アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

2019年04月

neko

 精神的に脆いということがアルコール依存症依になりやすいという訳ではありませんが、その治療ではこの精神面の弱さが悪影響を及ぼす場合があるようです。治療のためには断酒が必須条件。そして、これくらいなら飲んでも問題はないだろうと考えてしまう人こそ、依存症に打ち勝つことは厳しいと言うことです。
 お酒を断つ苦しみから、くじけて酒に逃避する人も多いです、精神的なタフさはある程度必要です。くじけない心が断酒には必要です。

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mati

 以前は慢性アルコール中毒と呼び、略してアル中。また、本人の意志が弱く道徳観念や人間性が欠けているからだと決めつけて済ます傾向にありました。
 僕がアルコール依存症になった時期には、医学的に精神疾患の一つとしての薬物依存症と同じように病気として扱われるようにはなっていましたが、あまり一般認識されていませんでした。アル中、イコール意志が弱いというイメージがあります。
 ナゼ、さまざまな問題が自分を中心として起こっているのに、たくさんのアルコールを飲んでしまうのでしょうか、減らすことができないのでしょうか。
 長年の飲酒の累積効果により、脳の神経細胞に変化が起こり、飲酒量のコントロールが効かなくなってしまうからといわれてます。アルコールが一口でも身体に入ると脳の飲酒欲求の回路にスイッチが入り、その人の意思を超えて脳が酒を要求するようになる。これがアルコール依存症の本質です。

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neko

 平成も残りわずかですね。年の瀬でもないのに年が終わるような不思議な感覚。
 1992年4月25日、ロックミュージシャン尾崎豊は26歳で夭折した。桜の季節が過ぎ去り、ファンの肩を冷たい雨が濡らしてから今年で27回目の4月を迎える。「平成」が終わり、新たな時代へーーー。別れと出会い、終わりと始まりが交差するこの時、多くの人々に愛された、かつての若者の代弁者。
 「自由になりたくないかい?」「熱くなりたくはないかい?」生前、ステージからそう叫び続けた男は、私たちを鼓舞してきた。その音楽は聴く者の心と身体を一瞬で高揚させ、勇気を与える。それは今日まで不変であり、多くの人々に尾崎が支持される理由だ。短くも美しく燃え、鮮烈な記憶を残した男は、なにを探し続けたのだろう?その魂宿る71曲の熱きメッセージには、生きるヒントが刻まれている。新時代を前に歌い継ぐべき私たちの「遺産」に、いま再び耳を傾けよう。

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que

 もともと体育会系でも大食いでもなかったけれど、学生の頃はほぼ無意識に大盛りを注文していたように思う。それが今は大盛りどころか普通盛りでも厳しい感じ。
 メニューに小ライスとか、ご飯少なめとかいう選択肢があれば良いけれど、あるいはメニューには載っていなくても、店の人と顔なじみで気軽に「ご飯少なめで」とか言える雰囲気だったらいいけど、そうでなければやはりわざわざそういうオーダーをするのは、僕らの世代は何となくためらってしまうのだ。
 何故なら僕らの時代は出されたものは何であれ全部きれいに平らげるというのが礼儀だったから。そこには自分の腹具合とか好き嫌いとか、そういう尺度も選択肢もなくて、作ってくれた人、振る舞ってくれた人に対する感謝の意を表して完食したもんだ。というわけで、簡単に言うと、こっちが金払ってんだから大盛りであれ半ライスであれ好きなものを注文して好きな分だけ食べれば良いものを、それが気安くできないもんだからウジウジしているという馬鹿らしい話。
 飲み屋で、帰りがけに徳利逆さにして意地汚く杯をなめていくのとも、ちょいと話は違います。そしてご飯を一口でも二口でも、残こすことを毎日継続すればメタボの解消になると思うのですが。

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air

 農薬、放射能、水銀、アスベストなどは一度その害が判明したら、二度と近づいたり口にする人はいいません。だけどアルコールや煙草は害だと分かっても、なかなか止めないで依存症までいってしまう場合が多々あります。
 ご存知とは思いますが、アルコール依存症からの病気としては機能障害と臓器障害に分かれます。心と体が蝕まれていきます。最終的には精神が崩壊する、もしくは癌で死ぬ。
 生きることは選択の連続です、今の自分は過去の選択や決断の結果。そして、これからも分かれ道に遭遇するだろうけれど、左右選びながら生きていくんでしょう。飲もうか飲むまいかと思うことが一生ついて回るわけです。
 生きたいのなら、自分が選べるのは断酒の道しかないのです。迷ったときに、この選択がいつでもできる事が大事です。

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shiki

 寒くて震えていたらいつの間にか暖かくなり、それがいつの間にか暑くなってぐったりしてたら、そのうちに涼しくなって、気がついたらまた寒くて震えてる。そういう循環を一体いつまで何回続けるのだろうと思ったことがあります。しかし世界中どこの国でもこんなに律儀にくっきりと四季が巡ってくることは稀でしょうね。
 そう考えると、この四季のメリハリは精神性と言うか、発想の仕方に影響を与えているような気がします。日本人の感性って四季が巡る風土の中で生きてきたから培われたのでしょうか。輪廻転生、因果は巡るとか。

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lupin

 お店を出たところまでは覚えているけれど、その後の記憶がない、気がついたら家で寝ていた。メガネが割れているのはいったいどうしてだろうなど、何をしたのか記憶がないのは忘れてしまったからではなくて、覚えられなかったから。酔って記憶をなくすことをブラックアウトと呼びますが、飲酒中のブラックアウト状態の時でも、大抵の人は普通に反応して話をしたりしています。
 理性をつかさどる前頭葉にアルコールが作用していますから、抑制が外れて行動の規範がやや低下してはいますが、一瞬一瞬の判断はそれなりに下しているのですね、ただし海馬がアルコールで麻痺しているために、それを記憶することができないんです。2分前のことならば覚えていられても、20分前のこととなるともう覚えていることができないと言う事です。そして飲みすぎによる肝障害やカラダの病気とか、飲酒生活の期間や長さとも関係なく起きるそうです。
 つまり人生初の飲酒でも起き、何年も飲み続けた後でも起きるのです。最初にブラックアウトを経験したときは、そのことに驚き、これはマズイ状態と気づいて自分の飲酒のパターンを変えた人はよいのだけど、そのまま変えなかった人はやがてダメージが積み重なって海馬が萎縮してアルコール依存症に陥ってしまうのです。
 病的酩酊を除けば、血中アルコール濃度が急激に上昇した場合に起きることがわかっています。そもそも酔うとは、脳がアルコールで麻痺することだから、酔いの深さは脳内のアルコール濃度に比例するはずです。しかし、脳内のアルコール濃度を直接測ることはできないので、血液のアルコール濃度、すなわち血中アルコール濃度を測ることで酔いの深さを見ることになっています。
 それでは血中アルコール濃度がどのくらいになれば、ブラックアウトするのでしょうか。酔いはアルコール量が増えるにつれて爽快期、ほろ酔い期、酩酊期、泥酔期、昏睡期と深くなっていきます。血中濃度が0.31~0.40の泥酔期に達すると、海馬が麻痺してブラックアウトを起こします。
 お酒の量でいうと、個人差はあるけれどビールなら中瓶3~10本、日本酒なら、ウイスキーならボトル1/4~1本。ただし体調や飲むペース、相当個人差があるということ。

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hands

 この20年で喫煙に対する社会意識がどれだけ変わったか、歩きタバコもほとんど見なくなりました。飲酒運転だって激減しています。
 セクハラやパワハラに対する啓発が急ペースで進んでいます。だから、飲酒をめぐる環境やアルコール依存症への受け止め方についても、日本の社会が大きく変わることは十分にあり得るんじゃないかと思います。精神科に通院しているところを見られたら恥ずかしいという意識が変わるかもしれませんね。

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yel

 久里浜アルコール症センターで2009年にアルコール依存症と診断されました。そして入院治療することに。当時の各種プログラムを受け主治医とも話合い、自分でも解決策を考えながら試行錯誤を繰り返しました。本当にやめられると思ったのは退院後、1年ぐらい経ってからだったと思います。
 ストレスを紛らわすためにアルコールに逃げたのが一番の敗因、楽な方に逃げる。今でも辛いとか痛いとかをストレスという言葉に置き換えてそこに逃げる性格は変わりません。
 なんとか、酒を飲まないことにストレスは感じなくなりました。ありがとう御座います。
 
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sakura

 上着がいらないような暖かさの後には冷たい雨、花散らしの雨となって桜並木の道の上には花びらが敷き詰められて、残った花の間には緑の葉が目立つようになって来た。散る桜 残る桜も 散る桜、良寛だったかしら。
 桜吹雪が舞う季節は、しみじみと時の流れを感じてしまう。時分にとっては20年前も30年前もつい昨日のことのようだけど、廻りを見渡せばその時代に生まれた子供はもう20歳や30歳になっている訳で、どんどん時は流れていることに気づかされます。
 昭和の僕らが明治の人の話をするときには、遥か遠い古い時代の人たちなんて感覚が根底にあったような気がするけれど、これから始まる新しい時代の人たちには俺たち昭和の時代の人間はみんなそういう風に思われるんだろうなぁ。

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neko

 真新しいランドセルを背負った1年生、着なれないスーツを着ている社会人の姿を見ると、新しい一年が始まってる、桜の花もまだ頑張っている。けど、この年になると新しい出会いとか、新しい環境に代わるとか、なかなかそうした機会もありません。
 新人さんといえば、今時の若い者はどうもねぇ、否定的に言う大人おおいけれど、あんまりそういうふうに思ったことがないかも、うちは子供いないから若い人も自分も同等だし友達として接してるつもりなんで、本当に気分は若者のつもり、ただ幼稚なだけかもしれないけれど。
 今の世の中、情報は溢れてるし生き方の選択肢が多すぎるので、これからの人は大変だろうけれど。若い世代もだらだらしているようで、みんな心の中の不安と闘っている。大部分の人たちが今を生きるための不安を持っているだろうし、大人は平気を装っているだけだと思う。
 まぁ時代は改元するし、新人なんだから不安に打ち勝って清く正しく進んで欲しいと思います。

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das

  煙草をやめて10年。健康診断の問診票に「煙草を吸いますか」→「やめた」→「何年間吸っていましたか」→「禁煙して何年ですか」という項目があり、あぁ10年って書くのだとね。
 その後1本たりとも吸っていないし、それほど吸いたいという衝動に駆られたこともない。断酒とセットでなんとなくやめてなんとなく続いている珍しいパターンかもしれない。だからそれほどの感慨はないけれど。ただ、10年というのは割合長い月日ではあります。
 この10年で僕の体の細胞は全部入れ替わったのでしょうか、肺など 体内の何処かに煙草を吸っていた時代の影響は残っているのか調べたら、肺がんリスクは男性は20年超でチャラに、、、。

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pengi

 人生をリスタートをするには大変な手間と準備が必要になるし、絶対不可能なことも多いですが。何かのきっかけと強い決意があれば、決してリスタート出来ない訳ではありませんね。
 平成から令和への元号の変化は、本人次第で大きなきっかけになりそうです。今まで平成の時代でやっちまったアレコレは、気持ちの上で平成のうちにゲームセットにしたり、一旦クリアにしちゃいましょう。5月から始まる令和元年は、まっさらな自分で再スタートしてやり直すいいきっかけになる。
 ダメな自分は平成に捨ててきて、新しい自分が令和から始まるって訳です。そんな具合に考えたら、令和はきっと素晴らしい時代になります。西洋の歴史ではずっと以前から世紀末が色々と言われているけれど、ここは日本、改元の末で人の気持ちも自分の気持ちも、大きくチェンジして行こうじゃありませんか。

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huji

 精神的に脆いということがアルコール依存症依になりやすいという訳ではありませんが、その治療ではこの精神面の弱さが悪影響を及ぼす場合があるようですよ。
 アルコール依存症を治すためには断酒が必須条件です。そして、これくらいなら飲んでも問題はないだろうと考えてしまう人こそ、依存症に打ち勝つことは厳しいと言うことですね。
 お酒を断つ苦しみから、繰り返してお酒に逃避する人もいますので、精神的なタフさはある程度必要です。くじけない心が断酒しなければならない治療に際して最も大切な役目をになうんです。

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hands

 桜の花はとても心が浮き立つけれど、新芽が一斉に吹き出す緑色にも心が躍ります。町中の木樹だって新芽が出てなんだか笑い出しているように感じますね。まぁ過敏な相方はスギ花粉が終わっても、ヒノキやカモガヤ、ブタクサなどが続き気の毒ではあります。
 趣味と生き甲斐は何が違うのか、趣味と娯楽も違う、文化的な要素が違うらしいけれど。例えばテレビを見るや漫画を読むは娯楽、ライブやコンサートに行く、キャンプで自然と触れ合うなどは趣味とみなされるらしい。
 どちらも楽しいのだから同じではないのと思うかもしれませんが、おそらく文化というもののなかに人間としての本質的な喜びのようなものが多分にあるために、娯楽よりも趣味のほうがより高尚ということなんです。酒が生き甲斐だったぼくらにも、新しい何かが見つかればよいのですが。若い時にやっていたモノゴトの再発見もありですね。

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syoken

 世代によって、太陽にほえろ!だったり、傷だらけの天使だったり、前略おふくろ様だったりするのでしょう。去年放送したNHKドラマ不惑のスクラム、良かったですね。4月5日(金)午後2時05分~2時36分 <総合テレビ> NHKアーカイブス 萩原健一さんをしのんで。
 グループサウンズ・テンプターズが出てきたとき、当時の大人たちはこぞって下手だとこきおろした。僕らの親世代もそうだった。歌や演奏が上手いか下手かなんて全然分からない小学生だった僕たちはその大人たちの言葉を信じた、と言うか先入観を植え付けられた感じですね。今聴いてみるとこれがちっとも悪くないのですが。
 NHK大河ドラマ『いだてん』に高橋是清役で撮影が終わっているそうです。確認してみたら、ザ・テンプターズの頃に小学生だった僕とは9歳年上。

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kurihama

 トイレの小便器の上の壁にこんな貼り紙がしてありました。いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます。
 これってなんか皮肉に聞こえますね。でも、トイレはきれいに使いましょうなんてストレートに書いてしまうとボクがきれいに使ってないとでも言うのかぁ~、なんて絡んで来る人がいそうですし。
 そんなことを考えていて思い出したのが、Thank you for not smoking という表現。これを初めて目にしたとき、ははあ、禁煙という日本語と比べるとなんと柔らかい表現だろうと驚嘆しました。これがフランクで社交的なアメリカ人気質なのかなあと感心しました。
 いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます。という表現は構造的には Thank you for not smoking とよく似ているのですが、しかし、どことなくなんか違うのです。たとえタバコを吸おうと思っていても Thank you for not smoking に出くわすと、あぁ~ら先に言われちゃった。という感じになるのに、便器を前にして「いつもきれいにお使いいただいてありがとうございます」と言われると、なんかそこら中におしっこ撒き散らしたくなりませんか。 こんな風にクソ丁寧に書かれると、ちょっとイラッとしますよね。
 朝顔の 中に落とせよ 芋の露
 一歩前へ 君のはそんなに 長くない

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reiwa

 ハンコ屋さん、すげー4月2日を最短出荷予定日として、訂正用二重線付き年月日ハンコ、なんてのを用意しているんだ。なんか平成悲しいのお。ペタペタと二重線で消されるのだ。

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