アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

2010年11月

2010y11m30d_111850621 田園調布さくら坂、キンと冷えた朝にしか見られない空の色。この季節にしか味わえない桜の橙色や黄色。なんて美しいのだろう。

 ボクの秋のイメージは澄んだ空気のカチリという鋭角的な音が遠くまで濁らず響いていくような清涼な空気感が好き。

 そんな秋、あと何日味わえるかな。11月後半のこの時季はいつもこうして「行く秋」を名残惜しむ。12月中旬には久里浜の暖かいイメージの晩秋を確認に行く、今年最終の通院で頭の中身も確認してもらおっとっと(笑顔)

 来週からは相方たたき起こして散歩にGO、 ノルディックウォーキングでストック握ってるから、手はつながない<爆



pic_rayu_sukoshikarai はじめて桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」を買った。うまい、恥ずかしながら、白いご飯がすすむ! 基本的に油だから、、、、、っね!

 鏡の前でハダカになって点検したところ、どうも1~2kgほど太っているような予感。摂取カロリー多すぎの模様。カプサイシンよ、もっと働くんだ! でもまぁいつでも痩せられる妙な自信があるから余裕ですが、、、、それは無理(笑)

 母上もハマッて、トーストにのせてる。

 どんなコミュニティーでも、程度の差はあるものの信頼のもとに成り立っている。

 というか、断酒期間が長くて、信頼関係があって始めてふつうの生活が成り立つ、でも、たまにそれを勘違いする人たちが居る。お互いが「約束を守る」という大前提のルールのもとに成り立っているのに、一方的なワガママで振り回す。なぜならば「自分達は弱者である」ので、ワガママに従うのが「当たり前だ」というのだ。

 何度も約束(その時には一見「誠心誠意」約束するのだが・・・)を破ってしまい自分の非を認めず、「その理由」ばかり主張する。まだ「勘違い」しているなら許すというか、それに気付かないフリをして無視する余地もあるのだが、あまりにも確信犯的なんだもの・・・。確信犯的な契約違反と債務不履を、、、、ア症の典型。やれやれ。

 やれやれって、そうやって再飲酒してしまうのだ!退院から1年すこしたって、久里浜病院で同じ時期に入院していた仲間では2人が自殺して(将来を悲観・絶望してソウウツ病)、3人が再飲酒で体を壊して死んだ(大酒家突然死症候群・喉頭ガン・肝臓)、再入院してる奴はまだチャンスあり。


 僕はイン(陰)に籠もるタイプの静かなアルコール依存症かな/う~ん? なんだかわけわかんない事書いてるし、、、でも飲まない生活を約500日なんとかやっている。

酔いがさめたら、うちに帰ろう 12月4日全国ロードショー!

 鴨志田は癌で早めに死んだから楽だったと思ってしまう自分、僕らにはまだまだ続くのだ死ぬまで禁酒、人はそうかんたんに死ねないので、、、、、、、To Be Continued(笑)

 最近気付いたこと。手をつないで駅に向かう通勤時間の男女。それもティーンエージャーじゃない。30代、多分40代のカップル。新婚なのか?ちがうな、たぶん。映画に出てくるような美男美女じゃなくて、ごく普通の男女。おっさん&おばさんと言ってもいいくらいの人たち。

 そんなシーンは日本では今まであまりなかったと思うのだ。初めて見た時に「うーーーーん」と唸った(笑)。

 朝の忙しい通勤時間、いい歳こいた「健康そうな」男女が手をつないで通勤する姿。一組じゃない、何組もいる。雪谷だけじゃなくて、目黒では50歳代とおぼしきおっさんと30歳代の女性のカップルもいた。あ、これは「特殊な事情」がありそうだけど。でもなんか不自然に感じた。

 もちろん、いいのだ、好きにすれば。でもね、腕を組んで歩くというなら、まだ判る。「手をつないで歩く」というのに僕は「違和感」を感じるのだ、たぶんうちは20年は二人で手をつないで歩いた記憶はない(笑) 今だったらお互い「やーだ!(爆」」って思うだろう。第一、歩き難いしハズカシ(笑)。

 爺さん&ばあさんのカップルがお互い寄り添って労りながら手つなぎで朝の散歩をしているのは、全然許せるんだけどな。でも、手つなぎ通勤のあの「違和感」は何なんだろう。男の僕の「勝手な思い込み」なんだろうか?繰り返すけれど、彼らを批判する気は全然なく、ただ違和感を感じるだけなのだけれど。

考察:人の目を気にせず人生好きに生きればいい訳だから、とやかく言う事ではない。正論。


 どーなんだろうな。どーでもいいけど(笑) 

 気になるなあ。やっぱり新婚なのかな?ちがうな<うん

 10~15年後、団塊の次の世代(自分か<(笑))が引退して「ネットもなんとか使える高齢者」となり、いまの30代が社会の中枢に出てきて「ネットなんて当然な経営者」となり、デジタルネィティブたちが次々と社会デビューしてきて「ネットがない世界なんて想像もつかないオフィスワーカー&起業家」になる。もっとドラスティックに変わるんじゃないかな。いや、逆に一度揺り戻しがくるのかな。どうなんだろう。

 しかし5年「前」って、まだYouTubeもなかったからねぇ。ツイッターはもちろんのこと。そう考えるといまから5年「後」ってもっと変化が早いようにも思えるし、いやいやYouTubeが出たからって大筋変化ないようにあまり目立った変化なんかきっとないよ、なのか。

 でもまぁ、とりあえず、「未来が変化しそうな時代に生きていられるのはラッキー」なのは確か。楽しみたい。5年とかのスパンで社会インフラが変化していく時代なんてそうはないでしょ。

 Facebook が高齢者の出会い 『つりしょ』 になるのか(笑)

 初対面の人の印象は、しばしば、顔に左右され、私たちは、その第一印象によって、かってに性格まで推測してる。ここから考えると、誰もが無意識のうちに人相判断らしきことをしているんだ。

 でも自分の好みで思うような単純な「顔の良し悪し」で良い人とか嘘つきだとか思いこんでると、あとで後悔したりその人を傷つけたりする。

 でも顔は先天的なもので、美人や整った顔は確かにお得だけど、30過ぎたら、顔に責任を持てと言われるように、後天的な要素が年齢に比例して入り込むことも事実だから、我々世代の顔はその人の生きざまがくっきり出ているんだろうね。

os 先日更新した免許証の写真!五年期限があると思うと気が重い、ア症フェイスがくっきり出てる(笑)

 すっきりと晴れた気持ちのいい天気。太陽の優しい光の中で洗濯物を干しながら、なんとなく考えた。

 日々生きてゆくことは、様々なしがらみとか、悩みとか、迷いとかを引きづり時間に追われて過ごしてゆくことなのかもしれない。けれど、それをばっさりと断ち切った生活ってどんなものなんだろう?出家したりゲダツしたり悪く言えば逃避する人ってどんな感じなんだろう?って妄想した。

1.大した資産はないけれど、すべて清算してバランスすれば多少のプラスになるだろう。呆然とする家族を前に「ごめん、考えるところがあって出家することにした。これから山寺に籠る」と言い残して立ち去る。

2.これからは死ぬまで好き勝手に生きることにする。と宣言。メールも携帯も解約して、名前も捨ててホームレスになる。

 出来ねーだろうなぁ~!と思いつつそんなこんなの妄想をして、ぬくぬくと惰性で生きている今に幸せを感じる小市民的な僕(笑)


 アルコール依存症と解脱と逃避の関係、もうすこし深く考察してみたい。

 本日の回文ネタ⇒私苦労もしたわ。⇒わたしくろうもしたわ⇔わたしもうろくしたわ//<爆

 確かに不況で経済失墜している。でもさ、バブルで痛い目にあったじゃん、自分んちの家業(笑)
 
 不況なりの幸せ、高度成長しない社会としての幸せを、探す手はないのか?日本ってそんなに不幸なの?、足ることを知らないと際限がない。

 でもさ、ECOはいいけど、『けちけち』する事は出来ない性分なんだ、だけど、節約時代のなかで、きちんと幸せを感じられる「幸せ感性」みたいなものは、ちゃんと持っておきたい。


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 ちょっとまえ運転免許証の更新に田園調布警察署に歩いて行ってきた。この季節にしか味わえない秋色の並木道やイチョウの黄色。なんて美しいのだろう。

 無事故無違反なのでゴールド免許、へへへ。更新手続きそのものがずいぶんIT化されて、かなり簡便化されて便利になっていた。知らなかったけれど新しい免許証は様々な個人情報がデジタル化されているみたいで、本籍とかも記載されてない(落としたり盗まれた時の偽造防止だとか言っていた)。

 運転免許証は顔写真が付いているし、世界中でもっとも一般的に個人識別に使用されるIDだ。

 日本では戸籍謄本とか住民票や印鑑証明(日本独自!)の本人確認ってのが未だに使われているけれど、『もういい加減やめようよ』って誰もが思っているわけで、今の時代、携帯電話番号、メールアドレス、運転免許証かパスポートがあれば、ほとんどの個人は識別できるはず。納税者・年金・健康保険・介護保険とか住基ネット番号(だっけ?)とか事務作業には必要なんだろうけれど。

 それらの属性を統合する新しい何かができるんだろうか?指紋や掌紋認識とかの生体認証と絡めることになるのか?その辺の超個人情報まで一元管理するとすれば、それはそれで怖い気がする。

 未だに国民背番号制度反対!なんていう人たちもいるけれど、結局のところ「今の日本でふつうに生活する」というだけで、かなりの個人の属性は「当局」というか「行政サイド」にすでに「捕捉把握」されて、みんなキンタ☆を握られているってことなのかも・・・。なんてつらつら考えたりして。

 悩み深いとき、難しい仕事をしているとき、ヒトとうまくいかないとき、辛いとき、悲しいとき。

 思わず不機嫌になる、すぐ顔に出る(笑)
 
 でも、そんなときこそ、上機嫌で向かわないと突破できないんだろうな、そして、上を向いて歩こう!

Sports Music Assemble Peopleの略。「スポーツと音楽のために集められたひとたち」という意味らしい、実はこれはあとづけで、尾崎豊好きのジャニーさんが、「17歳の地図(Seventeen's MAP)」より、SMAPと命名した??らしいね。

 自分が住んでいる大田区の名前の由来は、大森の「大」と蒲田の「田」から来ているらしい。それを知ったときはガックリきた。うーむ(笑)

rossa_sp_raylor7_large腰痛がさがってきて、いまは骨盤というか尾骨というか、要するにずいぶん下の方が痛い、お尻から足の先まで痺れてる、足先が冷水に浸けた感じ、上の方の痛みも厳しい、頸ゴリゴリで右手の中指までビリビリしてる、寝ていて起きるときとか椅子から立ち上がるときに尾骨よりちょっと上が痛い感じ。って問診されているみたいに書いている<爆>
 
 いや~、ペインクリニックでブロック注射の問診で先生に痛みを訴えんだけど、毎週だと痛みを表現する言葉が出てこないんだよね。

nakajima腰痛でも土曜日は京急CCで城南ゴルフ会、でへへへぇ~(笑)。今回からシニアや腰痛友の会御用達48インチ長尺シャフトのパターデビューなのだ、ふふふ。

 この一年ちかくテンションが上がったり下がったり、人に頼ったり独りを欲したり、異様に元気になったり急に疲弊したり、なんだか気分が乱高下していたけど(いわゆる躁うつ病ね<ハイ)まあ普通に近づいている感じがしてるけど。

 医師や相方にはちょこちょこ愚痴をこぼしているのだが、ア症業界を知らない人にはこのプレッシャーがわかりにくいようで、理解してくれる人もいるけど、どこかでピンと来ていない模様。それもそうだろうなぁ。となりでお酒飲まれても平気だけど、そう言う事じゃなくて。

 乗り越えるべき山が高ければ高いほど、乗り越えた後は違う風景が見えるはず。アルコール依存のボクにとって断酒継続はチャレンジしがいのある高い山である。でも違う風景が見えるには「乗り越える」ことが前提。
 頭が真っ白になり、声が震え、大汗かき、支離滅裂にブラックアウトする自分の姿がちょっと想像できる(わぁ)。がんばれ自分!

 まだまだ甘いね、、、、。「一生、何があっても飲めない」、う~ん斜め45度3m上空から自分を観察してみよう。。

 『五七五 季語も忘れし 久里浜の 三本柱を 忘れざらまし』 東6-490前後の人、わかりますね(笑) 一本でも続けよう、はい!



kumo 今の日本には悲観論が多すぎる、「行く末が見えない」「先行きが不透明だ」そう言われすぎではないか。

 司馬遼太郎 『坂の上の雲』 のように明治以来、坂の上の雲を目指して一生懸命に走ってきたのだし、坂の上にはアメリカやヨーロッパがあった。そして戦後も、いけいけで走っていたし、僕らの世代がバブルを知っている最後のランナーか。

 そして雲の中に入ってしまった今、これからどこへ行くのか。雲の上を目指すのか。それとも、ここで足元を見直すのか?

 乱気流に巻き込まれている感じ!もう少し走っていたい。



gtv GoogleTV の全貌が明らかになったようで、なんだか素晴らしい気がする。
 iPhone や iPad もそうだったけど、テクノロジーや発想の飛びっぷりが世界を変えることが最近続いているなぁ。ツイッターやフェイスブックなどのツールについてもそうだが、生活を変えるだけではなくて人のつながりごと変えてしまうところがドラスティックだ、やはり公用語は英語か<泣



 25年前と今を比べて日本人の好きな食べ物を調べてみたら、お寿司や刺身が好きという傾向は変わっていない反面、すき焼き・しゃぶしゃぶ、うどん、天ぷら、漬け物の人気凋落が面白い。「ラーメン」「焼き魚」「カレーライス」「蕎麦」のポイントは逆に上昇。なーるほどね。四半世紀で確かに(自分も含めて)日本人の嗜好は変わったと思う。それから天ぷらや揚げ物を家で作らない、作れない?風潮らしい。

 ギトギトが好きだったのに、最近はシンプルな「魚定食」みたいなのが美味しい。あっ、これは加齢現象か、でも焼き肉も捨てがたい(笑)ダイエット!

sr 昨日おじゃました、烏山の姉上家のサムライ君とリンリン姫(略してサムリン)のお話、「もうどうかなっちゃうわ!」というくらい身もだえされて迎えられるのが、やはりうれしい。いや~わんこの話だが。

 10回転/秒レベルで振られる尻尾を見ながら、どーしてこんなに喜べるのだろうと不思議になる。喜びが深い分、哀しみも深いのだろうが(置いてきぼりにしたりするととてつもなく哀しむ)、ここまで喜怒哀楽を全面に出して生きるって、生きている意味があるよなぁなどとなんとなく。

 いつも感情を抑えぎみに生きている自分の日常が、実につまらないものに見えてくる。もっとおおっぴらに喜んだり哀しんだりしていいんだよと、おずおずと自分に。

 小さい時の写真だけど、お鼻が黒いのは明大前の千葉(ちよ)ちゃん。やっぱりわんこ飼いたいかも☆

 コロッケが面白かった!戸田恵子さん司会のBS.NHK音楽バラエティー、物まねの持ちネタ出しまくり、相変わらずうまかった。

 淡谷のり子、美空ひばり、ちあきなおみ、田中邦衛、五木ひろし、森進一、田村正和……長淵、ようすい。くわー。こんなくだらない物まねなんかで笑うもんか!と脳味噌が抵抗するが、そんなハードル飛び越えておもしろい。コロッケ恐るべし。彼の本質はこういう器用さかもしれない。客の反応を受けてどんどん悪のりしていく。

ts 京都の龍安寺に、この刻印のつくばいがあります。
『吾唯足知』というのは、もともと禅問答のようだから、本来は一生かかっても悟る事ができないような、きっと難しい意味なのだと思いますが簡単に言ってしまえば満足することを知っている者は貧しくても幸せであり、満足することを知らない者はたとえ金持ちでも不幸であるということかと思います。 この満足することを知るということは幸せに生きるには、とても大切な事だと思うけど。

 足るを知る。英語でいえば、You can not have everythingかな?「全てを手にすることはできない」

 なんとなく納得できる年齢になってきたのか、どれだけ望んでも手に入らない物や事はある、ありのままに受け止めるしかない現実がね。

 裏を返せば、望めば手に入る物や事があるということだけれど、結局は『我慢』しろと言う事だなって凡人は思ってしまうのだ、そして『悟り』の境地には入れないのだ(笑)

tu


ワレ、タダタルヲ、シルヴプレ!(^_^;)!仏語

 日本人は経済成長が必ずしも本当の豊かさにつながらないということを学んだはずだ。なのに、景気が回復すれば人生の豊かさが戻ってくるとまたしても勘違いし、不景気の話ばかりしてたり、経済成長がどうのとかいう話ばかりしている。
 もう一度成長したからって、どこに行けるわけでもないのは、特に50・60歳代くらいの年齢の連中は、自分も含めて十分に経験して理解しているはずなのにね。
 懲りない面々なのだ、もうすこし考察してみたい。

 上善如水(じょうぜんみずのごとし)は知ってますね、日本の正しいア症なら(笑) 白滝酒造ですね、まあ有名だけど、無理して辛口にしてうす味のどうでもいい日本酒って感じか? 

それじゃ「上善如水」って意味は?

 これは老子の言葉で「上善」とは理想的な生き方、それは「水の如し」なのだという。
 水というのは相手の器しだいで、いかようにも形を変えていく柔軟性と、つねに低い所へと流れていく謙虚さを体現しています。

 「人間もそういう生き方を心がけよ」との教えか、酒のくせに(怒)
 

 教訓・名言ってどこにでも転がっている、でも、ふと気がつくと忘れてる、今このときこそ必要な言葉だったりするのに肝心なときに忘れている。

 人生とはそんなことの繰り返しだなぁ。こんな体たらくでも少しはじわじわ前に進めているのであろうか?
 
 出し惜しみするなっ、自分。 明日久里浜通院日。


 マンチュリアン・リポート(浅田次郎)、『蒼穹の昴』『珍妃の井戸』そして『中原の虹』に続く物語、文字通り大陸的スケールで後日談的なサイドストーリー。じっくり読み続けてきてよかった。
 張作霖は蒋介石との衝突を避ける為、昭和3年6月4日未明、奉天に引き返す途中で日本の関東軍によって爆殺された。かつては西太后が乗った、贅沢の粋をつくして作られた蒸気機関車での帰路での出来事だった。

 一国の事実上の元首を独断で暗殺する暴挙に、昭和天皇は激怒し、誰よりも強く「真実」を知りたいと願った。
「事件の真相を報告せよ」
 昭和天皇の密使が綴る満洲報告書、そこに何が書かれ、何が書かれなかったか? 志津中尉のリポートと蒸気機関車(デューク)の独白で物語はつづられている。

ina「実るほどこうべを垂れる稲穂かな」、詠み人知らず。

 時にはふと立ち止まって、今の自分を形成してくれた人々を思い浮かべ、感謝してみたい。きっと、これからの出会いからも多くの事を学べるはず。

「親の意見となすびの花は、千に一つもアダがない。」
親の言うことを聞いておけ。

「明日あれと 思う心のアダ桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
今日できることは今日中にやっておきなさいって。



 そして本日の回文ネタ.....<爆
「世の中ね、顔か、お金か、なのよ」⇔『よのなかねかおかおかねかなのよ』

う~ん、為になるな~、謙虚にね自分(笑)

 ちょっと肌寒くなるこの季節は、一年のうちで一番好きな季節だ。感性が研ぎすまされ、思索する季節でもある。

 街を歩いていて、ふとあるイメージが浮かんだり、メロディーが聴こえたりする。その感覚(ふうっと、突然どこかに浮遊する感覚)を掴まえて、「その世界」に存分に浸って楽しみたいんだけれど、これが難しい。意識していないと、そのイメージがふと現れ、瞬間的に消えてしまうのだ。きっと、創作することを仕事としている人たちは、「その感覚」を毎日必死に追ってるんだろうなって思う。仕事だったら、これは辛い。

 英紙がまとめた満足度が高い観光地ランキングの都市別部門で、東京が初の1位に輝いたそうである。たしかに「東京」は観光として魅力的な街だと思う。というか、西欧から見たらこれだけ異文化な都市も珍しいし。

 日本人はどこかに西欧コンプレックスを抱えて生きている。街に関してだけ言っても、街並みも自然も、公園のあり方も、すべてどこかで「西欧にかなわない」と思っている。でも外人からは近未来的な建築のイメージが東京にはあるらしい。

 逆に日本人のボクは相方と読売新聞から貰った江戸博特別展『隅田川』に行って江戸の四季の美しさ、江戸の文化、生活の中に根差した娯楽とかを再認識した。  隅田川って川そのものが江戸の名所や風光明美な景観の宝庫だったのね!

 イタリアでもホモでありたい、⇔いたりあでもほもでありたい。

1.イタリアでもホモでありたい
2.わしの股の玉のしわ

凄いな、コレ(爆)

ネットで調べてみると結構笑えるネタがあった。
3.「お疲れカツオ」 「夜ワカメ変わるよ」
4.たまにガニマタ
5.リモコンてんこもり
6.「住まいが近いな。都内か?違います。」
7.阪神は だめだよだめだ  阪神は
8.新年だ 今朝のこの酒 断念し

アルコール依存症の標語は8番だな!

 ☆☆『しんねんだ けさのこのさけ だんねんし』☆☆

 

 今日はちょっと真面目なネタを書こうと思って、PCに向かったけれど、この回文ネタで腰砕け(爆)。

 ジャパニーズアメリカン第2話。古き良き時代のTBSドラマの雰囲気がある。この臭さは懐かしい(キライじゃない)。プロデューサーは誰だろう?と思ったら、あららら 橋田壽賀子 ドラマだったのね。ピン子さんでなるへそ。

 日系移民の辛く切ないお話で、山崎豊子作の 『二つの祖国』 が原作のNHK大河ドラマ1984年放送 『山河燃ゆ』 を思い出した、日系2世の草なぎ君と同じような役どころの主人公を昭和59年当時、松本幸四郎、二男を西田敏行、妹を柏原芳恵ちゃん、1世のお父さんが三船敏郎だった。2世のバタ臭いともだちはジュリーが出てた。26年前なのに覚えてるこの記憶力の良さ!どうよ!原作がいいからね、近々再読予定。

 しかし、、、一昨日の晩ご飯が思い出せない(笑)


 お昼ご飯にたまに行く和食屋さんのアジフライがバリッとして妙にうまいんだ、「アジフライ食べて~」ってモードのスイッチがはいる。

 年に数回来るな、アジフライ・モード。1枚しか出てこない場合、半身をしょうゆで、半身をソースで食べるんだ。 しょうゆかソースかで35年ほど(笑) 迷った末にこう落ち着いたのだ。近所のお肉屋さんで買ってくる家でアジフライバージョンではポン酢もあり得るね、練りカラシも必需品、マヨネーズは太るから禁止だな。

 この時期の好物と言えば、上海蟹の老酒漬け・酔っ払い上海蟹って大好きだったのだけれどアルコール依存症のボクは当然だめなんだろうね、と言うか一生食べられないのだね、、、、でも上海蟹姿蒸しならいいかな~鉄観音茶で ≧(゚_゚)≦ 

 昼寝は気持ちいい。清々しい温かい昼下がりのまどろみは人生最大級の快楽である。ボクは放っておくとすぐ惰眠に走るタイプである。疲れるとすぐ横になろうとする。休日の朝の二度寝も最大の極楽と考えている。

 睡眠は必要だ。疲れきってカラダが悲鳴を上げている時ならなおのこと。でも、いわゆる「惰眠」は死んでいるのとあまり変わらない。起きて何かしようよ自分。死んでから未来永劫惰眠できるのだから。

夕焼け 首都高速4号線、八王子・高尾山方面の夕日がきれいだった。

 もう文化の日、時間の流れの速さをなげいていても仕方ないんだけど、浮き世の雑事にかまけて、自分が本当にやらなければならない事が全然出来ていないのが問題だ。

 いや、ちがうな、問題というか、守りに回ってるなって反省した。ふと閃いたり、感じたりしたことを、ストックしたとしても、それを膨らませて形にするまでの心の余裕というかスペースがないし、流れが停止しているんだな楽な方向に。

 ま、もちろん自分のかってでしょ、すきにやれば~とか、出来るまで待つというスタンスだってあるのかもしれないけれど、そんなことを言っているうちに本当のじーさんになっちゃうんだろう(笑)。今しか出来ないことはあるはず。

 毎年文化の日あたりを境にしてボーとしてると12月、だんだん年末モード。そして年が明けて、ばたばたしているとすぐに春だもんな、そしてまた、ひとつ年をとる、まったく~(笑)  頭の中に構想はあるんだけど酒にかわる文化的な何かがマダ見えてこない、年内にはみつけたい。

 

 今日から11月。あっというまに年末やね。母上の指示で喪中ハガキを早く作らないといけないのだけど、爺さまの住所録なんて全然手が着かず。でもそろそろやらないとヤバイ。
 
 昨夜、何度かくしゃみが出て寒かったので、『湯たんぽ』入れて足元ぬくぬくで熟睡、そしたら夜中に足もとからうーんうーんと声がする。見てみたら犬がうなされていた。犬ってどんな悪夢を見るのだろう。手足をぴくぴくさせている。夢の中で逃げて走っているのか? 

まる縞シャツ な~んだ亡くなったマルちゃんでないの、犬の見る悪夢の夢を見てたら、あっという間に朝になってしまった。

 マルちゃんはよく足元で寝てました、先週命日4回忌!



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