アルコール依存症日記 2009久里浜の夏から

久里浜アルコール症センター 東6病棟492期 since2009年9月12日

久里浜アルコール症センター東6病棟492期 since2009年9月12日

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僕らが長生きして、本当の老人になる頃にはどうなっているのかしらという考察。

多くの人が誤解しているようですが、歳をとったらみんながみんな老人ホームに入居するわけではありませんね。友人たちは歳をとったら老人ホームに入居する(笑)なんて言っていますが、全員が高齢者施設だなんて、そんな将来だったら世の中パンクして、そこらじゅう老人ホームだらけです。

例えば、遠い親戚の高齢兄妹(5人兄妹)で施設に入居したのは、認知症になった叔母のひとりだけです。長女が今90歳ですが、元気なので老人ホームに入っていません。長兄と次女は亡くなり、4女は今80歳でまだ元気にしています。

ご近所の老夫婦などは奥さんが足が悪く、ひとりで出かけることはできません(たぶん要介護2か3)が、今でも自宅介護で旦那さんが面倒を見ています。時々デイサービス(日帰り。送り迎えもしてくれる。)を利用しているようです、老々介護というやつですね。

というように僕のまわりだけですら、老人ホームを利用しているのはほんの僅かです。いきなり老人ホームに入居、というのではなく、実際には、デイサービス:日帰り、ショートステイ:短期入所(2日~)、老人ホーム:基本的には亡くなるまで、、、これは僕の母のコースです。

これ以外にも、「訪問入浴」「訪問リハビリ」「訪問介護」など様々なサービスが有り、これらを利用するにはまず、要支援・要介護認定を受ける必要があります。この認定には担当者による聞き取り調査などが行われ、医者などの判定を経て、実際に認定されるまで1ヶ月ほどかかります。要支援・要介護認定ではじめて介護保険が使えるようになります。

うちの母は92歳の要介護4で施設に入っていますが、特養(特別養護老人ホーム)なので月々13万円ぐらいです。介護保険で半分ぐらい賄われているので、実際には1ヶ月に30万円ぐらいかかるそう。母は年金を貰っているので十分賄えています。

なお、特養は基本的には要介護4もしくは5の介護度の重い人しか受け付けてくれないところが多く、要介護3以下でどうしても、という場合はほかを探すことになります。要支援・要介護認定を受けると、ケアマネージャーがひとりつくので、基本的には彼らと相談しながら入居先を決めます。このケアマネさん、もし使えない方に当たった場合は変更することは可能です。

特養は安い(13万円でも安い方です)ので人気があり、入居に3~24ヶ月ぐらいかかります。23区内ではとてもキビシイ感じです、探したり待機してるあいだに本人が亡くなってしまう例もあります。また、きちんと支払い能力があるか、親族でクレーマーがいないか、などを裏で調べているらしくて、支払い能力がないと思われる場合はいつまでも入居できないらしいです。

知り合いの母親で資産も殆どなく、友人の息子も支払い能力がないという人がいます。この場合は本人の年金と生活保護扱いにし、その2つでやりくりしているようです。なので、国民年金を払ってこなかった人は、生活保護だけでは足りないし、うちの母のように資産がある(僕の家の所有者)場合は生活保護が受けられないので、親族の誰かが足りない分を支払う必要があります。払えないようであれば、老人ホームも商売なので入居させてくれません。

僕の肌感覚として、とても多くの人が老後の生活を誤解している気がします。祖父、祖母、そして両親と、ずっとその流れを見て育ってきたので、もうなんとなく自分の老後もどうなるか予測がついていますが、もっと真剣に考えたほうがいいと感じています。

よく、老後はゆっくり旅行でもみたいなことを言っている人がいますが、50歳を超えて運動をなにもしてこなかった人は、まず足腰をやられ、旅行どころか引きこもり寝たきりになる確率が高いように思います。

それに上で書いたように、老人ホームに入るのは今後はもっと難しくなるでしょう。ケアマネが言っていましたが、あと10年後は恐ろしい世界になっているはず。と言っていました、老人が増えて若者が減る。そんな長生きしないから(笑)とか甘い考えの人が多いのです。

子供がいない人は、おそらく老人ホームも入居しづらくなりそうで。いくら資産があっても保証人がいない場合は、年金+生活保護のような国がきちんと支払ってくれるような安定した収入がないと入居はむずかしくなるようです、高齢者専用信用保証会社とか。

年金はどうせ貰えないから。と支払っていない人や、子供をもたない選択した人は、結構真剣に老後を考えたほうがいいかと思うこの頃です。
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NHKドラマ『アイドル誕生 輝け昭和歌謡』を観た、地上波 から録画しておいたのを夫婦二人で観て面白かった。

阿久悠役が宇野祥平、酒井政利役が三浦誠己というめちゃくちゃ地味なキャスティングでこんな企画が通るのは、さすが受信料で放送してるNHKだと思ったし、笑ったよ。

都倉俊一役の宮沢氷魚など、みんな、どことなく本人の雰囲気があるのだ。阿久悠役の宇野祥平なんか、カツラかぶって最高に良い雰囲気を出していた。

そして、時代のアイドルを演じている若い女優たちもそうだ。
山口百恵、ピンク・レディ、桜田淳子役、みんな造形的にはそれほど似ていないのだが、彼女たちアイドルの魅力のあり方を上手に再現している。

歌手だけではない、裏方では久世光彦役が谷田歩、飯田久彦役が田村健太郎、有馬三恵子役が安藤玉恵と結構シブいところを揃えてあって。一番笑ったのは土居甫役で長いもみあげをつけた迫田孝也。

ドラマでは、CBS・ソニーの酒井を毛嫌いしたり、どこまでも新しさに執着したりする阿久悠のコンプレックスやネガティブな面をあぶり出していて面白かった。そして、あの当時のスタッフや歌手の強い思いがよく現れていた。人を描くことによってあの時代の様相も丁寧に描かれていた。大河ドラマ枠でやっても面白いのではと。

僕らは阿久悠、都倉俊一、酒井政利、有馬三恵子、久世光彦、飯田久彦、土居甫らの名前と、彼らの手掛けた作品がしっかり記憶に刻まれている世代だから。夫婦で同じ時代に生きてきたことを実感させてもらい、良いものを見せてもらった。

ちなみに、山口百恵を演じた吉柳咲良(きりゅうさくら)はホリプロ所属(つまり、百恵ちゃんの事務所の後輩である)で、第41回タレントスカウトキャラバン「PURE GIRL 2016」グランプリ受賞者なのだそうだ。ミュージカル『ピーターパン』の主役も務めていたとのこと(つまり、こちらは同じホリプロの榊原郁恵の後継ということになる)。

2016年の受賞時はまだ12歳、今年の4月で二十歳とまだまだ若い。これからもっともっと伸びそうな気がする。この名前を憶えておこう。

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かつてお正月ドラマと言えば時代劇、でも今はNHKくらいしかやってない。再放送とか何とかSPでお茶を濁してる感じ、まぁスポンサー離れで民放は苦しいよねぇ。

で、話し飛ぶけれど、世間でライバルと思ってる人はあまりいないだろうけれど、僕は綾瀬はるかと長澤まさみをライバル関係として捉えてる。2人がまだ若かった頃に同じ役を演じたからだ。

ふたりはデビューしてまだ日が浅く、名前もそれほど売れていなかった時期に「世界の中心で、愛をさけぶ」の主役を務めた、白血病で亡くなる少女の役。その2つを僕は両方とも観た(ともに2004年)。そのことによって、僕の頭の中に「2人はライバル」という図式がしっかりと描かれてしまったのだ。

ただし、綾瀬はるかは TBS の金ドラで相手役は山田孝之、長澤まさみのほうは行定勲監督の映画で相手役は森山未來、同じ役とは言っても全く違う脚本で、かたやテレビの連続ドラマ(全11話)、こなた2時間規模の映画なわけだから、比較することによって単純に2人の女優を語るのは酷である。

そして、その時以来ずっとこの2人を比較しながら見る癖がついてしまったのである。数年前に『海街diary』で共演したり年を経て、2人とも母親役が回ってきたりするようになった。そして、間違いなく2人とも大女優になった。

女優の中にはいくつになっても主役を張りたがる人や、良い役しかやりたがらない人もいるが、たとえば松坂慶子のように、若い頃はまさに「美人女優」の代名詞だった人が、年を取って太って、ほんとにそこら辺にいる“がさつなおばちゃん”役が見事にハマっている人もいる。今も美人ではあるけれど、あの吹っ切れ方はすごいな、といつも思うのである。

ふたりが年を取ったときに太るかどうか、がさつなおばちゃんを演じるかどうかは分からない。でも、彼女たちの役柄はきっとどんどん広がって、きっととても貴重な存在として芸能界に残って行くのだろうと思うわけで、とりあえずお正月のドラマ「義母と娘のブルースFINAL」を楽しみたい。
umimachi

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F4U


若いころに好きだった歌手が、年老いて下手になった歌を聴くのはなんだかつらい。NHKの広瀬アナ司会の懐メロ番組でそれを痛感することが多い。

まずは声量が落ちる。音程が悪くなる。リズム感がなくなる。ロングトーンがあんなに気持ちよかった人がどうしてこんな声になってしまうのか、聴いていてこちらが苦しくなってしまう。

どうしてこんなに下手になってしまったのにまだ歌うのだろう? もちろん生活のためということもあるだろうけれど、自分の実力がどれくらい落ちてしまっているのか、この人たちはちゃんと把握できているのだろうか?不審に思う。

ひょっとしたら自分では気づいていないのかもしれない。年を取れば耳だって悪くなるだろう。日常生活には支障をきたさなくても、プロの歌手として自分の声をモニターしながら音程を維持するには少なからず影響があるのかもしれない。

あるいは自分でも声が出ないなとうっすら気がついてはいるものの、聴衆の耳にどんな音で届いているかが正確に把握できていないのかもしれない。自分の想像を超えて実力が減衰してしまっているのである。あるいは、過去の栄光が、現在のそんな自分を認めさせまいとするのかもしれない。

そんなことを考えていて、それと同じことが企業でいつまでも社長や会長の席にしがみついて退かない大御所の中で起きているのだと感じた。彼らはまさかそこまで歌が下手になっているとは、まさかそこまで仕事上の自分の判断がトンチンカンになっているとは気づいていないのだろう。余計なプライドが邪魔をするのかもしれない。

誰かが教えてあげるべきだ、というのはその通りだけど、下手に教えて逆上されてはたまらない。優秀な指導者は若い手下や仲間を育ててそばに置いてる、彼らといろいろ話す中で自分の引き際を悟ってきたのだろうね。

申し訳ないが、声が出ないあなたはもう退いてほしい、そういうのを老害と言うのだと思う。

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mini

知っておきたい「アルコール依存症の診断基準」

お酒が好きで、たくさん飲むという人は、このまま飲み続けているとアルコール依存症になるのではないか?という不安がありますよね。アルコール依存症にはどのような診断基準があるのでしょうか。

この診断基準はWHOの『ICD-10』と呼ばれるものです。以下のような6つの項目があり、このうち3つ以上に当てはまると依存症だと診断されます。

①強迫的な飲酒の欲求...飲みたいという強い欲求が湧き起こる。
②飲酒に関するコントロールの喪失...飲酒の開始•終了や酒量をコントロールできない。
③離脱症状...飲酒を中止したり量を減らしたときに離脱症状(手の震え、発汗、吐き気など)が出る。その症状を和らげるため飲酒する。
④耐性...同じ量では酔わなくなり、酔うためにより多く飲む。
⑤飲酒中心の生活...飲んでいる時間が長くなり、それ以外の楽しみが生活の中でなくなっていく。
⑥問題が起きても飲酒がやめられない...肝臓の障害や抑うつ症状などの問題が起きても飲酒を続ける。

お酒を日常的に飲んでいるうちに、アルコールに対する耐性ができ、徐々に量が増え、次第に飲酒をコントロールできなくなり、アルコール依存症になっていきます。つまり、『大酒飲み』といわれる方と依存症の方の境界線ははっきりしていないのです。日常的にお酒をたくさん飲んでいた人が、気がつくと依存症になっていて、あっという間に症状が進行していくというイメージです。

アルコール依存症が心配な場合、どのような段階で病院を受診すればいいのでしょうか?
症状がかなり進んで、肝機能も衰え、仕事ができなくなるなど社会的な影響も大きくなってから受診することがほとんどで、治療としては断酒が基本。しかし最近では、お酒の量を減らすための減酒外来が増え、そこまで症状が進んでいなくても受診できるようになっています。飲んだ後に記憶がなくなることがたまにあるとか健康診断で酒量を減らすように言われたという理由で受診しやすいようになっています。

アルコール依存症の治療で断酒を基本としていると、途中で挫折して再び飲み始めてしまう人が後を絶ちませんが、もっと手前の段階で減酒を目的とする治療を行えば、患者のほうもぐっとハードルが下がるというわけですね。

手前の段階で受診するということ、これが大事です。

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mini

このところ詐欺メールがやたらと増えていますね。前から多かったけれど、さらに増えている感じで、山のように降ってきます。

大体が銀行とかクレジットカードとか、アマゾン等のアカウント承認関係が多い、不正使用があったのであなたのアカウントは一旦停止したなどという虚偽の報告だったり。このまま放っておくと使用不能になるなどの警告があり。そして、このリンク・ボタンから入って会員情報やパスワードを再入力せよなどと畳み掛けてくる。

昔の詐欺メールは差出人のアドレスを見たら一目でインチキだと分かったり、日本語が明らかにおかしかったりして、すぐに引っ掛けだと見破ることができるものも多かったが、最近では騙す方も技量が上がって、うっかり騙されるところまでは行かなくても、よくできていると感心してしまうことが多い。

しかし、最近では通常とは異なる使用があると通知してくるサービスやアプリも少なくないが、そういうところから来る本物のメールには「このリンクから」という指定はまずありませんよね。大抵は「このログインが本人によるものなら何もしなくて構わない。身に覚えがないのならすぐにパスワードを変更してください」といった文言になっています。

通常とは異なる形でお金が引き出されたり支払いがなされたからといって、銀行やカード会社が即時に、かつ勝手にアカウントを一時停止したりはしないようです。

なんであれ、送られてきたメールのリンクはつつかないことだ。お金の出費を伴うサイトはできるだけ自分のブックマークから入る習慣をつけたほうが良い。今のところ PC のブックマークを勝手に書き換えるウィルスというのは聞いたことがないから。

最近ではあまりブックマークというものを活用せず、普段使っているサイトであってもググってみて、そこから入るという人もいるが、検索上位に来たからと言ってそれがインチキではないという保証はない。

他者を安易に信じず、自分の設定を信じることがひとつの対策ではないかしら。

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walkman
スコアカードや色々なデータとか写真を紙で保存したいという思いはない。ただ、単なる記録じゃなくてコレクションとして有形保存したいと思う物ってあるでしょ。

なんのことを言っているかと言うと、最近のイベントは専らネットで予約しますよね。そうすると返信メールが来て、そこに載っているリンクをクリック/タップして専用ページに進み、予約番号やパスワードを入れて QRコードを表示するとそれが入場券代わりになるようなケースが増えてきた。

その結果何が起きるかと言うと、展示会やライブが終わったときに手許に何も残らないのである。ネットで予約しても、例えばコンビニなどで紙の発券をするようなケースはそのチケットが残る。しかし、紙の発券ではなく QRコード表示となると何も残らないのである。

演劇や音楽ライブ、美術館や博物館、展示会などのイベントに行ったら、その「半券」をスクラップに貼っておきたいタイプなのだけど貼るものがないのです。スクショを撮ってもなんだかねぇ~って感じだし。

半券には記念品の意味もあったのである。ちょっと残念に思う。

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F500

アルコール依存状態であるかを判断する目安として、精神的な依存と身体的な依存の有無が目安になります。 精神的な依存が形成されると、飲酒量や飲酒時間を自分でコントロールすることが難しくなります。泥酔してしまうまで大量に飲酒したり、昼間から飲酒したりと、飲酒すべきでない状況でも飲酒を止めることができません。

問題があることを本人が自覚していて、周りから注意されるため、隠れて飲酒する場合もあります。ブラックアウトのため、酩酊時の行動を覚えておらず、酔いが醒めると自分の行いを詫びて、断酒を約束するものの、再び飲酒して問題行動を繰り返してしまうのも依存症の特徴です。

身体的な依存症状としては、アルコールへの耐性が高まって飲酒量が増えていくことと、離脱症状の出現です。離脱症状の不快感を避けるために飲酒するようになります。

飲酒時に問題行動を起こしたり、離脱症状がでても飲酒を続けてしまうのは、アルコールによる酩酊状態が、報酬効果を持つからです。不眠やストレスを解消しようと飲酒を始めた場合は、酩酊状態が自己治療として使われています。アルコールで寝付きが良くなったり、気分が高揚してストレスが緩和されたりすることで、飲酒が習慣化されていきます。

酩酊状態がもたらす報酬効果によって飲酒が習慣化することが依存症の引き金となります。その後、飲酒を止めようと思ってもやめられない状態となります。もはや自分でコントロールすることが困難となり、強迫状態とも呼ばれます。強迫とは本人が望んでいなくても、止めることが出来ずに繰り返されてしまう状態です。 強迫が生まれる要因として、アルコールを減らした場合の不快な離脱症状を避けたい気持ちが関与します。

飲酒によってストレスや不安が解消される快刺激を期待する一方で、アルコールを飲めなかった場合の不快な気分も想像してしまうようになります。 耐性が生まれて、飲酒時の快刺激は薄れていき、同程度の効果を得るには、さらに大量の飲酒が必要となっていきます。そして、離脱症状の不快さから解放されることが飲酒の目的に変わっていきます。このようにして依存に至ると考えられています。

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アドレスと言えば今では@を含んだメールアドレスのことだけど、チョット前までは住所のことだし、アドレス帳に手書きで書いていたよね。などと書くと何を当たり前のことをと思うだろうが、物心ついたときからメールがあった世代は、え、そうなの?と言うかもしれない。

ちなみに、当然のことながら、電子メール(既に死語かも)がなかった時代には、メールは郵便もしくは郵便物の意味だった。僕らの世代は、ほとんどの人が、手帳の中に組み込まれていたりするアドレス帳を持っていたし、今だって持ち歩かないけど持ってるよね。

1975年発売のユーミンの『あの日にかえりりたい』(詞曲:荒井由実)にはこんな歌詞がある:

今愛を捨ててしまえば
傷つける人もないけど
少しだけにじんだアドレス
扉にはさんで帰るわ あの日に



そう、当時は皆こんな感じのコミュニケーションをしていたのである。アドレス帳を頼りに彼の家を訪ね、彼がいない家の扉にメッセージを書いて挟んだり、握りしめてきた彼のアドレスを書き写したメモ用紙を意味ありげに挟んだりして帰ったのである。

そして、それでも彼女たちは、ひょっとしたらそれから何日も、もしかして彼から何か連絡がないかと一縷の望みを託して連絡を待っていたのかもしれない。Please Mr. Postman の世界である。

アドレス宛にメールを送ったけど返信がない、メーラー・デーモンからアドレスが存在しないと言われる、あるいは LINE を送ったが既読にならない、着信拒否されている──みたいな感じでわりとあっさりと決着してしまう今のコミュニケーションとは大違いである。

その大違いなコミュニケーション共通に、アドレスという言葉がずっと使われ続けていることが時々なんだか不思議に感じるし、アドレスという言葉は、結局のところ、その時代のいちばん大事な連絡ルートを指す言葉として生き残ってきているような気がするんだよね。

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大人になったら自分は一人前の人間になれると思っていた、小学生から中学生になっても、高校から大学生になっても、大人になれば色々なことに自信を持てるのじゃないか、みたいなイメージでいた。

でも、大学に入っても、成人になっても、社会人になった後でも、一向に自分が大人になったとか成熟したという感じは持てなかった。

30代、40代になったら、あるいは経営側になったらそういう感覚が出てくるのかなとも思ったが、いくつになっても自分は未熟で未成熟だという思いしかなく、ついにそのまま老境(笑)に達してしまった感覚。まぁお酒に負けたってのは少し関係があるかもね。

自分だけがそうなのか、それとも誰でもみんなそうなのかを知りたくて書いているわけではない。むしろ逆で、じゃあ大人になるとか成熟するって一体どういうことなんだろう。なにをもってそういう風に言い切れるんだろう、などとそんなことを考えている。

いずれにしても自分はこれまでもこれからも、ずっと未熟であるような気がする。心が子供だから飲んでいたってのはアリかな、断酒の継続が出来ていれば大人になれるわけでもないのは確認済、ゴルフも然りだなぁ(泣)

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コロナ過で家飲み習慣ができて、そのまま続いて飲んでいて酒量が増えている例が多いそうです。楽だからねぇ~

減酒している人は日本に限ったことではなく、世界的に見ても増加傾向にあるという。酒量を減らしたいという思いの根底には、このまま飲み続けていると、アルコール依存症になるのではないかという恐怖感があるのだと思う。とは言っても、多くの人はそもそもアルコール依存症とはどのような状態で、どのような人がなりやすく、そしてどのような治療をするのか、よく知らないのではないだろうか。

基本のパターンとして、お酒を日常的に飲んでいるうちに、アルコールに対する耐性ができ、徐々に量が増え、次第に飲酒をコントロールできなくなり、アルコール依存症に徐々になっていく。つまり、普通の大酒飲みと、依存症との境界線ははっきりしていないのです。日常的にお酒をたくさん飲んでいた人が、気がつくと依存症になっていて、あっという間に症状が進行していくというイメージですね。

僕の場合は毎日飲んでいるうちに、いつもの量では酔わなくなり、しまいにはウイスキー等のハードリカーをストレートで飲まないと満足できなくなってしまい、そうこうしているうちに、いろいろあって久里浜病院で確定診断されました。角瓶の取っ手付きボトルでした(涙)

取っ手付きの角瓶をぐいぐい飲んじゃって、奥沢病院で今は亡きマーク院長のお世話になって毒抜き入院を何度も繰り返して、昭和大学病院精神科経由で久里浜アルコール症センターに行くように指示されたときは不安と期待というか、これで楽になれるのかもしれないなんて思ったものです。その時代の治療は断酒絶対主義でした。ベロベロになるくらい毎日のんで症状が進んで、肝機能も衰え、仕事ができなくなるほど飲んでクビになりかけてから受診することがほとんどで、治療は断酒が基本でした。

酒の量を減らすための減酒外来の開設が増えてます。そこまで症状が進んでいなくても受診できるような雰囲気も出てきています。

飲んだ後に記憶がなくなることがたまにあるとか、健康診断で酒量を減らすように言われたからなどの理由で久里浜病院を受診していたら、ちがった未来があったのかも。

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花粉症は、「症」という文字がついていることから、症状を指す言葉です。その症状は実にさまざまで、アレルギー性鼻炎、アレルギー性結膜炎、じんましん、アトピーの悪化など、花粉によって起こる体のアレルギー反応の全てを指して花粉症と言います。これらの症状は、体が異物だと判定した花粉から体を守るための「防御反応」であり、花粉によって鼻水や涙が出るのは、異物である花粉を体外へ追い出すためっだったのです。

酒を飲むと、症状は間違いなく悪化します。アルコールによって体の毛細血管が拡張するからです。このとき鼻の粘膜が腫れ、一層敏感になり、くしゃみ、鼻水、鼻づまりといった花粉症の症状がひどくなります。また、アルコール代謝の過程で生成されるアセトアルデヒドによってアレルギー症状を引き起こす「ヒスタミン」の放出が促されることで症状が悪化するとも考えられています。

花粉症を悪化させないための対策としては、酔った状態で眠らないこと。酔っぱらったまま寝ると、毛細血管が拡張し、粘膜が腫れたまま眠ってしまうことになります。すると、翌朝まで花粉症の症状が悪化した状態が続いてしまうしうです。

二日酔いになるような深酒をしないことが大前提になります。たしなむ程度に飲めば、翌日、花粉症の症状がひどくなるのを避けられます。基本的に、どんなお酒でも飲み過ぎたら花粉症には良くありません。

花粉症の薬の中でも、ポララミンなどの眠くなる抗ヒスタミン薬を飲んでいる人は、お酒を控えたほうが無難です。これらを飲むと、脳にあるヒスタミン受容体がブロックされるのですが、その状態でアルコールが入ると、脳に与える影響が大きくなり、眠気をはじめとする副作用もひどくなります。

私たちのように、毎日酒を飲む人は、眠気を誘発しない薬を病院で処方してもらいましょう。花粉症の薬の中でも「第三世代」と呼ばれるルパフィン、ビラノア、ザイザルなどが「眠くならない薬」にあたります。僕はこの時期、ザイザル飲んでます。

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緑内障とは一言で言うと、視神経のダメージで視野が欠けていってしまう病気です。日本人の中途失明原因の1位となっていますが、早い段階で見つけて適切に治療を続ければ、一生を終えるまでに失明することは防げると言われてます、適切な治療の継続が重要なのです。しかし、現時点では緑内障を完治させることはできないため、治療は一生続けていかなければならないのです。僕も眼圧を下げる点眼薬の治療を10年続けています、最近の視野検査結果が良くなかった為に目薬が増えて3種類になった。正直なんとなく不安だよね。

それから眼科主治医に聞いてみたら、アルコールの飲みすぎと眼の病気の因果関係はないそうです。僕の場合は、久里浜病院に入って断酒する前の数年間、泥酔して目薬の点眼がおろそかになったことが悔やまれます。

緑内障と診断されると、たまに人生設計を変えるぐらい落ち込んでしまう人がいます。しかしかなりの高眼圧や末期の方以外は、じっくり治療に専念し、仕事や生活パターンを変えず、あせらず過ごすことが重要です。

とにかく、点眼治療の場合はきちんと点眼し続けて、検査を受け続けること、手術等をしても定期検査を継続することが重要です。

自覚症状がないときに、点眼を自ら行って通院し続けることはとても難しいと思いますが、緑内障の特徴を良く理解して、付き合っていくことが重要です。

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僕もまぁ、何度か引っ越しはしていて、結婚したり、単身だったり、人生いろいろあったおかげで、今住んでいる家がちょうど 9軒目かしら。どの台所でも必ず飲んでいました(笑)

台所は狭いところも広いところもあったけれど、僕にとって飲みながら料理をすることは喜びでありました、今は炭酸水でやってますのでご安心ください。

持ち家のときも賃貸のときもあったので単純に比較はできないけれど、この遍歴の中で感じるのはキッチンは進化しているということ。住居内の改善ポイントの最たるものはキッチンだと思います。料理は仕事だったり、趣味になったり、ライフワークですからね。

まずはコンロの進化、ガスから電気、IHに。玉子焼きには不便だけれど、掃除のしやすさの方が勝る。給湯システムやレンジ・ファンの改善。それらは単に使いやすさという点だけではなく、掃除のしやすさといった点でも隔世の感がある。どこを取っても昔の台所とは月とスッポンである。

色々な面でキッチンは長足の進歩を遂げたと思う。ただし、大きく変わり初めたのは 20年ぐらい前からではないかという気がする。ひょっとすると、料理をしない男たちがまだまだメーカーや設計を牛耳っていて、女性の意見が反映されていなかったのかもしれない。

冷蔵庫や洗濯機も大きく変わったとは思うけど、もう大きく変わる余地は残されていないのではないか。それに対して、台所スペース自体はまだまだ進化して行きそうな気がする。料理も後片付けも、あるいは料理や後片付けをしながらの家族との対話とかも、これからはどんどん楽しくなって行くのではないかと思う今日このごろである。

久里浜病院の東6病棟に入院中、隣に作業棟があった。リハビリの一環として木工作業班に属して、退院までになにか一品作ることを目標にしていた。15ミリの杉板を糸鋸で丸く切って、角を丸く整形したり、バーナーで炙って焦げ目をつけて木目を浮き出させて、布で磨いたりしてシブい焦げ茶の鍋敷きを製作した。

キッチンの棚で、オレンジ色のルクルーゼの鍋に敷かれて、今でも僕を見張ってる。

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久里浜病院入院中に、歯科にもお世話になったけれどウェブサイト見たら、井上裕之先生がまだいらっしゃる。懐かしいなぁ~、アル依は歯が無くなる率が高いからのハミガキ講座とか、面白くて良い先生だった。

若い人は知らないかもしれないが、歯磨きをするときに歯ブラシにつけるものを、歯磨き粉と呼んでいた。今でもそう言っている人は僕らの世代では珍しくないけれど、若い世代でもそういう言い方をする人はいるのだろうか、粉ではなくなって随分たつからね。今使っているのは、薬用デンタルリンスと書いてある液体です。

子供の頃、あれは粉だった。僕らの親世代は、今のチューブに入ったやつのことを、練り歯磨きと呼んで区別していて、ハミガキ用の粉に、水分を加えて練ったものがチューブに入っているという理解だったのだ。

では、歯磨き粉はどういう状態だったかというと、大抵は小さな缶に洗濯用の粉石鹸みたいなやつが入っていた。僕もそれを辛うじて知っている世代で、母方の祖母が愛用してたタバコライオンという喫煙者向けの歯磨き粉だけは随分長いことその形態で頑張っていたと記憶している。やにトリとしてザクトライオンと言うのがあったかしら。

どうやって使ったかというと、粉の入った缶に歯ブラシの先を突っ込んで、と言うか毛先でなぞって、粉を歯ブラシの毛につけて、そこに水を少しつけて湿らせてから歯を磨き始める。そうすることによって、粉が口の中でペースト状になったのである。

それってどうよって感じだろうけれど。家族全員が同じことをするわけで、ま、家族だから許せるとも言えるが、串カツ屋のソースに添えてある二度漬けお断りを守ってほしいと、今の人は思ったりするかもしれない。

まあ、しかし、昔はペースト状にしてチューブに入れるなんて発想も技術も多分なかったからそうなっていたわけで、それはもちろん日本だけのことではなく、どこでもそうだったはずだ。

英語でもハミガキのことは toothpaste と言うが、それは練り物状になってからの呼び方が今定着しているわけで。

しかし、当然英語圏でも最初は歯磨き粉だったはずで、じゃあ、その頃はどう呼んでいたのか? 今のハミガキが toothpaste だから、まさか toothpowder か?と思って辞書を調べてみたら、 tooth powder という表現が載っていた。dental powder という言い方もあったようだ。それのほうが分かりやすい気もする。

オンライン英辞郎で調べたけれど、ここでは「歯磨き」で引くと行為としての「歯磨き」しかなく、磨くための薬剤としては「歯磨き粉」とインプットしなければ訳語が出てこなかった。

意外にまだ「歯磨き粉」という表現は残っているのかもしれない。しかし、漢字で書くとやっぱり違和感があるよねぇ~。

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次の項目のうち、心当たりの項目がないかチェックしてみましょう。

①酒を飲んで仕事をサボることがある。
②飲んで家庭に波風が立つことがある。
③飲んで人から不評をかう。
④飲んだ後で深く後悔する。
⑤毎日、同じ時間に飲みたくなる。
⑥飲まないと眠れない。
⑦翌朝また飲みたくなる。
⑧外で一人でも飲む。
⑨飲むと家庭のことに無関心になる。
⑩酒のため経済的危機に陥ったことがある。
⑪おじけを除くために飲む。
⑫自信をつけるために飲む。
⑬不安からのがれるために飲む。
⑭飲むと友人を見下したくなる。
⑮飲むと仕事の能率がひどく下がる。
⑯飲むと向上心がなくなってしまう。
⑰飲んで完全に記憶を失ったことがある。
⑱飲んで仕事上のミスをしたことがある。
⑲飲んで医者にかかったことがある。
⑳酒のため病院に入院したことがある。

3個で、アルコール依存症の危険あり。
4個で、アルコール依存症の可能性がきわめて高い。

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ドラマ好きの僕には好きな女優さんがたくさんいる。主演級もいれば名脇役もいる。ものすごい美人女優もいるけど、そうでない人もいる。若い世代もいれば熟女もいて、相当なベテランもいる、草笛光子さんとかがんばってます。美人で可愛らしいは亡くなったけれど父と同世代の八千草薫さんとかね。

で、その一方で好きじゃない女優さんもいっぱいいる。女優に限らず、好きじゃない小説家、好きじゃないシンガーソングライターなど、どの分野にもそういう人は必ずいる。周りの人と話しているとあまりそういう話を聞かないので、みんな嫌いな人いないのかなと時々不思議になる。

ところで、好きじゃない女優さんにも2つあることに最近気づいた。好きじゃないけど上手いなと思う女優さんと、上手いとは思うけど好きじゃない女優さん。

僕にとっては、眼が大きすぎたり、顎に黒子があって好きじゃないけれど、上手いなと思う女優さん。わりと上手いなと思うけど別に好きじゃない女優。上手いなとは思うけどあまり好きじゃなかったのが最近ちょっと好きになってきたとかね。まぁ、誰とは書かないけれど。

そして、上手いなとは思うが、顔の黒子の位置がどうしても好きになれない女優さん。当然のことながら、上手くもないし好きでもない女優もいる。

どうでもイイけどね(笑)

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Q1:酔うと人に迷惑をかけてしまう時がありますが、あまり覚えていません。酔い方にも違いがあるのでしょうか?

A1:お酒を飲むことで酔いがすすみ、酩酊と言われる一種の急性アルコール中毒の症状を示すことがあります。酩酊状態の大半は飲酒量に応じて酔いの程度が変化します(単純酩酊)が、飲酒量に関係なく異常な酔い方をする場合があります。これを異常酩酊といい、異常酩酊には複雑酩酊と病的酩酊があります。

複雑酩酊はいわゆる「酒乱」と呼ばれる状態で、気分が易刺激的になり、暴力的な言動や、興奮状態が長く続きます。自分の置かれている状況は理解できるため、行動に一貫性があります。部分的に記憶をなくすこともあります。血中のアルコール濃度が180mg/dL以上になったときに出現されやすいとされています。

一方、病的酩酊と呼ばれる状態は、血中のアルコール濃度に関係なく出現します。記憶をなくし、自分の置かれている状況が理解できず、行動に一貫性が無くなります。不安や興奮、ときに幻覚妄想状態をきたすなど、精神的に不安定な状態となります。また、お酒を飲んでいないときには見られないような攻撃性や暴力的な行動が突然出現する場合もあります。

このような異常酩酊の状態が、飲酒時のけんか、暴言、事故、犯罪行為などの原因となっている場合もあります。

Q2:アルコール依存症になったら自分で気が付くものですか?

A2:自分自身では気づきにくく、家族や職場の方が気づく場合が多いです。

依存症の本質的特徴とは、飲酒によって発生した何らかの重大な問題を抱えているにも関わらず、飲酒し続けるという状態のことを指しています。

この問題とは、健康上の問題だけにとどまらず、人間関係上の問題もあり、夫婦間の暴力や夫婦間でのコミュニケーションの問題として現れることもあります。また、社会的・法的問題として、飲酒下での事故、犯罪をきっかけとして問題飲酒を指摘されることや、職場では飲酒に関連する問題行動などから雇用問題に至ることがあります。

お酒を多量に飲む習慣となった場合、このような問題に自身で気づくことはなかなか難しく、認識できていたとしても、そのことを認めたくない心理が働くことも多いでしょう。

つまり、「私は問題ない。うまく酒を飲めている」と当事者が考えていても、ご家族や職場の方はとても困っていることが多くなるのです。治療現場の印象では、自ら受診に至る場合はまれであり、ご家族や職場の方が受診を勧めることがほとんどです。

つまり、アルコール依存症とは自分自身で気づくことがとても難しい病気であるといえます。

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※くだをまく、は何を巻いているのか?

酔っ払って、ぐずぐず不満を言うことを「くだをまく」というけど、このくだとは「はた織り」で糸を巻く時に使用する軸のこと。

糸を巻く「糸繰車」に置いて糸を巻くと、「ぶうんぶうん」という音が鳴るんだって。
その音や糸を巻くために繰り返す動作と、酔っ払いがぐずぐず繰り返し言っている姿が同じに見えることから「くだをまく」というようになったんだって。
酔っ払ってくだを巻いている人は、実は糸巻きしてるってことなんだね。

※飲めない人を下戸という理由

お酒を飲めない人を「下戸(げこ)」というけど、二つの由来があるよ。

ひとつは、日本の飛鳥時代に実施された律令制にまつわるもの。
当時は「大戸」「上戸」「中戸」「下戸」という4つの階級があったんだけど、階級によって、婚礼時に飲めるお酒の量が決まっていたんだって。
当然、上から順に、下に行くほど飲めるお酒の量は減るから、転じて下戸はお酒が飲めないという意味になったらしい。

もうひとつは中国の秦の始皇帝にまつわるもの。始皇帝の大事業である「万里の長城」の建造時、長城の上で日干し煉瓦積みの作業をする人を上戸、下で煉瓦を運ぶ作業をする人を下戸と呼んでいて、上の人は寒いからお酒が振る舞われ、下の人には饅頭(甘くない)が振る舞われたんだって。

その後、下戸=饅頭(甘い)をもらう人=お酒を飲まない甘党、となったらしい。

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aaa

アルコール依存症の治療は、まず治療目標を決めることから始まります。

以前は、アルコール依存症の診断イコール生涯の断酒と考えられていました。断酒とは、アルコールが含まれている飲料を一滴も口にしないことです。

なぜ生涯の断酒が必要かと言いますと、アルコール依存症になった人はどんなに長く飲酒しない生活を送ったとしても、再びアルコールを口にすると以前の病的な飲酒に戻ると考えられているからです。残念ながら依存症の人がコントロールして飲めるようにする治療法は存在しません。

人間関係や社会の信用が失われるような破壊的な飲酒をする人、肝硬変など身体合併症が重篤な人、過去に節酒、アルコールをコントロールして飲むことに挑戦しても失敗して依存症の再発を繰り返している人などは、生涯の断酒が必要と言えます。

しかし依存症には至っていない段階の多量飲酒者は節酒が治療目標になりますし、依存症と診断されるケースでも、止められないにしても減らすだけでも効果があると考える、いわゆるハームリダクションの考え方が医療者の間にも徐々に受け入れられています。ただし、依存症の人が節酒を治療目標とすることには条件があります。長期間続けられること、健康への影響がないこと、家族・友人、職場の人間関係など社会的にも悪影響のないこと、といった点です。

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koritsu

マウス1匹を1つのカゴに入れて16匹、個室です。一方で16匹をまとめて1つの同じカゴに入れます、大部屋ですね。

どちらにもアルコールより依存性の強いモルヒネ水を飲めるようにしたところ、1匹ずつカゴに入れたマウスの多くがモルヒネ依存になり、16匹の大部屋マウスはその内1匹だけしかモルヒネ依存にならなかったそうです。

そして個室でモルヒネ依存になったマウスを、16匹がまとめて入っている大部屋に移し入れてたところモルヒネ依存が改善方向に向かったという実験結果。

つまり依存の感じとしては、物質よりも環境ということを示唆していると思います。

依存症は叱責したり罰を与えることで良くなるデータはありません。アルコール依存症になることは人間としてダメだということでもありません。

少なくとも、世間から強いバッシングを受けるとか、廻りから止めろと言われて酒をやめようと思う可能性は限りなく低いということです。社会はそういう人を排除したがるのですが、それは問題を先延ばしにしているだけで、救うどころか孤立を深めてより依存症を悪化させかねません。

孤立することが一番だめだということです。あとは運を持っているか、親身になってくれる家族はいるのか、そして最後は本人次第なのですが。

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neko

年を取れば年々酒に弱くなっていくのは誰しも実感していること。生活習慣やがんなどに対する心配もある。そして、それでも飲む量をうまく減らせず、若い頃と同じように飲もうとして二日酔いになり、ブラックアウトしたりして後悔する……いい歳してこれを繰り返してしまうわけだね。

酒が好きな人にとって、一生健康なまま酒を飲みたいというのは、何よりも願っていること。だけど一生健康で飲むためには、50代で一度、酒との付き合い方を見直す必要があるのではないかと考えます。

50代で酒との付き合い方を見直そうと考えるのは健康に対する不安があるから。もちろん、60代でも健康への不安はあるはずだ。だが、多くの人にとって50代というのは、それまでの人生であまり感じたことのない体調の変化や、健康診断の数値の悪化に直面し、我が身を振り返って、飲酒をはじめとする生活習慣を見直す時期に当たるのでしょうね。

その後の人生において末永く酒を味わえることにつながります。逆に、若い頃と同じような飲み方を続けてしまうと、何らかの病気を発症し酒が飲めなくなるリスクが高まりますからね。

いつまでも健康でいられる適量についてとか、二日酔いのメカニズム、健診結果が悪い人が飲み続けるとどうなるかなど、酒との付き合い方を考えるうえでの基本となる知識を知る努力が必要になってくるのだと思っています。

まぁ、40代最後に久里浜に入院して色々なレクチャーを受けたけれど、一生飲めないということを理解しました、遅かったということです。

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toyota

ゴールデンウイークを振り返ると、相方であるウチの奥さんは、ちょいと不規則な働き方をしていて、この連休中にも仕事の日が何日かあった。毎年そんな感じだったのだが、今年は仕事が多めに入っていたような気がする。ブロンズ・ウィークぐらいだったんじゃないかな。

おかげで僕はひとりで放って置かれた時間が長かった。それで、どうしても観たいわけではなくてどうしようか迷って録画してあった映画を観て、少し溜まってきたドラマの録画を観て、滞り勝ちな読書を進めて、庭の掃除と樹木のお手入れをして、あとはゴルフに行ったくらい。

時間があったらやりたいと思っていても実際はあまりできていなかったことが少し進んだような。論理的じゃないけれど、なんとなく、年を取るってそういうことなのかなと思った。

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vvvv

随分前に誰かが、レストランでほとんど会話せずに食事をしているカップルがいたら、それは間違いなく夫婦だと書いているのを読んだことがあります。随分前と言っても、すでに僕は結婚していて、それを読んでなるほどなと思いました。

それを書いた人は、ひょっとしたら「何年も結婚生活を続けていると、次第に疎遠になって会話もなくなってしまう」と言いたかったのかもしれませんが、いえ、僕が思ったのは全く違うことです。

結婚していないカップルが外食をしているのであれば、それはデートですよね。 ならばデートが終わると当然別々の家に帰ることになります。だから、食べている時間も黙っているのが惜しくて、一生懸命喋るんじゃないでしょうか。

もしかすると、食後にどこかに行くのかもしれません(笑) それが気になって、期待と不安に胸を高鳴らせながら、あるいは拭っても拭っても湧いてくる妄想に身悶えしながら、無我夢中で話を繋いでいるのかもしれません(笑)

夫婦だと四六時中一緒にいるわけだから、そんなに焦る必要はないんですよね。だから、食事の時には味わうことに専念して、あまりべらべら喋らない。

でも、だからと言って、夫婦だといちいち口に出して言わなくても通じる部分があるとは言うつもりはありません。しかし時々は確かにあるんですよね、年季の入った夫婦なんかだと、言わなくても解ることが。言わなくてもバレるということもあります(笑)

それは例えば、僕が誰にも言えない仕事の悩みを抱えているときに、相方がなんとなくそのことに気づいて何気にアドバイスをくれる、みたいなすごいケースもあるし、食事中に何も言っていないのに僕が黙って醤油を取ってあげる、みたいな小さいことがら。

それはそれで嬉しいことなんですが、でも、僕はそれがの理想型だとはちっとも思っていません。コミュニケーションの基本はやはり口に出したり文字に書いたりして、言葉にして、相手にしっかり伝えることだと思うのです。言わなくても解るかなと考えるのではなくてね。

好きだとか、感謝してます、それはちょっと嫌かも、ありがとう、ごめん、などと、言葉にして相手に伝えることが大事だと思っています。そうやって言葉で伝えることで相手にも明確に意味が伝わり、それによって相手からも明確な反応があり、コミュニケーションが深まり、さらなるコミュニケーションに繋がるのだと思います。

言うタイミングも大事です。その場で伝えられる限りのことをその場で屈託なく伝える努力が必要です。暫く溜め込んでから、「そもそもあの時」なんて蒸し返したら、逆に相手を硬くさせてしまう恐れがあります。

一つひとつ言葉にして相手に届けることは相手に対する敬意でもあると思うのです。そして、それこそがコミュニケーションの基本。やっとそう思うようになりました。

もちろん人と人との相性ということもあります。でも、何十年も一緒にいて言わなくてもいろいろ通じるようになっている夫婦であったとしても、最初の頃にそんな地道な積み重ねがあったからこそのような気がするのです。

長いつきあいの中で、もしも口に出さなくても伝わったとしたら、それはそれまでのしっかりした会話に対するご褒美みたいなものかもしれません。以心伝心なんて宝くじに当たるようなものだと思うのです。当たれば嬉しいです。素直に喜べばいいです。

そういう努力が必要だと思います。今までに言わなくても通じることがあったかもしれないけれど、言葉が足りなくてうまく伝わらなかったことはその何倍もあって、倍返しで𠮟られることの方が多かったと思います笑)

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anbatar


アルコール依存症は進行性の病気です。

飲み始め→精神依存に移行する初期→病的行動が始まる依存症中期→人生が破綻し始める依存症後期へと、徐々に進行します。

依存症中期からは軽い離脱症状が出て、飲酒のことで嘘をついたり、家庭内で問題が起き始めますが、たいていの人は必死に問題を隠して仕事をこなしています。

仕事に明らかな支障が出て、家庭崩壊に至ったりするのは依存症後期です。早く治療を受ければ受けるほど失うものは少なくてすみ、回復と社会復帰も容易です。ぜひ早期に治療を受けましょう。精神科に行くしかありません。

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tora

日本では意思が弱いから依存症になるのだとよく言われてきました。精神科の医師に言わせれば依存症に意思や性格は関係ありません。どんなに意思の強い人でもかかる可能性のある疾患です。しかも意思がつぶされてしまう病気ですから、一度かかってしまったら根治はなかなか難しい。もっとも重要なのは、依存症にかからないように予防することが大切。

予防というか再発防止ですが、依存症の治療に一定の効果を上げているのが、断酒会やAA(アルコホーリクス・アノニマス)といった自助グループです。非常に興味深いのですが、依存症の治療で効果を上げるためには、依存対象を「人」へと移すことが肝要なのだそうです。

もともとAAの発祥は、1935年、アメリカで1人のアルコホーリク(問題飲酒者)が別のアルコホーリクと出会い、それぞれの問題を語り合ったところからスタートしました。

つねにお酒を飲んでいないと気がすまなかった2人の人間が、お互いの経験を分かち合うその時間だけは、お酒を飲まずにいられた。そのことから自助グループとして世界的に広がっていきました。

つまりAAというのは、それまでアルコールというモノや飲酒という行為に依存していたのを、人への依存に変化させる行為とのことなのです。孤独によって依存症のリスクが高まるのであれば、孤独でなくなれば依存症が治る可能性も高まるというわけですね。

このAA発祥の話、今までしりませんでした。最近お一人様と言う言葉をよく耳にしますよね、男も女も独身ってのが多くなる傾向のようです。しかし、アルコール依存症予防の観点からは複数で楽しんで酒を飲めということでした。

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勤務中に酒なんて… と思ったが、そりゃ監視の目がないわけだし、ランチのついでに軽くビールを一杯なんてこともできる。それでなくてもコロナ禍でさまざまなストレスが心身にかかっているのだから、酒を飲みたくなるのも当然かもしれない。

5リットルの業務用ウイスキーを買ってしまった人。大容量の酒が身近にあると、つい飲み過ぎてしまうので買わないと心に決めていた。コロナ過の事情もあってネットで業務用のウイスキーに手を出してしまったのだ。そして案の定、酒量が増えてしまった。

仕事が終わったら移動せずにすぐ飲めるし、終電を気にしなくてすむ。テレワークだと早起きしなくていいからダラダラ遅くまで飲んでしまう。旅行にも行けず、その分ぜいたくなテイクアウト料理や酒を買ってしまう。飲むことしか楽しみがない。等々、、わかりますけどね。

そして、アルコールの弊害がカラダのあちこちに表れ、エライことになってしまう。そう、このままではいけない。5リットルのウイスキーを買ってる場合ではないのだ。

アルコール依存症の場合、同じ病を抱える人とのコミュニケーションが「再飲酒の大きな抑止力」になっていたはず。人とリアルに会って話ができないことは、アルコール依存症を抱える方々にとって、大きな影響を及ぼしているようだ。オンラインで集まるにしても、Wi-Fiやパソコンなど環境が整っていない方も少なくない。

この変化にすぐ順応できる方は心配ないのですが、そうではない人は、何とかしてこの不安を忘れたい、ストレスを解消させたいという思いから、ついお酒に走ってしまうことも。また“ステイ・ホーム”が続くと生活にメリハリがなくなるため、お酒を飲むことで一区切りつけようとする人も多いようですね。

ストレスを緩和させるために酔っても、根本的な問題の解決にはならないし、現実は変わらない。頭では理解していても、つい飲んでしまう。酒量の増え方は、その人にとってのストレス指数を表しているのかもしれない。楽しいお酒なら良いが、逆に落ち込んでしまったり、「どうしてこんなに飲んでしまうんだろう」と罪悪感を持つようになると、かなりの危険信号。

感染拡大防止のため、今後も家にいる時間が長くなるのは必然です。アフター・コロナの生活様式に合わせた飲み方、酒量を今のうちに考えなければなりません。特に、飲んで罪悪感を抱いてしまうような方の場合、自死に至るケースもないとは限りません。自助会も対面で開催できない時代に、ストレスを貯めず平穏な心持ちを維持し続けるのは大変だけど、いつもの自分を思い出して耐えるしかありませんね。

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年寄りというか、ぼくら中高年が病気自慢の話で盛り上がるのは、それ以外に変わった話題がないからなのだなとぁ~と最近分かってきた。

話題・トピックスというのはきっと“変わったこと”を指しているのだ。病気と言っても、病気自慢ができるということはそこそこ元気で生きているわけだし、それ以外に変わったことがないというのはそれなりに良いことなのですよね。ぼくの場合は腰が痛い、脊柱管狭窄症手術を受けてから4年半たちますが相変わらずの痛み。まぁゴルフができる痛みだから、手術して良かったのでしょう。

痛みといえば膵臓、肝臓と同様に沈黙の臓器と呼ばれますね。つまり、少々問題があっても痛みなどの症状がすぐに出るわけではない。しかも、肺や胃、腸などと比べたら、マイナーな印象の臓器。

膵臓は黙々と働いてくれて毎日365日負担を強いられても頑張って働き続けてくれています、でもそれにも限界がありますね、年末の忘年会で痛めつけられてからお正月に突入するわけだから、すい臓だってタマリませんよねぇ~。

そうなると、ある日突然激痛が走り急性膵炎で入院なんていうことになります。そうとうに痛いらしい、2010年に急性膵炎を発症したお笑い芸人の河本準一さんが「生爪を一気に剝がされたような激痛が背中を襲った」というのだから、いかにその痛みが耐えがたいものかが分かる。考えただけでも恐ろしい……。

これは膵臓に限ったことではなく、僕たちの大切なカラダの全てに言えること。アルコール依存症を患い、今のところは断酒が出来ていると言っても油断大敵です。まぁなんとかお酒を飲まない1年間をすごすことは出来そうなので、毎日毎日をふだん通りに大切にしていこうと思うこの年末でした。

ということで恒例の年末ジャンボ宝くじ。買い忘れのないように。

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tora

アメリカでは最近 Merry Christmas! ではなく Happy Holidays! と言うらしい。非キリスト教徒に対する配慮だとか。

お祝いのカードは二つに分けられ、1つは季節の行事が関係したシーズナルカード。もう1つが、誕生日やアニバーサリーのときに送るエブリデイカードです。

アメリカとカナダの祝日の1つにThanksgiving Day(感謝祭)があります。アメリカでは11月の第4木曜日、カナダでは10月の第2月曜日です。

アメリカの場合、Thanksgiving Dayが終わってからニューイヤーまでをホリデーシーズンと呼びます。ホリデーシーズンはシーズナルカードが最も多く使われる時期で12月に入ると家族や友達、仕事関係の方々にカードを送ります。

日本では冬のカード=クリスマスカードのイメージが強いですが、海外の場合は宗教上、クリスマスをお祝いしない人もいますので、クリスマスカードとは言わずにホリデーカードと呼ぶことが多いそうです。

そのためメッセージもMerry Christmas!ではなく、Happy Holidays!やSeason's Greetings(季節のご挨拶)などがポピュラーなのだとか。

ショッピングモールとかで季節の装飾からサンタクロースや樅の木を外し、緑と赤の組合せを赤一色に変えるなど、ちょっと僕らの想像を超えた感じになってたりして。一方で、そういう動きを反キリスト的なるものとして排撃しようとする人たちもいるとか。かなりデリケートな、いや、かなり政治的な問題になってきたみたいだ。

一方僕らのクリスマスは、子供がサンタさんからプレゼントをもらうという、のどかなものだ。子供の時にまずそういう形で触れて、その延長上に大人のクリスマスもある。それはカップルにとっても特別な日になり、恋人はサンタクロースなんてヒット曲も生まれた。

欧米と比べて無邪気なもんだ、と言われるかもしれないが、日本は昔から宗教が入り混じった世界であまり頓着せずに暮らしてきたからね。

ぼぅ~っとしてると、ジングルベルが聞こえてきてアッという間にクリスマスが来ますよ。

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治療が必要なのに治療を受けていない人の割合を治療ギャップというらしい、アルコール依存症はこれが極めて高い。国内の潜在患者数は約100万人と推計され、治療を受けている患者は約5万人でわず5%しかいないのです。まぁ100万人で5万人という数字は15年以上前のだから、隠れ患者はもっと増えてる感じですが。

治療ギャップを高くする理由の1つに、これまでは治療方法が“断酒”しかないこと。自分の飲み方に問題があることを知りながら、どうしても専門医療機関には行きたくない。「酒をやめるくらいなら死んだほうがマシ」という心理ですね。むかしのボクもそう思いました。

かつての「アル中」と呼ばれ、仕事もせず、朝から晩までずっと酒を飲んで酔っ払っているイメージだ。しかし、そんな絵に描いたような患者ばかりではない。毎日きちんと会社に行き、一見普通の社会生活を送っている人の中にも依存症患者は潜んでいる。たとえばブラックアウト(大量飲酒のせいで記憶が飛ぶこと)はそれほど珍しい現象ではないかもしれない。このブラックアウトが起こるようになった辺りが依存症との境界線。そもそも酒量をきちんとコントロールできていれば、記憶が飛ぶほど飲むことはありえない。ブラックアウトは酒量のコントロールが利かなかった証拠であり、依存症の入り口というわけ。

酒は楽しいものだが、一方で注意が必要な“合法ドラッグ”でもある。飲みすぎは多くの病気のリスクを高くし、アルコール依存症にも直結する。重症の依存症になってしまえば好きな酒も飲めなくなってしまう。私たちのようにならないように、好きであればなおのこと常に“減酒”を心がけて末永く節度ある酒を楽しみたいものです。

酒という煩悩が人より強かった分、手放すのに苦労したけれど、これを手放せたらどんだけスッキリするだろうという期待もある。僕らはどうせいつかは手放さなくてはならない、だったら先に手放したもん勝ち。

お先に次に行こう。元の木阿弥にならないように芯の部分での注意が肝要・肝心(笑)

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自分が好きな食べ物はいろいろとあって、その時代年代とともに結構変遷している。

例えば、オリーブ。オイルも好きだが実も好きだ。しかし、オリーブの実を初めて食べた時の自分の拒否感もまた記憶にしっかり残っている。

それは学生の頃に、ホテルのバーで何を思ったか飲んだマティーニのグラスに沈んでいたものだ。口に含んで噛んでみて、あまりの味に痺れそうな気がした。

その感覚は小さい頃、食卓にフキの煮物が出てきたときに、なんで大人はこんなもの食べるのだろう?と思った感覚にそっくりだ。その後も何度かオリーブを食べる機会に出くわしたが、感想は同じだった。輸入の瓶詰で良い物が入っていなかったのかも。

それがいつの間にか、好んで食べるようになった。たぶん、小豆島産の塩漬けオリーブを食して好きになったと思う。手摘みされたグリーンオリーブをうすい塩味で漬けたやつ。蕗の方はそれほど好きではないが、あれば食べる。季節を味わう感覚はあります。

思い起こせば、幼少の頃は好き嫌いが多かったが、今はたいていの食べ物は好きです。マティーニについては好きなんだけど、たぶん一生飲まないと思う。

あっ、ノンアルのマティーニ缶なんてのがあれば、、、。

ジン3~4に対してベルモット1が標準的とされ、これよりジンが多い場合はドライ・マティーニと呼ばれることが多い。ジンとベルモットの割合は好みや作る者によって様々である。元々はジン1に対してベルモット2程度の割合(アルコール度数にして約20度)であったが、その後に辛口(ドライ)なものが流行し、一時期はベルモット1滴の中にジンを注ぎ込むといったエクストラ・ドライ・マティーニなんてのもあったという。

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neko

オリパラをテレビで見ていて、入れ墨を彫っている外国人選手がたくさんいて気になった、そんなに流行っているのだろうか?彫っているという言い方も適切ではないかもしれないけどね。

日本には入れ墨を入れた人の入場を拒絶する施設がある。それは暴力団を排除するため。昔はそれで良かったのである、入れ墨=ヤクザだったから。あるいはこの場合、「入れ墨」ではなく「刺青」と書いたほうがしっくり来るかもしれない。刺青を誇示することによって自らがヤクザであることを世間に知らしめようとしていたのだし。

そういうわけで、サウナや銭湯で場内でのトラブルを避けるのにヤクザの入場を排除することが肝要であり、そのための一番簡単な方法が「イレズミお断り」だったのである。

ところが最近はヤクザでない人でもイレズミをするケースが増えているから厄介だ、そしてほんとにオリンピック選手に多かった。いや、イレズミと言うよりタトゥーと言うべきなのかもしれない。

そもそも入れ墨を入れるかどうかは個人の自由のはずで、オリンピックを見ていて違和感を覚えたのは僕らのようなオジサン連中だと思う。今どき入れ墨を理由に入場を断るなんてことがあって良いのかと考えると微妙。そもそも自分の体に傷をつけることに反論する思考もあり、そういう発想で言えばピアスだって似たようなもので、耳のほかに鼻とかヘソにね。

元はと言えば、入れ墨=ヤクザという公式が成り立っていたから、日本ではあまり深く考えることなく、ヤクザ排除のためにイレズミお断りを打ち出した。ところが、最近は若い人を中心に、体のどこかにイレズミを入れている人が少し増えている。また、どんどん増えている来日観光客の中にもイレズミを入れている人は少なくない。

そういう罪のない外国人観光客が日本の銭湯や温泉に入れないということをどう考えるかということもあるよね。久里浜病院の東6病棟お風呂はオーシャンビューで素晴らしいのだけど、思い出してみれば、途中で彫るの止めて菩薩の輪郭のそれも半分だけスジ彫りが入ってる情けない背中のあんちゃんがいたのを思い出した。そして入れ墨についていろいろと考察したけれど、お祭りで彫り物を見せるなとか、中途半端でまとまった答えはでていない。

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tori

オリンピックで活躍した若いアスリートなどが少し過去の自分を振り返って、「まぁ・後悔したくなかったから、一生懸命やりました」みたいなことをインタビューで語っているのをよく耳にしました。

この後悔したくないという気持ちが、どうもしっくり来ないのです。後悔するからこそ進歩する、そんな風にボクは思うんだけど。

「しまった。あのときこうしておけば良かったのか!」「もっと時間をかけてやっていたら今頃ちゃんとできていたかもしれない」「あれさえやらなければ、こんなことにはなってなかったのに」などという、そんな気持ちこそが、「次はちゃんとやろう」というモチベーションになると考えます。

ボクの感性では「間違っていたら後悔すればいいや。後悔したって構わない、信じる通りにやってみよう」というのが大抵の場合のボクの決断であり、そして自分の判断がそんなにしょっちゅう正しいわけがないので、しょっちゅう後悔することになります(笑)

でも、それで良いのです。

後悔したくないという思いが自分の重荷になる方向に働きませんか。ボクの場合は、下手に後悔したくないなどと考えると、不安感が強まり、体が強張ってしまい、判断力も行動力も失って何もできなくなったりします。朝一番のティーショットでチョロするイメージ、これって何百回も経験してますからねぇ~。

もちろん、後悔したくないから頑張るというロジックも解らないではないです。ただ、その言葉を聞くと、きみは生涯後悔することなく人生をやり過ごしていけるのかと訊きたくなってしまいます。

ああ、あんなことやるんじゃなかった、こっちをやってからやるべきだった。毎日が後悔の山です。でも、累々たる後悔の山の上にしたたかに立つことによってしか、遠くにある成功や幸福には手が届かないのだと、ボクは感じています。

「後悔したくないからやろう」のほうが自分にはフィットしていて、自分を奮い立たせる材料になると言う人に「それではダメだ」とまで言う気はありません。

もちろんアルコールについての後悔が一番多いのですが、生きて行く感性の違いについては、人それぞれですもんね。

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neko

昨日の夕方はちょっとの間にものすごい量の雨が降った。だが、日中は大体曇っていたり日が出てて、外出した際にも全く濡れなかったし、夜もお天気アプリ雨雲レーダーで激しい雨が降ることは知っていたが、まぁ日曜日だし自粛モードでほぼ家にいたのでそれほどの実感はない。

新作カッパを購入したので、覚悟をきめて3回続けて雨予報でゴルフに行ったのだけど、3回ともほゞ雨は降らなかった。キャンセルが多くてゴルフ場は空いていて気分よくラウンドできたけれど、まぁコースの経営的にはかわいそうかなってチョイ思った。慢性的大渋滞の帰りのアクアラインもルンルンだったし(笑)

梅雨入りしてからの平日の徒歩通勤でも、傘をさしたのは僅かだったように思う。今日も早朝は雨が降ったようだが、幸いにして降られなかった。通勤の徒歩道は乾いていて熱気で夏の予感さえ漂っているんだもの。

災害で大変だった地方には申し訳ないけれど、こんな感じが続くと、つまり、自分が家の中にいるときばかりに雨が降ると、なんとなく、ああ、今年の梅雨は空梅雨だなあなどと思ってしまう。

自分の認知能力が、あるいは、人間の記憶というものが非常に曖昧であることは先刻承知しているつもりではあるが、こういうことが続くと、改めてそのことを実感する。

自分が濡れなければ雨は降っていないのですものねぇ(笑)

夏、イコール生ビールという条件反射も、幸いにしてほゞ薄れていることを実感できている。61歳の夏。

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benz

NHK BS から録画しておいた『わが心の大滝詠一』を観た。大瀧詠一ゆかりのミュージシャンをバックに、彼の作品を何人かの歌手が歌うのと短めのインタビューによる構成。ナレーターは爆笑問題の田中。インタビュー部分には松本隆や萩原健太による追憶や解説もある。

『さらばシベリア鉄道』の録音中に「この歌は女声のほうが向いている」ということになって太田裕美が起用されたとか、ロンバケの作詞を頼まれた松本隆が、実の妹が急死してとても歌詞が書ける状態ではなくなって、大瀧に断りを入れたら「書けるようになるまで待つよ」と言われたとかの興味深いエピソードもたくさんあった。

それにしても、鈴木茂も萩原健太もすっかりおじいさんになってしまったなあ、と少し驚いた。トップとラストは大瀧詠一自身のボーカル・トラックに演奏をかぶせたやつ。

キョンキョンとはかぶせてデュエットも。同じように年をとっても、小泉今日子も薬師丸ひろ子も、僕は若い頃からのファンだし、今でも本当に素敵だなぁ~と思う(笑)

スタジオの演奏は井上鑑が総監督兼編曲。鈴木茂を筆頭に、浜口茂外也やら吉川忠英やら中西康晴やら、いろんな人がいる。しかし白井良明がストローク専門のアコースティック・ギターというのは、ももったいないと思った人が多いのでは。

他に歌ったのは氷川きよし、BEGIN、小林旭、横山剣、TARAKO、鈴木雅之、大勢が歌って、一番驚いたのは島津亜矢という人。僕はこの人のことを全然知らないが、『風立ちぬ』を歌った彼女は驚くほど美しい声で、驚くほど正確な音程で、驚くほど表現力があった。

最後に『幸せな結末』を持ってきたのは、そのタイトルになぞらえたのだろうけれど、これはちょっと失敗かなと思った。そんな言葉遊びに興じることなく、もっと他に名曲と言って良い作品はたくさんあるのだから、そういうので締めるべきではなかったかな。冒頭が『君は天然色』だっただけにちょっと見劣り、いや聴き劣りがした。

でも、いずれにしてもとても楽しい、良い歌番組だった。

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2年続けて緊急事態宣言下のゴールデン・ウィークが終わりました。では、去年は一体どうやって過ごしていたのでしょうか。

僕の場合は所謂カレンダーアプリに簡単なメモを書いているので、昨年の今日、一昨年の今日に何をしていたかは確認できる、まぁ書いてあればだけれど。それで改めて確認してみたら、去年と今年でほとんど差がない。笑えてくるぐらいに差がない。

基本、家にいる。近所のオオゼキや一駅歩いてイーオンに買い物には行く。散歩に行く。ひとりでも行くしふたりでも行く。ふたりで行く場合は長い距離を歩いたりもする。相方は丸子橋からガス橋を廻って早朝ジョギングをしている、なぜか一回だけ写経をしてた、、、。

あとは録画しておいたドラマや映画を見たり、ゴルフの練習にリンクス新川崎に行ったり、YouTubeでお気に入り先生のヨガをやったり…。

それほど大きなストレスはない感じだよね。これが30年前だったら大きなストレスがあっただろうなと思う。一般的に年末年始と GW が、長めの休みを取って遊びに行ける唯一のタイミングだったからね。

だから、まぁなんだかんだ閉塞感はあるけれど、この時期に外出と言うか、遊びに行けなくても大したストレスはないのである。

また別の時期に行けば良い。問題はその別の時期が一体いつになったら訪れるのかということだけだよね。家にあると飲んでしまうから、酒類の買い置きはほどほどに(笑)

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oh

NHK BSで、流行感冒を観た。めちゃくちゃ面白かった、志賀直哉の同名の小説が原作。

大正7年の秋、スペイン風邪の流行に右往左往する人々の暮らしを描いた作品。写実の名手と言われる志賀直哉だから、ちょうど100年前の日本は本当にこんな感じだったのだろう。ドラマを観ていて何が面白いって、どれもこれも昨今の日本の状況と同じなのである。

作家先生(本木雅弘)は、初めての子供を生まれてすぐになくしていることもあって、西洋で大流行し日本にも上陸してきた流行感冒(スペイン風邪)が大事な娘に伝染るのではないかと気が気でない。

今年の村の運動会は中止にすべきであると村長に直談判に行く。ところが、村長と校長を交えて話した結果、準備してきたものは変えられないという理由で強行される。これって理屈は、ちょうど今現在全国を廻っている聖火リレー、東京オリンピックと同じではないか?

憤る先生は、運動会を楽しみにしていた娘の佐江子には絶対に行ってはならぬと言う。

とは言え、自分は仕事の都合で路面電車に乗って都心に出る。帰りには行きつけの飲み屋でちょっと一杯。でも、さっき聞いたばかりの「さ湯を飲むと流行感冒にはかからないらしい」という言説を信じて、一杯目は白湯を注文して主人(石橋蓮司)を驚かす。

現代人の振る舞いとそっくりで本当におもしろい、その現代人である家の相方は、毎晩白湯で喉を潤しているし(笑)

飲み屋の主人は「先生、人間死ぬときは死ぬんだから」などと鷹揚だが、だんだん感冒が流行りだした頃になると、咳をしながら入ってきた客を有無を言わせず追い返してしまうようになる。

先生の家には女中が二人いる。そのうちのひとりである石(イシ)は近所の娘を行儀見習い的に預かっている形である。石は芝居が大好きで、いつも「金色夜叉」の物真似をして家族のみんなを楽しませている。

しかし、今年は毎年村にやって来る旅回り一座の公演には絶対行ってはならぬと先生に命じられる。先生の言いつけだから素直に聞こうという気はあるのだが、しかし、石はどうしても芝居が観たくて観たくて我慢ができない。

芝居当日、薪拾いに行っていたと言って遅く帰ってきた石を、先生は芝居を観に行っていたのではないかと疑い辛く当たるが、妻の春子(安藤サクラ)は石をかばい、先生を非難する。そうこうするうちに、ついに先生の家からも流行感冒の患者が出て…という話。

どれもこれも本当に今と同じなのである。環境も心境も。

びっくりしたのは、この 100年前の世にすでにマスク警察がいることだ。いや民間人ではなく、文字通りの警官が、オイコラ警察と呼ばれてたころの偉そうな警官が、マスクなしに往来を歩いている市民を呼び止めるのである。

ドラマの脚本がテンポよくリアルで良い。石を演じる古川琴音が如何にも大正時代の女中っぽい健気な感じの中に現代的な可愛さもあり、とても玄人受けで名前覚えておかねば。モックンと安藤サクラは相変わらずで流石。

一部背景を合成したと思われるシーンもあったが、路面電車が停車場に滑り込んでくるシーンが撮れるくらいの立派なセットを建て、これは却々大したものだった。

もし再放送があったら是非ご覧になると良い。そこには今のあなたや私がいますから。

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bar

世の中の変化が激しいせいなのか、もしくは先行きが不透明なせいなのか、将来について悲観的なニュースとか多い気がします。この先の予測は色々な説が飛び交っていて正解なんてわかるわけない、誰だって不安になりますよね。

コロナ流行、在宅でいつでも飲める環境が整って誘惑が多いわけだけど。飲まない人は飲まないし、だめな人は飲んでしまうんだろうなぁ。

酒と言うものは思っているよりも身近なところで依存のリスクがあるものです。一般的には依存症とは無縁と思っている方々、問題を過小評価しやすく、許容量を超える飲み方が続いていても依存症という言葉は頭に浮かぶことはありません、特に社会で現役の方にその傾向が強いかもしれません。この時期の家飲みは量を決めることが大事だとアドバイスします。

アルコール依存症の本質は決して本人の意志の弱さなどにはなく、アルコールが脳の機能を支配したのです、もはや自分の力では飲酒をコントロールできない状態になるのです。長期にわたり過剰に摂取すれば、誰でもそうなることは頭の片隅に置いといて下さいね。

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kurihama111


紙の新聞は取るのをやめたではないかと言われれればその通りなんですが、だから読まなくなったわけでもない。ずっと日経電子版で新聞を読んでいたのだから。

まぁ、新聞を読まなくても四六時中ニュースが入ってくるようになったからだと思う。

昔は、朝起きてまず新聞を読んだ。新聞でニュースを拾いニュースを知った。新聞以外だと朝のテレビだった。だが、そこを過ぎてしまうと、昼休みのテレビ、夕刊、NHKのニュース。夜のテレビなどと言っても、夜の間ずっとテレビはニュースを流しているわけではない。

そんなふうにニュースに接する機会が限られていたから、皆一生懸命に新聞を読み耽ったのだと思う。

それが今ではスマホで、PCで、ソーシャル・ネットワークで、新しいニュースがぴゅんぴゅん飛んでくる。そして、ここが肝心なのだが、ちょっと古いニュースも読めちゃうのである。

テレビは常に最新のニュースを伝えようとするので、我々は今の状況以外はあまり分からない。もちろん大事件・大事故・大災害などの報道特番では振り返り映像が繰り返し流れるが、それほど大きな事件でない場合は発端や少し前の状況などが分からない。

でも、今ならネット上を検索すれば、そもそのその事件がどういう経緯で起きたのか、3時間前にはどういう状況だったのか、といったことが読めるのである。

テレビとは逆に新聞は、新聞が刷られた後で起きたことは暫くの間何も伝えようがなかった。我々はそれをテレビで補った。だが、テレビがゴールデンタイムに長い時間ニュースを流すのはよほど大きな事件事故の場合のみである。

それが今は、大きな事件も、中くらいの話題も、ネット上にごろごろ転がっていて、それがぴゅんぴゅん飛んでくる。

だから、新聞を読む必要がなくなったのだと思う。
レンドルミン錠を飲んで眠りにつくまで、ふとそんなことを考察。

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VW_GINZA-SWINGIN


不要不急などという、何を基準に誰がそれを判断するのかも定まらない踏み絵を踏ませて、みんなをなんとなく不安な気持ちに追い込んで、あとは皆さんの自主性の問題というやり口はずるい。

毎週でもゴルフに行きたい僕らはどうしたらいいのさ、家族や奥さんの視線が気になる今日この頃、、、。

夜8時閉店、要請に従わない場合は店名を公表するというお上のやり口も気にいらない。

それって、行政としては言うだけは言ったので、それに従わないやつは、どうぞ世間の皆さんで適当に処してくださいと言っているのと同じ。政府はやるべきことはやったというアピールのつもりなんだろうか。

そもそも波風が立っても要請に従わないというのはある種の確信犯に近いのだから、店名公表されるのは逆に宣伝になって都合が良いくらいと開き直ることが出来たら、お上の狙いは完全に瓦解する。

すぐに法律で取り締まる形には持って行けない、というのは分かる。だからといって、どうしてそれが店名公表という安易な策に繋がるのか。まずは要請に従っていただけない場合は何度でもお願いに行くぐらいのことを言ってみる、そして、やってみればいいのにね。

まぁ時間がかかっても将来に向けて立法措置を講ずるべきなのである。もしもそれが本当に必要なのであれば、合理的な判断に基づいて、強制力を発動し、罰則を設けるのが本来のお上の仕事である。それが非常時のリーダーシップでないかしら。

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neko5


冬至を過ぎると少し嬉しい。夏至を過ぎると悲しくなる。夏は好きな季節だけど、最近の夏は地球温暖化で亜熱帯化して相当あつくるしい。しかしそういうことは関係がない。暑いのと寒いのと、どちらが過ごしやすいか、といった問題でもないのです。

冬至を過ぎると、日がどんどん長くなるのが嬉しい。

ここが山の頂き、ここが谷の底とはっきり分かっているのなら、山頂よりも谷底のほうが好き。これ以上は日が短くならないという事実に心が励まされるのです。

まぁ山頂よりも谷底に安堵するのが僕らしいメンタリティであり、アルコール依存症として僕のパーソナリティであるのかもしれない。アル依の関係で底つきは十分に体験したことだしね(笑)

底つきというのは酒の魔力にギブアップすること、酒の誘惑に対しての無力さを受け入れるということ。

僕らは酒を飲みながら人間らしく生きることはできないし、酒をやめなければ生きていけない。底つきは知識として知っているだけでは効果を発揮しない、本当に酒を卒業できていれば申し分ないけれど、長年に渡ってできた心と脳の習慣は簡単には変わらないからね。

まぁそんな感じで冬至の時期に底をついたと言うか、今年もなんとか無事に通過できそうな安堵感というかねぇ。

そういうわけで毎年冬至を過ぎると少し心が明るくなる。緑内障ぎみの眼で暗くなる夕方に運転するのがイヤということもある。

そして、クリスマスがくる。子供の頃から今に至るまで美味しいものを罪悪感なしで食べられる日だから好き。

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corona

新型コロナウィルスの猛威がいつごろ収まるのか見通しが立たない。皆なんとなく不安な日々を過ごしてる。お出かけや外食がままならなくなり、楽しいことが出来なくて窮屈になった。僕もそうだけど、多くの人が「コロナで」「コロナのせいで」などと言っています。

まぁ考えてみれば「コロナ」って、元々は悪印象の言葉じゃぁなかったよね。僕が人生で最初に出会ったコロナは自動車の名前だったトヨタのコロナやコロナマークⅡ。自分が車を運転できるようになる前、大人たちがカローラの次に乗る少し上級の車だと言っていたその言葉が、当然車好きの子どもたちの脳裏に定着していた。

その次のコロナは小学校で理科の時間に習った─太陽のコロナ。太陽の大気層の最も外側にあるガスの層で、普段は目に見えないが、皆既日食のときにはきれいな輪っかに見える。生きているうちに見てみたいなぁと当時から思ってた。

その後、お酒を飲めるようになってから知ったのがコロナ・ビールかな。渋谷辺りのバーでライム突っ込んで瓶のまま飲むのが流行ったよね、30年ぐらい前かしら。さんざん飲みましたぁ~(笑)

いずれにしても、コロナって以前はそんなものに代表される、そんなイメージの、つまり、決してイメージの悪くない言葉だった。それが、急にこんなことになってしまったことを、僕はなんか残念に思うのだ。コロナという名前の少年がいじめられたなんて話もあったし。正義のコロナが悪者のコロナに堕ちて行くのが残念だよね。

海外では covid-19 という言い方もそこそこ定着しているのだろう。発音しやすく憶えやすいという観点からこの名前が付けられたとも聞いた。しかし、英語で言うと covid nineteen は日本語のカタカナにして発音するには少し長過ぎる単語だ。

100年前流行のインフルエンザはスペイン風邪、だけど武漢風邪とかチャイナウィルスとはならなかった。そりゃあそうだよね、トランプぐらいしか言わないよね。そんなこと考察してたんだけど、まぁ決してコロナウィルスの撲滅には繋がらないにしても、少しは気分転換になるかもしれないし。

ならんか(笑)

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Tee

アルコール依存症の典型的な症状、それは体内のアルコール量が減ったときに起こる離脱症状、禁断症状と言ったほうがわかりやすいですね。手のふるえ、悪寒、寝汗、イライラ、不安、焦燥感、睡眠障害などで、まぁボクらは全部思い当たります。ですが、こうした症状はアルコールを飲むと一時的に治まります。そのため、また飲むという悪循環が始まるのです。

人によっては吐き気や下痢、胃痛、動悸、高血圧といった症状もみられます。さらに進むと、うつ状態におちいり、ないものが見える幻視、ない声や音が聞こえる幻聴といった症状や、記憶障害なども起こすようになり、仕事や家庭生活にも大きな支障がでたり、最悪な事態になります。

アルコールを飲むと、私たちの脳の働きが変化し、緊張がゆるんだり、いい気持ちになったり、気が大きくなったりします。それが酔うということですが、普通は脳への影響は数時間程度で治まります。ところが、毎日のようにアルコールを多く飲んでいると、脳はその酔っている状態を通常だと判断するようになります。すると反対に、体内のアルコール濃度が低くなったときに対応できなくなり、さまざまな不快な症状があらわれるのです。

離脱症状がみられたら、すでにアルコール依存症になっています。できればそうなる前にアルコールを飲む行為自体を考え直さなければなりません、アルコール依存症の予防ですね。

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neko


この頃、相方と夕飯を食べていると昔のことを思い出す。昔はこんなもの食べられなかったなぁ~、そうそう、こいつは大嫌いだったとか、これは昔はなかったよね、とか。

僕は好き嫌いの少ない子だったけれど、いくつか大嫌いな食材はあった。その大部分は克服していて、いや、今はむしろ好きだったりするのが面白い。

刺し身は鰤(ブリ)系統の魚が嫌いだったし今もけっして食べない。ハマチの養殖物なんて油がギトギトで餌の匂いがするような気がして嫌だった。その流れでカンパチ・ヒラマサ・シマアジのような肌色系の刺身が嫌いということなのです。養殖でも、鯛や平目は食べますが。養殖ハマチは最悪だった。

一般に子どもたちに不人気のピーマンや人参はそうでもなかったけれど、野菜系では干し椎茸が嫌いだった。母が作ってくれた、かた焼きそばのあんかけに必ず入っていて、椎茸だけ除けて残しておくと厳しく叱られたものですが、今は嫌いではない。相方は柿について、昔は嫌いではないけれど好きでもなかったとのたまう。今は剥いてデザートに出すと美味しいですとパクパク食べる。

若いとき、その味が分からなかったけれど、時がたって美味しく感じる食べ物ってけっこうあるのですね。そして2人で同じものを口にして、異口同音に美味しいと言うのがなんだかおかしくて嬉しく感じる。

蕗(フキ)も、なんでこんなものを食べるんだろうと思った。それは相方も同じことを思ったと思うけれど、今は美味しいよね。

久しぶりに食卓にカリフラワーを出して言われた。私ブロッコリーを初めて食べたのは高校に入ってからだった。そう、確かに僕らはブロッコリーより先にカリフラワーを知った。子供時代カリフラワーは食卓に出たがブロッコリーは出なかった。その時代の日本に出回ってなかったのかしら。

グレープフルーツは半分に切って砂糖をかけて食べると教わった日。母がイタリアのお好み焼きと言ってピザをオーブンで焼いた夜。新規な食べ物がどんどん現れて、いろんなものを試すうちに新たに嫌いになった食べ物もある。

そんなことを語らいながら、家で食事をするのが楽しくなってきた。何を食っているかではなく、何かを話しているのが良いと感じる。まぁ、この10年ほどお酒の出ない夕飯に付き合ってくれて感謝。まぁ、食前酒なしでOKな我が家はグルメとは程遠い存在なんだよね。

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neko


カードで払っていると一体いくら使ったのか分からなくなると言って、頑固にクレジットカードを持たない現金主義者がいましたね、もう何十年も前の話だ。やっぱりポイントの関係でカード払いが一般感覚になっていますよね。

使った金額が把握できないと言っても、毎月精算の連絡が来るんだもの。メールが来てWeb でチェックする。そういう意味で言うと、分からなくなるのは PayPay や LINE Pay などの QRコード払いのほうか。

これは自分でいちいちチャージするにしても、オートチャージにするにしても、ほんとに今月一体何回いくらチャージしたのか分からなくなる。買い物して、「あれ? もう残高がない。一昨日チャージしたんじゃなかったっけ?」などと思うのだが。そしてチャージはカード決済だからややこしい。

かつて「現金 VS カード」という対立構造であったものが、今は「現金/カード VS QRコード払い」という対立構造に変わってきているのが面白い。

QRコード払いの普及によって一番使わなくなったのは、さきほど「現金/カード」とひと括りにしたうちの現金=小銭である。ネットの普及によって衰えたトラディショナルメディアの一角である新聞のように。余談ですが、うちも母上が老健に入所したのをきっかけに朝日新聞の購読を止めました。

このところ、ATM からお金を下ろす機会も金額も如実に減っている。その上に、キャッシュレス化のキャンペーンによるペイバックも結構ある。なんだか嬉しい気分なのか踊らされているのか、しかし、実は QRコード払いでいくら使っているのか、ちゃんと把握していない。ま、人間、いつの時代も何かがよく分かっていないのかもしれない、という脳天気な一般論に転化して、この不安を乗り越えることにしよう。

幸いなことにマイナンバーカードはもっている。なのでマイナポイント上限の五千円をもらうべく手続きに苦戦している最中でございます。2021年3月までの期日だから余裕、、、だといいのですが(笑)

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tiffany

このブログは 2009年9月から続けてきて、さすがに時代から取り残された感じがしてる。更新もサボリがちだし。

個人ブログはまだあるにはあるが、猫も杓子もやっていた時代と比べると半減どころではありませんね。そして個人ホームページとなると、これはもう過去の遺物めいている。これだけ技術が進歩し、表現が多彩になり、新たな記述の方式や部品が出てくると、Web の専門家でも何でもないただのアマチュアの日記としては、そう言うのに追いついていくのは青息吐息になってます。

ソーシャルネットワークは基本的に自分の知り合いや仲間に何かを伝えるものであるが、僕はそこを目指していない。もちろん知り合いが読んだって怒りはしないが、僕は常に不特定のアル依系の読み手を想定して書いている。

それから、タイムラインをどんどん下に流れて消えて行くソーシャル系のメディアではなく、どこかに一覧性のある目次めいたページがあり、そこからサイト内のいたるところが参照可能になっていて、過去に書いたものの繋がりをいつでも確かめられる形に捨てがたい魅力を感じている。アル依の初心者とかが色々とみてくれると嬉しい気がします。

更新が途切れがちだけど、自分の為に何とか続けていければと思ってる。当然自分が飲まない為に。多分僕がこれをやめるのは僕がボケたときなんだろうなぁ~、なんて、、、。

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iseta


さすがに FAX は要らないかなと、多少の不具合はあってもまだ辛抱して使おうと思えば使える電話機をFAX なしのものに買い替えようかと、、、。

皆そうだと思うが、スマホを中心にラインやメールでいろいろなやり取りをしている。当然口約束やメールでは済まなくて文書を要求されることもあるし、また中にはその文書をメール添付でと言う相手もいる。さすがにそれを FAX で送れと言う人は皆無になった。

自宅に関しては、もはや家の固定電話にかけてくるのは、怪しい売り込み以外には母親のデイサービスのお迎え連絡くらいなもの、FAX が送られてくることはないし、インクリボンが切れて10年近いかも。

PC を使い始めた頃、使う回数が減ってきた FAX をなんとかなしで済ませようと、PC にアプリを入れて FAX の肩代わりさせたこともあるが、あれはあれでちょっと面倒くさかった。思えば Modem の時代だった。世界は進歩して、その発想自体が飛んでしまった。

今やほとんどの知人が携帯にかけてくるので、FAX どころか家電自体がなくてもそんなに不自由はないのだが、携帯の番号を教えたくない相手に固定電話の番号を教えておくことによって、プライバシーを守る効果はそれなりにある。どこにいても捕まるという心配がなくなるのである。

携帯電話にずっと出ないでいると、後から「どうしたんだ」「何かあったのか」などと心配あるいは追及される恐れがあるが、家電であれば家にいなかったと言えばそれで済む。長期に家を空けていたのか、ちょっと飲みに行っただけなのかを説明する必要もない(笑)

ところで、FAX が不要であると同時に今や子機も要らなくなった。子機というのは本来一家に一台の世帯財であった電話機を個人使用に拡張するためのシステムであり、電話台から動かせなかった黒電話の可搬性を実現するための方策だった。

携帯の登場によってそんな必要はなくなったし、今では親機もワイヤレスになったし。買い替えれば、今まで FAX付き電話機が占めていた馬鹿にならないスペースが小さなワイヤレス電話ですっきりするのだけれど。コロナ禍給付金も出ることだし。

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honda

僕は昔から地蔵とか能面かと言われるくらい体や表情が固まっている感じで、高校の頃には僕のことを何があっても動じないみたいに思っている友人もいたが、実は若い頃から、いや、子供時代からずっと、心の中では激しい嵐が吹き荒れていたのである、それが切実な実感。

それが、社会人になって、いろいろ嫌なことや苦手なことをやらされて、それでもたまたま運が良くてポキンと折れてしまわず、結果的には鍛えられたわけで、次第に何が起きてもあたふたはしなくなってきた。いや、やっぱり、あたふたはするのだけれど、ビクビクとハラハラは減ってきたと感じてました。

自分では割合ストレスに強い人間になってきたような気でいたのだが、人生も中年というか中盤になってっくると、それなりに辛い事柄が重しになっているわけで。それがある日突然、ドーンと身体に出て来たのである。

40歳代前半頃だったかの単身で別居住まい中に、色々なことが辛くてアルコールで酔うことを知ってしまいました。それまでとは別の世界での酔いです。そんな訳でアルコール依存症、40代の10年間を失った。

まぁ運よく2009年7月久里浜病院にかかわることが出来て生還できたけれど、酒を飲み続けて逝きますか、一生断酒して生きますか。僕は後者を選んで今を生きてます。

そして、これからも続く飲まない人生のことだけど、いちいちビクビク、おどおどしていると暮らしにくいので、うまい具合にそれを避けられるようになっては来たとは言え、だからと言って自分はそんなに強い人間ではない。

まぁ腰が痛いとか、ヘモグロビンA1cが6になってるとか、フェブリク錠は一生飲まにゃならんとか病気自慢でもしながら、そして毎日薬も呑みながら、おおらかに生きて行きたいものであります(笑)

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fj

世間は新型コロナウイルスのニュースで大変です。なんとなく風邪について思ったこと。僕は親の遺伝で鼻があまり良ろしくない。鼻づまりが日常で匂いがわかりにくい感じ、慢性副鼻腔炎、昔は蓄膿症と言ってた。

普段から洟が出ても喉が痛くても、それが本当に風邪なのか不信に思えてしまうんだよね。様子見していて、いよいよ風邪だなと確信が持てたらそこで初めて風邪薬を飲むのですが、そんな風に確かめている間に悪化してたりしてね。「早めのパブロン」とはよく言ったものです。

そして、ひき始めて悪くなってくるのはたいてい平日で、しんどい思いをしながら仕事に行って、なんとかかんとか仕事をこなす。

そして、決まって土日にピークが来る。熱が出て、土日を寝て過ごす。まことに残念なことに、月曜の朝には会社を休むほどではないところまで回復していて、仕方なくだるい体を引きずって出社する。毎回、無理して働き、せっかくの休日もふいにしてしまうのだ。これが逆だったらどんなに良いだろうといつも思う。

土日は健康で楽しく遊んで暮らし、ウィークデーに風邪をひいて「忙しい時に悪いね」などと笑って堂々と休む。こんな風に言ってみたいけど、僕はいつも逆になる。

ところで、歳のせいと言うべきか、身も心も弱くなってきて、今シーズンは風邪かなと思った瞬間に風邪薬を飲んだ。すると喉の痛みが一日で消えた。まだ若いということかも。

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kurihama

番組について少し調べてみると、もともとはベルギーの『RADIO GAGA』という番組に感動したNHKのPが番組のフォーマットを買い付け、その内容をアレンジし、ロケ場所を病院限定で撮影を行っているとのこと。日本オリジナルじゃないのか~とも思いましたが、この企画フォーマットを参考に、舞台を病院に絞り込んでサンドウィッチマンと掛け合わせるというキャスティングは日本ならではのアイデアだと思います。

ロケ先の久里浜医療センターで段取りをしたスタッフは大変だったと思いますが、撮影の許可を出した病院と、出演してくださった依存症の患者や看護師の方々。皆さんの勇気には心からの敬意を表したいと思います。11年前ここに入院していた僕としては、東6病棟や体育館、認知行動療法、院長や当時若手だった先生が出ていたり、ラジオブースがたしかビアンって名の食堂で、懐かしくて涙が少し、、、。放送を見た久里浜OBとしては、一生飲んではいけないことを再認識する良い機会でありました。

再放送 NHK総合 2月29日(土)午後3時05分~ 午後3時45分

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