髯とあご鬚を全部繋がった状態で生やしている人、大体はこのどちらかだった。
 あご鬚だけを生やしている人なんて、ピンキーとキラーズのルイス高野かレッツゴー三匹の長作くらいのもので、一般人にはほとんどいなかった。特に若い人であご鬚だけを生やしているのは非常にアンバランスな印象があって、そんな奴はほとんどいなかった。
 それが、平成に入ったころからかなあ、ヒップホップ系の連中から広まったのか、今では街中にあご鬚だけを生やした若い人をけっこう見るようになった。
 そうなると全く髭が薄くてひがんでいた僕も、ひげを生やしたいという欲求が失せてしまった。思えば僕はひげに憧れていたのではなく、ひげが時代の中で保っていた異端性に憧れていただけなのだろうと思う。モンゴロイド系の人は剥げて髭が濃い、朝鮮族っぽい僕のような平たい顔俗は剥げないけれど髭が薄いという方程式があるのかないのか。
 僕らは長髪に憧れた世代でもある。少し上の世代はすでに長髪を実践していたが、僕らはまだ小中学校の校則に縛られて髪を伸ばせなかった。今考えてみれば、あれも長髪そのものにではなく、長髪が時代の中で与えられていた反体制の象徴的な部分に憧れていただけなのだろう。だから、長髪が普通になってしまうと僕らは長髪への情熱を失ってしまった。
 ひげも生やさず長髪にもせず、僕らの世代は随分ツルンとした人生を送っているのかもしれない。

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otsu

 まだ子供のころに、なんでこんな変な味のもの食べるんだろうと思っていたのに、大人になったら平気で食べているものがあります。
 例えば、蕗フキ。どんな料理法であれ、これが夕飯の食卓に出ていると嫌だったなぁ。今でこそ、別に好きだと言う訳ではないけど、あれば食べる。そんなに美味いというものでもないが、少なくとも乙な味だ、ぐらいには思う。
 似たようなところでは、ピーマン、ゴボウとかゼンマイとかヒジキとか椎茸とかが嫌だった子供も多かったんじゃないかしら、僕は干し椎茸が一番苦手で、残して母親に厳しく叱られた記憶が消えません。無理矢理飲み込んでたよね。

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