アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 Shall we 断酒

2010年04月

 本日の画像 ぎゃははは。

問題画像

 最近、音楽やマンガなどの世界ではいわゆる「パクリ」が横行しています。そこでそのような問題を改めて考えるために「それはマズイだろ!」と言った、明らかにパクリと思われる画像がてんこ盛り! ↑↑上記↑↑

 そして趣味講座・本日の考察(笑)

チッパー







 ※アプローチのザックリ防止※


 チッパーの特徴は、ロフト角が小さく、かつシャフト長が短いこと。一般的にアプローチでは、ピッチングウェッジ、アプローチウェッジ、サンドウェッジを使用する場合が多いものです。ウェッジと呼ばれているこれらのクラブが、通常44~58度のロフト角であるのに対して、チッパーは10度以上ロフト角が立っています。これはウェッジよりも低い打ち出しで、よりラン(転がり)の出るボールを打つためです。

 ロフト角と並んで特長的なのがシャフト長。パターやウェッジと同じくらいの比較的短いシャフトが装着されています。つまり、7~9番アイアンくらいのロフト角で、アプローチ用に使いやすく短くしたクラブがチッパーと定義づけられそうです。

 ソールがすべりやすいように広く平たく作られているものが多く、最近ではよりパターに近い操作性を得るため、極太のグリップを採用しているものも増えてきました。

 ツアープロの多くはSW一本で、転がしたりボールをあげて止めたり自由自在にボールを操ります。しかし、一般的なゴルファーの場合、SWはもちろんのこと、PWであってもアプローチショットでボールが上がりすぎ、距離感の合わないケースが多いのではないでしょうか?素人はザックリばかり。チッパーを用いて、ランニングアプローチで起きがちなミスが軽減できれば、とりあえず転がしでピンに寄せることを厭わなくなるでしょう。それから状況によって、ウェッジを使ってボールをあげることを考えます。アプローチで転がる、あげるの使い分けがはっきりし、スコアアップに好影響を与えるものと思います。

YOSE-ONEチッパー・パーメイカー!

 うちの会社、コスミックで売っているチッパー、僕は今年から使用しているけれど、まずはこれで転がす事を基本にしたらスコアーが平均5回は良くなったと実感しています、林の中(木の下さん<爆)や深いラフからのリカバリーにも最適で、ぜひ!悩めるゴルファーの皆さんにお勧めしたい(笑)


 5時起床。いい気持ちの朝。南千住の友人宅へ向かう、そこに集合して常磐高速から茨城の北関東高速道路経由で笠間カントリークラブへ、腰が心配だったけど、知らないうちに一所懸命になって本気になっている自分。ははは、結構楽しみました、軽く抑え気味が良いのかスコアーも90回でぼちぼちでんがな!

 帰路は交通渋滞もなく、20時無事帰宅、夜はロールキャベツ。早めに寝よ。楽しい休日(笑)

 いい日だったな>今日! って気持ちで、振り返れる時間を送れたことに感謝の日。

 政治の混迷が続く日本。鳩山首相の資質を問われる政権。昨年、あれほどの期待を集めて圧倒的な支持を受けて始まった政権が、今やボロボロになって迷走中であるという事実。自民党一党支配の時代が終わって、多くの反自民の世論が民主支持に回ったものの、その党の本体がいかに危ういモノなのかがすぐに見えてきてしまった感じ、この半年くらいで。鳩山さん個人は、おもしろい政治家だと思うし、今までの政治家にない柔軟な発想と行動には共感する部分もあるものの、この人には日本を任せられない、と多くの日本人が思っている。永田町では、確実に「鳩山後、小沢後」について現在進行形で「動き」が出てきているんだろう。あまり期待できないけどこの際、しっかりしろよ>自民党(笑)。民主党以上にだらしない。

 そんなことを考えつつ、ネットで英語圏の主立った新聞のサイト(自動翻訳)を検索してみると、驚いた事に日本の政治についてのコメントはほとんどない(笑)。唖然とするほど「ない」。

 確かに小泉政権以来、ほぼ毎年政権が変わっている国の政治なんて信頼できないのだろうけど。世界第2位(今の所)の経済大国である日本の政治がこれではいけない。

 7月の参院選挙はどうなるんだろう? 外野的には面白いけど(笑)、腰痛・頸痛の方は厳しい状態(足先がジンジン痺れるし冷えて氷水に浸かってる感じ、女性の冷え症の感じが初めて判った。末梢神経が?血行が悪い?)、痛みのなんだかんだで ア症の方はひと段落? 明日は、城南高校同期のやつらとゴルフに行くけど大丈夫かな、それでも行きたい、懲りない面々なのだ<爆>

 バランスのとれた人というのは、いろいろ意味で余裕のある人なのだ。バランスがとれた生き方をしていれば、視野が広がりさまざまな余裕が出てくる。人は誰でも大変な事態に直面すれば、するほど視野が狭くなる。視野が狭くなればなるほど、賢い選択は出来なくなる。このネガティブなスパイラルにハマってしまうことが悩みの本体なのかもしれない。

 悩んで悩んで悩み抜いたら、いい選択が出来て問題が解決するのかと言えば、それは全く逆で、問題に直面したら悩まずに流れに任せた方がいい結論に至る気がする。ねっ、鳩山さんがいい例だ。一所懸命本人が悩んだからといって、いい結論が出るとは云えない。むしろ首相の視野狭窄がこの国の不幸を生んでしまった。そのバランスが僕たちには難しい!

 長年大量に飲みつづけ、お酒なしではいられなくなってしまうのが、「アルコール依存症」。お酒がもとで体を壊したり、仕事や日常生活が続けられなくなることもあるのがこの依存症の怖いところで、厚生労働省が2002年度から3年間にわたって行った調査によると、成人男性の約2%、50人に1人の割合でアルコール依存症があることがわかりました。

 さまざまな依存症(薬物依存、摂食障害、ギャンブル依存症など)、アルコール依存症がこれらと決定的に異なるところは、進行すると「身体依存」になることです。一度身体依存になると、心のもち方を変えるだけでは克服できません。二日酔いでたまに朝寝坊してしまうことがある程度ならまだ引き返せます。しかし、身体依存の段階まで進んだら、この体質は一生続きます。一度やめたとしても何かの拍子に再開してしまえば、またお酒がないといられない生活が始まってしまうのです。したがって、身体依存ができた人がアルコール依存症を克服する場合には、「一生、何があっても飲まない」ということを心に誓い、断酒に取り組まねばならなくなります。

 バランス良く余裕でなんとか、お願いしたい(笑)まだ死にたく?ない? エージシュートするまで?(笑)


 なんだかなぁ、天気は良かったんだけど・・・僕自身イロイロあって、心の底で漣(さざなみ)が立った。

考えることを 止めようとすればすればするほど、考えてしまう

思い出すことを 止めようとすればするほど、忘れられなくなる・・・

やれやれ 

 朝一番で、奥沢病院・マーク院長(総合診療科)の外来でノックビン(抗酒剤)を貰った、去年12月初旬以来の服用になる、本当は久里浜病院に行ければ良いのだけど、遠いし・先週いったばかりだし・月曜の外来は若いあのN先生だし(笑)、ゴールデンウィークになっちゃうし!

 少し楽になった気がした、斜め45度3m上空から自分を眺めてみる。


◎ノックビン◎

【働き】アルコールの分解がおさえられ、少量の飲酒でも不快な悪酔いの状態となります。お酒の量がすすまなくなり、断酒や節酒につながります。

【薬理】肝臓で、アルコールを分解する「アルデヒド脱水素酵素」の働きを阻害します。

 依存症が治る薬は在りません、要はこの薬を飲んでお酒を飲むと二日酔いの100倍になり、死ぬか・倒れます!

 長年の飲酒が祟り医師から「アルコール依存症」との診断が下り、去年7月の梅雨を過ぎた頃、専門病院(久里浜)で治療のため2ヶ月ちょっと入院した、入院中、私はいろいろな事を知ることになった。そしてそれらは事実であるから敢えて書きとどめようと思う。

 簡単に言えば3つだけなのだが・・・
?治療方法は断酒のみ。
?病状は快方に向かうが現在のところ完治には至らないこと。
?患者の平均寿命が51~2歳であること。(今年51歳)

 入院してみるとそれらが事実であることを再認識させられる。そして患者の8割が再飲酒(ダイエットではリバウンドと言うがここでは「スリップ」という)に陥り、元に戻ってしまう。残りの2割は断酒を続けていると思われる。
通院してシアナマイドやノックビンを服用しつつAAや断酒会に参加しているにも関わらず、ふとしたきっかけでスリップして連続飲酒→ブラックアウト→入院というサイクルを繰り返す。

 ノックビンは抗酒剤で。退院後も飲み続けなくてはならない。抗酒剤は飲酒に対して絶対的な権限を持っている。何故なら死ぬほどの苦しみを味わうか死ぬかのどちらかの選択しかないからだ。
病棟やAA(Alcoholics Anonymous)でも何人もの人から試してみた話を聞いた。医師の説明が早いだろう。「赤ん坊が酒を飲んだ状態」
そこまでの苦しみをも味わいながら入院してくる患者が後を絶たないのだ。それほど難しい病気。

 今まで酒好きな人間がいきなり断酒という道を真直ぐ辿れる訳がない。入院して1ヶ月ほど経過すると週末の外泊許可が下りる。外泊オリエンテーションで女性の看護師から、もし万が一飲んできたら、1回目は強制退院にはならないから戻ってきて欲しいと云われた。
10人に1人くらいは二度と病院に戻ることなく強制退院となった。

 私は退院してからもしばらくはスリップする事や飲酒欲求がありませんでしたが、夢の中で飲酒して悔やんでいる自分、過去の問題飲酒行動に対する絶え間ない後悔の日々は今でも続いています。

 退院後7カ月たって、なんだか危ない自分を感じてます。死ぬまでと分かっていても、その間にどんな困難が訪れようとも二度と飲まない人生を送ることだけを考えて、今を生きて行きたい。<専門的ですいません(笑)


 おお、そういえばログで、気になった女優MKさんのことを思い出したんだけど、ネットの情報によると「巨・乳」で有名なんだそうな。だははは。それにしても、昔にはなかった言い方だよな> 巨・乳 !

 大きなおっぱいのことを「ボイン」なんて言っていたけど、これは11PM(古~)からで、まあなんというか、まだ可愛気がある表現なんだけど、「巨」とか「爆」とかはねぇ・・・(笑)。

 ちなみに、わざわざ「・」を入れてあるのは、サーチエンジンに引っかかっるのでスパム対策。「巨」に対して「微」、「爆」に対しては何だろ?(笑) どーでもいいけど。今日も腰が痛かった<悲>

 今夜は頂いた、三重県伊勢市の伊賀青山の名酒、若戎酒造の「義左衛門」。
せっかくの大吟醸なので、冷やさず温めず常温で頂く。こりゃーうまいわ。日本酒を飲み慣れない僕にでもこの美味しさはわかる。

 大吟醸。柔らかく丸い風味だがしっかりと芯は辛口、フルーティ(仄かに水蜜桃)。鼻孔に抜けるお米の香りがしっかりと残っている。

これを的矢の牡蠣を肴に食べたら・・・悶絶必至だろうな!      
 (なんて妄想する>笑)。

 久しぶりに伊勢神宮や英虞湾に旅をしたくなった、お酒は禁止の僕としては、生牡蠣や酢カキ系などお酒のおつまみ系より白いゴハンで、定食風にカキフライでがっつり行きたいかも、でもカロリー可摂取で太りそう(注意)

 牡蠣の話になると、何時も思うんだけど生カキとワインは絶対に合わないと思う、もうワインのテイスティング出来ない僕だけど(笑)口の中に生臭味が残るのだ、流石のフランス人もキャビアには、ウォッカでしょ!僕はペリエにしよっと(★・・★)

 昨日に引き続き冷たい雨の日。このところの気温差の大きさには閉口する。足の先が異様に冷たい・シビレル~な感じ、腰いた~!

 いつもの帰り道にあるスナック・バーの店の前を通ると見慣れない生花の花輪デコレーション。地味めの電飾看板がある古臭い感じの、ある意味、実に昭和的なお店(入ったことはない)。今日はそのお店の10周年記念らしい。ふーーん。普段全然意識していない場所なので、そこだけ妙に華やいだ雰囲気がして不思議な感じがした。「スナック・バー」というカテゴリーの飲み屋って日本独自だ。第一、スナックってなんだ?昭和時代には確かにあったけれど、おなじように「喫茶店」が皆無になってしまった今の時代では、どんな感じなんだろうか?僕自身は10年近く行ったことはないんじゃないかな・・・?それなりに進化しているんだろうか?

 篠ヒロコみたいなちょっと影のある美人がいてカウンターには藤竜也みたいなちょっとヤサぐれたシブいおっさんが居るんだろうか?
 んなわけないか(笑)。やっぱり今の時代カラオケが主体なんだろうな。なら絶対に足を踏み入れる事がない場所だろうけど。

 いつものように6時ころいったん目が覚めたけれど、なぜかそのまま気持ちよく微睡んでしまい・・・はっと気がついたら7時ちょっと前。朝っぱらからそんな調子だったせいで、何故か一日中眠かった。体調がとくに悪いという事もなく、まあ敢えて言えば精神的ストレスがなくはないけれど、まあそれはいつもの事なわけで・・・春眠暁を覚えずってことなのか。身体のバイオリズムは季節に敏感に反応する。しかし今日は寒かった!

 ほんとは、腰痛・頸肩腕症候群など最悪に痛いし、自立神経が変調きたしてるのか頻尿・下のツーンとした違和感があり(奥沢病院長のマーク先生診断は前立腺だけど二週間後に診断発表予定・おマキはん予言あり?)、★精神の自己診断では、多弁・観念逸脱・易刺激・逸脱行動(たべん・かんねんほんいつ・いしげき・いつだつこうどう)日本語は難しい、など躁鬱病かなと思い、今日久里浜の外来日だったので、精神科主治医の宮川先生に相談し、分析して戴いた結果、本格的な躁状態は見られないけれども軽い興奮があるかもしれないので、リーマスと言う感情の高まりを抑える薬が処方され1か月ようすを見る事になった。

 外来のナースステーション(看護師積詰所<爆)に東6病棟で大変お世話になったベテラン看護師さんが4月から移動になったそうで、彼女とお話できて大変嬉しかったし、宮川先生が6月から久里浜駅の近くで開業するそうで、次の主治医を何方にお願いするか、看護師さんに相談する事ができてラッキーだった、こう言う人事や先生の評判などは、ベテランの看護師さんが詳しいと言うか・事情通というか、裏話好き(笑)なので、お世話になりました!

 東京都心は札幌よりも最高気温が低いようだし、北関東は雪降ってるし、体調も頭もおかしくなって当然だよね、舛添さんも変だし・高速料金関係の内閣の言ってる事も変だし、早く温かい気候に安定してくれると助かります!

 マイクロソフトのエンカルタ総合大百科(CDとか)の販売やサポートが中止になっている。

 昔たぶん1980年代までは、わりと多くの家庭は自宅に百科事典を持っていて、大判のしっかりした装丁の百科辞典が本棚に並んでいるものだった。ブリタニカとかアメリカーナとか。我が家には英語版と日本語版の平凡社の大百科事典が客間に鎮座していた。

 本棚に立派な百科事典が並んでいる・・・というインテリア的な意味(当時の日本人は欧米のインテリ家庭を至上のものと思い込んでいて、彼らの自宅の「書庫」に多くの立派な本が並んでいるのに大きな憧れを持っていたんだろう)と虚栄心が満足させられ、(隣でも買っているのでウチにも的な>笑)購買意欲をかき立てられたという「判りやすい」効果があったことは確かだ。

 でもはっきり言って無駄使い(たぶんかなり高かったと思う)であったことは確かだ。今の時代では考えられないことだけど。でも、なぜあの当時のあんなに大きな本を自宅に所有するということが流行ったんだろう?セールスの上手さだけではないと思う。スゴく高いし、大きいし、すぐに古くなってしまう情報なのに、それを恭しく置いておくという風潮はまさに昭和のアノ時代の空気だったんだろうかと今思う。そこそこ知的な興奮と満足感が得られるし、教育熱心な家庭(に他人に思われる)「必需品」アイテムだっただろうし、山の手の小市民的な虚栄心を満足させるものだったんだろう。

 とはいえ、これは決して否定的に書いているわけではなく、高度経済成長の真っただ中にあった当時の日本の社会の上昇志向とか、家庭の真面目さとか教育に対する熱心さとかを表していると思う。少なくとも僕は家にあった百科事典に、かなり影響を受けたことは確かなのだから(笑)

yae

 清水谷公園のある紀尾井町は町名の由来からわかるように江戸時代、紀伊、尾張、井伊のそれぞれの屋敷があった場所である。隣接するグランドプリンスホテル赤坂は江戸時代まで紀州徳川家の上屋敷があり、清水谷公園付近で隣の井伊家の屋敷と接していた。

井伊家との境目付近が谷だったことと、井伊家との境目付近の紀州徳川家の屋敷から清水が沸き出ていたことから、付近は「清水谷」と呼ばれた(ただし現在は清水は涸れて、人工的に復元したものが公園内にある)。

その後の明治11年(1878年)、当地付近に自宅を構えていた大久保利通が暗殺されるという事件が起きた(紀尾井坂の変)。この事件は人々に衝撃を与え、後に暗殺の現場となった当地に大久保利通哀悼碑が建てられた。

哀悼碑の建立者から当公園付近が東京市に寄贈されたのを受け、都市計画で公園として整備され1890年に「清水谷公園」として開園された。現在では6.27mの高さの大久保利通哀公悼碑を中心に、心字池や各種樹木があり、界隈を行きかう人々の憩いの場となっている。

かつてはデモ集会の場としても知られた。特に周辺を含め八重桜が多く植わっており、シーズンには多くの人々が訪れる。2001年に公園の一部がリニューアルされた。

 僕らが子供の頃の日本人の食事は、もっとシンプルだったのだ。だから台所の調味料にしても、醤油、塩、砂糖、酒、味噌、みりん、酢、味の素くらいかな。出汁の素なんて一般的じゃなかったし。そのなかで「胡椒」とか「山椒」なんて、特殊な香辛料という立ち位置だったわけですね。ケチャップ、マヨネーズ、ウースター・ソースとかバターは、洋物の調味料なわけだけど、その立ち位置だって今とは全然違う。今アタリマエのように使っていて昔はあまり一般的じゃなかったものなんてたくさんある。

カレー→(特別に刺激的で)辛い料理、という認識は、バナナ→滑って転ぶ(笑)というのと同じくらい、当時の一般常識だったわけだ。逆に言えば、そのくらい、シンプルでプレインな味の料理を食べていたのだな。
世の中が豊かになって、僕らも含めた一般人が簡単に海外旅行が出来る時代となった頃から、劇的に変化しだした感じがする。

 ニンニクは今ほど日本の食卓には上がらないものだったし、キムチも特別な食べ物だった。焼肉をはじめて食べたのはたしか中学生だと思う。差別的な意味合いだって昔はあったはずのものなんだけど、ある時期からあっという間に一般化した。だって、最高においしいんだもん(笑)。パスタといえば、ケチャップ味のスパゲティ・ナポリタンと称していたものか、ミートソース位しかなかったし、洋食というのはカツレツ(トンカツじゃなくて)、ハンバーグ、グラタンくらいかな。逆に言えば、昭和40年代の中ころまでは、日本人の口に入る料理というのは、かなり保守的だったわけだ。

 エポック・メーキング的な出来事としては、やはり東京オリンピックと万博だろう。その後に続く海外旅行ブーム、さらにバブル期・・・そしてインターネットと物流革命か。

 外の世界を知った日本人は、本当に様々な国の料理を受容してきたし、日本国中の食材や料理をどこでも食べられるようにしちゃったのだね。一億総(えせ)グルメ化というコマーシャリズムともいえる。「留保ナシ」に悪い事とはいえないんだけど、特異なことであることは確かだな。エスニック料理とか今まで経験したことのないような様々な味やスパイスを経験しちゃうと、その先はキリがないくらい先鋭化していく。いつのまにか日本の一般家庭の食卓での味付けも、多国籍的なものになる。外のご飯にいたっては、なんでもアリの世界。その先の先にあるものは、どんな世界なんだろう??

「基本」を知らなければ、とんでもないことになるんじゃないか?

 考える余地のいっぱいある問題だ。耳タコだけど、やはり食育って話になっちゃうのかな?

 国際宇宙ステーション滞在中の野口聡一さんの撮影したフォトのページをtwitterでいつもフォローして、楽しませてもらっている。昨日はこの写真が素晴らしいなあ。重要な任務をこなし超多忙な時間を過ごしつつも、余裕を楽しむ「平常心」があるのが素晴らしい。人柄もすばらしくバランスがとれていてユーモアもあるし、抜群のコミュニケーション能力もある。我々常人の想像を絶するストレスの中で、そのどれもを発揮できる彼らに心から敬服する。すごいなー、すばらしいなー、日本人として誇りに思う。彼らが二人とも東大工学部卒であることも印象的。

n2

n1

 金曜日の帰り道はダウンを着ていても凍えるほど半端じゃなく寒かった。そのときは雨が降っていたけれどその後は雪になった。41年ぶりの4月中旬の降雪だそうな。へー41年ぶり、つまり1969年の春。ということは、10歳の春ということになる・・・と、そこまで想起したら唐突に、雪の中で無邪気に遊ぶ小学生の自分と恵比寿・羅府の進ちゃんの姿がフラッシュバックした。特別なことが起こった訳でもないごく普通の一日の出来事を、なぜそんなに鮮明に憶えているのかは不思議ではあるけど。だって、41年前の出来事なのだから。

 1969年、10歳の頃、僕らは、その辺の駐車場でスケートボード(木製)で遊んだり、蔵王にスキー教室に行ったり、代々木や千駄ヶ谷のスケート場で遊んだりしていた。言えばガキんちょ!の頃から友人だったのだ、中学・高校の頃はゴルフに一緒に行ったり、生意気なガキだった(笑)

 41年たった今でも、ゴルフに行っている。なんとなく、あ・うん、の呼吸があるような気がする。たぶんお互いが死ぬまで続く友情(という言葉はちと照れるけど)というものを、この思春期の初めの大事な時期に神様が用意してくれたということは実にオモシロいと思う。

 ちなみに、1969年とは、東大安田講堂事件、アポロ11号月面着陸、文化放送「セイ・ヤング」放送開始の年。

 社会的弱者に出来うる限りの手助けをするのが、成熟した社会の大切な機能のひとつであることは誰も異論はない。でも、その社会の包容力とか許容力というのは、理想論だけでは語れないものであり、一番の問題はソレを語る我々一人ひとりが見通すその世界が微妙に違うことだ。アタリマエだよな。言語化してシステムとして動かすためには、かなり泥臭い動きが必須のものなのだ。だからこそ理想を語る政治システムが必要であり、ソレを実行する行政があるのだから。

 今夜の介護講習で、介護保険制度、それで飯を食っている人達の温度差がある事を知った、みんなボランティアなら問題ないのだけれど!

 それにしても、「後期・高齢者」ってネーミングは最悪。このセンスのなさ、デリカシーのなさ。情けなくなる。「長寿医療制度」? へんっ!何を今更・・・(怒)。(笑)

2010y03m26d_135245871 このところ、家の庭に野良猫がやって来ている。黒に白いブチの太めのボス猫。今朝、外になんとなく不穏な感じがして、テラスに出てみるとヤツと目が合った。子猫ならまだしも(笑)、全然可愛くない生意気な猫。にらみ合うこと10秒くらいか。トンと床を鳴らしたら驚いたようでフェンスを越えて逃げて行った。迷い犬なら条件付きで歓迎するんだけどな。

 僕以上に家は全員、猫はNG. 嫌いというより「動物」として身構えてしまうのだ。だって猫って人間に媚を売らないし、心を最後まで許さない冷たさ(よく言えば気高さ、悪く言えば自分勝手さ)がある。

 猫派の方、御免なさい(笑)

 人間の場合、隙を見せられる人っていうは、根源で自分の人生に自信のある人ではないか?と思う。


           久しぶり・・マルちゃん・・18歳? 


 帰路、いつものように空に向かって感謝の言葉を言おうとしたら、葉桜が微笑んでいた。

 週刊文春の浅田次郎の連載小説「一刀斎夢録」。御一新(大政奉還)の後、明治時代にまで生き残った、新撰組の斎藤一が昔話を語る形式で幕末の日本を描く物語。毎週欠かさず読んでる。幕末の尊王攘夷、幕府側と倒幕勢力の入り乱れて、いかにも混沌としているように見える時代でも、普通の人の生活は生々しくあった。当たり前の話なんだけれど。どろどろした権力闘争の先兵として動いた新撰組の幹部は、みんな華々しく散ったのかと勝手に思っていたけれど、そうでもなかった訳だ。その場に居合わせて直に観てきたかのような、浅田次郎の想像力と発想の素晴らしさには、いつもながら感心する。

 さて、戦国時代から江戸時代を舞台としたいわゆる「時代物」サムライ・ドラマでは、あまりにも多くのチャンバラ場面があって、どうも僕なんかはあの時代は、斬った張ったの殺し合いが日常茶飯事的に起こっていたものと思い込んでいたのだけれど、さすがにそれは大きな誤解なんだね。つーか、そういう事を改めて知った感じ。

 刀を差した侍が闊歩していたチャンバラな時代であっても、ちょっとやそっとでは刀は抜かなかっただろうし、義や志はどうあれ、一人でも斬ってしまえば殺人という重い事実を背負い込む事は確かなのだから。とはいえ、お侍は皆刀を持っていて、そこらを歩き回っているわけで、それはそれで「緊張感」のある世の中であったんだろう。つまり身分が人格を高める義務を求め、社会制度がその正当性を担保していた。

 日本の社会のすばらしいところは、士農工商のすべてのクラスの日本人が上昇志向というか、慎ましい生活をしつつ努力して自分を高め、結果として国力を高めていったという「背骨」の文化がしっかりしていたことだろう。その辺りが、植民地化された中国や朝鮮、中近東の諸国と違っている(優れていた)ところなのだろう。覚悟と気概が為政者にあったという事か。

 実は、書きたかったのは、今の週刊文春の連載小説群が久々に粒ぞろいだってことです、まずは、職人ストーリーテラー浅田次郎の「一刀斎夢録」

 これは、新撰組の中でも一二を争う剣の使い手(居合い)である、斎藤一(NHKの新撰組ではオダギリジョーが演じた)が語り手となって、幕末から鳥羽伏見、戊辰戦争から西南の役(戊辰を生き延び、巡査になった)に従軍した話しを展開している。

 現在展開中なのが西南戦争のくだりであるが、なぜ西郷があのような形で政府に叛旗を翻したのか?それは自分が立ちそれを政府が討ち果たすことで維新が完成する、そのために大久保利通とかたっておこした大芝居であるという解釈がなされている。だから、斎藤一ほか当時の警察に集められた元幕府方の侍達(西南戦争に参加した警察の多くが薩摩に恨みをいだいた士族だったのも始めて知った)も西郷憎しで活躍したのだが、結局手のひらで踊らされていたという設定になっている。特に幕末ファンではないのだけど、このあたりはとても興味をそそられる。

 話しも面白いのだが、現役の近衛兵(剣道の達人という設定)を聞き手にし、明治天皇崩御後の(そして乃木希典殉死の後)の服喪の休暇中毎日斎藤の家に通わせ、夜話として聞かせるという設定がニクイ。臨場感ある切り合いの場面があるかと思えば、思わず目頭が熱くなる場面もあり、浅田さん、こういうストーリーテリングは、やはり最高にうまいです。


 子供の教育環境という観点での両親の理想型として「厳父と慈母」がある。厳格でしっかりした信念をもって子供に接する父親と、日々の生活の中で愛情に溢れて子供をやさしく慈しみ育てる母親というカップル。うむ、たしかにイメージとしてはある。

 一昔前までの日本の(というか外国でも)家庭(夫婦)像としても、どの家庭もそれを目標としていたように思う。うちの両親や親戚や友人の両親も、かつてはそのサブタイプであったと思えなくもない。なぜ「思えなくもない」と書くのかというと、その当時でも、そのくらい実際には難しいことだったと思う。

 それでも今自分たちを含めて考えてみると、昔の基準に照らしてみれば、我が家は子宝に恵まれなかったけれど、もし授かっていたら、決して「厳父」でもなければ「慈父」でもなかったと思う。つまり、それほどの覚悟も信念もなく親になってしまい、今に至ってる家庭が多いと推測する(笑)。

 自分達も含めて、僕らの世代の親っていうのは「それほど厳しくもなく、それほど優しくもない」「だた子供に甘いだけ」の「友達みたいな」親ばかりになってる気がする。難しいもんだ。

 先日の「我が家の歴史」を思い出して、あの時代には普通であった価値観も変容してきていることを実感する。


 スバル360(Subaru 360 )は、富士重工業(スバル)が開発した軽自動車である。1958年から1970年までのべ12年間に渡り、約39万2,000台が生産された。

260px-1958_Subaru_360_01


範となったフォルクスワーゲン・タイプ1のあだ名となっていた「かぶと虫」との対比から、また、そのコンパクトにまとめられた軽快なデザインから、「てんとう虫」の通称で庶民に広く親しまれた。

 家はルノーのステーションワゴン(配達車兼用)だったけど、父がよくクランク手回しでエンジン駆けてた(笑)

 昨日の、しとしと雨で肌寒い一日から一転、初夏のような日差しがウソみたいだ。家の近所の桜並木の花びらは大方散ってしまうだろう。

 今週で染井吉野は終わりで、八重桜に期待、ちょっと派手と言うか濃いイメージ、赤坂で育った子供の頃は、弁慶橋を渡ってホテルニューオータニと清水谷公園の間の紀尾井町や四谷に上って行く道が、八重桜の並木道になっていて満開になると素晴らしく綺麗だった。上智大学の四谷・市ヶ谷の土手の桜も葉桜に変身してるだろう。

 新芽の萌える季節。おっつ、そうそう、そういえば、本来の「萌える」という言葉はこれなのだよな。最近の使い方はよーわからんけど。

 今日のランチ、目黒トゥー・ザ・ハーブスにてパスタ! チキン・ホウレン草のクリームソース、茄子のトマトソースのハーフ&ハーフ盛り、久しぶりのパスタ!美味しかった、てーちゃんは、烏賊と明太子と海苔のさっぱり系のお味、こちらも美味しそうだった、太らないように注意(笑)

     昼のワインには気おつけよう<スプマンテ<爆

 正解、スパークリングウォーターとエスプレッソにしよう(笑)

 テレパシーとは 誰かが発した想いの波動を無意識の領域で受け取る事を言います。又は、とも言います、こじ付けか?

 例えば誰かの事が急に気になって考えていたら、その人から電話がかかってきたということは 誰しも経験があるコトだと思います。それはあなたが無意識の領域で 相手の波動をキャッチしている立派な証拠なのです。

また母子といものは 出産してへその緒を物質的に切って分離されても、目に見えないへその緒でずっと繋がっているため非常に波動も受け取りやすいとも言われています、家でも、母上とは、まさにあ・うんの呼吸かも?の時もある(笑)

 テレパシーとは特殊能力ではありません。日常生活において 普通に使っている感覚能力です。ですが五感を通して知覚するものではなく波動を 血液中の鉄などのミネラル分が引き寄せる事で起こるらしい?

ですから身体で感じるという感覚が強くなるのです。


 さらにテレパシーとは人と人とを繋ぐだけではなく動物や植物の意識の波動とも繋がる事が可能です。また目に見えない別次元の光の存在たちと意思が通じるのは このテレパシー能力によるものです。

 ですが 私たちは地球と分離し 自然に反した生き方を選択しています。

 だから 他の地球の生き物のようには この感覚機能を使うことができなくなっているのです。社会的な概念 地域の慣習に根付いた価値観を取り外す事で宇宙的な視野を受け取る作業をしているのです。

 実は、僕の先祖は宇宙から来た異星人だったのだ、念願の我が惑星に帰ればアルコール依存症は、完治するかもしれない<爆> 


 ★ロズウェル★

sotuz

ソユーズで、帰ろうかな(笑)

「我が家の歴史」第3夜。リビングのテレビで流れている番組を先夜から観ていたんだけれど、存外おもしろい。昭和的な様々なエピソードが(ちょっと無理矢理かつ強引に)ちりばめられていて、客を楽しませることに徹しているのが、さすが>三谷幸喜さんの脚本。柴崎コウって女優は、素敵だ。戦前&戦後すぐの話など、母上の解説が入る(喋りまくり<爆)、僕だって少しは知ってまんがな!

 そう言えば、五年くらい前に一〇〇歳寸前で亡くなった、母方の祖母は、笠置シズ子さんと姉妹のような、お付き合いだったっけ、小学生の頃に、笠置の叔母様から、お年玉(聖徳太子の千円札)を貰うのが毎年楽しみだった(笑)ブギウギ!

 笠置シズ子 1945年(昭和20年)11月、再開場した日本劇場の最初のショーから出演し、1947年(昭和22年)の日劇のショー『踊る漫画祭・浦島再び龍宮へ行く』で歌った、服部良一作曲(笠置の歌曲のほとんどを手がけた)の『東京ブギウギ』が大ヒットし、戦後の荒廃した庶民の心に開放感をもたらす。以後『大阪ブギウギ』や『買物ブギ』など一連のブギものをヒットさせ、「ブギの女王」と呼ばれる。美空ひばりが登場するまでスーパースターとして芸能界に君臨した(美空は笠置の物真似で有名になった)。笠置のマネージャーをしていた男が美空ひばりを笠置より先にハワイでの公演をさせたため、真似されている本人が「美空ひばりの持ち歌を歌っている大人」として現地に誤解を招くという事態を招き、ひばりにブギを歌わせなかったと言われているが、当の笠置自身がそうした営利を目的とした人物の被害者であったことはあまり知られていない。

 東海林太郎や淡谷のり子など歌を重視する従来の歌手と違い、笠置は派手なアクションと大阪仕込みのサービス精神にあふれ当時として斬新なものであった。「ヘイヘイブギ」では笠置が「ヘーイ・ヘイ」と客席に歌いかけると観客が「ヘーイ・ヘイ」と唱和し、文字通り舞台と客席が一体となるパフォーマンスを繰り広げ、「ホームラン・ブギ」では高下駄で応援団長の扮装で登場、勢いあまって客席に転落。「買物ブギー」を歌うときは熱演のあまり、履いていた下駄がいつも真二つに割れてしまうほどであった。阪神タイガースの藤村富美男が笠置のステージにヒントを得て派手なプレーを心掛けるようになったのは有名である。 今日でも彼女の歌がカヴァーされ日本のポップスに多大な影響を与え続けている。

Wikipedia

 そう言えばかなり昔、笠置さんのお通夜に家のおばあちゃん乗っけてBMWで斎場に行ったら、一瞬フラッシュや照明を照らされたけど、たんなる一般人だと判ったとたんに真っ暗になったっけ(笑)

‘ひさかたの 光のどけき 春の日に しづ心なく 花の散るらむ’

‘春の日はのどかなのに、花は、なぜ、せわしなく、散るのだろうか’
 
 普遍的な日本人の感性だと思う、桜は散ってからの葉桜も新緑の並木道も好きだけど。

 そんな、からっと晴れたいい天気の日。今日は、花粉が飛びまくり、一日中、眼がカユク&眠くて辛かった、以前は全然平気だったのに、ここ数年 花粉症がひどくなった。

 ここ数日・腰痛が酷くて、週末のお楽しみゴルフにも行ってないし、ジムも厳しい状態!、でも禁酒・禁煙で胃腸は絶好調で、お腹空きまくり、体重5キロ増、食べすぎ呑み(珈琲)すぎだよな(反省してないけど<爆)。 でもお気に入りのリーバイスのジーンズが苦しくなってヤッパリ反省、どうやってお腹の脂肪を落とすか?<誰かアドバイスちょーだい(笑)

g

 夜、駅にて、大学の新入生歓迎かなんかのコンパなんだろう。アルコールで盛り上がった若者の集団多数。お酒を飲みなれない連中だから、そのテンションの高さも手に余るんだろう。僕も経験があるからわかるし、今日の若者達もそんなに傍若無人な振る舞いをしていたわけじゃない。ただ、仲間と群れて楽しそうにワサワサと。嬌声、爆笑、怒鳴り声・・・などなど。

 で、その若者達を観ていて思った。

 たぶん、彼らにとって今日の夜のことは記憶の闇の中に埋没してしまうような、ささやかな一瞬の輝きなんだろうな。あの「無防備さ」はナンなんだろう?根拠のない自信、或いは、理由のない不安?
 
 たぶん、僕も古い仲間達も、みんなああいう感じだったんだろうな。小言や注意をするつもりもないし、彼らを批判する気もさらさらないんだけど。鳩尾のあたりが、きゅんとなるハズカシサ。あの頃、ボクらはなんと無防備でナイーヴだったんだろう。

 もう一度、やり直せればア症には、ナラナイかも(笑)だよね!最近チョット辛いかも。

main01

 このところ、腰痛酷くて、イメージトレーニングのみ、その方が良かったりして<・・>

 桜も、庭の野花達も開花。名前不明のつぼみや水仙の蕾もぐんぐん膨らんでる。開花直前でパンパンになっている。その生命力とひたむきなエネルギーに素直に感激する。誰が教えたのでもなく、そのときを知り、一斉に花が咲くってすごいよなぁ。

 面白いのは、早くから芽生えていたものが早く開花するというわけでもなく、芽生えは遅くとも途中でぐんぐん伸びたものに先をこされちゃうのもあれば、葉振りがいいのに蕾がまだ小さいのもある。「先発隊」みたいにちょっと先に咲いているのもあるし、逆に途中で諦めちゃってる(笑)みたいなのもある。その多様性みたいなものが人生模様みたいで面白い。

suzuran

 まーた朝起きた時から、もう眠ぶい。目覚める直前に見た夢は、なぜか「俳句」を考えているという、変な夢だった(笑)。

 良くはないけど悪くはない一日 !、明らかなきっかけや理由があれば対処のしようがあるのだけれど、それがわからないのが問題といえば問題。

 仕事は「いつものように決算の仕分け経理の作業」。心の余裕がないというか柔軟性がないというか?微妙にズレた様々なベクトル『目標を達成させるための方向性』に対して、何故か苛立つ自分がいる。今日も、ばたばたと忙しかったルーティンのあとは、サブルーティンで夜の講習にて訪問介護認定講習会の司会をした。疲労感とともに達成感があったりして(笑)。単純なヤツだ>自分。そんなこんなで一日を無難にスルーしたかな。結果として「良くはないけど、そんなに悪くはない一日」だった。

 あ、そーか。書きながら今思ったんだけれど、自分の立ち位置の問題なんだ。
このところ、自分の立ち位置が揺らいでいたので、それに苛ついていたんだ!

 今気がついた。 「露の世は 露の世なれど さりながら」

 一茶のこの句はすごい。宇宙観と死生観を五七五に容れている素晴らしさ。

 去年の秋・10月7日久里浜アルコール症センターを退院して、もう春!真っ盛り、何時の間にやら半年・6か月・180日間・4,320時間・25,920分、、、、経過。

         悩める、おさ虫 ε=ε=┏( ・_・)┛にげなきゃ!


『復習・久里浜アルコール症センター情報BOXより』


アルコール依存症とは?  ―飲酒のコントロールを失う病い―

アルコール依存症と診断される人には、次の特徴があります。 


 お酒を長年にわたって飲んでいると、だんだん酒に強くなってきます。少量の酒ではいい気持ちになれず、次第に飲む量がふえていきます。酒に強い人は私の周りにいくらでもいるよ。でも、いつから普通の酒飲みとは違ってしまったのでしょう。

○飲酒のコントロールが効かない

 飲み始めると適量でやめることができず、ついつい泥酔するまで飲んでしまう。飲んではいけない場所や時間、たとえば仕事中に抜け出して一杯やったり、車を運転する前に飲んでしまう。このまま飲み続けると命が危ないと医者から酒を止められても、内緒で飲んでいる。このように、飲酒のコントロールが失われた状態、それがアルコール依存症の本質です。

○酒を止めたときに離脱症状が起こる

 アルコールが切れてくると、手や体がふるえたり、イライラ、発汗、不眠などの不快な症状が出てきたら、それはもうアルコール依存症です。この症状は、不思議と酒を飲むと止まるので、酒を手放せなくなります。

○連続飲酒 に陥ると

 進行すると、お酒が生活の中心になってきます。酒が切れると離脱症状が出てくるので、隠れ飲みをやりながら、何とか仕事や家事をこなしていますが、やがてそれもできなくなります。家にこもって、飲んでは寝て、起きてはまた飲むを繰り返し、しまいには食べ物はおろか水や酒さえも受けつけなくなり、飲みやめる。これを、連続飲酒といい、アルコール依存症の終末状態です。

○体がやられる

 大量のお酒を飲み続けていると、さまざまな合併症を引き起こします。 肝硬変 ・ すい炎 ・ 胃潰瘍 などの内臓障害や、 糖尿病 や 高血圧 、 アルコール性痴呆など脳の障害 、アルコールの影響はからだ中におよびます。

○病気なんだ 意志の問題じゃない

 アルコール依存症は、意志の弱い人やだらしない人がなると思われがちですが、そうではありません。お酒にはアルコールという依存性物質が含まれているため、アルコール依存症の人には飲みたい、飲みたいと言う強い飲酒渇望が生じ、これは本人ひとりの意志の力ではどうにもなりません。アルコールから抜け出すには誰かの助けが必要です。

○徐々に進行し、死にいたる病い

 俺は仕事に行っているからアルコール依存症じゃない。連続飲酒が無いからまだ大丈夫だ。

 ところが、アルコール依存症はゆっくりと徐々にではありますが、慢性的に進行し、やがては死にいたる病いです。そこで、早期発見、早期治療が大切といわれています。早く治療を受ければ、失うものも少なく、回復も容易です。 専門病院 への受診をお勧めします。

○治療すれば治るか

 現時点では治すことはできません。コントロールを失う病いですから、長年断酒を続けていても一度飲み始めればまた元の飲み方に戻ってしまいます。失ったコントロールを取り戻すことはできませんが、適切な治療を受けて酒無しの生活を続けていれば、健康な社会生活を回復することはできます。


20091106124534

dis

 山崎直子さんのミッションが始まった。日本の宇宙飛行士というスーパーエリート達は、皆魅力的な人たちばかりだ。今回の山崎さんは、日本初のママさん宇宙飛行士で、東大工学部航空工学科を卒業してから、今回の搭乗までの道のりは長く厳しいものだったらしい。

 そうだろうなあ、宇宙空間(上空350kmを時速28,000kmという想像を絶するスピードで飛ぶ!)のストレスと緊張のなかで仕事を成し遂げる体力と精神力はただ者じゃない。ただ単に「成績がいい」とか「体力がある」とかだけではなくて、人間性とか社会性とかコミュニケーション能力とか問題解決能力とか、さまざまなability やcapabilityとか、さらに言えば「運」がなければ達成できないものだから。日本人の彼らが皆清々しいのは、その能力をあまりひけらかさない謙虚さと真摯な態度を表していることだと思う。いやー、素晴らしい。彼女もTwitterでつぶやく予定らしいので、野口さんの発言とともにフォローして応援しよう。

 国際宇宙ステーション(ISS)について、ちょっと調べてみたら、人類史上最大の巨大プロジェクトなんだそうな。その一角をわが日本が占めているのは誇らしい。完成すると、ちょっとしたサッカーグラウンドくらいのサイズらしい。想像以上の大きさだ。


 明日で、久里浜アルコ-ル症センタ-・東6病棟の終了証書を貰って(2009年10月7日退院して)ちょうど半年、、、、、早いようでながかった?、これで本格的に仕事に復帰します

 自宅近所の桜並木はまさに満開。春の花冷えの残る朝。上田から上京した恵蔵んちのR子ちゃんも大学の入学式だろう。この満開の桜の下、胸を膨らませて新しい職場や学校に向かう若者達がたくさんいるんだろうな。すべての夢と希望に幸あれ!と切に思う。

でもね・・・若者よ、

 年寄り臭く、ちょっと斜に構えて親爺的な言い方をすれば、その夢に向かって進む道の、そこここに大きく深い穴や、とてつもなく高い壁があって、転んだり落っこちたり、怪我をしたり、泣いたり、時には諦めて引き返したくなることもあるはず。つーか、ほぼ100%確実に、近い将来そういう事態に直面する事になる。全員に訪れるその「絶対に乗り越えなくてはならない試練」に、どう真摯に向き合うか?という事だと思う。勝ち負けじゃない、いかに自分なりに一所懸命になれて満足(というか後悔なく)生きていけるか?ということなのだろう。つまり、その「覚悟」が大切だと思う。

 自分のことを思い返してみると、20歳代、30歳代は挫折しそうになるツライ事のほうが多かった。傍目には、どう見えたか知らないけれど。でもそれを乗り切って?40歳代は死んだフリしてア症に、またも乗りきって50歳代の今の自分があることは確かだと思うのだ。挫折して苦労して努力して、それを乗り越えた人たちは、確実にそれ以上の対価を得ていると信じたい。人生の折り返し地点を過ぎてみて、改めて思う。つまり、幸せというものは、そこここに転がっているものじゃなくて、自分で掴みとるものなんだ、きっと。英語で言うところのdedication という「思いの強さ」。

 桜の下を歩く若者達に、そのことを話しても実感が湧かないのは当たり前かもしれないけどね。もちろん僕も当時はのほほんとしていて全然聴く耳を持たなかっただろう(笑)、チョイ辛い人生はまだ続く、、、、、、。

 すこし、疲れたかも、がんばれ自分?




 文春文庫で出ていた「本業」を読んだ。この本の著者は、水道橋博士・・・ああそんな漫才師がいたなあ。。。程度の知識しかなかったのだけど、本屋さんの文庫のコーナーでふと手に取ったこの本は、妙にひっかかるフレーズがあってそんなに期待せずに読み始めたんだけど、正直びっくりした。決して低く見下していたわけじゃないんだけど、当初の漫才師の書いたオチャラケ本なのだろうという先入観は、ぶっとんでしまった。

 いわゆるタレント本の書評なんだけど、その文章力と観察力・分析力のクオリティの高さはたいしたもん。で、あんなふうに、ある意味冷徹に本を読み込みつつ、自分の「隙」も見せて読者を楽しませながら、感覚的かつ論理的に書評を書ける人というのは、プロの文章家だなと思った。すんません、甘く見てました>水道橋博士。サブカルチャーの世界は深いなぁ。


suzuran

 このところの寒さが緩んだ朝。家の近所のさくら坂が七分咲きから満開。開ききっている花、まだ堅くて張りのある薄紅色の花びらと開花直前の蕾。満開というピークに向かう花々のベクトルが収束してゆく。この時期特有の「気」が充満している感じがする。

 庭の草花の蕾もぐっと膨らんで、その時を待っている。うううむ、今年も春本番・直前! スズラン水仙・れんぎょう・黄花いかり草・すみれ(和種・洋種)等々、僕には名前も判らない、野草達、かわいい連中なのだ。これが夏になってくると、草ぼうぼうで(外来種の雑草で)草むしりがスンゴイ大変なんだ(笑)

suisen


250px-Viola_mandshurica_1-1


 


<菫の花咲くころ> 昔よく、宝塚劇場の楽屋へ配達に行ったっけ、隠れ親爺系ファンだったりして<・・>、最近は客席に男性ファンもケッコウ来てるらしいけど、照れくさいとか・気恥ずかしいとか、ないのかな?

 出待ち(意味、わかる?)にも、居たりして<爆笑

 基本的には曇りなんだけれど、しとしと雨かと思いきや晴れ間が出たり、昨夜から朝にかけて強風注意報、昼は土砂降りの雷雨になったりと、猫の目的天気。迷惑なんだけれど、こういう変化は実は嫌いじゃない。びしょ濡れになっても気持ちいい季節だ。「春の嵐」状態(笑)。


350868main_image_1369_946-710
 




NASAのImages of the day。広大な宇宙空間のなかのすごくささやかな人類の営み。

すごいな。(画像をクリックするとさらにすごい)

 で、この「すごい!」という「表現」について、ちょっと前にユーミンがどこかで書いていた。曰く、彼女の所に取材に来たある女性記者が会話のなかで「すごい!」を連発したらしい。「あーた、そりゃ違うでしょ。プロなら何がどうすごいのかを言語化して表現しなくちゃだめよ」とイナしたそうな。うんうん、同感。バラエティ番組だったか、旅番組だったかで、出演していたテレビの女性アナウンサーが。さかんに「すごいですね、これはすごいわ、あれはすごいわ」と連発していて、おめーちょっとは自分の頭で考えろよなっって思った事がある。

 「華麗なる遺産」ついに最終回。録画をしていたものをじっくりと鑑賞。あーあ、終わっちゃった(涙)。帰宅後の楽しみがひとつ減った。それにしても、僕が韓流ドラマにハマるとはな(笑)やはりヒロインの、コ・ウンソンの魅力が一番大きいと思うけど。ドラマの作り方が実にうまくて筋書きが想像できちゃうんだけれど、ハマってしまうような筋書きが鏤められている。ちょっと前の韓流ドラマの「臭さ」はかなり薄まっていると思う。

 このドラマの底流にあるのは「親子愛」。今の日本の感覚からすれば、異様に密接な家族内の結びつきは、儒教的な上下関係と相まって、ともすればドロドロになりがちな人間関係の「愛憎劇」になるのだけれど、このドラマはアメリカンコメディー的になっていて、たぶんかなり現代風に薄めてあるんだろう。それでも、今の日本社会と比べれば、韓国社会の「濃さ」は全然違う。

 習慣とか挨拶、お辞儀、仕草などは、すごく共通点がある気がした。でも、今の日本の若者と比べれば彼らのほうが数段礼儀正しいと思う。1970年代の日本にはまだあった目上に対する「礼儀」とか「心遣い」があって、その意味でも「妙に懐かしい」感じ。それと、彼らの上昇志向とか向上心、海外へのあこがれの強さなども70年代の日本的なんだ。この辺りが、僕がこのドラマに親密感を感じるところ。もちろんドラマだから、現代の韓国人の「憧れている生活」の方向にデフォルメしてあって、彼らの「夢」が垣間見えるのだろうけど。

 ドラマの恋愛はとことんプラトニックで、せいぜい手をつないで歩いてキスするのが最大の盛り上がり場だったりするんだけど、この「原理主義的」ともいえるくらいストイックな倫理観ってのは、僕らの世代のオッサン&オバチャンにとっては「胸きゅん」なわけだ。その意味で、もう日本では「死語」ともいえる(笑)「処女性」とか「貞操観念」みたいなモラルが、まだ生きている(価値を持っている)社会なのかもしれない。ちなみに、「草食系男子」は出てこなかった。そんなこんなで、久しぶりに実に楽しく脚本にハメられ、演技にハマったドラマ。あー面白かった。

 ノンアルコールの夜が暇になる(笑)

↑このページのトップヘ