ごく一部の越境通学者を除いて、僕らは成績の善し悪しに拘らず、ほぼ全員が慢性的な寝不足だった。なにしろ校舎は麹町・赤坂のどまんなかで、六本木も青山も渋谷も銀座も、目と鼻の先なのだ。生徒たちの多くは近在のマンションや官舎や社宅に住んでいる。だから放課後はまず喫茶店でコーヒーを一杯飲み、夜は夜でまた友人同士が誘い合って渋谷みどり屋前19:00集合コンパ飲み会などで、町にくり出した。こうした特殊な中学・高校生活を、人は訝しく思うだろう。だがそれは、僕らにとって生まれついての環境であり、日常だった。非行とか不良とかいう判断は、全国平均的な環境をもとに判断されるものであろうから、僕らの日常生活には全く適さなかった。もし平均的基準に即して「盛り場徘徊」や「不純異性交遊」が不良行為であるとするなら、僕らは家の玄関を出て歩き出したとたんに、全員が補導されなければならなかった。
(グッドバイDr.ハリー 霞町物語、浅田次郎)やっぱり、だよな。
日比谷高校!
この小説の舞台になっている『学校群になって昔より凋落してはいるものの、まだ超進学校であった』時代の日比谷高校っていうのは、本当に特殊な学校だった。浅田次郎の小説より、だいたい10年後の僕らの世代(僕は都立J高校だけど<爆笑)<12群>)には、すごくよくわかる描写。浅田次郎って、たしか駒東だったんだけどな。日比谷高校に在籍した事があるかのような(内輪しかわからない)記述が多数。
そうだ、家は《ムゲン》ってディスコ、徒歩50歩だたのだ(笑)