アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 Shall we 断酒

2010年01月


 ごく一部の越境通学者を除いて、僕らは成績の善し悪しに拘らず、ほぼ全員が慢性的な寝不足だった。なにしろ校舎は麹町・赤坂のどまんなかで、六本木も青山も渋谷も銀座も、目と鼻の先なのだ。生徒たちの多くは近在のマンションや官舎や社宅に住んでいる。だから放課後はまず喫茶店でコーヒーを一杯飲み、夜は夜でまた友人同士が誘い合って渋谷みどり屋前19:00集合コンパ飲み会などで、町にくり出した。こうした特殊な中学・高校生活を、人は訝しく思うだろう。だがそれは、僕らにとって生まれついての環境であり、日常だった。非行とか不良とかいう判断は、全国平均的な環境をもとに判断されるものであろうから、僕らの日常生活には全く適さなかった。もし平均的基準に即して「盛り場徘徊」や「不純異性交遊」が不良行為であるとするなら、僕らは家の玄関を出て歩き出したとたんに、全員が補導されなければならなかった。

(グッドバイDr.ハリー 霞町物語、浅田次郎)やっぱり、だよな。
 日比谷高校!


 
 この小説の舞台になっている『学校群になって昔より凋落してはいるものの、まだ超進学校であった』時代の日比谷高校っていうのは、本当に特殊な学校だった。浅田次郎の小説より、だいたい10年後の僕らの世代(僕は都立J高校だけど<爆笑)<12群>)には、すごくよくわかる描写。浅田次郎って、たしか駒東だったんだけどな。日比谷高校に在籍した事があるかのような(内輪しかわからない)記述が多数。

 そうだ、家は《ムゲン》ってディスコ、徒歩50歩だたのだ(笑)

 今日のお昼は去年の暮にメンバーになった「市原京急カントリークラブ食堂」にてカレーライス。OUTで53回叩いてしまったので、INのプレーに出る前にパター練習の為、15分間でそそくさと食べた、お陰様でバーディー2個も取れて42回!

 ここんちのカレーライスは、実にリーズナブルでお味もよろしい。

 我が家系では、母方の御祖父ちゃんが小金井カントリー倶楽部創業時からのメンバーで、伯父さん達は皆で戸塚のメンバー(老人倶楽部?)だし、赤坂溜池の母の実家の隣は、黒田侯爵が趣味でやってた、東京で初めてのゴルフ練習場・東京バーディー倶楽部だったのだ、親父は下手の横好きだったけど、御祖父ちゃんとおさ虫はホールインワンを2回やっているのだ(笑)その御祖父ちゃん(料亭主人・暇人)の教えで、ゴルフの時はカレーかサンドウィッチで黒ビール(禁)に決まっているのだ、昔から。

 で、今日の考察は、カレーとご飯の比率について。

 僕が子供の頃、外でカレーライスを食べることは(というか外食自体が)ある種の贅沢な特別なイベント的出来事だったわけです。小学校低学年の頃、一番好きだったのは日比谷公園のレストラン松本楼(同級生の家が経営)で食べるカレーライス。今思い出しても、そんなに特殊なカレーだったようには思えないんだけれど、家で食べるカレーとは全く別次元のカレーのように感じていた。で、なぜそれほどまでに鮮明に覚えているかというと、カレーとご飯の比率について悩んだから。

 当時のカレーっていうのは、ご飯が多くてカレーが少なかった。

 つまり、ペース配分を間違えると、カレーがなくなっちゃってご飯が残ってしまうわけ。だから幼い頭で(大切な)カレーをどのようなペースでご飯にかけて食べるか?という命題で悩んだ。それも毎回(笑)。

 当時は、たぶん今とは違ってカレーそのものがまだ「ご馳走」だった時代。カレーの量が少なかったんでしょう。その比率を意識しないで食べられる、つまり必要にして十分な量のカレーが出るようになったのは、バブル時代以降なんではないか・・・?

 と、十分すぎる量のカレーのかかっている「食堂のカレーライス」をかっ込みながら考察した次第。

ただそれだけ、なんだけどね(笑)



 市原京急CC 53・42  HC9 森信一さんと。

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2010年になったと思ってたら、1月も終わり、早いね~(笑)

日本の春の代名詞といえる桜「ソメイヨシノ」が、実は一本の木であるという事実。国内に数百万本あるといわれるソメイヨシノは、そのすべてが同一の遺伝情報をもつ「クローン植物」であるというのだ。ソメイヨシノ同士の交配は自家不和同性という性質のため実が出来ない、つまり、増殖には挿し木や接ぎ木を使用するしかない。つまり、すごくプリミティヴな意味でのクローンなわけだ。世界中のソメイヨシノは、生物学的には親兄弟ではなく「一本の木」であるということを、僕は寡聞にして知らなかった。

 これほど特異で人気のある桜とはいえ、その起源は諸説ある。駒込「染井村」の植木職人が、オオシマザクラとエドヒガンを交配して作ったものらしい。江戸文化の遺産の「染井吉野」が、明治の文明開化の波に乗って全国に移植され、日本人の精神性に大きな影響を与えてきた。つまり、染井村の職人は、ある時ものすごい発見をしたわけだ。今となってはどこの誰だかわからない・・・ってのもドラマ。

 さらに思考を展開すると、世界中にクローン桜があるということは、同一の遺伝情報を持っている生物個体クローンを世界中の様々な環境に配置している事なんだな。つまり、100年以上かけて日本はバイオテクノロジーの壮大な実験の種を蒔いているってことなのだね。地球温暖化はいうまでもなく、変わりゆく環境の生物に及ぼす影響を、定点観測しうる素材がすでに世界中の都市に存在するって、素晴らしいじゃないか!これも、今たまたまひらめいた事で、すでにかなりの研究がなされていることは確かだろうけど(笑)。

 学名は「プリヌス・エドエンシス」命名者はイギリスの植物学者:ロバート・フォーチュン氏、「ソメイヨシノ」の命名は明治34年で、日本の植物学者:松村仁三(まつむら じんぞう)。この松村博士は、東京帝国大学教授で小石川植物園の初代園長だそうな。へー、へーーーーっ、へえーーーっ。

 驚いたニュース@web日経より


 JR東、スーパーの「紀ノ国屋」を買収 駅ビルに積極展開

 東日本旅客鉄道(JR東日本)は都心部を中心に高級スーパーを展開する紀ノ国屋(東京都国立市、増井信社長)を4月に買収し、スーパー事業に進出する。主に首都圏の駅ビルを対象とした大規模再開発物件に、・・・(中略)・・・知名度の高い紀ノ国屋のブランドを活用していく。JR東日本は4月中にも、紀ノ国屋の創業家などから全株式を譲り受ける。(後略)
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このニュースには唸った。だって、かつてのあの「国鉄」が(元)高級スーパーの紀ノ国屋を買収するなんて、以前は想像だにできなかったから。ま、でもなあ、こういう時代だから、アリなんだなって思ったりして。仕掛人はすごいわ。


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PING Rapture J




 ステテコ・股引(ズボン下)についての考察。ロッカーで見ていると、かなりの人達が「ステテコ・股引」を穿いている。大体60歳を境にして上の世代の人は80%位穿いている印象。椎間板ヘルニアで一年中履いている僕は別格だけど、ちょっと驚いた。寒かったからなのかな?僕らの世代でズボン下を穿いているヤツはあまりいないけど。海外の男性用ロッカーでいわゆる「ズボン下」形状の下着を穿いている人って見たことないもん。これは日本独自の肌着であるのは間違いない。それに「ステテコ」って、どんな由来の言葉なんだろう??。ポルトガル語などの外来語なのかな???と疑問がふつふつ。

で、調べたら・・・・

 ステテコは主に男子が着用する、裾が股より長く膝下丈まであるズボン下である。着物や袴の下に履く下着として、明治以降の日本の近代化に伴い全国的に普及した。・・・(中略)。語源は俗に初代三遊亭圓遊の「ステテコ踊り」の際に、着物の裾から見えていた下着であったためであるといわれている。(後略)。

 だってさ! ユニクロのヒートテックが最高の履き心地&暖かさです、冬のゴルフ(野外スポーツ)には必需品、上下二枚重ね攻撃で、、、

 それと、もうひとつの発見は、「ステテコを穿いている世代の人達は、ほぼ100%の確率で座って靴下を履いている」こと。「年寄り」度(笑)というラダーを考えると、「ステテコなし&靴下座り履き」が続き、「ステテコなし&靴下立ち履き」と続くワケだ、世代的には。

 僕はステテコあり(腰痛!<笑)、靴下も座って履くよ(爆)ジジクサ!

 以前と比べてめっきり旅行しなくなったけれど、そうはいっても絶対必要なIDだし。更新手続き(10年ぶり)そのものがずいぶんIT化されて、かなり簡便化されて便利になっていた。知らなかったけれど新しいパスポートは様々な個人情報がデジタル化されているみたい。運転免許証は、本籍とかも記載しないらしいし(落としたり盗まれた時の偽造防止だとか言っていた)。

 運転免許証は顔写真が付いているし、世界中の国々でもっとも一般的に個人識別に使用されるID。日本では住所とか本籍(つまり戸籍謄本とか住民票)や印鑑証明(日本独自!)の本人確認ってのが未だに使われているけれど、偽造とか変造も可能だし『もういい加減やめようよ』って誰もが思っているわけで、今の時代、個人の持つ携帯電話の番号、メールアドレス、運転免許証かパスポートがあれば、ほとんどの個人は識別できるはず。ソーシャルセキュリティー#とか住基ネット番号(だっけ?)とかは、納税とか年金とかの事務作業には必要なんだろうけれど、これは日常的に使うものではないし。

 それらの属性を統合する新しい何かができるんだろうか?指紋や掌紋認識とかの生体認証と絡めることになるのか?その辺の超個人情報まで一元管理するとすれば、それはそれで怖い気がする。未だに国民背番号制度反対!なんていう人たちもいるけれど、結局のところ「今の日本でふつうに生活する」というだけで、かなりの個人の属性は「当局」(というか体制というか「行政サイド」)にすでに「捕捉把握」されて、みんなキンタ☆を握られているってことなのかも・・・。なんてつらつら考えたりして。


 病院の診察券にもICチップなどが埋め込まれて、どこの病院に行ってもカード1枚で全カルテが記憶されるようになるらしい?極・近い将来。

 この処、悩みの種だった、家庭内LAN(爺さま&おさ虫で、ネットワーク、プリンター3台)での出力が解決。つーか、単にすごくシンプルなコツを憶えただけなんだけど。でも、その後は、信じなれないほどさくさくとあっけないほどスムーズに作業が進んだ。

 でも、あるんだよな、こういう事は人生の様々な場面で。無駄骨を折る、徒労、成果の見えない努力、ゴールが見えないマラソン・・・地道な反復作業。その経験を通して、ふっと神様が「コツ」を与えてくれる。僕らは生活のいろんな場面で、無意識の中の大小さまざまなTRY& errorを繰り返しながら生きている。先の見えない徒労にその時は思えるけれど、実はその先にある「大切なもの」に繋がっている「努力」を、神様(でも仏様でもいいんだけど)は、どこかで観ているんだと思う。

 この歳になって初めて判るんだけど、それを伝えるのは簡単じゃない。しのごのいわず一所懸命やることの大切さ。器用な人も不器用な人も居るけど、それが教育の肝なんだと思う。鉄棒で坂上がりをすること、自転車に乗る事、コマを廻す事、泳いで息継ぎをすること、スキーできれいにターンする事・・・数えきれないほどの「コツ」。もっと進めれば、様々な分野の勉強することだって、初めはコツをどうやって会得するか?がポイントなわけだし。

 でもOB撃っちゃうんだよね、特に左に出て、さらにフック(笑)

 50センチのパットでダフっちゃう<爆笑

 コツ・コツ・コツ

 今の時代。携帯電話は持っているし、携帯自体がPC化してるし、インターネットでいつでもどこでも、世界中で繋がって、様々なリアルタイムの情報収集が簡単にできる。昔の電話・FAX・テレックス(笑)からしてみれば夢みたいな状況だ、ここ20年位の変化というものは、確実に個人生活の意識を変えた。僕らは歴史的に見て、もの凄いパラダイムの転換期に生きているんだなと、つくづく思う。

 20年前・1990年の頃には、僕はせっせとニフティ-サーブのパソコン通信でメールとかフォーラムをやってた、まさに日本の社会の情報の流れが変わり始めた黎明期。

 電車に乗っているとそのスピートと移動距離がリアルタイムで客観的に実感できないけど、電車の外からちょっと俯瞰的に見てみると「どっひゃー!」みたいに驚く感じ。この地球規模の「繋がり感覚」みたいなものについては、さらにさらに考察の余地ありだ。インターネットの普及前と後を両方知っている僕らの世代には、それを考える義務があると思うし。Google EarthとかStreet viewの発想って、その意味からの「インフラ」だったのだと今気付いた。そのインフラ(もちろんEarthだけじゃなく、さまざまな発想のアプリ)を抑えたGoogleの時代がここ当分は続くと思う。


 Androidから様々なアプリケーションをダウンロード?

 アンドロイド・マーケット<・・>

 毛筆・書道で郵送も好きかも(笑)

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東筑波CC 46・49 (OB4 3PUTX3)

前田部長・しんご工場長 90回位、赤堀審議官ギブアップ<爆

 ゆるゆる土曜日。今朝はなぜかがっつりと、いわゆる日本食の定番朝食が食べたくなり、呆れられつつ作ることにした。ホクホクの炊きたてご飯(急速炊飯モード)、わかめと豆腐のお味噌汁(いりこ出汁)、鯵ひらき&大根おろしを乗せて、はふはふ頬張る。このほかに納豆(生卵&ネギ)、海苔、白菜のお漬け物。3杯食べてしまった。もう最高!大満足。ま、でも、これ休日の朝だからいいんだよな。毎日だったら完全にカロリーオーヴァー(笑)。午前中は音楽を聴きながら本を読んだり爺さまの確定申告の準備など。

 午後、歯医者<痛(笑)

 僅差の勝負の分かれ目というのは、最後のひと頑張りなんだと思う。運も実力のうちというけど、人生の分かれ目のところで、右に行くか左に行くかの選択、丁か半かの決め手となるのは、その事・物・思考への「想いの強さ」に他ならないのだ、たぶん。自分の詰めの甘さに目をつぶり、すべてを運の悪さのせいするのなら、必死に努力して頑張ったのちに、成功している人を羨む資格なんてないのだ。

 後悔のないほど努力したのならば、神様は必ず応えてくれるだろう。
それが叶わないなら、努力が足りないのだ。厳しいようだけれど。

 もう頑張れない、もうだめだって思ってから2回はできる、腹筋や腕立て伏せだって。それができるかどうか?それをやろうとするかどうか?が(実際にできなくてもいいのだ)その人の資質なんだと思う。

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永田町・赤坂界隈、山王・日枝神社、一昨日、砂防会館の帰りに久しぶりに寄ったら、山の参道の外階段にエスカレーターが出来てて、吃驚!子供の頃ここのボーイスカウト東京・164団に入ってたのだ。

 ん?「塩キャンディー&チョコ」だと?岩塩を使用しているって書いてある。
味覚糖の製品だから、そんなに変なものじゃないだろうけど、一体どんな味なんだろう???、と頭の中でクエスチョンマークが踊る。


もしかして、塩昆布的な辛さ?
チョコレートの食感で、塩辛い??ってことが、僕の想像を超える・・・
まさか、「ふつうのキャラメル」的な甘さじゃないだろう。

 さっそく購入。

 拍子抜けするほど、ふつうにおいしい飴玉だった(笑)。
この「塩」ってのは、大福に塩を入れるのと同じなのですね。確かに「コク」は抜群にあって旨みが引き立っている。これは「大人の味」だわ。


 本当は、禁煙やせ我慢・後遺症?で飴やガムばっかし食べてんだははは(爆)

 すごい不健康な毎日だったけど。タバコをやめて3か月。信じられないよな、15歳からのヘビースモーカーだったんだけど、ぜんぜん辛くない。

 タバコをやめるのが辛いなんて、思い込みなんだよ、きっと。


 去年7月に久里浜入院してから6ヶ月間お酒を飲んで無い訳だけど、実感としてはもう10年くらい飲んでないって思うくらい、体は絶好調なんだな、椎間板ヘルニア以外は!<<(アルコール抜けてるので、鎮痛薬や麻酔は効くようになった)でもゴルフ行ってます、先週、20年ぶりにゴルフを再開してからベストスコアー85回、やや感覚戻しつつあります、道具が劇的に簡単になってるね(笑)

 後は、心の問題だな、納得してるつもりなんだけどね、この感覚ってアルコール依存症って病気の人にしかわからないんだろうね。今後の人生で一滴でもお酒を口にしてはいけないわけだ!久里浜東6病棟の終了証書持ってる人は皆知ってるんだけど(2枚目・3枚目持ってる人もいるけど<爆笑)

 

 それは、さておき・・・本日、アルコール・薬物問題「全国家族フォーラム」に参加してまいりました、漫画家のサイバラリエコ先生と久里浜副院長・樋口先生の対談と言うより、漫談とっても面白かったです、ア症の為に西原先生これからもバシバシやって下さい。会場の平河町の砂防会館って、我が母校・麹町中学校の隣です、もろジモピーっす。

http://www.kazoku-forum.net/ ⇔アルコール・薬物問題「全国家族フォーラム」

 きのうの産經新聞ネット版の記事で、ロシア外相のセルゲイ・ラブロフさん(59歳)の魅力を紹介していた。

 外交官としても第一線超一流なだけでなく、ラフティング、サッカー、スキーをするスポーツマン。さらに、ギターによる作詞作曲をする多彩な趣味を持つ人らしい。2004年に外相に就任する時に、時のプーチン大統領に「趣味の川下りをするために年に一度は警護官抜きの長期休暇が欲しい」と申し出たというエピソード(すばらしい!)。外相就任後は、10年間国連大使を務め、多国間外交のスペシャリストとして活躍。

 愛煙家の彼は、アナン総長が国連施設内の禁煙を通達した時に「ここはすべての国の代表のものだ」と無視を決め込んで、安全保障理事会の協議が長引いた時などに会議場を抜け出してスコッチ片手にタバコを吸っていたとのエピソードもある(さらに素晴らしい!喝采!)。

 いいなあ、こういうキャラクターの人が外交を仕切っている国は。ロシアという国は、酔っ払いばかりで、どうでもいいけど、そういう人材を外相に選んでいるということは素晴らしい、と思う。



 禁酒したから、ロシア系肝臓のおさ虫として言わせて貰うけど、生ガキと白ワインの組み合わせって、若いころから絶対に合わないって思ってた(口の中が生臭くなるように思うのだ)フランス人って味覚が東洋人と違うのではと思ってた(それを真に受けて信じ込んでる日本人多し)、生の魚介類とワインは基本的に合わないのでは?それの証拠に、さすがにヨーロッパでもキャビアには、ウォッカでしょ!(蒸留酒っす)

 銀座の寿司屋のカウンターで、ボルドー開けてるアホもいるし(店としては、5千円で仕入れて3万円で売れればOK?)

 いくら吠えても、僕はもう空想しか出来ないのだ(笑)

 最近12時前には寝るように心がけてます、ブログも11時前には終えて、朝6時すぎに起床、何とか8時間睡眠に近付けたい、今度久里浜外来に行ったら、新しい主治医のM先生(イケメン)に相談しようっと。

 

 午前中は、東京地方裁判所にて検案の判決申し渡し、おさ虫は被告の立場で無事終了と思いきや、事務官室の前廊下にて、狭心症発作か心筋梗塞でバッタリ倒れた方がいてバタバタ救急車が間に合えば良いが、、、やはり裁判所ってところは、は重いものを背負っている人が多いのか?


11:45 さあて昼ご飯はどうしようかな???


 恵比寿のrafuにて海老カツ定食(ご飯お代り)を頂く。やっぱりランチの定食はrafuだな。結構満腹なんだけど、今考えてみると、僕の食欲のスイッチがそのとき入っちゃった気がする(笑)

 目黒本社に、その後ちょっと銀行やら本屋さんに寄ってから、駅の立ち食いそばってわりと好きなんですよね。近くを通る時、いつものいい匂いにフラフラと吸い寄せられるように入ってしまい・・・「かき揚げ天ぷらうどん、卵入り」。これもしっかりと、おいしく完食。

 会社でコーヒータイムにピーナッツバターのクラッカーをがっつり。

 晩御飯。さすがに軽めの盛りによそってもらって、「豚キムチ丼」。これもおいしく頂く。

 若い頃みたいな食欲の一日。その驚きを楽しんじゃったな(爆)。
でも50歳だもんな、自重しなくちゃな・・・と自嘲する。

 すこーんと抜けるように晴れた冬の一日。清々しく冷たい空気。やっぱり冬はこうじゃなくちゃいけない、昨年暮れから年始にかけてのバタバタで、なんだか久しぶりに、ぬくぬくとのんびりと過ごす日曜日の朝。

 浅田次郎「日輪の遺産」(講談社文庫)再読。あの「日本の一番長い日」前後の出来事を描いた小説。現在と過去を行き来しながら進むストーリー。電車での移動などの隙間の時間にとことんハマってしまう、きょう一日で全部読んでしまった。ああ、この当代随一のストーリー・テラーの紡ぐ物語はいつも読了したくなくて、もっともっと読んでいたくなる。おお、そういえば「ハッピー・リタイヤメント」も読んだけれど、ああいう軽い(よく言えば軽妙、悪く言えば浅薄な)小説も書くというのがすごい。読者を楽しませる術を知っている、というか。

 BS-hi で『蒼穹の昴』やってるし!

 清朝末期の宮廷を舞台に宦官を主人公として時代を活写した大作『蒼穹の昴』が1996年に直木賞の候補作となり、さらに翌年『鉄道員』にて直木賞を受賞するなど、作品の範囲は劇的な展開を見せている。

 浅田次郎、作品によっては(中国歴史もの)てーちゃんもハマッタし、次は、江戸時代のお侍さんにハマル予定らしい<爆笑






       おさ虫は、解説したくてウズウズ(笑)

 AとBという人間関係で、「合わない」ということは、ままある。その人達の言葉・価値観・志向性・経験値・感性・・・多くのことで「合わない」のだ。これはある意味当たり前のこと。さらにAとC、AとD、AとE。それぞれの関係で「合わない」こともありえるワケで・・・。

 でも、AとB、AとC、AとD、AとEが「合わない」場合、ほとんどの場合やはりAという人に問題があるんだよな。Aの人格を否定するわけじゃなくて、Aにそのことを気付いてもらいんだけど・・・たぶんムリだなって思った。今日、ゴルフ場で。

 人間関係っていうのは難しい。





 おさ虫も殺虫剤、撒かれないように、気をつけよう(笑)

 小沢の元秘書の衆議院議員の逮捕。まあ、筋書き通りでしょう。裏ではかなりヤバい事をしている人なんだろう・・・というのが小沢に対する一般の見方。志もあるしヴィジョンもある稀代の政治家なのにね。人相がいかにもワルってのもマイナス要素。

一方・・・


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 鳩山首相は15日夜、民主党の小沢幹事長や自身の「政治とカネ」を巡る問題に関し、「反省すべきことは反省する必要がある。(衆院)選挙でみそぎが終わったと胸を張るつもりはない」と述べた。一方で、「こういった状況がありながら国民に選んでいただいた以上、付託に応える義務と責任は大変大きい。その責任を果たしていきたい」と語った。


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 首相、ちょっと違うんじゃないの?勘違いしてもらっちゃ困るんですけど。アナタに変わる人はまだまだいっぱいいるハズなんですが・・・(笑)期待する反面、失望も大きい事を知るべきだと思う。


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 さらに、ハイチ大地震。

 世界最貧国の破綻国家に地震が起こってしまったという悲劇。マスコミの報道を観ると悲惨な状況みたいだ。しのごの言ってないで日本政府として何が出来るのか?すぐに動くべきでしょう?>首相!!足下のぐらつきはさておき、今動かなくては。

 今の世の中、僕らの世代が若かった頃と違って、出世や成功パターンが描きにくくなっている。キャリアパスにしても社会システムそのものが激動期にあって、ほんの10年前の常識が非常識になってしまい、新しい知識や技術がすぐに陳腐になってしまう。その変化のスピードに、皆ついていけなくなっているということで、上記の「勝ち組」以外の大部分の若者にとっては、きわめて厳しい現実が待っている。いい(というか高偏差値の)学校を出て、いい(給料や社会的信用のある)職場に就職をすることがイコール「将来にわたっての幸せ」を必ずしも意味しないことが、みんなわかってしまったワケだ。

 じゃ、勉強しても意味ないじゃん、楽に楽しく過ごそうやって気持ちになったとしても、そんなに不思議じゃない。でも将来、相当厳しい状況が待ち受けているわけだ。成り上がるっていっても、それはそれですごく大変なことだ。昔も今も。チマチマと机に向かって勉強するとか、へろへろになるまで没頭して修行するとかが軽んじられてしまい、どうも「一発逆転」みたいなギャンブルを志向する若い人が多くなっているような気がするのは僕だけだろうか?

 もちろん、僕らの時代にも「勝ち組」と「負け組」の間には厳然とした「格差」はあったんだけれど、僕を含む大多数の「普通の人たち」=「どっちでもない組」にとっても、そこそこの明るい未来は用意されていたんだけど、これからはその「格差」が更に大きくなっていくんだろうな、日本の社会では。

 じゃ、どうすりゃいいのか?

 やはり基本に戻って若いうちは「勉強すること」なんだと思う。学校の成績は二の次としても、自分のための勉強をすること。人生どこかで必死になって何か学んだり、技術を取得したり、自分に向き合った時期があるかどうかがポイントなんだろう。そういう泥臭いことってやはり尊いんだよ、やっぱり。

 やっぱり精進するこったね<いくつになっても(笑)

 若い頃のつもりで、むちゃをするもんだから(笑)、今朝は腰と大腿部が張って痛い。十分にストレッチとクールダウンしたんだけどなぁ。どうもオジサンたちの世代ってのは、体を動かすのにヘロヘロになるまでやらないと運動した気がしないっていう固定観念があるんだよな。僕もいつも皆さんには言うのに、自分ではこのザマだもんな。と、反省しきり。

 でも、仕事場で動き始めたら痛みも忘れで快調に動けた。運動負荷を上げていくのは徐々にやっていこう!


 夢の話!

 なぜか今朝目覚める直前に見た夢に、若い頃の大原麗子さんが出てきた。唐突であまりにも突然だったので、驚いている自分と「ああ、久しぶりですね・・・懐かしい」という感覚。僕が10代だったころTVのドラマによく出ていましたよねぇ。僕は彼女のスレンダーなスタイルといつも潤んだような瞳、それから声が好きだった(おっと、全部じゃん>爆)。オトナの女って感じで、憧れました(その節はお世話になりました>爆)。

 なぜ、今、大原麗子さんの夢を見たのか判らないけど、たしかに「あのころの彼女」が、ストーリーの脇役として(何故か脇役なの・・・)出てきました。夢って面白い。

 赤坂の自宅隣のビルでトレンディードラマの撮影よくやってたけど、本物の美人は、黄金色に輝いてゴールドの霧の中に居るように見えたね(笑)

 映画「おはん」(84年)の芸者、NHK大河ドラマの「春日局」(89年)の乳母--数々の名作に出演し、タレント好感度ランクで14回も1位に輝いた女優の最期は孤独なものだった。

 大原さんは1964年にNHKの新人オーディションに合格、同局のドラマ「幸福試験」で女優デビュー。ハスキーボイスと日本的な美ぼうで人気を博した。映画「男はつらいよ」では78、84年と2度、マドンナを務め、昭和を代表する女優の1人となった。「すこし愛して、なが~く愛して」のキャッチコピーで話題になったサントリーレッドのCMに出演し、ファン層を広げた。

 スクリーンやテレビ以外でも、美人女優として話題を振りまいた。73年に俳優の渡瀬恒彦と結婚したが、78年に離婚。80年には人気絶頂だった歌手・森進一と再婚。2度目の結婚も4年しか続かず84年に離婚となった。森は離婚の際「家の中に男が2人いた」とコメントし話題となった。

 「獅子の時代」(80年)、「山河燃ゆ」(84年)などNHK大河ドラマの常連でもあったが、1999年に手や足に力が入らなくなる病気「ギラン・バレー症候群」を発症。治療に専念するため芸能活動を休止した。

 

 だったんだね昨日は。自分が二十歳の時の成人の日は、何て事のない普通の休日だった。式典にも行く気も全然なかったし(当時は成人式に行くこと自体がダサくてかっこ悪いことだった)、特別な感慨も記憶に残ることもなかった。
昨年姪(ヒーたん)が成人式に行ったけど、朝早くから着付けやら写真撮影やら大変だったらしい。ジ兄によれば、娘の成人式では、父親は刺身のツマみたいな存在だったらしい(笑)

 それにしても、自分が二十歳の時、特別な記憶に残るようなことがない、ってのはイイことなのかワルイことなのか・・・。あの時はそれなりにいろんなことがあったんだろうけどね。僕としては高校生時代のほうが鮮明な記憶がある。つまり、二十歳の僕は、とくに自分を意識することなく、親の庇護のもので勝手気ままに生きていたんだろうな。


  ちょっとだけ、鳩尾(みぞおち)の辺りで軋んだような音を聞いた気がした、かも<?


 その時代ゴルフは年間100回ラウンド以上廻ってました、若いなりに真剣に取り組んでいたんだね、1日1ハーフはあたり前、2ラウンドだって冬以外は普通だった、乗用カートなんてハワイとかしか無かったし、ゲストでコース行くとキャディさんが電動の手押しカートを押す係りと案内やライン見てくれる人の二人付いて、真っすぐ打ってないから、1日20キロ近く歩いてた訳だ、自分のコースで月例とか公式戦に出る時は、研修生がバック担がせて下さいってキャディーに志願してくれたもんだけど、、、、今は2千歩もあるけば御の字、スポーツじゃないね(笑)カートは好き好んで曲げて打つ人に任せて。なるだけ真っすぐ打つようにして1万歩を目標にしたい<希望

 そう言えばその頃は夏場1週間続けて、軽井沢、晴山ゴルフで5時から早朝1Rして、72の西コース1R・東コース1R、そのあと夜の別口コース1Rクラブ活動もあり4Rしてた訳だ、恵比寿・羅府(Rafu)のオーナー進ちゃんと<若っ!<爆笑

 日々の生活の中で「ん?」とか「ほほう!」とか「おおっ!」とか「むむむっ!」とか感じられる「感性」というのを、常に大切にしたいと思う。この歳になると。

 「そんなの知ってる」とか「もうわかってる」という感覚が先に立ってしまい、自分で「わかったつもり」になっている事って意外と多いのだよね。そこで思考停止してしまい、展開をしない。

 油断していると。つまり「好奇心」というのは常に磨いていないと、どんどん退化してしまう。歳をとっても魅力のある人っていうのは例外なく「好奇心」があって、自分の言葉で自分の世界を語れる人だもんな。


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ふふふ

 懐かしいっしょ!<今週、今年初の外来です。
     
        兄さん、待っててね(笑)

一流のアスリート達の言葉には、「自分の身体の声に耳を傾ける」という意味のことを言っていることが、しばしばある。たぶん、そうだろうなって思う。身体を極限までに鍛えて、最高のパーフォーマンスを得るためには、自分の身体の「声」を聴く必要があるんだろう。

換言すれば、自分の「身体の声」が聴こえるかどうかがアスリートにとってとても大切な条件とも言える。

痛み?
軋み?
揺らぎ?

心地良さ?
余裕?

身体の限界を感じること?

いろんな感覚があるんだと思う。

今日、動き回っていて、なんとなくその片鱗を感じた気がした。

おじさんだって、ちょっとはわかるさ(笑)

 自宅から徒歩1分のバーがお気に入りで、4年前の開店直後から通い詰めていた。オーセンティックなバーで、スコッチのモルトのコレクションは素晴しいし、何より店の雰囲気とバーテンたちの人柄が素晴しく、週に2-3回は帰宅途中に軽く引っ掛けて帰る習慣、だった。夜の会合や会議やら仕事関係のパーティの後は、必ずとい言っていいほど「口直し」に寄ってたし、フードだって一捻りあるものばかりでレベルも高くおいしかった。

 今でもお店に対する不満は全然ないのに、なんで「過去形」かというと・・・
・・・・ア症という訳だ(笑)



 仕事場でヘロヘロでも・・・とにかくジムに直行>マシーン30分とジャクージ&サウナ>5分で帰宅>家で軽めの食事&ゆっくり飲んで?、遅くとも1時前には就寝・・・てパターンが、妙にしっくりくる。

  結果、体調もいい。煙草も止めたし(先週の呼気テスト0.0ppm<どう よ)。さらに月に10回は行って遣った月ウン万円の出費がなくなったわけだ(笑)。全然お金遣ったことには後悔はないんだけど・・・。

 さらに、あまりにもあの店の「常連」になっちゃったので、急に行かなくなって、逆に行きづらくなってしまったのも大きな理由のひとつ。この辺は、通い詰めていた店(レストランとか・バーとか・床屋さんとか…etc)に、何らかの理由で行かなくなっちゃうと、ヘンに避けたくなったり、億劫になったりする心理と同じだね。

 僕が自意識過剰なのかな?

 ってのは、(今更ながら)最近はまっているムラカミハルキの小説の登場人物が時々つぶやく台詞。これがナカナカいい味を出していて、タイミングが絶妙。そんなこんなで、僕の最近の口癖になってる(笑)。

 齢50にもなると、世の中のことや自分の周りに起こる様々なことに対して、「やれやれ」って気持ちになることって、「しばしば」じゃないまでも「ときどき」はある。泰然自若に、仙人みたいに「かかか・・・(漢字変換できず)」って、笑い飛ばすほどの内容ではなく、あきらめではなく、フト出る吐息みたいな言葉だな。英語では訳しづらいけど、sigh って感じか。スヌーピーがつぶやく台詞ですね。

 そんなこんなで、三連休、やれやれ(笑)

 時間の流れの速さを憂うのはオトナの常なんだけど、それは色んなことを「憶えている」からなんだと思う。若い時には「忘れちゃう」ことをオトナは逐一憶えている。だから何年前のことも、何ヶ月前のことも、昨日のことも、今日の朝のことも、ついさっき前、つい昨日のことのように感じてしまうんだな。だから経過した時間を短く感じる。同じ時間の枠の中で色んなことがあるのは、コドモもオトナも全く一緒なんだけどね。コドモは経験した事柄を感性で受け止めつつ取捨選択して(未熟な自分に都合の悪いことは忘れ)微分的に記憶するけど、オトナは今までの経験知を積分的に記憶する。つまり忘れ(られ)ない。

アルコール依存症も積分的に脳が記憶して忘れられない病気、一生忘れない事になってます、一生お酒は飲めません、飲んだら死が待ってます、久里浜方程式です、厳しいです、でも楽しい生活は自分で作っていくものだし、いまのところ出来ているつもり、良き同志<TADとかもいるし、ケセラセラでお願いします。

 そっか、そっか、歳をとって認知症でボケちゃうと時間と空間のずれが生じて短期記憶がなくなっちゃう(例えば朝ごはんに何を食べたのか忘れてしまう)のは脳の防御機能なのかもしれないワケだ。つまり、傷つかないようにコドモに戻っちゃう、僕の実父も横浜の老人ホームで半コドモやってるわけだ(笑)

 脳の海馬の働きなんだ、コレも。脳科学者からすれば当たり前の事実を気付いたぞっ、ははは。


 そう言えば、自民党総裁って誰だっけ?<爆笑



 ごめん、タイスケ・Tちゃん・金谷の兄さんとか、同好会?同期会の面々がいらっしゃるの忘れてた!ワン!ワン!

長野や四国の辺境にもいるわ(笑)

自分としては全然「怒っていない」のに、対応してくれた人が過敏に反応してしまって、戸惑ってしまう事がある。もちろんその逆もあるんだけれど。基本的には僕は争い事は望まないし、たとえ自分に関わる事が多少の損になることであったとしても、それで波風が立ったり諍いが起きる可能性がある時には、「ま、いっか」と自分を抑える方だと思う。程度によるし、稀に(本気でキレるのは年に1-2回だろう>笑)は、徹底的にラディカルな対応をすることもあるけど。

時々、指摘されるけれど、僕の声って(自分では意識しないのに)結構「威圧的」に聞こえてしまうらしい。

kaoga,kowaitte? 本当に怒ってないんだってば(爆)

 寒い。寒いけど、正直そんなに寒くない(笑)。「本当に寒い」には程遠く「ふつうに寒い」と思う。
僕が体験した一番寒い気温は、たぶん2月の北海道のスキー場(ニセコ)の山頂付近で氷点下20度だったけど、この時は寒いというより関節がギシギシいうほど痛かった。ああいうのを「寒い」というとすれば、こんなの生ぬるい、のかも。

 やっぱり冬は寒くなくてはいけないよな(笑)。

 室温100度近いサウナに入って水温19度の水風呂に入るとトンデモなく冷たく感じるんだけど、外気温のほうが冷たいわけだ、考えてみると。

 なぜだろう? とネットで検索(笑)

 液体と気体の熱伝導率の違いと、発汗による気化熱でできた皮膚の表面の冷たい空気の層ができて、サウナの熱から体を守るんだそうな。

 へー。

仕事としての抱負はここには敢て書かないけれど、それなりに期するところがある。ベストを尽くして「次のステップ」に進もう。

さて、今年の抱負(プライベート版)を、記しておこう。具体的に書くとハズカシいし生々しいので抽象的にね。以下プライオリティの順不同(笑)。

1・創作活動。インスピレーションを感じてもそのまま放ったままにしている素材がいくつかある。それを今年こそ形にしたい。

2・ゴルフ部活動は趣味の世界なんだけれど、今や僕の人生の肥やしというか癒しというか、必要不可欠なものになっている。これを今年はさらに充実させたい、雨の日以外・張り子の寅年(●゚д゚●) 。本日、岩舟カントリーで本年初ラウンド49&49、デブソンクラブメンバー厚労省赤堀審議官、前田取締役営業本部長、信吾工場長と。

3・ブログの毎日更新は、入院中からK先生との約束事、ワシントンで確認してるはず、そろそろ落ち着いたらコメント入れてね(笑)去年の開始時期から続けているので今年も是非。

4・何か新しいことを始めよう。昨年後半から何となく感じているんだけれど、今年の夏から秋にかけて何かが始動する予感が。

 昨年のゴルフシーンは世代交代を印象付けるものだった。男子は19歳の石川遼が世界最年少で、賞金王に輝き、昨年12月に24歳になったばかりの池田勇太は2位に甘んじたものの最後まで石川と賞金王の座を争った。女子は米ツアーで宮里藍は3位に入る大健闘。宮里と同じ24歳の横峯さくらは国内ツアーで4勝を挙げ、悲願の賞金女王に就いた。ゴルフ界を熱くする若手「ライバル物語」。2010年も続くだろうか。

「この若い2人は日本が誇る久々の逸材と言えるだろう」。自ら持つ最年少賞金王の記録(26歳)を抜かれた国内ゴルフ界の第一人者、尾崎将司は石川、池田をこう評した。

 2人は昨季、4勝を挙げ、ゴルフの非凡な才能を発揮しただけでなく、ファンサービス、言動などでも“主役”を務めた。池田の登場によって、石川は刺激を受け、活躍の原動力になったのは間違いない。池田も何かと石川を意識していているのは言葉の端々からうかがえる。

 2007年にアマチュアの石川が史上最年少でプロ大会に優勝してから、男子ゴルフへの注目はいや応なく高まった。それを実証するように昨季は前年を6万8335人上回る58万8850人の観客を動員した。一概に石川の力ばかりではなく、新たに登場した池田というライバルの存在があってこそ。石川の父・勝美さんは「若い2人がゴルフ界を盛り上げたのは間違いない」とみる。

 今年は、石川が世界への礎を確固とし、池田には勇躍の年となるだろう。1月に行われる「ザ・ロイヤル・トロフィー」で欧州選抜チームと対戦するアジア選抜チームの一員に2人が選抜されている。また4月のマスターズには出場資格の世界ランク50位以内をクリアする2人は出場が確実視される。

 昨年マスターズで予選落ちした石川は「悔しさを忘れていない。今年はリベンジする気持ちで練習を重ねたい」と意欲をたぎらせ、池田は「出られるのは名誉。決まれば気持ちが引き締まる」と決意を新たにする。

 石川は昨季、海外試合を経験するごとに成長の糧をつかんだ。池田にとっても世界トップ選手のプレーは刺激で、吸収するものは多いはず。「日本に縮こまってちゃいけない。行って勝っちゃえばいい」と芹沢信雄プロは少々、荒っぽいエールを送る。

 今年も男子ゴルフ界を牽引(けんいん)するであろう2人。マスターズ・トーナメント(4月)など海外の試合にもそろって出場するのはほぼ確実で、2人の活躍から、ますます目が離せない。

芹沢信雄ちゃんなんて、東名カントリーで研修生時代にイケメンだからメンバーのおばちゃん達にキャディーで引っ張りダコであごで使われてたくせに、偉くなったもんだ。キャディーで付いてもらった時、球探すの苦手だったけどね(笑)

 シニアで親爺チームも頑張らねば、これからは老人の時代です<爆笑 

 20時から龍馬伝、観なくては!

 公共の場所のエレベーターで知らない人とで乗り合わせた場合、欧米ではほぼ例外なく、目を合わせてニコッとする。時にはちょっとした会話を擂るべくその糸口をさがそう、とする。というのは、たまたま同じエレベーターに乗り合わせることになったけど、自分は怪しい人じゃありません、敵意はありませんってことをお互い知らしめる必要性があるわけだ。ま、形式的とはいえ「愛嬌がある」。

 日本では、ほとんどが愛想なしの仏頂面をする。つーか、相手の存在を無視することが礼儀みたいな感じ。男女でたまたま乗り合わせちゃったときには、僕は絶対に女性の斜め前に立ち背を向けるようにすることが多い。だって無用の誤解を生みたくないし心配だってかけたくないから。

 今日も16時すぎからジムに寄った。ジムのフロントは3階にあって専用エレベーターで上るんだけど、そのエレベーターで遭う人たちは基本的には同じスポーツクラブのメンバーなわけですね。で、今日そこでたまたま乗り合わせた女性(おばはん)が、すごい無愛想なの。目が合っただけで、ふんっ!って感じ。別にそこまで仏頂面しなくてもいいじゃんって、やな感じがした。つーか、僕がそれほど怪しいおじさんに見えたんだろうか?(爆)。

 平成22年。昭和から平成に変わって早22年!この22年の世の中の移り変わりはスゴイもんだと、今更ながら驚嘆する。

 自分史的に考えるに、この22年間は激動の時期だった。30代40代という社会人としての基礎を作った時期と重なる。

 いろんなことがあったなぁ・・・。その瞬間瞬間にベストを尽くしたと思うし、ひらりひらりと危機(というか様々な問題)をうまく乗り切ってこられたのも、周囲の人に恵まれたからだろうと思う。齢50になってもまだまだ未熟だし、精進が足りないと自覚してはいるけど、あの頃の(必死だった)自分を振り返ってみれば、少しは成長・成熟したのかな・・・(笑)。

 その時間軸で考えてみれば、僕だけじゃなくて人生のパートナーのかみさん(内縁?別居<笑)も爺・婆たちも「家族」というステージで、少しずつ変化し成長(というんだろうか)しているんだね。しみじみ。今朝の初詣で出会った、かわいい子供を二人連れた若いカップルを観ていて、ふと感慨に耽ってしまった。爺臭いけど(爆)。

 さて、今年も昨年同様、良い年にしたいものです。

 皆様どうぞ宜しくお願いします。






1月1日はどうやって決まったの?

 まず、私達が現在使っている暦の元となった、古代ローマの暦について考えてみましょう。

 紀元前8世紀頃のローマでは、「ロムルス暦」という暦が使われていました。ロムルス暦では、冬の期間は人間が活動をおこなうことがなかったためか月の名前がつけられず、Marchから始まる10ヶ月間からなっていました。

  その後、ローマ皇帝ヌマ・ポンピリウスが新たに制定したヌマ暦では、冬の期間にも月の名前がつけられ、それぞれの月の日数が変更になりました。ヌマ暦でも、年の始まりの月はMarchでした。

 ヌマ暦は月の満ち欠けを元にした暦だったため、1年が355日しかありませんでした。そのため、閏(うるう)月を入れることで、季節と暦がずれないように調整をしていました。しかし、ジュリアス(ユリウス)・シーザーがローマ皇帝になる前後の時代には動乱が続き、閏月の運用をいい加減にしたため、暦が季節に比べて2ヶ月以上も進んでしまっていました。

 シーザーは、今後このような混乱が起こらないように暦を改革し、平年を365日、4年に一度のうるう年を366日とする「ユリウス暦」を、紀元前46年から採用しました。このときに決められたそれぞれの月の日数は、奇数番目の月が31日、偶数番目の月が30日という、規則的なものでした。しかし、2月だけは違いました。このころには、公式にはJanuaryが年の始めだったのですが、Marchが年の始めであった頃の慣習が残っていて、閏年には、かつては年末の月だったFebruaryの日数を1日増やすことにして、1年の日数を調整したのです。また、それまでQuintilisと呼ばれていた月を、自分の名前にちなんでJulyに変えました。

 その後、皇帝アウグストゥスは、8番目の月を自分の名前にちなんだAugustに変え、Februaryから1日を移動させてAugustを31日にし、日数のバランスをとるために9番目から12番目の月の日数を変更しました。(各月の日数はアウグストゥス以前から現在と同じだったという説もあります。)
  その後、長い期間に暦と季節がまた合わなくなり、調整をおこなったりしたことはありますが、アウグストゥスが決めた月ごとの日数が、現在まで受け継がれているのです。

 結局、1月1日というのは、ローマ時代の最初の頃に使われていた暦の上で、名前もついていなかった冬の期間の前半がJanuaryと呼ばれるようになり、それがいろいろな変更を経ながらも現在まで続いてきたという、長い歴史的経緯で決まったものです。天文学上の理由があって「1月1日はこの日だ」と決めたわけではないということです。

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