アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

2019年06月

カルピス

 たまにカルピスを飲みたくなる。夏と言えば僕らの頃はカルピスだった。粉末飲料で渡辺のジュースの素というのもあったけれどサッカリンとかチクロなど人工甘味料がたっぷりというイメージで、カルピスの方が健康で高級感があった。夏に友だちの家に遊びに行くと冷たいカルピスが出た。ちょっとお上品なおもてなしという風情があって、たしかオレンジ味とかグレープカルピスなどのバリエーションも用意されていた。
 カルピスの作り方で水割りの黄金比率があって、濃いのを飲むと口の中が粘つくのである。今ではもうカルピスを飲むことなんてほとんどなくなってしまったけど、たまに「カルピスあるけど、飲む?」と聞かれたときには、薄目でとリクエストする。
 カルピスサワーなんてのもあった(笑)

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 アルコール依存になりやすいパターンというか、きっかけで多いのは寝酒です。眠るために飲むのが出発点と言う人が多い。依存とは量が増えていく、回数が増えていく、ついには朝から晩まで飲んでいる状態となります。 頭のいい人は夜になるとますます頭が冴えるので強制的にシャットダウンするために酒を飲む人が多いのです。
 ですが、飲めるタイプの人間は多く飲んでも眠くならず、どんどん酒量が増えていきます。酒で高揚感を得るといいますが、脳が誤作動しているだけと思います。心の闇を酒で晴らす、それをやめるために心の闇に切り込む、というけれど心の闇などだれもが持っています。抑制がとれて逸脱行為がある、当たり前じゃないですか。昔はあの人は酒で身上潰した、とか肝臓やられて早死にした、とかよく耳にしたものです。正常の範囲がだんだん狭くなって酒に溺れて死ぬのも見た目には哀れですが、本人は好きな酒で死ぬのは本望だと思います。
 アルコール依存症が治ったという事例を聞いたり見たりした事はありません。10年断酒しても1度飲めば元の木阿弥です。来月で久里浜に入院してから10年たつのです。

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2cv
 
最近では物忘れとか、人や物の名前が出てこないような現象がけっこう多いのです。 
 考えてみれば、物忘れの好いところも結構あると考察しました。人生、腹立たしいことにも出会いますが、少しすると殆ど忘れてしまい「何で腹がたったのか」分からなくなります。結果的に、腹立たしい時間が少なくてすみます。
 何かをやってやろうと大志を抱いても直に忘れるので努力をする必要がありませんなどと。人の名前や言われた用事を忘れるので、大きな期待を寄せられることもありませんよね。
 そいうことで、自分の趣味に合った人生を歩みやすくなるのです。まぁ逆に、物を覚えすぎる人は、「あれもこれもしなければ」と、苦労がついてまわりやすいかもしれません。
 ゴルフにしても、3パットしたことを次のティーイングエリアに行くまでに忘れていれば、ナイスショット。

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ダウンロード

 最近問題になっているのが、ごはん、麺類、甘いものなどの糖質を多く摂る人の脂肪肝が増えている件。昔からお酒の飲み過ぎが脂肪肝につながることはよく知られています、進行すれば、酒の問題で肝硬変や肝臓ガンで亡くなる怖い病気ですね。
 今、アルコールを飲まない人の間で脂肪肝が増えているそうです。糖質の摂り過ぎによって、血中に糖が増えすぎると、インスリンが過剰分泌され、中性脂肪が肝臓に蓄積されてしまうのです。脂肪肝の人の10人に1人が、およそ10年間かけてNASH(非アルコール性脂肪肝炎)に進展していくとされています。
 お酒を飲まないけれど甘いものが好きという僕らはNASHに要注意です。

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air

 追い込まれた感覚、強迫観念と言うものかもしれない。最近、その追い込まれている感が強いのです。
 考えすぎというか。ふつうの出来事を事実以上に心の中で膨らませてしまって、不安感を増幅しているのだと思うのですが、もう後がないという感覚も手伝って、その追い込まれた感じが心の中で強まるのです。
 追い込まれているという事実が、追い詰められているという感覚になり自分で自分を圧迫している状態ということなのかしら。これを、プレッシャーと言うのでしょうか、きっと。
 あっこれは、断酒とは全く関係ない要因です。まぁ、ゲッソリ感というか体重も2kg減ったし、良しとしますか。

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natu

 熱中症のニュースを見ると、昔は運動中に絶対水飲ませてもらえなかったよなという話になる。途中で水飲んだらバテるぞなんて言われて。だから、体育の授業であれクラブ活動であれ、草野球であれ、終わるとすぐに僕らは運動場の片隅の水道のところに走って行って、錆びかけた蛇口に口をつけるようにして、金属の味のする水をとめどなく飲んだものだ。今では脱水症状になるのを防ぐために、運動の最中にこまめに水分を補給するのは常識である。
 当時はあんなことをして、よく熱中症にならなかったものだという話になるのだが、当時は熱中症という言葉さえなかったのだから、当然と言えば当然ですね。
 そういうわけで、僕らの子供時代には気象庁から何の発表も警報も出なかったけど、今は逆に、「熱中症情報」なるものが発表された場合、指導者たちはどういう対応をして、子どもたちにどういう指示を出すのだろうと気になりますね。

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rp

 夢の中でこれは夢だと分かっているというような話をよく聞くけれど、僕は昨日までそんな経験が全くなく、果たしてそんなことってあるんだろうかと俄に信じられなかった。何かをしている(あるいは、場合によっては、何かに追い詰められている)自分がいて、それを客観視している自分がいるという体験はしょっちゅうしている。でも、それは起きているときだ。眠っているときにどうして自分が夢の中にいると分かるんだろう、とずっと不思議に思ってきた。
 ところが今朝見た夢でその謎が解けた。生まれて初めて僕も夢の中でこれが夢だと分かったのである。それは僕が考えていた状況とは違って、夢の中の僕の判断だった。眠って夢を見ている僕が何故か夢の外側から醒めた頭脳で「これは夢だ」と判断しているのではなく、「夢の中の僕が『これは夢だ』と思っている夢」を僕が見ているだけのことである。なーんだ、そんなことだったら何でもアリではないか。
 このことをみんなは「それが夢だと分かっている」と言っていたのか、と唖然とした。それは夢の外側から客観視している自分が存在するということではなかったのだ。単に「これは夢だと思っている夢」を見たという話だよね。小説の中に出てきそうなストーリーではある。

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denki

 昔では考えられなかったことですが、今では電気をガス会社から買ったり、ガスを電力会社から買ったりすることができるようになった。昨今では関東在住でも関西電力と契約することもできると聞く。結局うちでは1年前に東京ガスから電気を買うことにした。
 最初は大丈夫かなと思っていたけれど。どこと契約していても、電気系統が故障したらやってくるのは電力会社で、ガスが止まったらやってくるのはガス会社と言うことでした。電気やガスに名前は書けないので、そもそもウチで使っている電気がどこのものだとは言えないのだけれど。
 ただ、ガス会社も発電し、電力会社もガスを供給する時代になり、ユーザはどこと契約するかという選択肢ができただけのことであり、両社の間でどんな取り決めや金の取り払いがあったって知ったことではありませんよね。安心で安い方が良いに決まってるから。
 ひとつだけ言えることは、どこか1社に寄せると多分前より割安になる。その大きな要因は、寄せることによる割引が用意されていますから。エネオス電気、東急電気、ソフトバンク電気とか色々な会社が色々なサービスを歌って宣伝してるし。
 で、どうしようかなと迷っていたら、そういうエネルギー界の MVNO みたいな会社もそのうちに淘汰されて、ごく一部の会社しか残らなくなるよと言われ、それならガスの電気を買うか電力のガスを買うほうが安心なのかなと思ったのだ。それで去年の春に東京ガスの電気を使うことにしたのだが、いまだに心のどこかに、夜中に東京電力の職員に電線を切られたりしないのかなという不安があるのも否めない(笑)

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natu

 NHK朝ドラなつぞら、歴代のヒロインが要所で出ているんだけど。松嶋菜々子、山口智子、比嘉愛美、貫地谷しほり、小林綾子等続々と出てくる。誰かインタビューで、もぅ自分の歳にドン引きって答えてたけど、この感じよく解るなあぁ~。
 僕らも自分ではついこないだまで若手だったような気がするでしょ。自分の頭の中では本当に「若手」だった頃と何も変わっていないのに、はて、今年何歳になったのかと考えてみて、いつもげっそりしてしまう。まさに自分の年齢にドンびきで御座います。もちろん前向きな気持ちで歳を重ねたいと思っているでしょうよ。でも、自分に引いてしまうという感じ、解りますよね。
 えっ分からない? きっとあなたはまだ若いんだねぇ。そう思わないとまた引いちゃいますからね。

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dojun

 うちは駅から徒歩1分、通勤は徒歩だけど。朝会社に歩いて行く時に、ダンナや子供を車で駅まで送ってくる奥様方に遭遇する。外車の比率が高い。駅の角から家の前を通って道が続いていて、その先に立派なお屋敷がたくさん建っているのだが、多分そのあたりの家の車ではないかと思う。ご苦労なことだなぁと思う。まぁダンナの帰ってくる時間は日によって違うだろう。帰りも、何時に帰ってくるか分からない夫を待ちながら、晩ご飯の支度もしながら、LINEが来てから30分後には車を出して駅に向かうのかしら。
 そういうライフスタイルが嫌でも何でもないのかもしれない。いや、それどころが夫を送り迎えすることが嬉しくて仕方がないという人だっているのかもしれない。あるいは、送り迎えは面倒くさいけれど、送り迎えする必要がある場所を選んだおかげで広い邸宅に住めるとか、眺望が素晴らしいとか、そういう別のメリットがあって、夫婦がともにそのメリットをメリットとして認め合い合意したからこそ、そういうライフスタイルが成り立っているのかもね。ウチの場合は昔から駅に近いところに住んでるし、送り迎えなんてやりたくてもできないのではありますが(笑)
 そんなことを考察しながら、最近いろんな事象の中に人間の多様性を見つけ出すのが面白く感じていて。人がひとりずつ違うということ、そして、そのひとりひとり違う男や女がそれぞれにパートナーを選んで、ひと組ひと組違う家族ができているなんて、とても素敵なことじゃないかと思うのである。

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e

 自分は飲み過ぎたりしない、自分は酒に依存していないという主張を頑なに繰り返します。たとえ酒が原因で身体をこわそうが、家庭が崩壊寸前になろうが、仕事を失おうが、自分の問題の本質に目を向けようとはしません。
 心の奥ではダメだ、このままではダメだと気付いているのに。止めなくちゃとは思っています。でも止めようと思いつつも止められない葛藤。
 アルコール依存症の本人でなければ分からない、外からはダラシない奴と見られるのも辛いところです。自分はもうどん底だ的な自己否定感に支配されるようになり性格はどんどん内向的、孤独感からまた酒を飲む、この繰り返しパターンにどっぷりと嵌まります。
 そして、他人の欠点に過剰に反応してそれを攻撃。酒に支配されて自分の思うようにならない自分自身に腹を立てていること、それが他人への攻撃に変わってしまうのです。自分より強い立場の人にはサラリと流し、身近で自分より弱い立場の人がターゲットになるんです。
 結局、弱っちい惨めな自分に気がつけない、情けない奴なんですね。

kukousen

 ルールがなくても上手く治まっている状態が、一番良い環境ですよね、精神的にも楽だと思うし。メンバー各自の意見や感覚に隔たりがあって、放っておいたらうまく治まらないので、ルールを作って、みんなで決めたことだから守りましょうねという合意を取って治める。まぁ上手くいけばいいのだけれど。
 自治体とか大きな集団であろうと、家族のような小さなグループであろうと、基本的には同じであるように思う。
 で、ゴミ捨ては大抵僕が行くけれど、それは単なる家庭内の慣習であって、ルールではない。ゴミ捨ては僕が行く。では、僕が風邪を引いて熱がある時はどうなのか、 風邪は引いているが熱はない場合、風邪は引いていないがひどく疲れている時はどうか?
 それぞれについて仔細に決めておくか、いや、如何なる場合であろうとも僕が這ってでもゴミ捨てに行くのだ、と割り切った決め方をするかしかない。
 幸いにして僕と妻との間には細かいルールがなく、そういう窮屈さがない。ルールを決めないでおこうね、と相談したわけでもない。自然とそうなっている。そのことを思うたびに、良い人を見つけて結婚できたものだと、僕は天に深く感謝している。

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neko

 「お疲れ様です」という挨拶にどこかがっくり来てしまう僕ら世代の愚痴なんだけれど。昔は、お疲れ様でした。という言葉はひとつの仕事に区切りがついた感じの表現で、従って、せいぜい夕方の終業時とか、仕事にケリがついた時しか聞けない台詞だった。それが今では朝イチでかかってきた電話で言われることもある。それに対して「バカ野郎、まだ会社に来たばっかりだ。疲れてなんかねえよ」と言っても仕方がない訳で。それは「おはようございます」と言われて、「バカ野郎、俺は今日は7時から会社に来て働いてるんだ。何がお早うだ。ちっとも早くなんかねえ」と管を巻くようなものですからねぇ。
 今の言葉としての「お疲れ様」を考察してみると、やはり「お疲れ様でした」は仕事の終わりにしか言わないようです。だから、「お疲れ様でした」の意味は昔とそれほど変わっていません。問題は「お疲れ様です」という現在形です。これは「疲れ」とはあまり関係がない。「あ、どうも」みたいな軽い挨拶の感じですね。
 英語で言うなら very much とか somehow、Cheers あたりかしら、いきなり「どうも」と言われても何がどうもなのかどうもよく分からない。それと同じようによく分からないけれどよく使われる言葉が「お疲れ様です」。
 今風の感じでは、ひとつで万能な言葉を使いたがる、と言うか、もっと一般化すると、ひとつで万能な解を常に求めてる、そんな傾向を反映したものではないかという気がしてます。まぁ本社の担当者が平成生まれの人間になってから違和感だらけと言いますか。

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gotanda

 このごろ本を読む量がめっきり減った。読書のスピードが落ちたのではない。読む時間が減ったから読む量が減ったということで。かつては通勤電車の中で読む時間を確保できていた、それも行き帰りの往復だから1時間以上かな。本に夢中になって降りそこなったりしてね。今は読める時間は1日約30分で、寝る前にベッドにはいってレンドルミン飲んでから。
 ならばもう少し読む時間を増やしてみようかなと思った。この辺の感覚が解ってもらえるかどうか分からないが、つまりは逆の発想である。本を読むことは良いことだ、という前提に立って、このまま読書量が減るのは良くないからなんとか読む時間を増やそうというのではなく、1回増やしてみたら何がどう変わるかな、という思いつきで。
 映画だってある程度の本数を見始めたらどんどん観たい映画が増えてくる。観る目もついてくるというか。いや、そんな直接的なところではなくて、なんか全然違うところで副産物があるかもしれないし。何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれないし。
 因みに、今は池波正太郎の真田十勇士を読んどります。

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