アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 Shall we 断酒

2010年02月

 2月決算月でのこの時期の忙しさは想定内として、プライベートでも昨年暮れ以来、現在完了形&進行形で問題山積。問題というか課題か? さらに様々な、should や mustの事柄もあって、さあてどうしようか?と怒濤の川の流れを前にして呆然と河原でたたずんでる感じ、かな。アセっても仕方ないので、出来る事から少しずつやって行くしかないのだけどね。今年はきっとそんな年なんだろう。トンネルに入り込んで、まだ進む先が見えていない状態。

 チリ大地震の影響による津波情報。大津波予報ということで、朝のニュースから気になった一日。平成5年の奥尻島の大津波では30mに達したらしい。それにしても、南半球の地球の裏側で発生した地震による津波が地球を半周して日本まで届くという壮大な自然現象、さらにその予報をするシステムが出来ているっていうのもスゴいなって思った。とはいえ、スーパーコンピューターでシミュレーションしたとしても、まだまだ解らない事だらけなんだという、自然現象の複雑さに無条件の畏敬の念。

 市京CCの月例競技にエントリーしてたので、雨の中しぶしぶ、行ったら途中から雪がバンバン降ってきて、右手は霜焼けみたいに腫れてくるし、寒いし、ヘアウェイは川の怒涛?みたいだしグリーンは水はけのローラーかけてからパッティングだし、非常に厳しいコンディションの中、89回で廻れて我ながら良く我慢のゴルフが出来たと思う<偉い。津波の影響でアクアラインが通行止めで、久しぶりに京葉道路から湾岸廻って首都高で帰ってきたのだ!(1時間で・風呂入らずに、即効で2時にコース出たのでまだ空いてた)なんだか充実した日曜日、満足満足(笑)ってまた一週間がんばろうよ!

 大人になったらまず運転免許証をとり、社会に出たらお金を貯めて自分の車を持つ、というのは僕らの世代ではアタリマエの通過儀式みたいなものだった。女の子とのデートはもちろん(笑)ゴルフやスキー、友達との旅行や、日々の移動も自分の車で、ということになる。ただ運転してどこかに行くということが、楽しかった。つまり「手段」が「目的」化していたな(笑)。冷静に考えてみれば、若者が東京圏で生活するのに車は不要だし、不経済だったのにね。でも自分が勝手に作り上げた大人のイメージに憧れて「そういうものだ」って思っていたフシがある。ま、でもそれが当時のイケイケの消費の一端を支えていたことは事実だろう。

 免許を取って35年間、都立高校にいけば免許取ったら車を買ってもらう約束を親父としていたので(たしか入学金ゼロで、学費は年間1,500円だったと記憶している?私立なら300万くらい?)三年生の時に銀座のヤナセで当時出たばっかりの1977年・初代VWゴルフ(ワインレッド・4ドア・4速マニュアル・クーラー!付き)を買ってもらったっけ、それ以来、ドイツ車、BMW、メルセデスにも乗ったし、モーリスのミニクーパーmr?・カブト虫・ルノーサンクターボなど、よく壊れたっけ(笑)。買った車と払った税金や諸経費を単純に足し算すれば・・・恐ろしい額(35年間でウン千万だろう!)のお金を消費したことになる。げげげ。

今さら僕が指摘するまでもなく、今の都会の若者は運転免許をとるとしても、IDとか一般的な資格の意味みたいだ。決して僕らの持っていたような車に対する憧れや幻想はない。自分の車を買う事は、ある意味、個人の趣味で「贅沢」のようなところがある。実際に、今の時代に自分の車を所有するのにはお金がかかるし、昔と違い今の時代の若者はお金を遣うものがその他に一杯あるんだろう。疑問も持たずに素直に多額の消費をしていた僕らの世代とは違って、これでは不景気にもなるよな・・・。

 で、うちの場合、日々の通勤や買い物に便利な場所(池上線・雪谷大塚駅徒歩1分)に住んでいるので、必要に迫られて自分で車を運転するのはゴルフに行く時、月で4・5回。それ以外は車がなくては困るようなことは、ほとんどなくなっている。(ジジ・ババの通院関係福祉車両の側面があるけど)今の車(メルセデスA)は快適で運転しやすいし、小さくて小回りがきくし「かわいい」やつ!僕自身は全然不満はないのだけれど、できればエコの!という家族の声。(メルセデスEクラスにディーゼルのエコカーが出たのだ、ほしいかも)

 でも、そうやって改めて考えてみると今「欲しい車」がないのだな。厳密に言えば、ある程度落ち着いたおじさん(笑)が、あえて欲しくなるような「魅力のある小型車」ってすごく限られている。結構、そんな大人達のニーズはあると思うんだけどな。

 おお、今こそ小さめのポルシェでも買っちゃうかな。そう考えると楽しいけど。デッカイGMのキャデラックも魅力的かも<爆

 まだ今の車は2万キロも乗ってないし、本当に意中の車が見つかるまで当分はそのままにするか。

  実は今週、左の後ろのドアを電柱にバックリぶつけたのだ、少女が自転車で飛び出してきて、ハンドル切ったらベキ・ゴリ・グシャ<泣き

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 以前にもココに書いたけれど、日頃から「チームで頑張ろう!」的な仕事をしているせいか、プライベートでは(でも?)すっげー協調性がなくて、基本的には一人で引きこもりたくて「極力群れたくない」という気持ちが強い。プライベートで「群れる」場合には、本当に自分にとってストレスのない人間関係の中に居たいと思う。

別件だけど、、、

 幕末史を読んでいて驚くのは、あの混沌とした江戸時代末期から明治の扉を開き、日本の近代化を行ったのは本当に若い人たちなのだという事実。昔の人は肚が据わっていた。人生50年が普通であったあの時代と比較して、いかに今の世の中が幼稚化しているかという事実に愕然とする。昔は15ー16歳で元服するし、女性は結婚して子どもを産んでいたわけだ。以前にもどこかに書いたけれど、だいたい今の時代は実年齢x0.8くらいが昔の人と同等なのだね。つまり50歳の僕は昔なら40歳の不惑。まあ、そんなものなのだろうな。

 子供の頃、テレビで観ていたヒットパレードやシャボン玉ホリデーとか、皆さん凄く大人に見えたけど、今考えれば若かったんだね(笑)

 昔の人には、かなわねー(爆)

 無意識か意識的か日頃の会話の中で他人の悪口ばかり言っている人って、結構いると思う。悪口、陰口、噂話、評判、値踏み、嫉妬、妬み、ひがみ。ネガティブな話題を「人と共有すること」と「言葉にすること」で、話した相手との価値観の擬似的共有をしつつ自分の相対的な優位性を確認したい、という自己防衛反応なんだろう。でも会話していて、僕はヤーな感じがする。つい先日もある人と話していて、あーこの人って僕の居ない所では何を言っているか信じられないなあ、って思った。そのくらいこの人の会話には人の悪口が多かった。つーか、悪口しか言っていないだもの(苦笑)。

 人には誰でも表と裏があるものだけれど、このテの人たちに共通なのは、自分に自信がなくて潜在的に「劣等感」を持っている人が多いと思う。これは年齢とか社会的地位とか教養とかは、あまり関係ない気がする。つまり「器量」ってことか。僕はあまり好きな言葉ではないけれど、最近使われる「品格」といえるのかもしれない。

人のフリ見て我がフリを直さねば(笑)

 最近よく考えるんだけれど、「立場」というものはあくまでも相対的な人間の関係性の上で成り立っているものなのだと。

 「その人がその立場でいい仕事できる」ということは、いわゆる「ご縁」そのものではないか?と思うのだ。

 つまり、周囲の人が居て初めてその人がその立場に立てるということ。立場のある人、いわゆるエラい人、それも「本物のエラい人」っていうのは、古今東西の例外なく、謙虚だ。

 僕は謙虚にしてるor成ろうとしてるつもりだけど、廻りの人(主にテーちゃん)からは、どうしても謙虚に見えない、しいて言えば、態度が大きい、所謂・不遜にに見えるらしい、「本物のエラい人」には絶対になれないようだ(笑)

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豊里CCで、栗田 貫一さんとプレー!




おさ虫 44:45 クリカンさん 35:37<凄い

 自分の言葉で「伝えたいこと」を「伝えたい方法で」「伝えたいときに」過不足なく誤解のないように人に伝えるっていうのは、きわめて難しいことだ。

 その「伝えたいこと」が、伝えたい人に「どのように伝わるか?」ということを考えても、大体思ったとおりになったためしがない。

 自分の外に言葉が出て行った瞬間から、言葉そのものが動き出して、勝手にいろんなイメージの中で踊りだしちゃうから。

 というか、言葉のイメージは出来ているのに、口から出ていけないでいる、口下手だからね(笑)やれやれ o(^-^)o

 空の方向を見上げたら、桜のつぼみがずいぶん膨らんでいた。僕らの生活とは関係なく、時は流れ続け、いつの間にか春になろうとしている。

 今日も昨日と同様、自分なりにベストを尽くし、大過なく過ごせたことを、神様に感謝したい。


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 ふと思い立ち「仙人」についてリサーチ中。調べて行けば調べて行くほど奥が深い。今日のリサーチで興味深かったのは、日本各地に伝わる「徐福伝説」。寡聞にして知らなかった。学校で学んだ日本史で出てきた記憶は全然ないし。で、伝説上の徐福さん、霊的な修験者ともいえるし、結構俗っぽい山師みたいな感じもする。いやー、面白い。

 で、厳しい修行して真理を究めた人である(ハズの)仙人なんだけれど、伝説で残っている仙人のエピソードっていうのが、どれもわりと「人間臭い」っていうか「俗っぽい」エピソード満載。青森から鹿児島まで各地に伝わる徐福伝説なんてその最たるもの。そして、土地の人たちがそれなりに勝手に解釈して色んな伝説を作り上げている。この昔の人の「適当さ」みたいなものも、好きだな。

 過酷な修行の果てに仙力を得て空を飛んでいたのに、若い女性の美脚(ふくらはぎ)に見惚れて神通力を失い墜落してしまい、さらにその女性とシテしまう(注:一応文献上では妻とした、と記載しているけど)久米仙人(くめのせんにん)なんて、実に俗っぽくて愛すべき人柄だし(爆)。

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市原京急カントリークラブ 梅満開!

   本日、オフィシャル・ハンディキャップ ゲット “15”

     これにて、来週末の月例競技会、初参加<<<<<

 あの人は心の広い人だ、とか、深い心の人だ、みたいな表現はあるけど、ソレはそれとして。

 感情とか、気持ちとか、やる気とかのベクトルで見てみると、僕ら凡人ってのはやはり、かなり限られた「心のキャパ」しかないんじゃないか?って思う。スケジュール的にちょっとでも忙しかったり、日々のいろんな雑事のカオスのなかでいろいろな事があると、次から次へと起こる事に対応するために、悩み事や考え事ができない状態になる。つまり、人の心のキャパっていうのは、自己防衛的に立ち回るために限られているんだろうな、って今日ふと思った。

 いろいろな考察をしたり、文章を書いたり、そんな事ができるのはやはり心のキャパに少しでも余裕の隙間がある時なんだよね。 心に、余裕の隙間が多ければ、アルコール依存症とも、なんとか共存出来るのでは<期待!

 おさ虫は、心の狭い未熟者で自分の少ないキャパにさらに、追い打ちをかけるように、雑事を詰め込んで(好き好んで)余裕のない処で、ア症に対して、バランスを取っているような気がする(笑)

 来週、木曜日、一か月ぶりに久里浜アルコール精神科M先生の外来へ、金谷の兄さん元気かな?やっさんもいるかな?

 2月から自助会もやめて、外来通院だけの1本柱なのだ、大丈夫なのかいな?M先生に聞いてみよっと。

 

 バンクーバーの空港に降り立った国母和宏(21歳、東海大)選手の服装は、あれはたしかに問題だった。いや、問題だったのは「服装」ではない。「着こなし」だ。

 服装自体について言うなら、彼はJOC支給のスーツを着ていた。その意味では、規則違反を犯していたわけではない。
 が、結果は単純な規則違反よりもシリアスなものになった。マズかったのは、そのJOC謹製の背広上下を、「裾出し」、「ゆるネクタイ」、「腰パン」のカタチで着崩していたことだ。

 「服装」よりも、「着こなし」が逸脱していたということは、「ファッション感覚」よりも「スタイル」が道を外れていたということで、このことはすなわち「ファッション」という外見的ないしは趣味的な要素よりも、より深く人格の根本に直結する「生き方のスタイル」が、規則破りであったことを意味している。

 と、これは、由々しき事態になる。公式スーツが象徴する「スタイル」をコケにしたわけだから。

 というわけで、その国母選手の「腰パングラサンずるずる歩き映像」に対しては、各方面から苦情が殺到することになり、結果、彼は、橋本聖子選手団長の叱責を受けて、選手村入村式への出席を自粛する次第となった。

 その出席自粛を発表する記者会見での弁明風景がまたヤバかった。今回ヤバかったのは「態度」だ。致命的だ。

 態度がヤバいということは、「服装」が不適切であることよりも、「着こなし」がマズいことよりも、さらに数層倍事後がよろしくない。

 というのも、公式記者会見における不遜な態度は、世間に対する「挑戦」を意味しているからだ。あるいは「社会」「友だちの輪」および「空気」ないしは「良識」に類する諸々の集団的な秩序に向けた破壊工作。これは決して許されない。

「われわれのカネで派遣されている五輪代表選手でありながら……」

 と、早速、タックスペイヤーの皆さんの叱責がはじまる。21世紀は、納税者意識の時代だ。平成の民衆は、昭和の庶民とは違う。ただの国民ではない。各種の公的な補助を支える納税者、スポンサーとなっている企業の顧客、などなど、「有権者」の立場でものを言うことを覚えて、一段階偉くなっている。だから、五輪選手に対しても、「ファン」や「観客」としてではなくて、「納税者」の立場から叱責をする。

「キミらは、われわれの血税を使って現地に赴いているのじゃないのか?」

 と、上からものを言う。

「国母選手は、国民のカネで支給されたスーツをぞんざいに着こなしたのみならず、公共のメディアを集めた記者会見においてあのような……」

 絶体絶命だ。が、その、あらゆる意味で八方ふさがりな記者会見の場で、国母君は、ありていに言って、あんまり反省しているようには見えなかった。
 傍らに座る監督に促されるカタチで

「反省してまーす」

 とは言ったものの、この言葉を言ったのちに周囲を見回す様子には、ほとんどまったく恐縮した様子がなかった。

「あんたらが聞きたかったのはこのセリフだろ?」

 という感じ。

「ったく、何を騒いじゃってるんだか」

 うん。ある意味あっぱれな態度ではあったが。
 
 私個人は、実は、今回、この話題を取り上げることをちょっと面倒くさく感じている。だって、どう書いても必ず荒れるからだ。そう。間違いなく荒れる。わかりきったことだ。
 一方には、国母選手の態度にムッとしている人たちがいる。で、もう一方には、若い者のちょっとした逸脱をヒステリックにとりあげる報道にうんざりしている人々がいる。
 オレは両方だな、という人たちもたぶん少なくない。
 どっちにしても、人々はアタマに来ている。

 私自身は、国母選手の態度を見て、ちょっと感情を害した。で、その彼の態度への世間の反応の仕方にも、やはりイヤな感じを抱いた。

 さらに、ここまで突っ張っておいて再度(← 一度目の会見の不評を受けて臨んだ記者会見において橋本聖子議員とともに)謝ってしまった国母選手の腰くだけぶりには、正直、がっかりさせられたし、「開会式への出席停止&五輪日程終了後の正式処分」という世間の顔色をうかがうみたいな処分でお茶を濁しにかかった選手団長の判断にも失望した。

 要するに、このお話は、全方位的にうんざりする話なのだね。発端から展開から結末に至るまでの、いちいちが。

 最初の記者会見で、

「わかったよ。腰パン程度のことで、五輪選手にふさわしくないだとか、そういう七面倒くさいことを言われるんだったらオレはオリさせて貰うよ。だって、オレは五輪代表である前に、何よりもまずオレ自身なわけだからさ」

 ぐらいのことを言って席を蹴るテもあった。
 国母選手がそれをしてくれたのなら、私は応援していたはずだ。

「いいぞ。ひっかきまわしてやれ」
「そうだ。行けコクボ。いい人ごっこの教訓話がまかり通る五輪メダル物語に水をぶっかけてやれ」  と。
 実際、鼻ピアスにドレッドロックで現地入りした以上、彼は、その程度の境地には踏み込むべきだったのだ。

 逆に言えば、謝罪会見を蹴飛ばす覚悟が無いのなら、最初から腰パンで歩くみたいなおイタはすべきじゃなかった。

by 小田嶋 隆(日経BP)


 結局、國母和宏はメンタル面の管理も含めてスノボの腕は世界的に見て「入賞レベルでしかなかった」のだ。まあそれでも世界で8位は大してもんだが(笑)

by 野次馬!

 健康状態はきわめて良好。お蔭様で今のところ、ア症以外は特に問題はない。でも50歳も過ぎたし毎日のサプリメントを今年のお正月から飲むようにしてる。

マルチビタミンって何?

 一粒で複数のビタミンを摂取することができて、気軽に栄養補給ができる、簡単に説明しますと、人が生きていく上で必要な栄養素を複数含んだサプリメントの総称で、まず最初に摂取しておきたい基本的な物なのです。

 ビタミンに関しては、だれでも知っている「C」から、マイナーな存在の「ビオチン」や「葉酸」などを含めて、全部で13種類のビタミンが存在します。この中から「K」を除いた12種類が入ったサプリメントが主流です。
なお、「A」については、過剰症の恐れがある為に、ベータカロチンの形で含有されいる物が殆どです。

 また、最近ではマルチミネラルもさらに配合したものも多くなってきています、ミネラルは、100種類近く存在しますが、その中でも人が生きて行くうえで欠かせない、 「必須ミネラル16種類」の中から、既に摂り過ぎの「ナトリウム」や「リン」などを除いた、10から11種類入ったものが主流です。

 ビタミンやミネラルはお互いが助け合う事で、その働きを高めています。
たとえば、骨を作る栄養素としては、「カルシウム」が有名ですが、他にもビタミンC・D・マグネシウムなども骨を作る過程で必要とされます。
血液を作る時も同様に「鉄分」以外に、ビタミンB12・B6・葉酸・銅などが必要になるのです。

 血や骨を作るだけでなく、人が生きていく為には様々な栄養素を必要とします、これらの栄養素を複合的にバランスよく、手軽に摂取できる事が最大の特徴なのです。

おまえは、ファンケルの廻し者か(笑)

 つーか、サプリメントもいいけど、まずはビタミン「S・酒」を控えビタミン「T・煙草」を止めなさいっ!ってか?
はいはい、もうやめたって(爆)。

 宇宙空間の野口聡一さん(Astro_Soichi)のTwitter:
"シャトルが運んできてくれた胡瓜と檸檬が、涙が出るほどうまい。どっちも丸かじりです。"

 うむ、そうだろうなあ...本当にご苦労さんです。心身ともにベストな状態で長期間宇宙空間で生活するということの偉大さ。常に緊張を強いられる任務なのに、飄々とやってのける事もスゴいけれど、わりとお茶目でリラックスして生活を楽しんでいるようなところがあるのが素晴らしい。JAXAはどんな適性検査をしてるのかな?スゴく興味がある。おお、そういえばこの後参加するのは、日本人女性のはず。彼女も素晴らしい人なんだろうな。

 野口さんって、ズングリ見えるけど身長180cmだって(笑)


・今日の昼はシャトル・ステーション合同のランチ。宇宙で始めての手巻き寿司パーティーです!

・NODE3にシャトルドッキング用のドッキングポート(PMA3)を移設、これでモジュールの設置・移設作業はすべて完了しました。私は共有結合機構(CBM)の操作を担当。

・無重力環境下で背骨がどれくらい伸びているか?を計測する医学実験に参加しました。

Moon

 アルコール依存症(アルコールいそんしょう、アルコールいぞんしょう)とは、薬物依存症の一種で、飲酒などアルコール(特にエタノール)の摂取(以下「飲酒」とする)によって得られる精神的、肉体的な薬理作用に強く囚われ、自らの意思で飲酒行動をコントロールできなくなり、強迫的に飲酒行為を繰り返す精神疾患である。

 アルコール依存症の患者は、アルコールによって自らの身体を壊してしまうのを始め、家族に迷惑をかけたり、様々な事件や事故・問題を引き起こしたりして社会的・人間的信用を失ったりする事がある。症状が進行すると身体と共に精神にも異常を来す深刻な疾患である。

 以前は慢性アルコール中毒、略してアル中とも呼ばれていた事もあるが、現在では通常患者を侮蔑したり患者自身が自己卑下したりして使う差別的表現であると見なされており、当事者が自分で言う以外は放送的には殆ど使われる事はない。かつては、このような状態になってしまうのは本人の意志が弱く、道徳観念や人間性が欠けているからだと考えられてきたが、最近では医学的見地から精神疾患の一つとして考えられるようになっている。飲酒が自分の意志でコントロールできなくなる症状を精神的依存、震顫妄想などの退薬症状(離脱症状、リバウンドともいう)を身体的依存と言い、アルコール依存に限らず他の様々な薬物依存症も同じような特徴を持っている。

 日本の飲酒人口は6,000万人程度と言われているが、このうちアルコール依存症の患者は230万人程度であると言われている。飲酒者の26人に1人がアルコール依存症という計算になり、精神疾患の中でも罹患率が高く、各人の性格や意志にかかわらず誰でもかかる可能性がある病気であるとも言える。なお、この230万人という人数はWHOの算出方法により割り出されたものである。平成15年の精神科病院における「アルコール使用による精神及び行動の障害」による入院患者数は2,751人であった[1]。

 日本では統計的にほぼ毎日純アルコール量で150ml(日本酒約5合半、ビール大瓶約6本、ウイスキーではダブルで約6杯)以上飲む習慣のある人を「大量飲酒者」と呼んでおり、厚生労働省でもこの大量飲酒者をアルコール依存症とみなしているようである。ただし、大量飲酒者にあてはまらないアルコール依存症者も存在するので、アルコール依存症者=大量飲酒者とはかぎらない。一方で、厚生労働省では健康日本21で掲げる適正飲酒という概念があり、これは1日平均純アルコールで約20g程度である。中年男性の3割以上が適正外飲酒に相当し、その多くはほぼ毎日常習しているので、アルコール摂取のコントロールが失われており、問題視されてきている。

 体格や女性ホルモンなどの要因から、アルコール依存症は男性よりも女性の方が重度の状態に至ってしまう確率が高い。

byウィキペディア(Wikipedia)

                   初心に帰ります(笑)

 今日のモーグル女子の上村愛子ちゃん残念だったけど、よくやったと思う。スター不在の日本選手なのでCMとかドキュメントは彼女一色で相当プレッシャーがあったハズなんだけれど、インタビューで泣きながらも、自分なりに滑りきったっていう満足感が感じられて、ちょっと感激したりして。胸を張って日本に帰ってきていいと思うぞ、おじさんは(笑)。

 冬期オリンピックはお祭り的な雰囲気があってナショナリズムが前面に出ていないのかいい。なんだか安心して観ていられる。

 それに比べてサッカー日本代表のふがいなさ。相手の韓国も決して内容は良くなかったけど日本はさらにヒドかった。Wカップを前にして代表選手が受けたダメージが心配になるくらいの無惨な内容だったけど、本番前に間に合うのかな。

 朝から一日中雪。独特のワクワク感があるんだよね、朝起きて外に雪が降っているときの。ぬくぬくと暖かい部屋で、ゆるゆるの音楽を流しながら、小説を読んだりギターを弾いたりしていたい気分・・・。でも、根っからの貧乏性というか何かやっていないと落ち着かない性分なの(笑)僕は。

 午前中はT歯科にて歯石の掃除、禁煙して4ヵ月、口の中は絶好調にて成績が良い。午後から最近凝っている石田衣良(いしだいら)の短編小説の世界に浸る。あまり期待しないで読み始めた作家だけど、この人の短編小説はドラマ的な展開が自然で気に入っている。

 溜まっていた、家の雑用2件片付けてマッサージへ<快感

 50歳代から考え方など固定観念がなくなる、50代とはゴルフのみならづ人間が大きく成長する時期です。(ゴルフダイジェスト)

 ミドルライフクライシス、直訳すると『中年の危機』となるのですが、この言葉は30・40代が色々悩む時期を意図した言葉です。幼児が子供に成長し、子供から思春期で成長するのと同様です。そして50代とはミドルライフクライシスから解放された時期に入るわけです。ですからゴルフにかぎらず、当然大きく進歩する年齢と言えます。なぜなら今までより考え方に柔軟性が生まれ『吸収力』が圧倒的に上がるからです。
 
 30・40代では、何が正しい?どうあるべきか?という思考に走りがちになります、ですから仕事でもゲームプランでも高い理想を持つ傾向があります。

 たとえば、セカンドで刻んだ方が良くても、狙うべきだと言った具合に『すべき』と言う思考が勝ってしまう。ところが50代になると、柔軟な発想から要領がよくなり『すべき』と言う固定観念から自分にあったスタイルを求められるようになります。すると今まで見えなかったゴルフのコツや、さらにはスウィングの新たな発見といったオマケまで付いて、体力的には落ちても、人生、楽しめるように、さらに言えば、シングルも見えてくるのでは?
 

目指せ!シングル(笑)

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 2012年開業に向けて東京・隅田川近くで建設が進む、東京スカイツリー(634メートル)に、高さ日本一の座を譲る事になる東京タワー(333メートル)、修学旅行や東京見物の団体客が中心だったが02年から個人客向けの仕掛けにちからを入れてきた。(朝日新聞)

 年間来場者数は、300万人の大台を13年ぶりに回復しているらしい、おさ虫は、東京タワー2階にある、試験管に入れたスパイスが象徴的な「東京カレーラボ」がお気に入り、同店の総合企画を担当するのは放送作家の小山薫堂。メニュー開発は、「東京カリ~番長」調理主任の水野仁輔さん、アートディレクションは、good design companyの水野学さん、インテリアデザインは、ワンダーウォールの片山正通さんが担当する、流石、料理の鉄人を企画した小山薫堂、すべて抜かりはない、難を言えば値段がカレーで1000円からと高いことかな(笑)

 東京スカイツリーにも、モスラは迫るのか?<爆

 最近、酔ってないというか冷静っていうか、人と会うとじっくり観察するくせがついてしまった。で、夜でも、何時でもノンアルコールの頭で思うんだけど、偉そうだけどうっすら見えちゃうんだな、人の性格とか考え方とか生き方とか、やはり身体に現れるものなのだなって思う。たぶんそれまでの人生の中で経験してきたことは、年輪のように刻まれてその人の顔の表情や身体を作るものなのだ。特に目付きと姿勢。どんなに着飾っても化粧しても、隠したりごまかすことは出来なくて、滲み出る。男性・女性・年齢・属性は全く関係ない、その人の「格」のようなもの。高いとか低いとか貴賎ではなく、人は誰でもオリジナルのオーラがあるのだ。

 おさ虫は猫背で貧!

 日本選手団の本隊が7日、バンクーバーに到着し、橋本聖子団長(45)はメダル獲得で過去最多の10個だった1998年の長野五輪を「目標にしたい」と意気込んだ。

 橋本団長は空港で「選手の顔を早く見たい。最高の五輪だったと(選手が)言えるようにさせてあげたい」と話した。

 験担ぎで髪を約20センチ切るなど、日本選手団では初となる女性団長の大役へ意気込みは十分。夏冬合わせて7回の五輪に出場し、スピードスケートでメダルを獲得した経験を生かして選手を激励する考えだ。 (スポーツ報知)

 おさ虫世代としては、冬季オリンピックと言えば、札幌のジャンプの笠谷や、女子フィギュアーのジャネット・リンや「虹と雪のバラード」を思い出す、ふる~い!

 雪がないようだけど、盛り上がるといいね(笑)

 芥川賞作家で住職の玄侑宗久さんが書いていた文章が面白かったので要旨を引用しておこう。

 さくらの原産地は日本である。さくらのなかった中国の「櫻」という字を、この花の名に当てはめたのは日本人である。しかも、「神様の降り立つ場所」という意味の「さ、くら」という訓で読んだ。神様が降り立つ場所として、この花は祝祭にふさわしい。「非日常の日常」が束の間の開花に伴って訪れる。それは死にも似て、職業も地位も年齢も関係ない世界である(中略)/ 夜桜は「見てはいけないものを見たような」妖しさがある。桜花が妖しいのではない、日常に戻りきれない人の心が妖しいのである。

 桜が似合うのは、やっぱり神様(神道)の方であって、仏様(仏教)ではない気がする。

 これを書いている玄侑さんは坊さんなんだけど(笑)。この辺りの微妙なニュアンスっていうのは日本人にしか理解できないんだろうな。

 
ランチ目黒駅ビルにて中華 、てーちゃんヨリ猫背注意報発令(笑)


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docomo ifone 待てなかった<爆

 作家にもよるんだろうけど、モノを書く人にとっては、縦書きは現代でも、普通のことかもしれない。で、気がついた。高校を卒業して大学受験、大学教育、自分で書いた論文や趣味の雑文、おおっ、毎日書いていたレシピもそうだな、このブログの文章だってすべて横書きなんだ。縦書きで書くのは正式な手紙、丁稚時代に書いていた毛筆の本日の御品書、献立くらいか。最近じゃ年賀状さえ横書きだもんな。

→あいうえお
 かきくけこ
  さしすせそ
   たちつてと
    なにぬねの

なんだね。

 でも、自分で読む小説・新聞とかは、縦書き。アタリマエ。日常生活上では、比率的に半々くらいか?いやいや、読む方でも7:3くらいで横書きが多いな。日本語は基本的には右上から下に進むのが、正式なのだね。いつの間にか僕らは横書きの日本語に慣れてしまったんだ。
  なたさかあ↓
  にちしきい
  ぬつすくう
  ねてせけえ
  のとそこお


これが正しい(ブログの設定でちょっと揺れているけど<笑)

 思考の流れや展開は、日本で生まれ日本語を母国語として教育を受けた日本人の僕としては、縦書き日本語のほうが、すっきりするという「当たり前の事実」に気付いた。試しに、昨年書いた、趣味の雑文をワードで縦書きに変換したら・・・あららびっくり!!全然読んだ印象がちがうじゃない!

 縦書きのほうがしっくりする。さらに、校正するのに新しい表現やら発想が出てくるじゃない。それに驚いた。

大脳生理学的にいえば、人間の脳の第2・3・4脳神経(眼の機能)は、左右の水平の動きのほうが上下の垂直の動きより圧倒的に優位になっている。ということは、文章を書くという思考プロセスの中で縦書きの日本語を書くということは、子供のころから上下移動の思考プロセスを訓練しているということなんだわ。原稿用紙を埋めるという作業は、ものすごく脳の訓練になっているワケだ。これはすごいことだ!

 もうひとつの発見は、モノを書くときに横書きにすると「左上→右に進み→改行→次の行の左から右に」という風に進むのだけれど(日本語以外の多くの言語がそうだ)、脳の認識する空間は、左右の水平移動優位だから(物語とか論文とかを)構築する空間は「いつも見えているもの」の延長になってしまいがちになる。でも、縦書き日本語だと・・・初めから上下の空間があるから右上から下→また上から下→改行・・・と筆を進めるうちに、違った世界が見えてくる。したがって、横書きの小説の世界は縦書きの小説の世界とは、同じ文章だとしても全く違った印象になってしまう。ムラカミハルキの小説は、横書きで書いたんじゃないかな?そんな気がする。だから彼の小説は世界中で読まれている(たぶん)。

 僕らはもっと日本語の縦書き・横書きの効用を研究して使いこなすべきなのかもしれない。

そうそう、さらに

 日本語のフレキシビリティの素晴しさは、正式には縦書きだけど、横書きでも可です・・・お気に召すまま・・・という懐の深さなんだよね。漢字・ひらがな・カタカナ・英数字の混在をはじめから許容する柔軟性。すごいぞっ、えらいぞっ>日本語

 この考察をもう少し続けてみよう。文章を書くプロからしてみれば、アタリマエのことで何を今更ってものなんだろうけどさ。僕的には、すごく面白いっ!

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家から徒歩5分の福山雅治で有名な、朝7時のさくら坂!
桜の蕾がまだ堅いながらも、ややピンクになってきた。

 龍馬伝、面白いね、福山くんさすがに上手いね<楽しみ<<

 50+79+80、平均年齢69.6歳!一家で観てます(笑)

「チャンネルを回す」って言葉は、昭和の言葉だな、確かに。今の若者には実感できない。「電話ボックスに走る」「ダイヤルを回す」これももはや「昭和言葉」なのだ。あと数十年すると、昭和の文章が載っている教科書の「脚注」なんかに「当時は電話が有線で通常は一家に一台あった」みたいな説明されるんだろう。

 クリームソーダ、レモンスカッシュとか、グラスの中にあった毒々しい色のチェリーなんかも昭和の匂いがする。「XXをOOする」というタームでも、「マッチを擦る」とか「切符を切る」とか「電話帳を開く」とか「風呂を沸かす」とか・・・もう今はほとんどやらないことやその表現って結構あるな、しみじみ。

 今日は、いように風が強く、アクアライン木更津よりのトンネルに潜るまえの海上部分の高速路、横風15メートル!100kmでもフラフラで怖かった。帰宅してから今夜も浅田次郎「カッシーノ」。この人の「すごく真面目な道楽モン」的なスタンスって、羨ましいくらいに素敵だわ。おもしろいオッサンなんだろうな。

 日本人が働き過ぎで、「遊べない」ことの不幸について、「カッシーノ」を読むと、なるほどふむふふむ、と唸ることしきり。日本社会は「よく学びよく働く」ことが美徳とされ、「休んで怠けること」と「遊ぶこと」が等価同義とされて「罪悪」になってる。明治以降の富国強兵政策、戦後の高度成長期を通して、それが現代日本的にモディファイされていったものの、学歴社会、競争社会のなかで、いつの間にか手段が目的化してしまった。。「一所懸命遊ぶ」ことも、心して係らないと到底達成はできないことなのだ、という事実。もちろん本業というか生業がしっかりしていて、十分な余裕があるというのが基本であるのだけれど。

 幸福を希求しつつ一所懸命働いた挙げ句、本当の幸福を知らずして人生を終わるなんて、これは一生の不覚だ。世界中にはまだまだすばらしい事がたくさんあって、精々ひとりの一生の間に体験できる事なんでいうのは、たかが知れているのだから。働くために休んだり遊んだりするのではなく、遊ぶために働くっていうのが理想の姿なのだ。一番の問題は、自分の体に染み付いた貧乏性なんだ(笑)けど、齢50も過ぎれば折り返し地点はとうに過ぎているのだから、もはや猶予はない。人生は楽しまなくてはいけない、と思うのだ。

 この世界中のカジノを旅するなんてのは、超売れっ子小説家だから可能なんだよと嘯くのは簡単だけど、その心意気だけは忘れたくないと思う。

うーーー、それにしても、うらやましい。久しぶりにラスベガス行くかな?

 うっと、久里浜、前主治医のK先生と、ギャンブルは自粛 否、辞めると約束したのだ、先生がアメリカに出向中だからって、危ないところだった(笑)

 暖かくなってくると、G1レースもそろそろ<爆禁

 浅田次郎「小説の大衆食堂」を自称、「書くのは最大の道楽」と語り、作家生活15年以上、70冊を越える著書を書き上げた今日も執筆活動への意欲を見せている。現代小説では「平成の泣かせ屋」の異名を持ち、人情味あふれる作風に特徴がある。

自らの祖先は武士であったといい(『読売新聞』06年10月16日付)、『壬生義士伝』などの新撰組を材に求めた作品のほか、人間の不変さを描いたという『お腹召しませ』などの作品がある。東京人であることにこだわっているが、ダイナミックな変化により町名の変更など過去を振り捨てて発展する東京のあり方には疑問を持っている。昔の町名や区画が今も残る新宿区が好きだといい、「角筈にて」など小説の舞台になることも多い。

暴力団・窃盗犯などのアウトローに対し、ユーモアやペーソスを交えながら、肯定的に描くことが多い。

自ら認めるヘビースモーカーであり、エッセイ「勇気凛凛ルリの色」のシリーズにて、「喫煙権について」などの稿で、喫煙者の立場から喫煙の権利を訴えている。また前述の競馬以外にもギャンブル全般が趣味で、『オー・マイ・ガアッ!』といった小説や、『カッシーノ!』などのエッセイがある。

作品の舞台については、各種資料で調査しているが、現地を訪れることなく書かれた作品も多い(「鉄道員」「蒼穹の昴」など)。現地を見ないで書いた方が、ロマンのある作品になるともいう。

一方で日本航空の機内誌SKYWARDに毎月連載されているエッセイ「つばさよつばさ」では他作品の作風とは異なり、鹿児島市で名物の白くま(本人曰く「生しろくま」)を食べ損ねた話など作者の普段の生活をユーモアを交えて紹介している。「つばさよつばさ」は人気が高く、2007年には単行本として出版された。

 「つばさよつばさ」読み忘れてたので、アマゾンで頼み明日クロネコヤマトで届き、輪読予定、母上⇒おさ虫⇒てーちゃん⇒誰か読む人いますか?

 タバコは止めたので、勝負?一本取ったかも?ざまを見ろ次郎(笑)

 言葉を紡ぎ出す仕事の苦心たるや、いかばかりか。こうした駄文一つひねり出すのにも苦労するワタクシとは違うのは当然だが。

 僕は昔から、占いって割と好き。でも、矛盾しているんだけどぜーんぜん信じていない。一応、普通の人ですから(笑)、長年培われてきた文化としての統計学的なところが面白いって思ってる。

 高校生、大学生くらいの頃は、雑誌に出ている星占いなんて結構読んでたね、四柱推命なんかも興味持ったし。占いは遊びとして、良いことが書いてあれば信じる、っていうスタンス。若い頃は、占いなんて非科学的さ、なんて思っていても、書いてあることに結構影響受けたりしたなあ(笑)、多分自分にいろんな意味で自信がなかったんだと思う。それ以上でもそれ以下でもなくて、社会に出てからは全く興味がなかったりした。

 さて、本日ひょんなことから細木数子さんの占い本を家で見つけました。薄っぺらいんだけど560円もするの(笑)。それにしてもこの人「ズバリ言うわよっ」なんて言ってテレビのゴールデンタイムを張っちゃうくらいだから、人気あるんですね。結構言っていることはマトモなんですよね。ある意味で非常に保守的。今の子供たちに聞かせたいようなことをすんなりと言っちゃたりしてる。

 で、この本では冒頭で要約すると以下のようなことを書いている。

 「占いは非科学的である。しかし自然、運命、人生なんてものは、もともと非科学的なのである。たとえば1を3で割ってみなさい。0.333333...で割り切れないでしょ。でも手を使って3分の1には簡単にできるでしょ、ほうら、科学的じゃないから真実ではない、っていうのは詭弁なの」

 ふむふむ、なんて多くの人を納得させられるような文章だ。でもさ、この主張の非論理的な部分は、やんわりと実に巧妙に隠しているんだよね。でも当の本人はたぶん悪気はないんだろうな、非論理的なことを言って人を騙そうなんて思ってもいないんだろうな。心底信じているんでしょうね。そこが、彼女の、そして六星占術が人気のある所以かもしれない。とんでもなく尊大な態度で、はっきりモノを言っちゃうのが、ある意味面白い、というか天晴れな人だ。

 さて、僕は「火星人 -」なんだそうな。書棚の前で、自分の星はどれだろう、なんて本持って考え込んだりして、ちょっとマヌケで恥ずかしかったです。生まれながらの運勢として、家庭運:あまり良くない、結婚運:あまりよくない、恋愛運:あまりよくない、そうな(笑)<=自分ではわりといい線いっていると思うんだけどな(爆)。セックス運:抜群(絶倫)だと!(大爆!)、金運/財運:6つの星のうち最高。ぜーんぜん当たってないじゃん。。。ってそれなりに面白いんだよね。また、同じ星でも、プラスとマイナスがあって生まれ年で違う。運勢が丸々1年ずれているみたいだ。

 今年の後半から来年にかけての運勢が書いてあるんだけど、金運、仕事運、家庭運などは最高に良いみたいで、そのいい部分だけは信じよう!と思ったのでした(笑)

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悩めるゴルファーのかけこみ道場
~高松志門・奥田靖己が伝授~
教育テレビ
放 送 毎週木曜日 午後 10時00分~10時25分
再放送 翌週木曜日 午後 (昼)0時00分~0時25分

高松志門プロは体の小さい非力な日本人のための打法を確立したことで知られています。「ゆるゆるグリップ」や「フラットでコンパクトなスイング軌道」等、志門流の極意で、楽しみながらスコアアップを達成できる様々な方法を、丁寧にお伝えしていきます。

見なくては(笑)

 昨日の夕食、豆腐と蕗の薹の味噌汁が出た、長野の山の中に永住して居る母上の古い友人が雪の下から採取して送ってくれた貴重な天然物の蕗の薹、春の味っていうより、大人の味かも? そう言えば、昨秋にいただいた天然のキノコも美味しかった、今年は松茸かシメジにしてね(笑)


 僕は「人生は冬に始まり秋に終わる」と考えている。生まれて20歳までは極寒&暗く辛く、親の庇護のもとで鍛えられエネルギー育む冬の時代、40歳までは春の時代、文字通り春を知り、社会に出て自分と社会との距離感を感じながら、人生のパートナーである異性と出会い、自分の家庭を持ち子育てをする時期。そして60歳までは「夏」。それまでに積み上げてきたものを一気に開花させ社会への貢献をする時期。まさに50歳というのは、その真夏、真っ盛りなんだ。来るべき豊潤収穫の秋に向けて、今何をしなければならないのか?を見直し修正し道筋を確認する・・・時期だと思う。

 上記、一般の人の場合で、おさ虫の場合はアルコール依存症で人生の内、15年はそんした感じがしている、家業の関係で税金とかの滞納金が10億円ばかりあって、その重しでアルコールに溺れてぎりぎりの処でバランスを取っていたのが崩れたって感じかな?でも久里浜アルコール症センターに入院したお陰で、そっちも、わかっちゃったと言うか、達観しちゃった、認めちゃった訳だから、もう一度、春に戻って出来る事からやって行きたいし、やりたい事がイッパイあって楽しくてしょうがない!2~3件にしぼって突き詰めて行きたい。

でもさ、やっぱり、まだまだ未熟モンです>自分


 そう言えば、久里浜同期の長野のK蔵は年賀状以来連絡してないけど、凍死してるかな(笑)ゴルフクラブを新調するって言ってたから暖かくなったらゴルフに行こう!(娘が、青学受験だっけ?そろそろかな)

 昨夜から雪が降りだして、朝には10何年ぶりで積雪30センチ!東京の交通機関は大混乱って期待したんだけど、残念(笑)

 Twitterのフォロー先を何件か削除した。この人たちは目が覚めている間はたぶんTwitterから片時も離れないんじゃないか?と思うくらいログが多い。そのうちのK間K代さんは一応、時の人ということでフォローしていたんだけれど、最近は特にヒドい。はっきりいって依存症だと思う。自分のページを開けると彼女とその友達(変な声の女性歌手)のはっきりいってどうでもいいつぶやきだらけになってしまう・・・。

 さまざまな個人が何か「閃いた」時につぶやくというのは、時にして受け手をインスパイアさせる内容となるのだけれど(だから面白いし意味があると思う)、自己顕示欲の塊みたいな人達にこのツールを使わせると、容易に彼らは勘違いしてしまうことになる(笑)。そんな人たちのつぶやきはいつも外を意識しているのが、当初から鼻についてはいたけれど、最近は特にヒドくなったみたい。今日削除した件のおばちゃん達の場合、彼らががどこで何を食べようが、どこでどんな仕事をして何を感じようが、どこで遊ぼうが、僕らには何も関係ないし。私生活さえも興味のある一部のファン(いるかどうかは別として、だけれど・・・)を除いてね。

 でもTwitterのポイントは、嫌なら速やかにフォローしてる或いはフォローされる人のログを自分から止めちゃえばいいところで、その仕組みが辛うじて基本的なシステムを維持しているのかな、と。今更ながらだけど、フォロー先を適当にメインテナンスしないとこんなことになる訳だ。ふむ。

 昔から猫背で姿勢が悪い。自分でも十分わかっているんだけれど、ちょっと気を抜くと猫背でとぼとぼ歩いている、すると何時もテーちゃんに叱られる。座る姿勢も悪い。猫背の上にあごを前に突き出した「頭垂れ」姿勢の典型。リラックスするときには、椅子に浅く腰掛けて足を投げ出したり足を組んだりする。最悪のパターン(笑)。でも最近はできるだけ意識しているんだよ、これでも(笑)。 典型的な脊柱イジメで腰痛パターン!

「正しい立ち方」というのは、実はとても気持ちいいのだ。背筋を伸ばしあごを引き、お尻を閉めて骨盤を正しく立たせる。座るのも同様で、すくっと素直に骨盤を前傾させて肩の力を抜いて座る。緩やかな鼻呼吸が基本。でも、どちらも意識しないとできないのがミソで、ここ数ヶ月はこれをなるべく意識して生活するようにしている。正しい歩き方というのは、正しい立ち方の延長で、肩甲骨を意識しながら軸をぶらさずに進む。踵から踵への重心移動を行う。立つ、歩く、座るというような基本日常動作を、無意識のうちに美しく、正しくできればいいんだろうな。これだけで大半の腰痛や頭痛は治っちゃいそうだ。精神衛生上も、姿勢はかなり大切だと思う。鬱の人はほぼ100%俯き加減で猫背だ。上を向いて姿勢のいい鬱の人ってみた事ないもの。ふむ、「上を向いて歩こう」ってわけだ。

 ここ7カ月間(久里浜アルコール症センターに入院した時の日課で、最初は強制的だったけど退院してからも継続中)、毎朝ラジオ体操・第一&第二をノルマにしている、天気が良ければ、ノルディックウォーキングポールで多摩川の丸子橋まで往復ウォーキング1時間弱、冬晴れの早朝は富士山が素晴らしく綺麗に見える、

 僕らの小学校/中学校時代では、「座る」姿勢のしつけを受けたり、「気をつけ!」の姿勢を練習したり、「行進」の練習をしたりってことがまだ一般的に行われていた。これを僕はずいぶん長い間、軍隊教育的で儀式的な(形式的な)ものの名残りなんだろうと思っていたけれど、ある意味とても大切な教育だったのかもしれないって、今になって思う。正しい立ち振る舞いが自然にできるようになるならば、いろんな恩恵がありそうだ。僕は落第だったけれどボーイスカウトも行ってたのに。今の小学生たちが軍隊的な行進をする教育を受ける事はまずないと思うけど、日教組的な考え方が日本の教育をダメにした、というのは真理だと思う。

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